エルフとの遭遇
俺は今ゴランの街を出てレグオス山に向けて歩いている。
ここらへんは街の外といってもなだらかな道と時々遠くに森が見えるくらいで、散歩道と大した相違がない。近くを流れる川にはアメ牛のような人畜無害な野生動物が水を飲みに来ていたりするが、敵性生物はよほどのことがない限り現れない。
はずなのだが。
「なんでコイツらがここに……?」
今日は何かがおかしい。
まず外に出てすぐにハングリースライムが俺を見るなり襲ってきた。これは無害と言われるスライム種の唯一の例外とも言える敵性生物で、常に腹を空かせて草だろうが動物だろうが見境なしに食おうとする。ハングリースライムが現れるところでは人の役に立つ薬草なんかが食い尽くされる恐れがあるので、もっぱら討伐の対象になるのだ。
だが、コイツは普通こんなだだっ広くて食料もなさそうな野原には出てこない。
手刀で叩き潰したが、俺はかすかな違和感を植え付けられた。
そして今。
レグオス山もそろそろというあたりで、俺はブラッディウルフという血のように赤いオオカミの群れに囲まれていた。
もちろんコイツらも普通はこんな場所には出てこない。餌となる動物を求めて山や森などに生息しているのだ。
しかも「ブラッディウルフが人を殺した」という報告も毎年ギルドに上がっている。単体ならばせいぜいD級のコイツらも、群れると途端に危険性が跳ね上がる。オオカミの中でも高い知性を備えているので、群れになるとB級指定の特定危険生物に分類されるのである。
そんな危険な生物がなぜここにいるのか?
考えられる可能性としては、今朝マリーさんに聞かされた「不穏な影」である。ソイツに生息地を脅かされたオオカミどもが逃げてきたのだろう。
B級の彼らが恐れをなして逃げ出すほどの流れもの――。
少なくともA級以上に分類されるだろう。
一気に気が引き締まる思いだ。
「グルルゥ……」
俺を包囲するブラッディウルフの群れは20体ほど。普通これだけの数に囲まれればよほど手練れの冒険者でもない限りは死を覚悟する。
危険だな。
コイツらにはここで退場してもらわねば。
俺は両手を広げて魔法陣を展開する。
「《神雷》」
俺が呪文を唱えると、両手の魔法陣が光り、怒涛の稲妻が奔流する。
無数のイカズチが蛇のようにオオカミを襲い、一瞬にして20の命を刈り取った。
「こんなもんか」
俺は懐からナイフを取り出して一体一体の魔石を取り出し始める。
地道な作業だ。
地道だが、これをやらねばギルドから追加報酬をもらえないのだから仕方がない。
30分ほどで作業が終わる。当初の予定よりも依頼の進行が遅れている。
俺は急いでレグオス山へと向かった。
* * *
レグオス山でのキュコン草の採取はすぐに終わった。もともと採取の難易度は高くなく、求められている量も少ない。さっきはハングリースライムとブラッディウルフの群れと遭遇したので感覚がマヒしているが、本来レグオス山はE級冒険者でも安心して出入りできるような山なのである。
その山を今、何者かの影が覆っている。
そのせいでここら一帯の危険度が上がっている。
E級冒険者の俺としても憂慮すべき事態である。
俺は現在山の中腹にある人の道を歩いている。レグオス山は山向こうの街とゴランのかけ橋でもあるので、道が整備されている。
そこに沿って生えているキュコン草を採取するだけで、依頼の達成には十分な量が集まった。最近ギルドが注意喚起を促しているせいで、薬草採取を請け負う低級冒険者が寄りつかなくなっていたのだろう。
「さて、帰ろうか……」
しばらく山の中で待ってみたが、不穏な影も流れものも姿を見せない。これ以上滞在すれば夕方になってしまうので、そろそろ帰らねばならなかった。
道に沿って下山していると、ふと、視界の端に違和感を覚えた。
違和感と言っていいのかも怪しいレベル。
が、慣れ親しんだレグオス山の中での違和感である。
無視することはできない。
俺が違和感を覚えた場所へ寄り、どこがおかしいのか観察していると、道ばたに生えている丈の高い雑草の群生の中に、何者かが通ったらしい跡を見つけた。
最初はそこらの獣かと思ったが、獣であればもっと体重が軽いため雑草はすぐに起き上がる。
だが、目の前の跡は、明らかにもっと大きいものが通ったことを示唆していた。
「人間か……?」
俺がそう思ったわけは、雑草のところどころに鋭い刃物で切られたような跡を発見したからである。獣であればこのような切り跡は残さない。
やはり人間か亜人、あるいはそれに準ずる知能の高い生物が、武器で切り払いつつ奥へ進んだことを証左しているのだろう。
何気なく好奇心を覚えた俺は、奥に何があるのか確かめて見ることにした。
なあに、俺ならば余裕だ。奥にはぐれ魔将や盗賊が身を隠していたって右ストレートで一撃さ。だが注意も怠らない。注意力をなくせばそれ即ち冒険者としての死である。
「《隠密》」
俺は足音を消す。それからゆっくり、一歩一歩進んでいく。
途中から血の跡が点々と続いていることに胸騒ぎを覚えた。
俺は最悪のケースを想定する。死体があるか、盗賊が狼藉を働いた婦女が放置されているか。
少し進むと、俺の目の前に高さ2メートルほどの洞穴が現れた。
初めて見る場所だ。俺は今まで人の道を歩いていたから全く気が付かなかった。
「《光輝》」
俺は右人差し指の先から光を発した。導きのような光が洞穴の中を照らしていく。
奥行きはそう大したこともなかった。入り口に立って照らすだけで見渡すことができる。
ゴツゴツとした岩肌、獣のものらしき骨が転がっている。
そして――
「がはっ、がはっ、うう……」
――一人のエルフの少女が血を流しながらうずくまっていた。
おびただしい量だ。血の海と呼ぶのが適切なほどの出血。事態が一刻を争うことは、すぐに理解できた。
俺は駆け足で彼女のそばへ寄る。
「おい、大丈夫か?」
「だ、誰……」
エルフの少女はかすんだ目で俺の方を向く。と同時に、眩しがるように目を細めた。
俺は《光輝》の光を弱めた。
「大丈夫か? 傷を見せてみろ」
エルフ族は人族に対する警戒心が強いと聞く。会ったのははじめてだが、とにかくまだ生きているならば救いたいという一心だった。
少女は俺の姿を認識していないのか、大した抵抗もせずにだらりと腕を下げ、押さえていた腹部を見せた。
裂傷が左の脇腹に走っていた。
かなり大きな傷口だ。そして傷も深い。今もおびただしい量の血が地面へと流れていた。
俺は少女の傷口に左手をかざす。
「《全治》」
呪文を唱えると、少女の傷口からの出血がだんだんと収まっていく。が、まだ止まらない。それを確認してから、俺は革袋から瓶詰の緑色の液体を取り出した。
木栓を外し、中身を傷口へとぶちまける。エルフの少女が苦悶の表情を深くした。
「安心しろ、傷薬だ。30分もすれば治る」
しかもそんじょそこらの薬ではない。S級モンスターである花馬という首から上が花になった全長30メートルほどの馬の怪物から採取された蜜を使った最高級の傷薬だ。以前人里に現れたゴブリンを追い払っていたら偶然出くわしたので、ついでに屠っておいたのである。
薬が効き始めたのだろう。エルフの少女の顔から苦痛が消え、やがて「すう、すう」という寝息を立て始めた。目が覚める頃には全快しているはずだ。
さて。
俺はこのまま帰ってもいいがそうもいかない。この子を捨て置くというのも倫理観がとがめるし、俺の推測ではこの少女はこの山で何者かに襲われている。巨大な傷口を残せるほどの怪物――そんな怪物がこの山に潜んでいるということだ。今までレグオス山にそんな魔物が出現したことは聞いたことがない。ここで帰るのはいろいろな意味でよろしくないだろう。
と言って、彼女を置いたまま山を散策するわけにもいかない。
考えあぐねた末、俺は彼女が目を覚ますまでここにいることにした。もしかしたら血の匂いを辿って怪物がここへやって来るかもしれないという淡い期待も込めて。