エルフ族の少女
「んぅ……」
どれほどの時間が経っただろうか。
俺が洞穴に入ってから日はそんなに傾いていない。長い間、というわけでもないが短い間でもなかった気がする。
俺が退屈しのぎに壁面を削って絵を描いていたところ、隣で眠るエルフの少女からかすかなうめき声が聞こえた。
俺が目を向けると、エルフの少女の瞼がだんだんと開いていく。
そうして上体を起こし、寝ぼけまなこをこする。
意識が覚醒した後洞窟をキョロキョロ見回したのちに俺と目が合うと、
「――に、人間っ!?」
と叫んでばっと俺から飛びのいた。目からは警戒心がにじんでいる。片手は短剣に手をかけていた。
俺は真正面から少女の顔を見た。
エルフ族は初めて見たが、なるほど噂にたがわない美貌だ。黄金のような金髪を腰まで垂らし、一部を編み込んでいる。切れ長の青い目と高い鼻、透き通るような白い肌に極めつけの尖った耳。背は俺より少し低いくらいで、服の上からでもメリハリのある身体をしていることが分かる。
正直、相対してるだけで俺の愚息が暴れる。今もズボンにマウンテンができている。
が、俺は努めて平静を装った。
「目が覚めたか」
「な、何者だ! 私が傷ついている隙に、も、もしや――!」
エルフは顔を真っ赤にして自分の身体を両手で抱いた。
「いやいや、やってない! やってないって!」
そんなことしたら『チェリーボーイ』の効果がなくなっちゃうから!
エルフはなおも俺から目をそらさず、
「お前、何者だ。名を名乗れ!」
「お、俺はファロス。ゴランの街で冒険者をしている」
「ゴラン――冒険者――」
エルフはぼそぼそと俺の言ったことを繰り返す。
「大丈夫だ、何もしてないから。それにほら、攫ってどうこうしようってわけじゃないし」
そう言って俺は懐中していたナイフを地面に置いて両手をあげ、丸腰をアピールする。実際は刹那の時間に彼女をミンチにできるのだが、相手はそれを知る由もない。
彼女は俺をじろじろとねめつけ、武器を持ってないことと敵意のないことを悟ると、ようやく短剣にかけた手を離して座りなおした。そして一転、顔を真っ赤に、今にも泣きそうな顔をして、
「す、すみません! てっきり人さらいだとばかり……」
そう言ってぺこぺこと頭を下げる。さっきとは打って変わって柔らかい態度だ。警戒心が解けたと考えていい。エルフが人を警戒する理由の一つに「人身売買」というのがあるから、彼女の言葉もむべなるかな。エルフの奴隷は人気があるのだ。
「いいよ、気にすんな。それより傷は大丈夫か?」
「傷――」
思い出したようにエルフの少女は己の脇腹をまさぐる。
「な、ない! どうして!? 確かに私は深手を負って――」
「よかった、薬が効いたんだな」
「薬って……あれほどの怪我をこんな短時間に……一体どんな薬を用いたんですか?」
「大したことはない。花馬の蜜をまぜただけで――」
「は、花馬ぁ!?」
花馬、という単語に少女が仰天する。
「どうした?」
「花馬といえば、あの幻の魔物ですよね……?」
「まあ、幻獣種だな」
「た、確かに花馬から採れる蜜ならあの傷もすぐに治るでしょうが……ああ……」
彼女は苦悩するように頭を抱えた。やがて顔をあげて俺を見ると、決意したように言う。
「分かりました。あなたの奴隷になりましょう」
「え、奴隷?」
俺はきょとんとした表情を浮かべる。
話の飛躍についていけない。
「はい。私に花馬の蜜の薬の代金を払えるだけのお金はありません。ですのであなたに拾われたこの命、あなたのために使いましょう。煮るなり焼くなり、お好きにしてください。あ、あとちなみに……わ、私は処女なので……」
「いや、そんなこと言われてもな、いいよ、金はいらない」
正直、あれがどれほど高価な薬だとしてもあまり関係がない。普段のクエストで俺が怪我を負うことなどまずありえないのだ。
だから無駄に持っているよりは――と使っただけである。
感謝はされど対価を求める筋合いはない。
が、それを言い含めてもエルフの少女は納得のいかない顔である。
「それでも、タダで治してもらうなんて……あ」
と、彼女は何かを閃いたように人差し指を立てた。
「あなたは確か、冒険者なんですよね?」
「ああ、そうだが」
「ならば私とパーティーを組みましょう。私のスキルは『正確無比』ですし、後衛としてなら――」
「断る」
「えぇ!?」
まさか申し出を断られるとは思っていなかったのか、再び素っ頓狂な声をあげた。
「な、なぜです?」
「俺は諸事情があって自分のスキルを人に言えないからだよ。……と、こっちからも質問いいか?」
「どうぞ」
「なぜエルフなのに冒険者というものを知っているんだ?」
「そりゃあ、私も冒険者ですから」
「マジか」
王都などの大きな都市のギルドには亜人種の冒険者が所属しているという話は聞いたことがある。だが、まさか人への警戒心が強いエルフもその一例だったとは意外だ。
「私は出稼ぎに人の街に出たんです」
「なるほどな。で、冒険者をしていると。……ちなみにランクは?」
「Cです」
「……高いな」
そう言って、彼女はマントの内から黄色いプレートを取り出した。
C級冒険者の証だ。嘘はついていないらしい。
「あなたは?」
「俺はE級だ」
「E級? E級がなぜ花馬の蜜などを……」
「まあ、いろいろあるんだよ」
彼女は訝しんでいる様子だったが、追求は諦めたようだ。こちらとしても助かる。
「まあいいでしょう。それより、C級の私がパーティーの結成を申し出ているのですから、ますますあなたが断る理由などないのでは?」
「だから、あるんだよ。俺は人にスキルを教えられない」
「なら、それでもいいです」
「え?」
俺は彼女の発言に驚いた。
冒険者はパーティーメンバーのスキルを確認するのが通例だ。自己申告制とはいえ嘘をつくメリットもない。
あのサラでも、俺がスキルを教えない限り無理やりパーティーを組もうとしない。
当然だ。
戦場で背中を預ける相手なのだから、スキルはきちんと把握しておかなければならない。得体の知れない相手になど頼りたくないのが人情である。
だから俺は今までソロでやってきたのだ。
逆に言えば、目の前のエルフの少女のような申し出を受けるのは初めてだったのだ。
「本当にいいのか?」
「ええ。スキルを教えていただかなくても結構です。その代わり、前衛か後衛かは教えてくれますか?」
「……前衛だな」
本当はどちらでもいけるのだが、彼女が後衛なら俺は前衛を務めるのがバランスがいいだろう。彼女も得心して、
「ちょうどいいではないですか。それにE級のあなたが私と組めば、C級の依頼を受けることもできますし」
「それはありがたいが……お前はそれでいいのか? 俺は一応E級なんだぞ」
「構いません。組むべきなのは強い人ではなく信頼できる人ですから」
「それは――」
「他になにか断る理由はおありですか?」
「……ない」
俺が言うと、エルフはにっこりと笑った。
「なら、私とあなたは今からパートナーですね。私の名前はリル。これからよろしくお願いします」
「パ――」
ぱぱぱパートナー!?
お、おま、お前それ……語弊があるぞ! 俺が『チェリーボーイ』持ちじゃなければ今すぐにでも襲っていたところだ。
いや、まあ下半身は臨戦態勢なんですけどね。
ごめんな、息子よ。お前の活躍する機会は多分ない。一生。
俺は努めて真顔になり、
「……よろしくな」
とぶっきらぼうに握手を交わした。エルフの少女の手は柔らかかった。
ちなみに、俺は今異性と手をつないでいると言い得なくもない状況だが、今まで異性と握手して『チェリーボーイ』の効果が減衰したことはない。あいさつ代わり程度では女性経験にカウントされないというわけだ。
「はい」
リルは笑った。
その太陽よりも眩しく、どんな大輪の花より美しい笑顔に、俺は――
「……どうかしましたか?」
「なんでもない」
前かがみになった。