第一回【 違和感のある知識と日本的認識 】(2/4)
初めて[神様]の事を知ったのは、大人の語りが難しくて理解できないほどに幼い頃。
聞かされても意味が分からないまま、ただ頷いていました。
それから時が過ぎても、幻想的で面白く受け入れられている事実と、現実離れしていて受け入れられない認識と、深く考える事に意味を見出せない現状から、何も変わらぬままに知識として馴染んでいくだけ。
更に年月が過ぎて大人と呼ばれても、何も変わらない[違和感]のある知識のままなのに、それでも何も問題がないという厄介さがそこにはありました。
物事を知る上で欠かせない情報や知識、そして知恵。
無数にある情報を基にして、記憶に根付いて知識となり、知識を活かす知恵が生まれる。
大人から教えられたモノ、言葉など身に付いたモノ、教本とかの叩き込んだモノ、どのような情報の受け入れ方でも知識に違いはなく、人にとって生きる為の《道具》のようなものです。
故に正しい答えとも、永遠の不変とも、有益な価値とも言えず、全ては[活かし方]でしかありません。
どのような知識でも少なければ好機を逃すかも、無ければ好機とすら気付かないかも知れず、結果的に多くを叩き込んだ私達の頭の中には……
殆どが残念なモノとして溢れています。