12.そして暗転
たまは美しい見た目をしていた。
中身を知っているからちっとも素敵だと思えないが、少なくとも目を奪われるような金糸の髪、血を固めたような赤い瞳は印象的だ。私の視線に気づいたように、たまが鼻を鳴らした。
「以前言っただろう。我輩の真の姿は美しいのだと」
興味がなかったから覚えていない。
というか、私にとって美しいということは、この世界では逆になるはずでは?
「ええと、まあ、私にとってはそうだと思うけど」
「そうだろう。我輩は我輩である、それだけですでに美しいのだ。遠慮せずに好きなだけ眺め、見惚れてよいのだぞ」
なるほど。そういうことだ。
どういう環境にいようが、幸せでいられる部類の人間らしい。
「それより説明してよ。どうして私がこの世界に呼ばれたのか」
これで晴れて日本へ帰れるはずだが、やはり理由は知っておきたい。たまを睨めば、それもそうだなと思いのほか簡単にうなずいた。金の髪もまた、上下に揺らめく。
私は肩透かしをくらった感じだ。今の今までずっと情報を小出しにしたうえ、肝心なところは避けながら私を誘導してきたのに、この場になっていやに殊勝な態度だ。
私のそういう疑い深さが出ていたのだろう。たまは片頬を緩めて、そう睨むな、と呟いた。
それから大きく息を吐いた。
「ああ、それにしても、まるで底の見えない深い谷の上を綱渡りするような時であった。だがものごとはここまで、なんとかうまくいっている。縁子、感謝している」
「感謝じゃなくて説明がほしいんだってば。私にわかるように」
こっちはやきもきしているのに、たまは落ち着き払っていて本当に癇に障る。最初から最後まで相性の合わないやつである。
たまは部屋の隅、蝋燭を置いてあった机に近づいて、そこにあったひとつの巻物を手に取った。古びてぼろぼろの羊皮紙の一部が、広げられた拍子にぱらぱらと欠け落ちた。
「そもそも、我輩が何を望んでいたか覚えているか」
たまは広げた巻物を慈しむように眺めながら尋ねた。
たしかそれはカムグエンの、ヒルダの家の水辺で話していたような。
「ひとつの魂とかなんとか、言ってなかったっけ」
そう、とうなずいた。
「それを取り戻すために、まず縁子のために生み出される天珠が必要だった。縁子だけが使うことのできる天珠だ」
「私が、使う?」
たまは視線をななめ下に落として、目を伏せた。影が落ち、まだ少年のはずなのに、まるで十も二十も老け込んだように見えた。
「魂を取り戻すというのは、途方もないことなのだ。非現実的で不可能に近いこと。高いはしごを立てて月を目指すくらいに。我輩は死力を尽くして調べ、見つかった手段はただ一つであった。取り戻すには暗く長く、永劫のように深い闇の道――穴を通らなければならない。道を通らなければ、どこにもいけないのと同じだ。そしてそういう暗い場所を通るには、明かりが必要だ」
私は全身を耳のようにして、話の続きを聞く。
「いわばその明かりが天珠だ。縁子のためだけに、縁子の望む道を照らす、縁子だけの天珠。ほかの誰かが生み出した天珠はそこでは石ころ同然」
あれだけ欲しがっていた天珠を、石ころ呼ばわりである。
「それを彼らが生み出した。その天珠を頼りに穴を通り抜けた先にこそ、我輩の望む魂がある。禁じられた予知を酷使したのも、すべてはその魂を取り戻すため」
禁じられた。そういえば、反動の大きさゆえにあまり使わないとかも言ってたっけ。
「天珠がある限り、穴の向こう、魂の眠る世界には辿り着けるであろう。だがその先で魂を呼び戻せるかどうかは、賭けなのだ」
「ちょっと待って、頭痛い。ついていけてない。魂の眠る世界ってなに? その穴とは別物なわけ」
私は悲鳴を上げた。非現実的な情報を与えられすぎて、文字通りのキャパオーバーだ。
「もちろん別物だ。穴とはその名のとおりただの穴である。場所と場所を繋ぐものの呼称、通り道。どこに繋がるかは、通る者しだい」
「あんたが望む穴なのに、どこへ繋がるかわからないの」
たまはものわかりが悪い犬にするように、頭をゆるゆると振った。
「誰にもわからない。その穴すら、古い書物に載るだけの夢物語。天珠がなければ自我も行き先も失い無に溶ける未知の空間だという。その先にある世界など、誰が知っていよう?」
なんだか途方もない話をされていることはわかった。
まあ、なんでもいい。その穴とやらを通って好きにすればいいのだ。いいかげん私を巻き込むのはここまでにしてほしい。
……ん? ちょっと待てよ、たまは魂を取り戻したい。その魂は暗い穴を通った先にある。その穴は天珠がなければ通れない。天珠を持っているのは。
つまり。
「ちょ、ねえ。その、取り戻しに行くのって、まさか」
たまはうん、とうなずいた。
「正真正銘、最後の頼みといったところか。頼むぞ縁子」
私は口を開けたまま、数秒停止したと思う。
「……いやいや、待って待って。おかしくない? それってたまが自分で行けばいいじゃない。なんで私が行くかんじになってるわけ。天珠を集めるまで協力するって話だったよね。でもって私は集めたよね。日本に返して、いますぐ返して。私は拓斗のもふもふに埋まってすべてを忘れる。それで一件落着」
ぜんぜん落着してないけど、このさいもうよしとする。焦っている間にも言葉がするすると出て行った。ほとんど無意識だ。
そう、私はすごく焦っているのだ。なぜならこいつは、たまは、私をぽいっと巻き込んでしまえる圧倒的な力だけは持っているから。こいつ相手に今まで私の意思が通ったことがあっただろうか? このままだといやな予感しかしない。
私が自分で行けばいいでしょと繰り返せば、たまは鋭い刃物で切りつけられたかのように顔をゆがめた。
「どんなに歯がゆいかわかるまい。我輩が行けたら、どれほどいいか――だがあいつは、まったく納得のいかないことに縁子を選んだのだ。我輩ではなく、縁子を」
選ばれなければ、穴に入ることさえ叶わぬ。そう悔しそうに吐き出して、たまは俯いた。
拳を握り肩を震わせる少年に、私は気圧された。この小さな身体に、すさまじい激情が渦巻いている。たまは行かないのではなく、行けないということなのか。そういえば、私は選ばれたって言ってたっけ。いったいぜんたい、いつどこで誰に選ばれたっていうの? ああ、心臓が耳元にあるかのようにうるさい。
「我輩を恨め。憎め。勝手なことを言っている自覚くらいはある。だがあいつを取り戻せるのは、縁子だけ――どうか、あいつを」
アレクシスを。
そうして顔を上げたたまの瞳にはどんな感情も浮かんではいなかった。この瞳を私は知っている。
ビエチアマンでギィが見せた瞳だ。自分の望むもののためなら何をも厭わない、自分の覚悟に殉じる瞳。
生ぬるい風を頬に感じたような気がした。でも気のせいかもしれない。
そうして私の意識はふつりと途切れた。
冷たく暗い場所にいる。
私は気づけば、完璧な暗闇の中に立っていた。明かりも何もなく、私は目を開けているのか閉じているのかわからずに混乱した。
自分という存在を確かめようと、慌てて顔や腕、おなかあたりを触ってみる。そこには慣れた肌の感触やナラ・ガルさんに与えられた服の手触りがあり、わずかながらほっとする。
どんな音も聞こえない。私は耳が痛くなり、自分で声を出してみた。
「どこ、ここ」
私が発した声がちゃんと聞こえた。首を動かしてあたりを見回すが、暗闇はどんな変化も見せなかった。
ためしに大声を出してみる。反響することもなく、声は闇に吸い込まれた。
地面はどうなっているのだろうとしゃがんで、一瞬だけ人差し指で引っかいてみる。爪が溶けたりはしなかったので、そのまま手のひら全体で触ってみれば、ひんやりと冷たいそれは、今までに触ったことのないものでできているようだった。コンクリートにしてはやわらかすぎ、土にはないすべらかさがある。押せば微かな弾力もあり、しいて言うなら巨大でぶ厚いゴムの上とも思える。
そのままおそるおそる手を広げて地面を撫でて行けば、どうやらどこまでもそのゴムは続いているようだった。怖くて歩いて回ろうという気にはなれない。
「どうしろっていうのよ」
私は途方に暮れて、膝を抱えるように体育すわりをした。
深く厚い闇はどこまでが私でどこからが他のものなのか、その境界線を奪うように染み込んでくる気すらした。こんなに心細い気持ちになるのは初めてだった。
その心細さと同じように沸いてくるのは、しかし明確な怒りだった。ふつふつと火にかけた水から泡が湧き上がってくるように、私の中にこんなに激しい感情が潜んでいたのかというくらいに強い感情だ。
魂を取り戻せ? 会ったこともない人のを、どうして私がやらなくちゃいけないのよ。
私はあの世界でそこそこがんばったではないか。この上さらに無理難題をふっかけられるなんて、いくらなんでもひどすぎやしないか。私以外の誰かを適当に捕まえて、その人にやってもらってほしい。
そう、限度というものがある。そして今回、とうとうそれは突破された。
「――もう知らない! なんなのよ、本当になんなの! ただの会社員なんだってば、猫と一緒に暮らしてただけのOLがどうしてこんな目にあわなきゃならないわけ? たまのばか、ここで無になったって一生恨んでやるんだから! そうなったら道連れにしてやる、たまが一番嫌がるような仕返しをしてやる! 拓斗に会いたい、もふもふに包まれたい、拓斗ーーーーーー!!!!!!」
そもそも日本での時間の流れはどうなってるの、会社クビだったらどうしてくれるんだ、年金はずっと払い続けてきたのに未納になってたらどうしてくれる、冷蔵庫のナスとレンコンとかカビてたら最悪なんだけど、消費税上げるとか冗談じゃないし、国会は勝手に変な法律ばっか通すし、拓斗は本当に無事なんでしょうねと、私はもうありとあらゆる不平不満疑問ついでに政治への愚痴もぶちまけた。
火山の噴火もかくやというに言葉が爆発して、私は地面をばんばん叩いて、これでもかとたまを罵倒して、その場に大の字に倒れた。
もう知らん! と捨て台詞を吐く。こういうときにすることは、拓斗ともふるか、癒し動物動画を見るかだけど、スマホもないのでそれもできない。やってられるか、とまたひとつ叫んで目を閉じる。開けても閉じても変化がなくて、また腹がたった。残されたことはひとつしかない。
だから私がふて寝をするのは、北極グマが北極にいるくらい、当然なのである。




