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10.消失

 時間は流れるのではなくて、停滞しているみたいだった。沈黙がそれぞれの床に降り積もって、窒息してしまうかと思った。


 アレクシスは陸に上げられて暴れ疲れた魚のようにしなだれて頭を膝に乗せた。彼女の心が軋んでいるのがわかった。


 人が何に価値を見出すかは人それぞれだ。私は拓斗が大切だから、お給料をつぎ込んで健康的な食事やおやつ、おもちゃだったりを手に入れる。健康で元気な拓斗を見て幸せを感じる。人によってはアイドルを追いかけたり、爪や髪をきれいにすることで幸福を感じるだろう。そしてアレクシスの場合は友人だったのだ。私にすれば拓斗を失ったことと同じかもしれない。


 ずっと求め続けた友情を無残な形で示された彼女に、私が何を言えるだろう?


 豆粒のようなアレクシスはそれから顔を膝に埋めて言葉を続けた。ただでさえ小さい声がくぐもって、より聞き取りづらくなった。


「……気づけばわれはいろいろなところをさまよっていました。われの知る世界とは成り立ちの違う世界を、のぞき窓から見ているように。いろいろな世界がありました。われは魂のみとなり、ボラミニを通ってしまったのだとぼんやり思いました。書物でのみ知る、現実の世界とは奥行きの異なる世界です。ふだん意識こそしないけれど、遠く離れた深く暗い海の底、どこかにクジラの死体が横たわっているように、世界は見えないけれど連続し、確かにそこにあるのです」


 海底でその役目を終えた鯨が脳裏に浮かんだ。その身体を、肉食のサメや魚が喰らい尽くすだろう。次に小型のエビやカニがやってきて、大型魚の残したところを平らげる。最後には標本のように、立派な骨だけが海底に鎮座する。骨の森には別の微生物が住み着いて、膨大な時間をかけてちいさな生き物の苗床になっていく……。


 それはアレクシスのイメージだったのかもしれない。私は脳裏に浮かんだその映像を振り払うように頭を振った。やっぱり頭痛がする。


「遠くで弟子が呼ぶ声がかすかに聞こえ続けていて、帰らなければと実感なく思ったりもしました。帰りたくないとも思いながら。目の前を巡っていく、関わらない世界を覗いているのだと、さまよいながらぼんやり感じていました。あんたを見たのは、そういうときでした」

「わたし?」


 まるで物語を聞いているようだったのに、いきなり現実としての私が登場して声が裏返った。アレクシスは億劫そうに顔を上げて怒ってみせるように眉を寄せた。


「あの日、あの雨の日。濡れた路地、紙の箱のなかのみすぼらしい獣をあんたが抱き上げた。あんたは微笑んでいた。その微笑みにつかまった。選んでしまったんですよ。獣になど向けるな、われを見て、われを慈しめばいいものを、と」


 その日からアレクシスは私のアパートにずっといたと言う。私が拓斗を拾って、そしてククルージャに飛ばされるまでの、およそ三年ものあいだずっと。







「そ、それから三年も、ずっと、私のアパートに?」


 いきなり当事者になっている私がどぎまぎしながら尋ねれば、アレクシスは力なくうなずいた。それからこてんと首を傾ける。


「三年、というのがどれほどの期間を示すのかわかりませんが。あんたが拓斗と名づけ、めろめろにかわいがったあの獣はすくすくと育っていきましたよ」


 あの獣、という発音がなんだか恨みがましく耳に残る(しかもアレクシスはまだ知らないけど、その中身は彼女の弟子だ)。

 すごく複雑だが、彼女の言葉をまとめるとアレクシスは拓斗に嫉妬している、ということになるのか、これは? それも私が笑顔を向ける相手だからという理由で。

 私とアレクシスが友だちだったならばまだ理解できるが、見知らぬ相手に嫉妬されても。


 ここまで話を聞くと、彼女は繊細で思い込みがわりと激しい、友だちに焦がれるただの少女に思えた。少し、いやかなり偏屈だけど。あとずっと私の部屋にいたって、なんか恥ずかしいんだけど。


「いや、ていうか、それでどうして三年過ぎた日に私が飛ばされなくちゃならなかったわけ?」


 私の口を突いて出たこの質問は、しごくまっとうだったと思う。話はわかった。つらいことがあって強大な力を持つ魔女はたましいを飛ばして日本に来ちゃった。突拍子もないがよしとしよう。ちっとも良くはないけど、よしとしないと話がすすまないならば仕方がない。


 アレクシスは覚束ないような表情になって、自信なさげに言葉を続ける。


「呼ばれたのです。おそらくは弟子のどちらかがわれを引っ張ろうとしたのでしょう。魂寄せの術式のような何か。われはそのときすでに思考することがほとんどできなくなっていましたが、呼ばれる気配がして少しまともになった……んだったか。状況を思い出して、どうにかこうにか帰るための転移を組んだ気がします」

「それで?」

「弟子が術でわれを引きずろうとする気配を感じたので、手を出すなと言いました」

「なっ、なんで!」


 弟子のどちらかというのは、たぶんたまだと思う。確か手を出すなと言われたと言っていた気がするし。それに拓斗は別の手法、つまり拓斗に入り込んでいたはずだよね。


「弟子ふぜいがおこがましい。われを誰と心得ておるのだか。唯一無二の、稀代の魔法使いですよ? その気になればひとりで帰れるのです」

「そうなの」

「そうです」


 まるでそれで会話は終わった、とばかりにアレクシスが口を閉じたので、私はいやいやと首を横に振った。


「それで! どうして私が」


 アレクシスはうるさいなと言いたげに眉を寄せた。それから状況を推測するように口を尖らせて、おそらくですがと前置きした。


「われは帰らなければと転移を組みましたが、こうしてここに残ったままです。よく覚えていませんが、それはつまり弟子の引き戻す術も自らの転移も、どちらも拒んだということ。推測するに、心の奥底に無意識があったのかもしれません。自分から帰るのではなく、迎えという手助けが欲しかったんです、それもわれが選んだ相手に」

「手助け? ちょっと待って、どういうこと。さっきその気になればひとりで帰れるって」

「あれはちょっと言ってみただけです。さすがのわれもこんな辺鄙な異界で一人で帰るのは難しいし、嫌なんです」


 難しいってだけで、できないわけではないんですよと言い募る彼女のデータに、意地っ張りとあまのじゃくという項目が加わった。

 この魔女、面倒くさい。


「……それで。私に連れ戻してほしいと無意識に思った……つまり私を選んだから、私がアレクシスの世界に引っ張られたってこと?」

「さあ、どうでしょう。組んだ転移が、われが転移を無意識に拒むことによって対象を失って、あんたに向かってしまったのかもしれませんし、そうと知った弟子が破れかぶれにあんたを呼ぶことにしたのかもしれません。いずれにしろ、弟子の術とわれの転移とが不用意に組み合わさってあんたに作用したことは事実でしょう」


 たまの術だけでも、アレクシスだけの転移でもない。その両方の力で私はククルージャの近く、あの荒涼とした砂漠に振り落とされたということ?


 なぜこんな貧相な小娘を選んだのか、とたまは不思議がっていたけど。今までの話をつなぎ合わせると、それは完璧な偶然だったように思える。アレクシスが私を選んだというより、たまたま私がそこに居合わせたとでも言うべきか。


 たまはアレクシスを引き戻そうとしたが、アレクシスの望みは友人に連れ戻されること。その無意識の願望がたまの術を拒んだ。同時に彼女の願望が、たまの引っ張りに私をくくりつけることになった――のだろうか。私はさらに質問しようとしたのだが、アレクシスはすでに貝のように口を閉ざしてうつむいている。


 私はううと低く唸りながら、ひっくり返ったおもちゃ箱のような頭の中を整理しようと目を閉じた。ええと、ええと。


 三年前、傷ついたアレクシスはたましいを飛ばし、私を見かけて以来ずっと私の部屋にいた。

 直後、弟子の拓斗も追いかけるようにここへきて、猫の拓斗に入りこんだ。アレクシスの声も姿も見れないまま。

 そして三年経った最近になって、おそらく魔法を編み出せたのだろうたまがアレクシスに接触した。

 アレクシスは自我を取り戻し、帰るべく転移を組んだけど、焦がれ続けた友人からの迎えであってほしい、つまり私に連れ戻してほしいという無意識でそれを拒んでしまう。

 その結果、対象を失った組まれた転移とたまの術とがに私が作用してしまった――というところか。


 だとしたら、だとしたらだよ。


 なっっんていうめちゃくちゃな背景と偶然だろう!


 こう聞けばまるで宝くじにあたるような確率じゃないか。たまたま、まぐれみたいに、私が拓斗を拾った場面に居合わせたってだけってことでしょ。


 私はほとんど呆れて、ありえないと叫ぼうとしたけど、右の手のひらに空いたままの穴を見て、開けた口を仕方なく閉じた。


 あのボラミニで空いてしまったこの手の穴。私がまるごと消えてしまってもおかしくなかった状況。無事だったのは紙一重の偶然みたいなものだ。

 そう考えると私が高校でめぐみに会えて友達になれたのだって、今の会社に入ったのだって、拓斗を拾ったのだって、ぜんぶ偶然だ。

 

 だとしたら、アレクシスの事情と私が拓斗を拾ったことが一瞬重なり合って私が飛ばされてしまったのだって、そういう偶然となんら変わりないのかもしれない。


 私は手のひらを頭上に掲げて、その穴からアレクシスを見ながら呻いた。


 ものごとってひとつひとつ紐解くと、こんなふうになんてことない重なりでできているのかも。


 家族や彼氏、友だちとのいざこざだって、たどれば原因はすごくささいなことだったりするみたいに。会社の後輩で、彼氏と同棲している子はトイレの電気がつけっぱなしになってたってだけで一ヶ月口をきかない大喧嘩に発展したって言ってたもんなあ。よそから見れば肩をすくめるだけのことでも、当事者にとってはすべてが差し迫った現実的な問題なのだ。


 手のひらを下ろして、もやもやを振り払うように首を横に振る。それから改めてアレクシスを見上げると、膝に頭を埋めて、意思ある沈黙のなかにいるようだった。


 よく見るとその大きさは再び縮みはじめていた。かんなで削るように、ほんとうにわずかずつ、彼女のたましいは失われていっている。


 背中を冷たい汗が伝うのがわかった。たましいだけでも汗って出るのか、と関係ないことを思いながらも、私は自分が巻き込まれた経緯を理解するにつけ、どうしてアレクシスがこの話をしたんだろうと疑問に思い始めた。話し始めるまえ、彼女はなんて言っていたっけ。


 確か、あんたも助けてほしいんですかと聞かれてから、試すような縋るような気配をにじませていた。平等、とも呟いていた。


 平等?


「……ねえ。なんでアレクシスは、私にその話をするつもりになったの」

「ただの気まぐれです。理由なんてない」

「うそ」


 アレクシスは私を見た。親の仇でも見るように。


「その話はあんたに痛みをもたらすものでしょ。わざわざ話したんだから理由がないはずない」

「しつこい女ですね。なんにしたって、あんたには関係ないんです」

「じゃあ関係させてよ」


 間髪いれずの私の切り返しに、アレクシスは虚を突かれたようだった。


「アレクシスは友達が欲しいって言う。そのくせ人と関わる場所へは怖くて行けない。だから近づいてきてほしいけど、近づいた相手にも裏があるんじゃないかと疑って拒む。唯一の例外だった、その女の子にも手ひどく裏切られた」


 怪我したところをえぐられたように顔を歪めた。何か言いたげにアレクシスの口が開かれたが、結局なんの言葉も出てこない。


「だからってずっと部屋に閉じこもっていたら、一生誰にも出会えない。それでいいの?」

「よくなんかない!」


 ほとんど叫ぶようにアレクシスが言う。


「よくなんてない。でも怖いではないですか。われが友人になりたいと思うのと同じように、相手もまたわれに対してそう望んでくれる保証なんてない。われの絶大なる魔法を狙って近づく輩だっている。あの少女と父親のように。期待をして、うまくいかないぶんだけ心はすり減っていく。やすりをかけたみたいに、こなごなになってぱらぱらと落ちていく。だからもう、われはどうしたらいいのか……」


 わからないんです。そう口の中で呟く彼女の激情が収まるのを私は待てなかった。口を開く。

 私だってそうだよと。


「私だっていつも怖い。ちょっとした言葉で相手を不愉快にしてないかなとか、今のは踏み込みすぎたかなとか。それで嫌われないかなって、いつも考えてた」


 正直な私の吐露に、アレクシスはほんのわずか、興味を引かれたように瞬いた。


「それに初対面の相手なんて特にそう。何が地雷になるかもわからないし、あたりさわりのないことしか言えなくて疲れるだけだし」


 さらにずっとにこにこしてるなんて苦行でしかなかった、と吐き出せば、アレクシスはそっと私を横目で見上げた。


「……それで、それからどうしたんです」

「うん。だからね、何を言ったら嫌われるかを考えるのはやめたの。何を言ったらこの人は楽しいって感じるかを考えることにした。そうしたら、わりとうまくいくようになった」


 アレクシスは息を詰めて眉を寄せた。私の言葉を噛み砕こうとしてくれているのがわかって、私は縮んでいく彼女に焦りながらも一拍の間をあけた。それから話を続けた。


「……これはうまく言葉にできないんだけど。私は目の前の相手を、最低限尊重するようにしてるんだ。嫌がることを言わないようにしたり、相手が好きそうな話題を選んだり。そして同じように、相手も私に対して最低限の尊重を返してくれると信じてる。もちろん相手によってはそんなの通じなくて傷つけられることもあるけど、そうでない人もいる。そのなかで、やっぱり相性のいい人とは何度も話をするようになる。いつの間にか友達になってる」


 アレクシスが望むような、深い結びつきの友達ではないかもしれないけど、私にとっては一緒にいてそこそこ楽しいならそれが友達だ。

 傷ついた獣が、身を丸めたまま威嚇している。そういう状態だったアレクシスは、縋るようにして眉を下げている。遊びに加わりたいのにそうと言い出せない子どもみたいに。


「助け合おうよアレクシス。あんたがすごい魔女だとか、私がただの猫ばかだとかは置いておいて。ただのひとりの人間どうしとして、対等な関係で」


 ぴくりと彼女の肩がゆれた。それでも縮みは止まらない。私もまた縋る思いで言葉を続ける。


「戻ろう。戻って、アレクシスが友だちになりたいと思える相手を探そうよ。家は楽だけど、閉じこもっていたら素敵な人に出会える可能性もなくなっちゃう。魔法を目当てに近づいてくる人が嫌かもしれないけど、ちゃんと相手を見てみるのはどうかな。なかには、魔法じゃなくて、アレクシスに興味がある人だっているかもしれないよ」


 アレクシスはゆるゆると目を伏せた。そういう未来を想像しようとしたのかもしれない。まどろむ老人のように重たげに瞳が隠されていく。


 友だちが欲しくても、魔法が目当てな人間が近づいてくる。だから部屋に閉じこもった。そうして友だちがほしいと思い続けながらも、出会う場すら切り捨ててきた。

 それは楽かもしれないけど、おなじところをぐるぐると回っているだけになってしまう。そして一度その気安さを知ってしまえば、一人で外へ行こうと思えるだろうか。


「私を選んだっていうのは、私と友だちになりたいってことでしょ? でもアレクシスは、拓斗を拾った私のその一面しか知らない。だから私と一緒にいてみて、もしかしたら私と友だちになりたくないと思うかもしれない。でもそれでいいんだと思う。外っていう場所でいろんな人に会うことで、アレクシスの心の中にも、他人のための場所ができてくると思う。町の広場みたいに、そこは曖昧な場所で、いろんな人が踏み込んでくるかもしれない。我慢をしなければならないときもあるかも。でも他人と付き合っていくって、絶対に我慢は必要だから、それもきっといい方に向かえることだと思う。その手助けなら私はできるよ。一緒に町を散歩したり、買い物に行ったり。そういうのってどう思う?」


 私はうまくはできないけど、自分がアレクシスの立場を想像して話してみた。

 気持ちはちょっとわかるのだ。友達がほしいって、やっぱり中学校や高校のころに少なからず思ったし、どこのクラスに遊びに行っても名前を呼ばれる人気者とか羨ましいときもあった。自分から積極的に作ろうと行動はできなかったけど、部活やクラスの席が近い子とかと仲良くなれたから、私はそれでよかった。

 でもアレクシスは、学校のような強制的に同じ年ごろの子が集まる場なんてない。きっと不安だらけに違いない。だったら私にできることは、そういう場へ誘導してあげることだと思う。職員室にひとりで入りづらいようなものだ。ましてやアレクシスには免疫なんてないんだから。


「さっきは贅沢なんて言ってごめん。そういう辛いことがあったら、ひたすら逃げたいっていう気持ちも少しわかる。人それぞれ、つらさとか傷つきやすさとかは違うのに、私の事情と私の解釈だけ押し付けちゃった」


 それもこんな年下あいてに。後味の悪さを消したくて、私はむりやり笑顔を作った。アレクシスは出会ったばかりの相手に、握手ではなく平手を張られたような顔をしている。


 対等に向かい合って助け合える人。それがアレクシスの望むものなんじゃないかな。


「諦めるのはいつでもできるから、もうちょっとだけ先延ばししてみるのはどう? うまくいかなかったら、一緒にイチジク食べてお茶でもしてさ。あっ、アレクシスの好物ってなに?」


 うまくいかないときは、おいしいものが一番なのだ。


 私は返事を待ってアレクシスを見つめ続けた。彼女の、縮んでしまってゴマ以下のまるい瞳に、ゆっくりと膜が張っていった。

 あっと思う間もなく、それは溢れて彼女の頬を伝った。私からみれば逆さまの彼女の涙は天に吸い込まれていくようで、どうにも不思議な光景だった。


 はらはらと流れる涙を気にもせず、アレクシスは私を見ながら何度か瞬いた。そうしてたまらないというようにゆっくりとまぶたを伏せた。口元がゆがんで、両手を胸のあたりに当てて何かを抱きかかえるように身体を丸めた。それは苦痛に耐えるようにも見えて、私はうろたえた。


「ご、ごめん。知りもしないで贅沢とか、ほんとひどいと――」

「いいえ。いいえ。違います」


 アレクシスは震える声で制した。小さいけど力強い声だ。

 ああ、これが。そうこぼした。


「これであったのだ。本のとおりだ。何にも変えがたく、全身を満たして余りある悦び。これが」


 アレクシスは両手を顔に持っていって覆った。そしてそのまま肩を揺らして嗚咽を漏らす。彼女の小さな身体は、しかしその間にも小さくなることを止めない。もうニンジンの種よりも小さくなった。それ以上は――私は息を呑むと同時に、アレクシスはしゃくりあげる合間にきれぎれに言葉をのせる。


「もう、きっと大丈夫。われの空洞は、きちんと埋まったから」


 私がその言葉の意味を理解するまえに、満足したようなそれとも微笑んだような、かすかな吐息を残して、アレクシスの身体は完全に消え失せた。






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[一言] うわぁぁ!おかえりなさい!待ってました! 続きをありがとうございます!
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