9.泣きたいのはこちらのほうです
「タクト、とは?」
しゃっくりのような涙が落ち着いて、頭がぼんやりしてきたときに、ナラ・ガルさんが優しい瞳でたずねてきた。
「ユカリコの、夫?」
おずおずと月花も続けた。
違うんです。と首を振った。
「私の、猫です。一緒に住んでいた……」
「ネコ?」
「そう、猫」
おや、と思う。言葉での「猫」は通じているのに、相手がどういうものか思い描けていないことがわかるのだ。
たとえるなら、「プケコ」ときいて、ぷけこ、というのは聞き取れるが、どういうものか想像できない、に近い。
ちなみにプケコはニュージーランドに住む鳥の名前だ。お土産で「プケコチョコ」という鳥の形のチョコレートをもらったことがある。
つまり、猫はこの世界に存在しないらしい。
「ええと、猫というのは、小型の獣でして。もふもふで、ふわふわの、愛すべき生き物です」
そう、愛すべき生き物なのだ。愛されるために生まれてきたのだ。
猫愛が高まって、私はいてもたってもいられず、地面の土に人差し指でで絵を描いてみた。
へたくそなハロゥキテイみたいになったけど。
「こんなかんじで、とても可愛らしいんです。寂しかったりお腹がすくと、みーみー鳴きます。拓斗はいつもつれないくせに、気まぐれに甘えてくるときがまた格別かわいくて……」」
描き終わって顔を上げると、ご主人さまたちが私を幽霊でも見るかのように見つめていることに気づく。
あれ、……うちのこかわいいでしょ自慢みたいになってる? どんびきされてるのか?
私だって見たことないプケコのことを嬉々として語られても、確かに困るかも……。
「す、すみません。つい調子に乗って――」
「……笑った」
ユーリオットさんが、愕然としている。
笑った? 拓斗のことを話しながら、笑ってしまっていたのか。親ばかだ!
「僕たちの前で、笑ってる……」
月花が、夢か現実か疑うように、そっと首を傾けて、じっと私を見ている。
どうしたらいいのかわからず、私も首を傾けて、月花の顔を見つめ返す。
ああ、つやつやのお肌、きれい。月花は緑がかった黒髪だけど、目は青々と茂った牧草のように濃い緑だ。
北海道の草原の写真を思い出す。
その瞳が、まるで木漏れ日の光をまぶしがるように眇められたかと思うと、水の膜が張り出した。
あっと、思ったときには、緑の瞳から泉のように、涙が溢れていた。
「どう、どうしたの? どこか痛い?」
慌てて問えば、月花さんは打ちひしがれたように微動だにせず、まだ私を見つめている。
それから、おもむろにうなずいた。痛いらしい。
「どこが痛むの?」
「胸が痛いのです」
それからぎゅっと、心臓あたりの服をわしづかむ。服にしわがよって、くしゃくしゃになっている。
「あなたが僕を見るたび。僕に話しかけてくれるたび。ここが痛むのです。どうしてでしょう」
「ええ?」
「けれど、嫌な痛みではないのです。痛むくせ、胸の奥は甘く疼く。これは、いったい何?」
「ええと。ううん。何だろう」
ふるふると震えながら、涙を流して見つめてこられては、私が何か悪いことをしたように思えてつらい。
いや、何もしてないんだけど!
ちょっと、助けて、と大人のご主人さまに視線を向ければ、涙こそ流していないものの、三人もまた同じような表情で固まっている。
勘弁してくれ。