ドラゴンを殺すチェリーボーイ
「それで、だ。ここからが本題なんだが、なぜお前はこんなところであんな怪我を負っていたんだ?」
俺は洞穴の中でリルに聞いた。すると彼女は怯えたような表情を浮かべ、顔をうつむけた。
トラウマをえぐってしまったか?
俺はフォローする言葉をかけようとしたが、それより早くリルは顔をあげた。青ざめていたが、碧い眼はしっかりと俺を見据えている。
「この辺りに、出たんです」
「なにが?」
「ドラゴン」
「ドラゴンだと?」
にわかには信じ難い単語だった。
ドラゴン。
それは一匹で国に災厄をもたらすと言われるような危険生物であり、弱い個体でも優にA級の危険度に分類される。成長した個体となると、それはもうS級、あるいはSS級以上に分類されるだろう。一国の軍隊が出て撃退できるかどうかというレベルだ。もっとも、ドラゴンは基本メス1頭が子供1頭しか産まないため、絶対数も少ない。おまけに休眠期のスパンが長いため、歴史を繙いてもほとんど記録がないのが現状だった。
「なるほどな、それで……」
ブラッディウルフやハングリースライムは、レグオス山にドラゴンが現れたために棲み処を追われたのだろう。幼体だろうがドラゴンはドラゴン、低級の魔物の生存本能を煽り立てるには十分過ぎる。
流れものの正体はドラゴンだったのだ。
「どうかしたのですか?」
「いや、こっちの話だ。で、あんたはドラゴンに襲われて、傷を負ったと」
「……そういうことです」
リルは己の脇腹を撫でる。表情からは羞恥というよりも恐怖の感情が読み取れた。
彼女ははなからドラゴンに勝てるなどとは考えていないのだろう。恐らく、今こうして立ち話している間にも、一刻も早く逃げたいという感情が膨れ上がっているに違いない。おののく目と震える脚を見れば一目瞭然。
だがそれはそれ、これはこれだ。
俺はギルドから依頼を受けている。調査依頼、という名目だが、向こうは多分問題の解決も望んでいる。ならばここで動かない理由はない。
「リル、俺はこれからドラゴンを狩る。お前はどうする?」
「ど、ドラゴンを狩る!? 正気ですか!? あなたはE級では――」
「関係ない。俺ならやれる」
「ですが――」
「俺の心配はいらない。お前はどうする、と聞いたんだ」
俺は有無を言わせぬ物言いをする。
リルは思いつめたような顔をした。
今彼女の胸中に渦巻いているのは、恐怖と勇気。今すぐにでもここから逃げ出したいという思いと、ドラゴンをこの手で倒して恐怖を乗り越えたいという気概だ。
俺は彼女に選択権を与えた。あとは彼女次第。
長い沈黙が訪れる。
夕日が傾いて山肌に隠れそうになっても、俺は黙って彼女の返答を待った。
やがて、
「……分かりました。私もご一緒させてください」
「いい返事だ」
俺は称賛の笑顔を浮かべる。
俺は洞穴の外へ向かった。リルも後ろからついてくる。
「武器はあるのか?」
「は、はい。ドラゴンから逃げる途中で弓は落としてしまいましたが、短剣なら……」
そう言って、腰に差した短剣の柄を握る。
見たところ、決して高価でも特別でもない剣だ。ドラゴンの身体は鎧よりも硬いうろこでおおわれている。少々心もとない。
「これも持っていてくれ」
俺は自分の懐からナイフを出した。これは岩石獣という魔物の体内から採れるウィルハイト鉱石から精製したものだ。彼女の短剣よかよく切れる。
「で、ですがあなたの武器は?」
「素手で構わん」
彼女は目を見張った。馬鹿を見る目だ。失礼だな。
「あなたは無謀な馬鹿なのか、最強の勇者なのか、どちらなのですか?」
「どっちでもない。俺は無敵だ」
短く言い置く。
俺たちは洞穴の外に出た。
「ここから、どうやってドラゴンをどうやって探すのですか?」
「呼び寄せる?」
「は?」
呆けたような顔を浮かべるリルを無視して、俺は上空に魔法陣を展開した。
「《竜の舞踏》」
呪文を唱えたらしばし待つ。10秒、20秒、30秒……。
すると、沈む西日の燃えるような赤色の中に、一つの小さな黒点が現れた。それはどんどんと大きくなり、やがてその形が肉眼ではっきりと分かるようになる。
ドラゴンだ。
《竜の舞踏》はドラゴンが発する特有の魔力の波動を模倣し、辺り一体へ魔力を送る。それに気づいた近場のドラゴンは、己の縄張りを侵犯されたと勘違いして、敵を排除すべくこちらへやって来るという仕掛けだ。
S級冒険者のパーティーならまだしも、駆け出しの冒険者は間違っても使ってはいけないある種の禁術である。
「あれは――エメラルドドラゴンか」
俺が呼び寄せたドラゴンは、全身が宝石のように緑色のエメラルドドラゴンという種だった。あの巨体から察するに、おそらく長い時を生きている。A級――もしくはS級にまで手が届くかもしれない。
「お前を襲ったのは、あれで間違いないのか?」
「は、はい。間違いありません。奴です」
リルは気丈に返事を返すが、声も身体も震えていた。実物を見てさらなる深い恐怖が呼び起こされたのだろう。無理もない。心に植え付けられたトラウマは、強靭な精神力がなければ一朝一夕で克服できるものではない。
「行くか」
俺はこちらへ猛スピードで飛んでくるドラゴンに向かって跳躍した。
一瞬で肉薄する。
意表を突かれたドラゴンは驚いたような顔になったが、それでも迅速な反応で俺を食い殺そうと巨大な顎を広げた。
いい反応だ。はぐれ魔将よりは歯ごたえがありそうだ。
俺はそれをかわし、横から鱗のない喉元へ向かって手刀をつくり、突き刺す。
ずぶり、という感触とともに俺の右手が手首まで突き刺さった。
「グオオオオオオォォォォォオオッ!!!」
ドラゴンが苦悶の鳴き声をあげるが、俺は構わずドラゴンの体内で魔法陣を展開した。
「《神雷》」
ドラゴンの全身に神の怒りかと見まごう電撃が走る。一瞬後には、全身から香ばしい匂いを放って痙攣しながら、ドラゴンの巨体が落下した。
落下地点は洞穴の前。計画通り。
俺は右手を引き抜いて地上に降り立った。洞穴の前には唖然とするリルが立っていた。
「まだ生きているぞ」
俺が言うと、リルははっと我に返った。
「あ、あなたは――」
「とどめを刺すんだ」
「とどめ?」
俺はリルの手をつかんでドラゴンの顔へ無理やり引きずっていった。そうして俺が先に渡した岩石獣のナイフを抜き、彼女に握らせる。
「あと一撃でコイツは死ぬ。お前がとどめを刺すんだ」
リルは思いのほか早く覚悟を決め、
「わ、分かりました」
と言い、両手で柄をつかんで全体重をかけ、刀身をドラゴンの目にずぶりと刺した。
「ゴッ――」
龍は苦悶の悲鳴を上げると、そのまま動かなくなった。
死んだのだ。
「よくやった」
俺はリルの肩を叩いた。彼女はまだ実感がわかないらしく、己の両手の平を茫然と眺めている。やがてヘナヘナと倒れ込んだ。
無理もない。ドラゴンを殺すなど人生初の体験だろう。
俺は彼女からナイフを受け取り、ドラゴンの身体を解体して魔石を取った。ついでに高く売れそうな鱗や牙なども解体して、革袋に収める。
「よし、帰るぞ」
俺が声をかけると、リルははっとしてこちらに視線を向けた。
「ど、どこへでしょうか?」
「とりあえずゴランのギルドだ。ハングリースライムとブラッディウルフ、エメラルドドラゴンの魔石とキュコン草を渡しに行く」
「ですが……」
リルは沈みゆく太陽へ目をやった。
「すでに日が暮れようとしています。下手に下山すると遭難の危険がありますから、今日は野宿をすべきでは?」
「いいや、余裕さ」
「え?」
そう言うと、俺はリルの方へつかつかと歩み寄り――彼女をお姫様抱っこした。
リルが狼狽する。
「え、あの、ちょっと!」
気持ちは分かる。俺だって、自分からしていることだけど、本当は心臓がバクバク鳴って今にも破裂しそうなのだ。女の子の肌を触るなんてこんな時でもなきゃ絶対避ける。
「しっかり捕まってろよ」
俺は両脚に力を込めて全力で疾駆した。
ただのダッシュ。
しかし、俺のそれは常識を横目に遥か斜め上を行く。
世界が置き去りになる。
「きゃあああああああぁぁぁぁぁぁぁぁあああ!!!」
音すら置き去りにするスピードの中、リルは絶叫しながら俺にしがみついていた。豊満なおっぱいが俺の腹と胸に当たる。軽微な装備をしてはいたが、やはり女体の柔らかさは本能的に感じてしまう。
うん、なんというか、自分で発案しておいてなんだけど、異性の、それもとびきりの美少女にしがみつかれると理性が狂いそうになる。今にも彼女を道端に下ろして、誰も見ていない中で獣になってしまいたい。
俺は『チェリーボーイ』のために必死に欲望に鎖をかけたのであった。