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7.アレクシス

 稀代の魔女は口が悪いのか。

 私が呆気に取られていると、彼女は言葉を続けた。


「……ここはどこです。見慣れない巨大な調度品……ああ、違うのか」


 われが縮んでいるんですね。重そうに頭をもたげて、右手を添えてまわりを見回す。

 投げやりに呟く彼女は、拓斗が言ってた繊細という性格からは程遠いように思えるんですけど。判断するにはまだ早いってことなのかな。


 彼女はもぞもぞと動いて、体育座りの体勢から片ひざを立ててあごを乗せるような格好になった。なにやら小声で呟いたようだが聞き取れない。それからもう一度あたりを見回して、鼻にしわを寄せて、私を見上げて鋭く問いかけた。


「それで、あんたは誰なんです。ひとをじろじろ見てますけどね、見られるいわれはないですよ」


 ぴしぴしと砂を投げつけられるような口調。間違っても友好的とはいえない態度だ。私はぽかんと口を開けていたけど、納得がいかずにむっと眉を寄せる。いわれはある。だいぶあるっていうか、すごくある。


「あのですね! まずここは私のアパート。私の家。それから私は縁子。闖入者はあなたなわけで、見られるいわれはあるんだってば」


 アレクシスは理解できないというように眉をひそめた。

 あんたの家、と呟く。


「ほっ、ほんとにいろいろあって、私はこんな逆さまの状態だけど」


 私は話しながら、だんだん胸が詰まって顔が熱くなっていくのがわかった。

 だって、ずっと知りたかったのだ。このわけのわからない状況に対してすべての説明を、この小さな――年齢的にも物理的にも――少女がしてくれるはずだと思えば、答え合わせを焦らされている心地にもなる。


 ぎゅっと両手を握れば、右手の甲の穴からは握りこんだ指が見えている。わけがわからなくて目頭が熱い。


「あなたが選んだからだって、みんな言う。アレクシスはどうして私を選んだの。私があなたの世界に飛ばされたのは、なんのせい?」


 台風にさらわれてぽいっと海に投げ出されるような、抗えない力に流され続けていた。自然災害と思えば辛抱のしようもあるけど、そうではない。私がこんな目にあっている理由を知りたい。ほんとに強くそう思う。


 堰を切ったかのような私の問いかけに、先ほどまでは敵意をむき出しにしていたアレクシスの瞳がゆっくりと変化していく。彼女はぼうっと私を見つめ返した。八百屋におつかいに来た子どもが、何を買うべきか忘れて店主を見上げるように。その表情に私はだんだん後ろめたい思いを抱く。


 彼女の、首のあたりで切りそろえられたおかっぱ髪は黒で、奥二重の銀の瞳。強い猜疑と敵意がちくちくと痛いのはまあいったん置いておく。顔ぜんたいの印象は全体的に整ってはいるのだけど、たまやククルージャの四人に比べたらいたって普通だ。しいて特徴をあげろと言われたならその中性的な雰囲気だろう。表情ひとつで少女らしくも少年ぽくも変化しそうな面立ち。その眉は彼女の心情を乗せてか、心もとなく寄せられている。


 年齢は月花と同じくらいか、もう少し下かな。おそらくまだ高校生にもなっていないだろう少女に、こんなふうに矢継ぎ早に尋ねてしまったことで、まるで責め立てているような気持ちになった。ばつの悪さを覚えながらも、私は余裕のないまま手を握り締めて、黙って返事を待った。


 彼女はゆっくりと目を伏せて、それから大きく息を吸った。ゆったりとした黒のローブに包まれた彼女の肩が深呼吸のときのように持ち上がり、そして下がった。


 ああ、思い出した。疲れた声。


「あんた、あのときの女であったのですね。いでたちも様相も異なるから、そうとは思えなんだが」


 あのとき。あのとき?


「われは焦がれたのですよ。あの日、あの雨の日、みすぼらしく惨めに濡れた獣を抱えた、あんたのあの微笑みに。――われに向けられたものであれば、どれほどいいかと」


 ほほえみ?


 私は何かを聞き間違えたのかと眉を寄せれば、アレクシスは瞬間的に顔をゆがめた。紙で鋭く皮膚を切ってしまったときみたいに。


「……ああ、水瓶を倒したときのように、どんどん記憶が流れ出てくる。そして人とは、忘れたいことほど鮮明に記憶しているもの。不自由な生き物であること」


 視線を斜め下に落として力なく呟く。そのまま痛みに耐えるように唇を引き結んだ。


 私は彼女の言葉を待つべきなのか、もしくは私から質問をしていくべきなのかわからなくて口ごもってしまう。

 不思議な関係だ。彼女は私をどうしてだか知っている。私は彼女のことを知らない。けどたまや拓斗から得た情報はいくらかある。その私たちの間にあるのは、どうやらあの雨の日らしい。

 拓斗を拾った、あの土砂降りの。


「どうしてあんたを選んだのかと聞きましたね」


 私は慌てて小さくうなずく。アレクシスは重たげに瞬いた。


「選んだつもりなどない。べつに理由なんてありやしないんですよ。あのとき、あんたが笑ったから。ただそれだけで」


 吐き捨てるような口調だった。その声からはいくつかの感情が混じり合っているように思えた。億劫さとか、投げやりなもの、それから錆び付いた悲しみのような。


 理由はない。

 ないの?


 選んだつもりもない。

 えっ、ないの?


 じゃあ私が巻き込まれたのは、誰かが投げた石がたまたま当たったような偶然だったってこと?


 私はぱちぱちと瞬く。納得しきれないまま、何かを言いたいと思った。でも何を言えばいいのかも、どうすればいいのかわからなくて、結局黙って彼女を見ていた。


 私はアレクシスにさえ会えれば、私が異世界に飛ばされた理由を教えてもらえて、そしてまた日本に返してもらえるのだとほとんど一方的に思い込んでいた。右も左もわからないなか、そういうわかりやすい目標は必要だったということもある。


 でも実際はそんなに単純な話じゃない。目の前の小さなアレクシスにはアレクシスの事情がある。私は私で、相手の事情を汲んでいる場合ではないにしろ、この状況を何とかしてと喚くのは気が咎めた。


 大人になって気づいたことのひとつだ。若いときは言いたいこと言いたいときに口にできたし許された。時にはそれが気持ちよかった。でも年を重ねて、言うべき言葉にはふさわしい場が必要なんだと、いつのころからか気づいたっけ。

 あるいはたまくらい一緒に時間を共有していれば、遠慮なく好き勝手に要望を伝えられたのかもしれないけど。


 そういうわけで私はいまこの目の前にいる、すべてに倦んだような少女に対してどう振舞うべきか。ちっともわからなかった。


 選ぶだの選ばないだの、それが意味するところだってまだわからない。わからないことだらけだ。


「……アレクシスは、どうしたいの?」


 どこまで近づいたらあの犬は吠えるだろう。そういう手探りの感覚で聞いてみた。


 床の上、けだるげに私を見上げて彼女は瞬いた。彼女から見たら私は天井に蛙のようにへばりついた巨人のように見えると思う。どうして私が天井にくっついているのか不思議だろうに、ちっとも気にしている様子はない。


「なにも」

「え?」

「なにもしたくなどない」


 どうでもいいんです。駄々をこねるのに疲れた子どもみたいに答えると同時に、彼女の身体が確かに縮んだのを、私は見た。


 文字通り小さくなったのだ。まるで脱皮したかのように身体が目減りした。スモールライトで照らされたかのように。


 どういうこと、と私は無意識に呟いていた。それは彼女が縮んだことへの混乱だったんだけど、彼女は文脈がつながっていると思ったようだ。眉を吊り上げて言葉を続けた。


「もうどうでもいいのだと言ってるんですよ。つらいのはいやだ。われがどんな悪いことをしたという? 何もしていないのに。もう戻りたくない、どうでもいい!」


 また身体が縮んだ。さっきよりも縮みが大きい。シルバニアファミリーのウサギほどあった大きさは、いまやレゴブロックの人形程度になってしまっている。


「ずっと期待して焦がれて、手に入れたと……思ったのに。そんなものは最初から存在しなかった。ならばもういい。あんな恥辱を受けて、生きていけるとは思えない」


 とめどない彼女の言葉の勢いと一緒に、するすると身体が失われていく。もうクリップと同じくらいになってしまった。天井に座っていた私はいきおい立ち上がる。手を伸ばす。届かない。


 消えたがっている。そうだ、聞き覚えがあるこの声。

 ビエチアマンの牢獄で、カムグエンの川辺で。たすけて、ころして。戻りたくない、戻りたい。頭に響いたあの声はこの少女のものだ。何の事情があるか知らないけど、すべてを手放して楽になりたがっている。


 ここでひとり、縮んで消えてしまおうとしている。


 冗談じゃない。


 冗談じゃないよと思う。何に対してそう思ったのかよくわからない。巻き込まれ続けているこの状況に対してかもしれないし、拓斗やたまへのものでもあったかもしれない。いろんな憤慨が、私の中でぐるぐると渦巻いている。いま最も強い感情は、この少女へのものだ。


「アレクシス」


 彼女がこちらを見上げる。揺れる銀の瞳。語尾が震えた。説明のしようがない私の感情が零れたせいだ。


「それって、すごく贅沢!」


 銀の瞳が瞬く。いや、瞬いたのかもしれない。縮みすぎて表情がよくわからない。


「何があったか私は知らない。でもたまや拓斗……あんたの弟子たちは帰りを待ってる。少なくともたまは心からあんたを心配していた。待ってる人の気にもなるべき!」


 ここでいったん息継ぎだ。私は大きく鼻から吸い込む。


「それにね、悪いことをしてなくても、辛いことはやってくるものなの。みんなそうなの。夏の夕立みたいに定期健診みたいに月に一回来る生理みたいに避けられないものなの。自分だけだと思わないでよね!」


 途中からちょっと八つ当たりも入ったが、言いたいだけ言ってやった。私は鼻息も荒く彼女を見る。銀の瞳が見開かれている。


 私だって、と半泣きで思う。


 私だって悪いことなんてしていない。警察沙汰になったことはないし、納税の義務も果たし続けてる。拓斗にもふんだんにいいご飯をあげている。でもこうして巻き込まれている。理不尽に起こる気持ちも投げやりになる気持ちもわかる。事故のようなものなのだ。だからそこから少しでもましな方向を見て動かなくちゃいけない。誰だって毎日、そう過ごしているのだ。


「一時的にやさぐれるのはわかる。すごくわかる。辛いなら逃げてもいい。ただその先で私たちは生きなきゃいけない。生まれた以上は。つらいことがあったって言ったよね。つまりアレクシスは逃げてここに来たんでしょ? それはいい。だけどそろそろ、待ってくれてる人のことを考えてよ」


 帰りを待ってくれている人がいるってすごいことなんだから。そう続ける。


 アレクシスは恥辱を受けたといった。どんな屈辱なのかはわからないけど、それは誇りがある人の言葉だ。生きていくのに最低限のプライドは必要だけど、場合によっては生きにくいとも思う。そのせいで自分の首を絞めてしまうような誇りなら問題だ。


「……あんたは、どうしてわれにまっすぐ言葉を向けるんです。あんたからすれば、われは何の価値もない他人ではありませんか!」


 鋭い声で彼女は叫んだ。庭に侵入した泥棒に吠える犬のように。

 その彼女の目にあったもの。敵意と絶望と諦めのすきまに、構ってほしい、救ってほしいという光がありはしないか。泣き喚く子どもが親を見るみたいに。怯えと期待を混ぜたような。


 そうだね、とうなずく、


「私には何の価値もない」


 銀の瞳がふるりと震える。


「でもアレクシスは、たまや拓斗の知り合いでしょ。だったらただの他人とも割り切れない。知り合いの大切な人っていうつながりがあるなら、私は悲しむよりは笑っていてほしいと思う」


 思いがけない言葉を聴いたように顔をゆがめて、彼女は瞬く。


「もちろんそれだけじゃない。正直、私だってまいってる。このままだと二人とも小さく縮んでミジンコみたいな大きさになって、きっと消える。だから仲間意識みたいなものも少なからずあるのと、アレクシスに私を助けてほしいっていう下心」


 したごころ、とアレクシスが囁いた。飛び回る蝿を見たように眉をひそめた。


「利害か」


 アレクシスが吐き捨てた。そう、と私は正直にうなずく。そして私は苦笑いをしながら天井にしゃがみこむ。最初は拓斗に頼まれたようにアレクシスを起こして帰る気になってほしいと思っていたのに、なんだか途中から言いたいことを言っただけな気がする。私を助けてほしいから立ち直って、というストレートなものだ。


 アレクシスの事情を省みない自分本位な言葉だ。もちろん、完全な他人なわけではないから、元気出してほしいというのも嘘ではないけど。


 私は疲れて、深く考えられないまま言葉を吐き出す。


「……私を助けてよ、アレクシス。私もあなたをできるだけ助ける。そういう平等な関係でさ」


 ずっと言いたかった言葉だ。助けて、救って、無条件に私を守って。でもいったい誰に言えるって話だ。あの世界では私よりもよっぽど過酷な環境で立派に生きようとしている人たちに囲まれていたし。縋れば甘やかしてくれただろう人たちではあるけど、だからこそ言えるはずがない。ただでさえ逃亡奴隷の私を拾ってくれたのに、借りをこれ以上作れない。


 しゃがみこんで体育すわりみたいな格好のまま、膝の間から天井の模様をじっとみていると、平等、と呟く声が聞こえた。


「……あんたも、助けてほしいんですか」


 不思議そうな声。上を見上げる気力も失せて、私はうつむいたまま力なくうなずいた。そうだよ。助けてほしいよ。

 いいかげん疲れたように膝の間からシーリングライトを見れば、ライトがさっきよりも大きく感じられた。私の縮みもどんどん進んでいるのだ。

 アレクシスはもう薬の錠剤以下になっちゃってたし。うつむいたまま私は目を伏せた。


 たま、うまくやれなかったよ。あんたの賭けは失敗だね――。


「われだけでは、なかった」


 か細い声がかろうじて私の鼓膜を揺らす。


「そうであるなら、まだ」


 迷子のような声。語尾ににじむ、試すような決心の気配に私は首を傾ける。彼女のその変化がなんのせいなのか不思議に思いながら彼女を見上げる。


「われの話を、聞いてくれますか」


 こちらを伺うような上目遣いに、搾り出した彼女の勇気が浮かんでいた。一拍のあとで言葉の意味を理解して、もちろん、と私はうなずく。もちろんだ。


 それこそが、たまや拓斗、そして私がずっと聞きたかったことなのだから。

 

   




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