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2.衣食住だけは粘ってでも勝ち取りましょう

 そして私の押し売りは、いつでも人気がない。


「いらないな」

「やっぱり」

「まわりを見回してみるといい」

「ま、まわり」


 その言葉に従って、ぐるりを周囲を改めて見てみる。なだらかな山腹になびく草、山の稜線、暮れなずむ青い空、眠たげに草を食む羊たち。


「何がある?」

「ええと、特に何も」


 そう答えた私に、ナラ・ガルさんはうん、ともっともらしく肯いた。


「家政婦が必要な暮らしだと思うかな」


 ぐうの音も出ない。


「だいたい、女性が見ず知らずの男に向かってそういうことを言ってはいけない。危険すぎると思わない?」


 見ず知らずではないのだが、私は仕方なしに肯いておく。首を横に振るようでいてうなずくようでもある、私の葛藤を如実に表すうなずき方になった。


「その格好も、いかがなものか。女性がみだりに腕や足をさらすなんて、襲われても誘拐されても文句は言えない」


 私は自分の服装を見下ろして、そうなの? と思ってしまう。また新しいカルチャーショックである。

 確かに軽装なワンピースだけど、ここではククルージャに似て女性は肌を出してはいかんらしい。凍えるビエチアマンではもってのほかだが、温暖なカラブフィサや熱帯雨林のカムグエンでは女性は肌を露出していた。


 だとしたら、とちょっとヒルダを思い出す。彼女の格好はもっと危険だ。彼女は動きやすいミニスカートで、より際どいタンクトップの格好だった。


「そんなに無防備なのは、俺が例外だとでも思ってるから? 悪い男かもしれないよ」


 ナラ・ガルさんは不審と戸惑いを浮かべながらも、怖がらせるように私の身体を眺めた。それは私の肩を過ぎて腰をたどり、ふくらはぎから爪先まで眺めて、やがてまた目を合わせた。


 だけどその瞳には男性としての熱は浮かんでいなかった。私は自分が女ではなく、病院の待合室に置いてある観葉植物の鉢植えになったかと思うような瞳だ。ただ、不自然な感情も浮かんでいる――それはまるで怯えのような。


 どうしてナラ・ガルさんが怯えるというのだろう。私は不思議に思って、そのまましばらく見つめあう。すると彼の中に怯えだけでなく、傷つくような光がよぎった。ナラ・ガルさんは目を逸らし、その視線がななめ下に落とされる。


「……いくら醜くとも、男として不完全なわけではないんだ。あなたはもっと、危機感を持たなければならない」


 その言葉を聞いて、あっと思った。

 ナラ・ガルさんは自分が醜いから、女性は怯えて逃げるものだと思っている。でも私がそういうそぶりを見せないから、男としてすらみなされていないと思ったのだ。


「あの、違うんです。男として見ていないとかじゃなくて、そんなことされるはずないと思って」

「人以下ということか」


 違う! こんなに被害妄想の激しい人だったっけ?


「優しそうだからです! ジェントルマン……紳士的っていうか!」


 暴走気味にネガティブを発揮しかけたナラ・ガルさんは、そこでようやく止まってくれた。


「やさしい」

「はい」

「俺が?」

「そうです」

「あまりの恐ろしさに、そんな嘘を」

「そっち!?」


 まあ、初対面の女に言われても信じられないか。私だっていたって普通の見た目だけど、出会ってすぐ「良妻賢母っぽいですね!」って言われたらかなり困る。


「私は、直感型の人間で! 目が優しそうだったから、きっとそうなのかなって」


 しどろもどろとはこのことだ。嘘ではないのに、言葉がどこにも引っかからずにするすると滑っていくのがわかった。気温は下がっているのに変な汗はどんどん出てくる。


 ナラ・ガルさんは崖登ロッククライミングりをするクラゲを見たような顔で私を見上げている。あまりにも呆然としているので、私は本当に私の一部がクラゲになってしまったのではないかと、ちょっと身体を見下ろしさえした。幸い人間のままである。


 どうしようもない沈黙に、私も途方に暮れて口を閉じた。しばらくして我に返ったらしいナラ・ガルさんはぱちぱちと何回か瞬いて、そのやりとりをなかったことにするように、たしなめる言葉をせわしなく話し始めた。


 そんな靴では転んだときに危ないだろうだとか、首は冷えやすいから襟巻きをすべきだとか。過保護で頑固な世間の父親のようだ。


 たぶんナラ・ガルさんは、私の優しそうという発言に対して何を言ったらいいかわからなくなったんだと思う。ナラ・ガルさんの流れるようなお説教にはじめは呆気に取られていたけど、聞くにつれ私は懐かしいのか嬉しいのかわからなくないまま苦笑してしまう。きっとその両方だったのだ。


 今の私はククルージャでは知りえなかった、違う角度からの彼を見ている。あの時は出会いからして奇妙な成り行きだったし、ほかの三人もその場にいた。対して今はそれよりは常識的と言える状況で、一対一で向き合っている。


 だから前とはずいぶん印象も違うけど、今の彼だってあくまでナラ・ガルさんの一面であって、記憶はなくても本質は変わらない。


 だからこそ相手が見ず知らずの女だというのに、彼はさっそくフェミニストっぷりを発揮しているじゃないか。


 ナラ・ガルさんはほろ苦く笑う私を見て、またも大きく混乱するような顔になって口をつぐんだ。


 そんな彼に、私はひとつ大きく息を吸ってから吐き出した。こういう切ない状況は辛いけど、最後のふんばりどころかもしれない。この押し寄せるできごとは、学生のときの行事に少しだけ似ているかも。体育祭が終わればテスト、文化祭の後に統一模試、夏休みだと浮かれれば山積みになる課題……。人生って避けられないものであふれている。だとしたら、やっぱりうまくやり過ごすしかないのだ。


 さっきよりも肩の力を抜けた気がするぞ。私は素直な気持ちで、もう一度お願いしてみる。


「……その、大切なひとたちとはぐれてしまったんです。きっとすぐに会えるというか、飛んで行ける……とは違うか。でもあの、迎えが! 来る可能性もあるわけでして。ここにいたいけど、でも先立つものもひとかけらもないんですけど、家に置いてはくれませんか。ひと通りの家事はできるはず」


 うそつき、私のうそつき! と苦しみながらも、ぎりぎり嘘ではないと思いたい。なんとか家に置いてもらえなければ、空腹でそのへんの木に齧りつき出してしまう。


 役に立ちますアピールをして拾ってもらわねければいけない。いろんなところに飛ばされまくったせいで、サバイバルな知識も身についたのだ。望んでないけど。今は道具があれば火だって熾せるし(これって、現代で生活しているとやらないけど、すごく難しい!)水汲みも洗濯も得意になった。ヒルダには泥水をす方法も教わった。


 他に言うべきことはあったかなと考えて、慌ててひとつ付け足した。


「裁縫はできません」


 きりりと言い切った私を見て、ナラ・ガルさんは表情を消した。まるでパスポートを忘れて空港に来たビジネスマンみたいに。


 つられて私も同じ顔になる。さわさわと風が吹き抜けて――。


 ナラ・ガルさんは破顔した。

 右手で口元を覆うようにして、俯いて笑いをこらえている。肩が細かく揺れ、抑え切れない笑いが漏れている。私はぽかんと見下ろす。なぜだ、私は何かおかしなことを言っただろうか。


 少ししてようやくナラ・ガルさんは笑いを収めて、ばつが悪そうに目じりをこすった。


「ああ、いや失礼。裁縫ができないことを、そんなに胸を張って言われるとは思わなくて」


 これはあとでわかったことだけど、聞けばこのあたりの地域では女性はなによりも裁縫――とりわけ刺繍というジャンルの――ができることが何よりも重要なのだと言う。

 よりによって刺繍である。人生でチャレンジしたことはないが、波縫いですら酔っ払った蟻の足跡みたいになる私だ。いい予感はしなかった。


 日本でもあるよね。その地域で育ってるなら当たり前にできること。きっと東京の人はあのクレイジーな路線図の乗り換えも平気なのだろうし、雪国の人は凍った路面を運転できるのは当然で。四国でうどんを食べたことがないと言えば、きっと宇宙人という目で見られるだろうし。


 そんなふうに、ここでは刺繍ができないというのはありえないことなのだろう。


 眉を下げた私を、ナラ・ガルさんは見ている。間違って届いた小包を前にしたように。


 それから頭を掻いて、重そうに口を開く。


「――俺のところはとりわけ貧しいし、手伝ってもらうにしろ汚れる仕事も多いだろう。ふつうの女性なら、嫌がるに違いないけど」


 その言葉を、頭の中でゆっくり反芻する。含まれていたのは思いがけない肯定の色ではなかったか。私はナラ・ガルさんの心情を知りたくて顔をよく眺めた。


 他人行儀な表情。その中にあるのは微かな同情心と義務感、消えることのない怯え。


 かつての太陽のような微笑みが頭をよぎる。ちょっとさみしかったけど、彼の申し出に心から感謝する。


 それはよかった、と私は笑う。


「私って、とっくにふつうの女ではないんです」

 

 たぶん、ふつうの女性は異世界になんて来ないのだ。






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