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死んだのは一人

作者: 野山橘

文通相手が死んだらしい。

先ほど、訃報ハガキが届いた。

文面としては、よくある訃報を知らせる明朝体の最後に、歪んだ手書きの文字で一言。

「〇〇と仲良くしていただき、ありがとうございました。」

父親だろうか、母親だろうか?はたまた、兄弟姉妹か、親戚か。彼のことは大体なんでも知っていたつもりだったのに、まだわからないことがあったのか。


椅子にしていたベッドがギッという音を立てて軋む。

湿気で歪んでしまった引き出しをギギギとこすれる音とともに開く。

建付けの悪い障子がキシキシと嫌な音を立てながら開く。

蝶番のずれてしまった玄関扉をガ、コンと力任せに開く。

戸締りはちゃんとしたか?ああ、ちゃんとカギが閉まっていた。

さっき引き出しから取り出した分厚い封筒を手提げカバンにしまい込んで、私は職場へと向かった。


昔から、海が好きだった。

特に、深海の海底に潜む生き物たちが大好きで、彼らを調査するための資格を取ったり専門学校に通ったりと様々に努力したつもりだった。

しかしながら、私には才能がなかった。

勉強が特別できるわけでもない。

解剖がめちゃくちゃうまいとか、薬品の扱いがとりわけうまいみたいな特別な技術があるわけでもなかった。

結局、狭き門である深海調査員にはなれなかった。

とはいえ、学生時代のコネのおかげで、調査員補佐の作業員になることはできた。

この作業員という仕事は、いわば海底の炭鉱夫だ。

支給された特別な潜水服を着て、鶴嘴やシャベルを担いで深海に潜り、深海鉱脈や堆積物サンプルを回収する仕事だ。

潜水服は人力を増幅させてくれるし、水圧や酸素不足から中の人を守ってくれる。

…とはいえ、深海生物に襲われて穴でも開けばもう死あるのみだし、海底の状態が悪くて命を落とす人も後を絶えない。

給料が悪くなくて楽しくとも、肉体労働だし精神を使うのでなんだかんだ疲れてしまう。

毎日、ヘトヘトになりながら家に帰り、気が付いたら泥のように眠ってしまっている。

週に一回の休みがもらえるが、疲労を回復するために家でじっとせざるをえない。

学生時代には趣味としていたキャンプも、ここ五年は行けてないのではないだろうか。

いくら深海が好きとはいえ、同じような日常ばかりだとさすがに飽きる。気分転換が必要だった。

なにか家でもできるような趣味はないだろうか。そう考えて色々なものに手を出した。

まずは絵を描いてみた。

最初に描いたのは深海魚の絵だった。

タブレット端末に浮かび上がったリュウグウノツカイの、その何とも言えない出来栄えに辟易してしまって以来、筆を折ってしまった。

次に、楽器を弾いてみた。

アコースティックギターを始めたのだが、これはかなり楽しかった。

ただ、弾き始めるたびに、同じアパートの隣人に壁を叩かれるようになってしまったのでそれっきりだった。

次に、文章を書き始めた。

まずはポエムから始めた。

神秘的な深海の生き物たちをテーマとした詩を書き、それをラジオと雑誌に投降した。

これは五回ほど続いたが、どの詩も、どこにも取り上げられることはなく、やめてしまった。

次に、小説を書き始めた。

詩と同じく、深海をテーマにした小説を書いた。

はじめて書いた小説は、とある文学雑誌に取り上げられた。

威張り散らした批評家なる者たちが、好き勝手に罵詈雑言を喚き散らしていたので、心が折れてしまった。

それからも、いくつか家の中でできそうな娯楽を始めては止めを繰り返した。

もう思いつく娯楽も無くなった時、海を見に行った。

仕事をして帰って寝る。たまの休日も寝る。

一体、何をしているのだろうか。

なんだか、学生の頃に実験室で飼われていた被検体のフナを思い出した。

フナは、大きな水槽の中でたくさん飼われていた。実験の都度、取り出されては解剖されたり薬品を打たれたりして殺されていた。

もしかして、自分も実験室の魚たちと似たようなもんなのではないかと感じた。

たくさんの作業員のうちの一人としてランダムに深海に送り込まれ、ランダムに事故にあって死ぬ。そこに自由意志はない。

そう考えると、なんだか憂鬱になった。

憂鬱が続くうちに、なんだか死にたくなった。

こんな理由で死にたくなるわけないと思う人もいるかもしれないが、人の心は案外もろい。

死のうと思った。

せっかくだし、海を見てから死のうと思った。

そして、海を見に行った。

荒磯をのぞき込み、サンゴ礁を眺め、砂浜に座って沖に立つ白波を見た。

さて、帰って首を括ろうと踵を返したとき、何か硬いものに躓いて転んだ。

口に入った白砂にイラつきを覚えた。

悪態をつきながら躓いたものを見てみると、空き瓶だった。

無性に腹が立った、鈍い足の痛みに。これから死のうとしていたにもかかわらず。

どうしてそう感じたのかは今でもわからないが、ふと思い立った。

そうだ、死ぬ前に砂浜をきれいにしていこう。

始業の時間まであと少しというところだったが、どうせこの後死ぬのだ。めいっぱい時間を使って綺麗にしてやれ、と思った。

今考えると、無意識のうちに、死ぬのを先延ばししていたのかもしれないが。

クサい話だが、空き瓶を空虚な自分に重ねて、拾い上げた。


狭い砂浜だったので、二時間ほどであらかたのごみは片付いた。

最後の一つのごみは、コルクで封をされた空き瓶だった。

半ば砂に埋もれたそれを掘り起こしたとき、そばに埋まっていたガラス片で指を切った。

そして、ガラス瓶の中に紙が入っているのに気が付いた。

いわゆる、ボトルメールというものだった。

内容としては、『この手紙を拾った人がいたら、返事をしてください。友達になりましょう。』という、ごくテンプレじみた文章だった。

まあ、ボトルメールのテンプレなんて知らないので適当だが。

…そういえば、ボトルメールはまだ試していなかった。そう思い立った。

膨らんだゴミ袋と手紙を大事そうに抱えたまま文具店に向かい、首吊り用の頑丈なロープを買う金で、こぎれいな便箋を買った。


その日のうちに、手紙を書いた。

次の日、無断欠勤で怒られた。


返事は一週間ほどで帰ってきた。

ボトルメールの主は私の住む町から二百キロほど離れた北国に住んでいるらしかった。

ボトルメールの主(めんどくさいので以下Aと呼ぶことにする)は、まさか小さい子供のころに書いて海に流したボトルメールに返事が来るとは思っていなかったらしい。運命という言葉をしきりに使って、自らの感動を伝えてきた。

そして、Aとの文通が始まった。

文通のうち、様々なことが分かった。

Aは偶然にも、私と同年齢の男性で、これまた偶然にも魚について勉強している学生らしかった。

彼が専門としていたのは汽水域に住む魚だったが、生物的に近い分野に詳しい私の意見を非常にありがたがっていた。

手紙は毎回非常に盛り上がり、本文はとても長いものとなった。

いつか会ってみたいとAは何度も書いていた。私も彼にいつかは会ってみたいと思った。

ここに告白しよう。私は二百キロ先のAに恋をした。

学生時代に関係を持っていた男は数人いたが、どいつもつまらない奴らばかりで、最長でもなんとか三か月持ちこたえた、という感じだった。

なぜ男たちをつまらないと感じたかといわれると理由は様々だが、どいつもこいつもどこか自分の理想に当てはまらなかったのだ。

客観的に見ると、付き合いを重ねるうちに理想の男と現実の男との間に段々と摩擦が生じていき、摩擦が許容値を超えたときに振るというパターンが毎度だったようだ。

しかし、Aはずっと理想の男性のままだった。手紙の中の彼はいつも変わらずに私を楽しませてくれたのだ。

人間、心が参っているときには、顔のない人間に対してでも案外恋ができるものなのだ。

文面だけでしかやり取りしたことない相手にストーキングすることになるまで入れ込む人間はありえないと思っているが、恋ぐらいはしてもおかしくないのかもしれない。


彼の「会いたい」の言葉に対して、毎回「私も会いたい」と思っていた。しかし、どうせ会うなら自分の万全の状態で会いたいし、そのためにはお金が要ると思った。会って、一番綺麗な自分で、彼に愛を告白したいと思った。恋の成就はともかく、彼に愛を伝えたかったのだ。

なので、仕事との都合の兼ね合いを理由に会合を断り続けた。


文通して何年か経った。

Aは忙しくなったと言って、返事が遅くなることを詫びた。

私は別に構わないと返した。

Aも忙しいのか、会いたいという言葉に『いつか』の枕詞が付き始めた。

私の恋心はずっと続いており、貯金も同時にずっと続いていたので、それが逆に好都合だと感じていた。

Aからの手紙には、魚と彼自身の話の他に、彼の周囲の人の話が混じるようになった。

私は、少し寂しく感じたものの、彼が周囲の人々に人望があることに喜びを感じていた。

ここに告白しよう。私は、Aもまた、私に対して恋心を抱いているとして疑わなかった。

私はあえて、慕情としても、友愛としても取れるような「好き」を手紙に入れ混ぜるようにした。彼も親愛を隠さないような文章で返してくれていた。以前と比べて遅くはなったものの、返事も毎回欠かさずくれていた。

なんなら、彼が周囲の話を始めたのも、私にやきもちを焼かせることが目的だとさえ思っていた。


二百八十九日が過ぎた。

文通は相変わらず続いていた。

昇給したこともあって、とうとう貯金が目標額まで溜まり、私は身なりや環境を整えた。

ボロアパートを引き払い、彼を招いても恥ずかしくないような、何なら彼と住むことのできるような立派なマンションの一室を買っていた。

彼に、この日に会おう、という手紙を送った。

返事は来なかった。


七日後、訃報ハガキが届いた。

文面としては、よくある訃報を知らせる明朝体の最後に、歪んだ手書きの文字で一言。

「〇〇と仲良くしていただき、ありがとうございました。」

 父親だろうか、母親だろうか?はたまた、兄弟姉妹か、親戚か。彼のことは大体なんでも知っていたつもりだったのに、まだわからないことがあったのか。


なぜ、そんなウソをつくのか。


貯金が目標額に達したとき、私は彼のことを調査するために探偵を雇った。

長く文通したとはいえ、実際に会うAは手紙の中の彼と違うかもしれなかった。

ここに告白しよう。私は学生時代の男たちに感じたあの摩擦が怖かった。

なんなら、当時と比べてはるかに時間を掛けてやり取りしたのだから、余計に怖いぐらいだった。

探偵は一月ほどかけて彼の身辺や身の回りについて完璧に調べ上げた。

彼は手紙の中の彼のままだった。顔も知らない私に何の嘘もついていなかったのだ。

探偵からの最後の一押しに喜び勇んだ私は、Aに会いたいという手紙を送った。

当然、彼は会ってくれるだろうと思った。

早めの返事を頼んだのできっと電報で知らせてくれるのではないかとウキウキした。

しかし、実際はそうではなかった。

私は、再び探偵に彼を調べるよう頼んだ。

もしかしたら、彼の身に何かあったのではないかと心配したからだ。

結果は、彼は健在ということだけだった。

しかし、三日かけて訃報ハガキを一枚書いたと探偵は言った。

歪んだ最後の手書きの言葉は、彼が筆跡を必死でごまかしながら書いたものだ。何年も文通をした私を騙せるとでも思ったのか。




文通相手が死んだらしい。

先ほど、訃報ハガキが届いた。

なんでも、ずっと続けていた深海でのサンプリング作業中に、ベテランの彼女らしくもないミスを犯したのだとか。

ミスの結果、彼女の潜水服は破損してしまい、彼女は深海の水圧にペシャンコにされてしまったと書いてある。

潰れた彼女の遺体を引き上げるとき、着用していた潜水服の隙間から彼女へ僕が宛てた手紙が立ちのぼり、まるで彼女からカモメが飛び立ったようだったという。

ハガキの送り主は彼女の職場となっていた。


ここに告白しよう。彼女の愛は重かった。

両親を事故で無くし、一人で必死に生きてきた彼女は、依存する相手が必要だったのだろう。きっと、文通という小さなつながりをもつ僕を救命胴衣のように思っていたんだろう。

しかし、文通はしょせん文通だ。

僕は、顔のない相手を愛することはできなかった。

だからこそ、僕は彼女宛に訃報ハガキを書いた。


「まーくん、何見てんの?」

彼女からの手紙を突き放し始めたころにできた彼女が、彼女の訃報ハガキをのぞき込んで言った。

…紛らわしいな。文通相手の女性をAとしよう。

Aさんからの手紙を突き放し始めたころにできた彼女が、Aさんの訃報ハガキをのぞき込んで言った。

「友人が亡くなった。」

ソファの隣に腰かけた恋人の肩を抱きながら僕は言った。

「お友達ってずっと文通してたあの人?」

「ああ。そうだよ。」

いたわるように肩を抱く僕の手に華奢な指を重ねた彼女に、心配いらないという笑顔を返す。

「そっか、残念だね…。…今度の休みにでも“会いに”行ってあげたら?」

「そうだね…。せっかくだし行ってみようかな。ちょうど、〇〇町には調査に行きたいと思ってたんだ。」

「〇〇町!私、ずっと行ってみたいと思ってたの!あの町の景色が大好きなの。私も行っていいよね?」

「もちろんだよ。Aさんに君のこと、紹介してあげるよ。」

実際のところ、ボトルメール拾ったことある?

僕はない。

なんなら実物を見たことすらない。

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