好き嫌い腐心
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と、内容についての記録の一編。
あなたもともに、この場に居合わせて、耳を傾けているかのように読んでいただければ、幸いである。
ふう、よく食べたね。ごちそうさん。
いや〜、最近は甘いものをたくさん食べられなくなってきたよ。カロリーを気にし始めたせいなのか、はたまた身体が本能的にブレーキをかけてくれているのか……。
冷たいものにしても、ラクトアイスは辛くなってきたな。氷菓の方がいい。昔はさほど食べていなかった宇治金時とか、お店のフリーザーに目をやった時、真っ先に探している自分がいるよ。これも身体か精神が発する、欲求なんだろうかね。
……そういえば、君は嫌いな食べ物はあるかい?
ああ、いや。別にそれを咎めようなんて気はないよ。今まで付き合ってきた友達にも、ピーマン、にんじん、グリーンピースとかの類を、大人になっても食べずに皿のわきへのけている人もいたから。アレルギーって人も。
ただ、そういう姿を見ると、私はどうしても心配になってしまうんだ。自分が育った環境のせいもあってね。
腹ごなしにはちょうどいいだろう。その時の話を聞いてみないかい?
小さい頃、たいてい「好き嫌いしないで食べなさい」と注意をされるだろ? これってさ、実際にクローズアップされるのって、「好き嫌い」のうちの「嫌い」ばかりじゃないかい?
食べない、食べられないものに関して、徹底的にそれを責めてくる。「自然や作ってくれた人への感謝」という、拒みがたい重しをくくりつけられ、食べ終わるまで席を立つことを許されない……もはや拷問。
こうまでして「嫌い」をなくそうとするのに、「好き」でいる分にはご満悦だろ? 好きなものがあるといえば、親が弁当のおかずに入れてくれるかも知れない。お小遣いがあれば、心ゆくまで貪り食うことができる。
……世の中、「好き」というものに甘すぎやしないかい? スイーツだけに。
ふふ、失礼。くだらないことを言ってしまった。
しかし、私の受けたしつけにおいて、「好き嫌い」に貴賎というものを設けてはいけない、という考えが根付いてしまったのさ。
まだ幼稚園にも通っていなかった時分。私は両親から様々なものを食べさせられた。
米、麺、パンといった主食はもちろんのこと、野菜、虫、珍味……あと、はっきりとは教えてもらえなかったが、お酒もかな? 大人になった今、思い返すと……という奴だ。
だが、ただ残さず食べるだけではよろしくなかった。常に一定のペースで噛み、飲み下す。あらゆるものを表情一つ変えずに、だ。
嫌いなものがあったなら、経験はないかい?
息を止めて、味や香りが口内に広がる前に、胃袋に追い落とす。それが叶わず、死にそうな思いをしながら、何百回ともつかない咀嚼をしつつ、口の中で停滞させる。ついには、手近にある飲み物で、勢いをつけながら喉下へ連行してもらう……とかね。
それらをやった時には、もうべらぼうに怒られた。何度もひっぱたかれたのを覚えている。
「そんなんじゃ、お外で食べる時に失礼でしょ! 直しなさい!」
耳にタコができるくらい、そう言われた。私も怒られたくない、叩かれたくない一心で、泣く泣くそれに従ったなあ。
私にも好きなもの、苦手なものがあるのは、本能的に分かっていたよ。それを表に出さないようにすることを徹底された。
こんな苦しい思いをするならば、味覚なぞ無くなって欲しい。けれど、好むものの味さえも失いたくはない。来る日も来る日も悶々としていたよ。
その手の注意をほとんどされなくなった、小学校二年生くらいの時。私は学校の教室で、友達の誕生日パーティーに誘われた。学校から帰ってすぐ、先着で五名様までと、非常にあわただしい告知だったのを覚えている。
とても仲が良かった子だからね。私は是が非でも行きたかった。しかし、定員制と来ている。
家に帰って、親に許可をもらって……などと悠長なことをしている時間はないだろう。事実、反射的に手を挙げたものが、その時点で二人いた。
私は迷わず三人目に立候補し、無事に椅子を確保する。最後の五人目のみなかなか現れず、授業が終わるや家に電話をして許可を得た一人が、最後の空席を埋めた。
帰り際に、参加者の門限を聞き取る友達。私もその門限を伝え、公衆電話から家に帰りが遅くなることを伝えた。食事が伴うであろう、誕生日パーティーのことは伏せて、だ。
誕生日のお祝いそのものについては、ありふれていたゆえ、今回、深くは触れない。問題は並べられた食事類についてだ。
君はバースデーにおいて、何を食するのが定石だ? ケーキ、ピザ、フライドチキンを並べ、シャンメリーを開けてグラスに注ぐ……少なくとも、私が考えていた品目はそのようなものだった。
だが、並べられてどうだ。「満漢全席」……とはまた趣が違うか? 「四海全席」とでもいうべきものだ。本場のように二、三日かけて食べる量ではなかったが。
こうね、和洋中がバランス良くそろった感じなんだ。最近のファミリーレストランとかのメニューも、その辺り問わないだろ? あれのメニューを片っ端から並べられた感じだ。
熱さ、冷たさも関係なし。まさかちゃんこ鍋の横に、てんこもりシャーベットを置くとはたまげたなあ。
そして私たちは、それらの料理が乗せられた円形の大きいちゃぶ台の周りに置かれた、座布団の上にそれぞれ腰を下ろす。
「遠慮せずに、どんどん食べてね」
エプロンをした友達の母親が、私たちに促してくる。箸を持った時こそ、目移りしてしまう幸せを感じていたけど、数分後にはもう不穏な空気が漂い始めた。
母親がね、私たちが食事している様子を眺めているんだよ。キッチンの入り口からね。顔はニコニコしているけれども、肌がひりつくような視線を常に感じていたよ。こちらから目を向けなくても、分かるくらい。
それだけじゃない。
「あら、マサヤくん。枝豆もちゃんと食べてね?」
偏った食べ方をしている子がいると、その席まで行き、肩を叩いてくるんだ。
マサヤくんは私の右隣にいる子。否が応でも、私もその声にびくびくしてしまう。そして、その子が目の前でおかずを食すまで、じっと真後ろで立り、見張っているんだ。
三角食べどころじゃなかった。すべてにまんべんなく手を出し、かつ滞りなく食べなくてはいけない。あるおかずに箸をつけなかったり、食べるのに時間がかかったりすると、「あなたはこれ、苦手なのかしら? ごめんなさいね」と告げてくる。
顔を崩さず、声色も変えず、淡々と。
私はもう夢中で、ただしペースを崩さずにあらゆるものを淡々と口に運んでいったよ。昔からのスパルタレッスンが、ここで役に立つとは思わなかった。
初動と同じ。およそ十回から二十回噛んで飲み込む。あらゆるものを、だ。
噛んだとたんに、口の中をやけどしそうなくらい肉汁が飛び出してくる餃子。外見からは想像できないほど、なぜか筋が張っているキュウリのおひたしらしきもの。噛んだとたん、青菜の臭いが飛び出してくる、甲殻類……ほかにも、不気味な料理がたくさんあった。
そうすると、自然に外見と中身が一致しているもので、箸休めをしたくなるのもおかしくはないだろう? おかしなものに当たるたびに、私はひらめの刺身へ手を伸ばしていた。
義務感より他に、皆が手をつけないためか、それなりにたくさん余っていたし、私が個人的に気に入っているネタでもあったのだが……。
「――君はひらめが好きなの? 良かった、おいしい?」
ぽん、と肩に手が置かれる。罠だった。
私は黙ったまま、どうにかこくこくとうなずき、黙ってひらめを嚥下する。それを見た母親の笑顔、そのほうれい線が、一層深みを増した気さえした。
この女性、単に私たちの嫌いなものを探っていただけではない。無意識的に正常なものを選べるか……「好き」なものを選べるかを、ずっと見ていたんだ。
それからみんながどうにか食べ終わるまで、母親の監視は続いた。私たちは当初のお祝い気分などすっかり吹き飛んで、かちこちに固まったまま、門限に間に合うように外へ出たよ。そして、家が見えなくなり、母親がついてこないことを確認した私たちは、一斉に逃げ散っていったよ。
帰宅した時には、すでに台所からいい匂いがしていたよ。
カレーの香りだ。明日は私が家で留守番をすることになっている。作り置きできるものを選んだのだろう。カレーは向こうでも口にしたが、食べ慣れているルーの匂いを嗅ぐと、無事に帰って来られたんだ、と胸をなでおろしたよ。だが、その安心も家族で食卓を囲むまでだった。
ひらめだ。何を食べてもひらめの味がする。
ルーも、肉も、にんじんもじゃがいもも……付け合わせのサラダの葉っぱ一枚一枚。皿にこびりついたご飯の一粒一粒。冷蔵庫でずっと冷やしておいたという、麦茶でさえも。
ポン酢などに浸して、誤魔化した味じゃない。薄くて、淡くて、けれども舌をしっかり撫でまわしながら通り過ぎていく、切り身そのままの味だった。
翌日。私の味覚は、元に戻らなかった。
トーストもスクランブルエッグも、私にとっては、かりかりに焼けた「ひらめ」と、形の崩れた「ひらめ」。飲む牛乳は、のどにまとわり続ける、しつこい「ひらめ」だ。
学校に行くと、マサヤくんをはじめ、昨日、肩を叩かれていた子は軒並みマスクを着けていたよ。給食の時間だけ、申し訳ばかりよそってもらったおかずを、恐る恐る口に運んでいた。
完全には口元を見せず、マスクをわずかにずらして、そのすき間からねじり込むように、ね。
私はどうにか味覚を取り戻そうと、ありとあらゆる「出来上がった」食べ物に手を出したが、いずれも同じ「ひらめ」に過ぎなかった。
子供心に思ったよ。「出来上がったもの」でダメなら、まだ食べ物になっていない「未完成のもの」でなくては、と。
そして、今はこうして味覚を取り戻せている。振り返ってみると、よくあんなものを食せたな、と思うよ。
動くものって、本気で歯を立てれば、こんなに簡単に動かなくなるものか、とも。