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11.よっつめの天珠、ようやくの対面

 月はいつのまにか三つ出揃って、あたりはとっぷりと夕闇色になっていた。


 私たちはどちらからともなく立ち上がって、仮家ガダへ戻った。草も地面も私たちの繋いだ手も、ぜんぶが紺色に染められている。


 戻りながらナラ・ガルさんは、意を決したようにそっと尋ねてきた。ネハの夢のこと。


 私はうなずいてから、心の中でネハに声をかける。あなたが伝えたかったことを、伝えることを許してねと。


 私はときおり地面のくぼみに足を取られながらも話した。(ナラ・ガルさんはそのたびに腕を引き寄せて、小さなこどもにするように持ち上げてくれた)

 

 ネハは最初こそ自分たちと異なるナラ・ガルさんを嫌悪したけど、少しずつ辛抱強いところや穏やかな心根を好ましく思い始めたこと。そして自分が醜いからと心を閉ざしたまま生きるナラ・ガルさんをもどかしく思い、変わってほしいと思うのに何もできないもどかしく思っていたこと。


 気持ちを伝えたいと思ったが、意地を張って言えずじまい。そんな自分を嫌悪しながら、でもナラ・ガルさんの幸せを祈りながら死んでいったこと。


 そして、あの刺繍のこと。


仮家ガダに戻ったら、ナラ・ガルさんに確かめてほしいんです。ネハの寝台のすきま」


 不思議そうに首を傾けながらうなずくナラ・ガルさん。その刺繍を、私は見るべきではないのだ。


 話し終われば、私たちが草を踏む音と、遠くで鳴く鳥の声だけが耳に届く。


 薄闇と長い草のせいで、足元がおぼつかない。よろける私を力強く支えながら、ナラ・ガルさんは口を開いた。


「……さっき俺がいたところ、ひとつ変わった石があったの覚えてるかな」

「すべすべのやつですか?」


 そう、とうなずく。先ほどの岩石地帯はおおぶりでごつごつした岩場だったけど、ナラ・ガルさんがうずくまっていた正面にだけ、まるで磨いたように滑らかな石があった。大きさこそ炊飯器くらいだったが、埃なども付着してなくてきれいだった気がする。


「あれは、プリャの導石しるべいしなんだ。このあたりでは死ぬと自分で場所を選び、風葬する。そこに置く石は自分で選び、磨くのが慣わしでね」

「ふうそう」

「そう。知らない?」

「ええと、聞きなじみはないですね」


 ナラ・ガルさんはうなずいて言葉を続けた。

 

「魂の抜けた身体を山や草原へ置く。そうすればまず大鳥がその身体を食べる。残りを小動物や小鳥が。そして最後に土に還る」


 私は想像して、思わず唇を引き結んだ。

 カムグエンのときといい、その土地の風習ってすさまじく感じてしまう。私は火葬という文化で育っているけど、この世界ではいまだに聞いたことがない。


 まあ、中途半端な火力で焼いても逆に無残だろうし、現代日本のようなあんな火力は出せないか。そう考えると日本の火葬の文化って、いつごろから広まったんだろう。


「……その。家族が鳥にむしゃむしゃ食べられちゃうって、つらくないんですか」


 これ聞いていいことなのかな、失礼にあたるかなと思いながらもおそるおそる尋ねれば、ナラ・ガルさんはそれこそ不思議そうに答えてくれた。


「喜ばしいことだ。身体は獣に食べられ、その獣もまた何かに食べられ、いつか土に還る。そうすればあらゆるものに、死んだ人の欠片かけらが宿る。土にも花にも、雨にも風にも」


 だとしたら。今吹いたこの風にも、ネハさんだった一部は存在しているのだ。


「生きることは食べること。食べて食べられ、俺たちはみんな、ほかの生物によって生かされている。なら、俺たちの身体もほかの生物を生かすべきだと、そう思っている」


 そう言ったナラ・ガルさんの横顔は精悍で、自分なりの意見を堂々と話す姿はとても立派で、こんなふうに自分の思っていることをもっと言えるようになればいいねと、ネハに話しかけて目を伏せた。


 そうね、とネハが笑った気がした。







 仮家ガダは、寒かった。


 とても寒かった。


 私は震えながらちょっとだけナラ・ガルさんをにらんで、ナラ・ガルさんはばつが悪そうに火を熾したのが先ほどのこと。


 思えば夕食の片付けをしているときに鬼ごっこが始まったのだ。そこからずいぶん経っているわけで、囲炉裏の火が消えているのはとても自然なことである。ちなみに囲炉裏のまわりは土なので、燃え広がることはない。


 吐く息はしろくまるく目の前に広がり、ひんやり湿ってつらい。


「あなたは怒っていいんだ。静かに怒りを溜め込まれるのは俺がつらい」

「ナラ・ガルさんっていつも罰されたがってますよね。そうすればそっちの気持ちは楽になるのかもしれませんが、あいにく私は罰するのがきらいなんです」


 そういうときはひとりで反省してくださいと言えば、叱られた大型犬のようにうなだれる。この人のMっぽいところには関われないぞ。私は極めてノーマルなのだ。


 いくら絨毯が敷いてあっても、床は冷え込みすぎてとても座れない。なのでちょっとしゃがみながら少しずつ大きくなる火に手をかざせば、横から静かにその手を取られる。

 なんだろうと見下ろせば、ナラ・ガルさんは座ったまま、まるで温度計のめもりを読み取るようにして私を見上げた。


「……あなたは、本当に嫌がっていないんだな」


 嫌じゃないからなあと思っていると、とても自然なしぐさで穏やかに腰をさらわれて、気づいたときには背中からナラ・ガルさんの懐に納まっていた。


 とたん、ふわりとあたたかな熱にくるまれる。彼の巨体に包まれて外気から遮断された状態だ。身長差がすごいので、彼の胸のあたりに後頭部がある。胡坐あぐらをかく彼の左足首らへんに座らされていて、それこそ子猫を胸に抱きこむようにされている。


 私はちょっと驚いたけど、そこは信じられないほどにあたたかく心地よかったので、そのままじっとしていた。


「前に言っていたことだけど」

 

 真上から静かな声が落ちてきた。どのことだ、と考えていると、ナラ・ガルさんは補足した。


「女性だからって、なんでも手を出すなと。考えたんだが、役割を分け合えたらいいな。ほら、女性ができないような力仕事は俺がやるし、料理が好きな女性なら、そっちをやってもらうとか」


 控えめに言葉を綴る彼は、ちゃんと自分の気持ちを話すことができている。私は嬉しくなる。


「そうですね、いいと思います」


 そう? とぱっと笑顔になるナラ・ガルさん、本当にかわいい。


 にこにこ微笑んだまま、彼は私のあごに手を当てた。そのまま猫の顔を上げさせるように上向かせる。ちょっとのけぞるようになれば、逆さまに金色の瞳と目があった。


「あなたには、もっと罵ってほしい」

「は」

「あなたに叱咤されると、ひとりではできないと思うことでもやれる気がするんだ」

「ごっ、ご自分でがんばってくださいよ」

「そこをなんとか」

「こっちのせりふです!」

「俺は今までずっと諦めてきた。勝手にそうしていたといわれれば何も言い返せないけど、でもあなたが、ユカリコが」


 ここでの彼にはじめて名前を呼ばれた。私はぼうっと彼を見る。


「はじめてだ、諦めたくない――俺はユカリコが、ほしくてほしくてたまらない」


 真上にある目が、いつの間にか熱をはらんでいた。今までの、女性というカテゴリを見るものでなく、義務で居候させてやっている他人を見るものでもなく。


 不完全な自分を受け止めたうえで、私というひとりの女性を欲しがる目だった。

 本当に、男の人ってわけがわからない。さっきまで子どもみたいだったのに、だれもかれもチャンネルを変えるみたいに大人の男の顔になってしまう。


 寄せられる好意に気づいていなかったわけじゃない。だけど同じ好意は返せない。私の一瞬の困惑と逡巡を、拒絶される人生を過ごしてきたナラ・ガルさんはたちまち掬い取って目を細めた。


 それから私の耳元に唇を寄せてずるいことをした。


「ナラ・ガル=ラージバル。俺の名前を、あなたにあげる」


 私は雷に打たれたように硬直する。ナラ・ガルさんはそれを面白がるように、逆さまに私の目を覗き込んだ。そこにはいたずらっ子のような、試すような言い逃げの優越感がある。


「さっ、さっきまでめそめそしていじける子どもみたいだったのに。情緒不安定な人ですね!」

「うん、俺も驚いている。人って欲しいものがあると卑怯になるみたいだ」


 そんな、あっさり! 私はとてつもなく貴重なものをもらってしまって、ただ途方にくれた。


「ユカリコが諦めるべきだ。そう思わない?」


 思わない! 私は拓斗のところへ帰るのだ。何があろうと。そういう思いで過ごしてきたし、そこには寸分のブレもない。反論しようと口を開いた瞬間だった。


 ナラ・ガルさんは私が彼にとって気に食わないことを言うと察するなり、私の鼻をがぶりを食べた。


 食べたというか、鼻の頭をぱくっとくわえて舌でなぞったというべきか。私は生まれて初めての感覚にただただ固まる。

 私を黙らせるのに成功したナラ・ガルさんは首を傾けて、今度は私の耳にかぷついた。微かな水音が生まれ、寒さのせいではない震えが背筋を走る。


「諦めないとは、つらいことだね? 思い通りにならないユカリコは憎らしいけど、ユカリコが遠ざかるのはもっと憎らしい」


 耳元で低く囁かれる。色っぽいその声に腰砕けになりそうだけど、それって保育園児とか小学生低学年の物欲と同じじゃないか。このひと、人と関わることを避けすぎて、中身は人間一年生では。


「でもいい。頑ななユカリコを懐柔するのも楽しそう。どうやって諦めてもらおうか」

「懐柔!」

「それと以前から思っていたけど、ユカリコは男というものをわかっていない」

「そ、そうなの?」


 そうだよ、とうなずいて、ナラ・ガルさんは私の奥底を浚うように覗き込んだ。知ってるの? と熱を含んだ低い声。


「知らないだろう。情けない俺ごといいと思うと言ってくれたように、俺もユカリコの弱いところを見たいと思う。ユカリコが隠したいくらい嫌な部分を、世界で俺だけが知って慰めたい。心も身体もまるごとほしいと、いま腕の中にあるやわらかな肌を味わいたいと強く望む――そういう男心を」


 耳元で、熱ごと溶かしこむように囁かれて、背筋が震えた。私は確かにどこかでナラ・ガルさんを小さな男の子のように思っていたのかもしれない。ナラ・ガルさんはそれを見抜いた上で、男だと知らしめる言葉を的確に与えた。私を抱きこんでいるのは立派な男で、愛を示したがっているのだと。


 いてもたってもいられずに、ただ瞬きを繰り返す私を見て、ナラ・ガルさんは満足げに、そして服従するように頭を垂れた。そして背後から抱き込んでいた私の肩に顔を埋めて、服をかきわけるようにして鎖骨のあたりに口付けた。


 あたたかく柔らかい感触に身を引こうとすれば、それを許さないとばかりにぎゅうと抱きしめられる。そしてそこに熱が集まる。


 覚えのある熱だ。欲しいようで欲しくない、それは天珠の予感だ。


 ナラ・ガルさんが口付けている箇所が、どろどろに溶けた鉄にでもなったようだ。なのに痛みや不快さはなく、たまらず私は呻いた。


 そして限界まで凝縮された熱がはじけた。光が散る。目を細めると浮かんでいるのは琥珀色、カットガラスみたいな八面体。

 囲炉裏の火を反射しながら、ゆっくりと回転していて、徐々に光が収まっていく。


 私の頭を、それこそたくさんのことがよぎった。ナラ・ガルさんの貴重な気持ちを示されたのに受け止めきれない後ろめたさだとか、最後の天珠があらわれて、これでぜんぶ終わるという漠然とした空白だとか。それからアパートで高級猫缶をねだって見上げてくるふわふわ毛並みの拓斗の姿。四人に借金を返したいという義務感。ひとつまみの心残り。


 次の瞬間、それらすべてを吹き飛ばすような鳥肌がたった。


(――感謝する。縁子)


 巾着に入っていたたまの声だ。感情を抑えたように低い声。


(ようやくだ。これでようやく――あとは、賭けだ)


 賭け? 目の前の天珠がふつりと消える。ナラ・ガルさんを見れば、何事だというように呆然としている。


(いくぞ縁子。仕上げをしよう)


 仕上げって、何のことだ。私の役割はここまでではないのか。最後の天珠を手に入れるのと交換条件だったはず。


 私の焦った質問を黙殺し、たまは熱を帯び始める。それは今までにも経験したことがある、転移のときに特有の熱の集まり方だ。

 ただここルガジラは、魔力が集まりにくいのでいままでになく時間がかかっている。私は混乱しながらも身体を回して、正面からナラ・ガルさんに向き合った。


「ユカリコ、今の光は」

「ナラ・ガルさん!」

「はい」


 びっくりしたように反射的に返事をするあたり、本当に大型犬みたいだ。乙女で臆病、Mっぽいけど人に歩み寄る決意をした彼は、きっとこれからたくさんの人に恵まれるに違いない。


「む、迎えが来ました」

「迎え」

「前に話していたやつです。それがたったいま」

「落ち着いてユカリコ、ここには俺たちのほかは誰もいない」

「落ち着きたいんですけど、どうにもこうにも」

「それと、俺を置いていくという話なら、受け付けない」

「お世話になって心苦しいのですが……えっ?」

「俺の心をこれほど乱して置いていくつもりなのか。そういう薄情なところが憎らしいね。いっそ食べてしおうか。そうすればユカリコの一部は俺のなかでひとつになるんだ」

「カニバリズム!」


 食べて食べられ、と風葬を説明してくれた彼の声がよみがえる。独特の風習からの発想だ。ナラ・ガルさんに上手に解体されていた羊が頭をよぎる。骨付き肉になるのは勘弁してほしい。


「ナラ・ガルさんこそ落ち着いてください。大丈夫です、私たち絶対また会えるから、食べないで」


 脂のってておいしいかもしれないけど。私が必死になってそう言えば、疑い深そうに見てくる。だって借金返さないと私は日本に帰らないから、私としてももう一度ククルージャのみんなに会う必要があるわけで。


「それより約束して下さい。ネハの寝台の下をちゃんと見るって。ネハからの贈り物なの」


 とたん、神妙な顔でうなずいた。でもそのあとでまた渋面になったし、ちっとも納得いってないみたいだけど、彼の本心が表れていたのでうれしくなる。喜怒哀楽を奥のほうに押し込めていたのだ。これから存分に出していかねば。


 ネハの呪いは解けたのだから。


(さあ、戻るぞ)


 戻る? 戻るってどこに――そう思う間もなく、全身を熱された巨大なアイロンにつぶされるような感覚に襲われた。







 気づくと頬にじゃりじゃりとした砂の感触があった。私はそっと目を開けて、手の指先を動かしてみる。そこにはちゃんと立体的な手があり、焼きただれることもなく思い通りに動いている。


 先ほどは私が文字通りぺったんこの一反もんめみたいになってしまったように思えたが、無事三次元の存在でいられて心底ほっとする。


 上半身を起こしてあたりを見渡せば、薄暗いれんが造りの家の中、壁一面に棚が置かれていて、巻物という巻物が山と積まれている。


整頓されているわけではなく、無造作にどんどん積んでいったというふうなので、近づいた振動だけで、あるいは息を吹きかけただけで雪崩を起こしそう。なんにしろものすごい蒐集しゅうしゅうだ。図書館か何かなのかな。


 床には書物ではなく、さまざまな大きさの箱がところ狭しと置かれている。その中には道具類がひしめき山となり、あるいははみだしながら散乱している。箱から飛び出している秤、小さな壷、分銅、にゅうばちとすりばち、フラスコのような形状の筒、それに得体の知れない毛皮。


目を凝らしたけど、部屋の隅にある蝋燭だけではよく見えなかった。うさんくさい場所であることはわかった。それだけでなく、どこかからは不思議なにおいも漂ってくる。お香か何かだろうか。


「気づいたか」


 聞き覚えのある声。声変わり前の少年の、生意気で傲岸な声はいやというほど知っている。


 今までと違うのは、それが頭の中に響くようなものではなく、肉声だということだ。私は声のするほうへ顔を向けた。


「この状態では、はじめましてと言うべきか? あるいは世話になっているというべきか」


 どちらの言葉を望む? と、不遜な声音には確かな愉悦が乗っている。


 蝋燭の灯かりが揺れる。その光を吸って輝く金髪、赤い瞳。まるで陶器のようにすべらかな浅黒い肌。完璧な美貌を備えた少年がそこにいた。


 いや、完璧というには目が荒みすぎているか。寝ているときはさぞかし可愛いだろうが、皮肉げな口元も美しさを台無しにしている。


「どっちもいらない。あんたが言うべきなのは、私に対するすべての説明だと思わない?」


 私が感情を抑えながら噛み砕くように言えば、少年は――たまは、無邪気なふりして微笑んだ。






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