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9.夜明け前、川辺での対話

「いつぶりだろうなあ、こんなに正直にものごとを話したのは。次はお嬢ちゃんの番だな?」


 この男は、月花の支配をより強めたいのだ。それに私が役に立つなら連れていこうとしている。

 私は心底、この男のことを理解できないでいる。人を操ろうだとか、言いなりにさせようという思考とは無縁の人生なのである。


「あなたは……。どうして月花がほしいの。あなたの望みは何?」

「それは交換条件に含まれていたかな? まあ、おまけで答えてやってもいいが」


 男は鷹揚に首を振った。まるで一代で成り上がった権力者が、下っ端の愚痴を広い心で聞いてあげるかのように。

 胡坐あぐらを組んだまま、両手を後ろについて、そうさなあと森を見上げる。茂る枝葉の隙間からのぞく空はだいぶ白んできている。

 戦闘の開始までもう間がない。


「俺は傭兵だ。国のために尽くすよう教育をされている軍人とはわけが違う。行くあてもなければ、帰るあてだってない。失うものもない。わかりやすくていい。だったらよりスリルのあるほうが愉しいだろ? あいつは俺の人生をより面白くしてくれる、最高の相棒さ」

「失うものがないなら、失いたくないものを持てばいいじゃない。どうしてわざわざ壊すほうを選ぶの」

「それは個人の自由だろ? 人を愛したり大切にするよりも、奪ったり壊したりすることが気持ちいいやつだっている」


 私は頭が痛くなった。男の口調は真実を語っていて、だからこそ、そこに横たわる深い断絶は手の施しようがないように思えた。

 この男にとって月花はただの道具だ。手入れこそするが慈しむ気なんてさらさらない。


 たま、と心の中で呼びかける。苦虫を噛み潰したような声が返ってくる。


(我輩の魔力は枯渇していると言っただろうに。矢じりを抜くなどできんからな) 


 わかってる、と囁き返す。

 ここまでたまと過ごしてきて、私はぼんやりとだけど、たまの得意不得意がわかってきたように思う。


 転移だとか、こういう矢じりを抜くだとかの物理的なことはひどく魔力を消耗するらしい。だが、目に見えないことはそこまで消耗はしないっぽい。私の見た目だけを男に変えるとか、お魚に働きかけるとか。


 だから、シンプルなお願いをひとつだけした。

 この男がちょっとの間何も見えないくらいの、強烈な目くらましを一瞬してみてほしいというものだ。


(……瞳を灼くということか?)


 いや、そこまででなくてもいいのだが。逃亡する隙がほしいのだ。この標本状態は私がなんとかしてみせる。


 たまは魔力の残りを確認するような間の後で、不承不承というように諾と言ってくれた。ありがとう! 私はさん、にー、いちでね、と訴える。


「だんまりかい? 約束は守んなくちゃなあ」

「そうですね。でも残念ながら、月花は私のことを忘れちゃってるみたいなので」

「あんたは覚えてるんだろう? そこんところを、詳しくだな」

「一言で説明で済みますよ。私は月花の家政婦でした」

「はあ? なんだって?」

「ご飯を作ったり、掃除をしたり」

「いや、家政婦の意味はわかるがな。嘘だろ? あの見てくれの男のそばで働ける女が、いるはずねえだろ」


 私はむっとして、思わず反論してしまう。


「あなたがさっき言ったように、美醜だって人それぞれでしょ。月花は、とてもきれいです」

「俺だって、見てくれなんざ気にしてないさ。じゃなけりゃあいつと一緒にいられない。そうだろ? 人間なんてどいつもこいつも、ひと皮剥けば骸骨なんだ」

「はじめて意見が一致しましたね。とにかく、これで約束は果たしましたよ。じゃっ! 私はこれで」

「ばかを言え、どういうことか、詳しく――」


 さん、にー、いち! 心の中でたまに合図を送ったと同時に、私は強く目を閉じた。


 閉じた私のまぶたの裏すらも、まっしろのなるほどの光がはじける。

 同時に私は腕をもぞもぞさせながら上半身をしゃがみこませ、服を捨てる形で脱出に成功させる。湖に落ちたあとで拝借した上着がポンチョのようなゆったり系だったので、なんとかなると思ったのだ。

 成功してよかった。あと胸のところにさらしを巻いてて、本当によかった!

 そのままするりと這い出して、あとはひたすら走る。太陽を見たときのように残影がちかちかするが仕方ない。


 胸にはさらし、下は縫いとめられていなかったのでそのまま麻のスカートのような格好で、私はひたすら走る。


 ちらりと後ろを振り返れば、目を押さえて呻くウオンリュが芋虫のように転がっていた。


「たま、ありが、とう!」


 月花を目指して息を上げる私に、たまは呆れたように言う。


(まさかころもを捨てるとは、すさまじく野性味に溢れているな。我輩、縁子のそういう点を尊敬してやまないぞ)


 だれのせいだと思ってんのよ!







 ウオンリュがいたということは、きっと月花もそばにいるだろう。私はそう当たりをつける。

 月花は彼に傾倒していた。きっと離れたがらないはずだ。


 ククルージャでも、私がごはんを作ったり庭で本を呼んでいたりするとき、いちばん傍にいたい様子だったのは月花だった。

 人を恐れながらも、人を恋しく思う少年だった。


(縁子、あの川辺)


 たまの声が示すほうを見れば、夜明けに白む川のほとり、しゃがんで口を潤す背中がある。


「月花!」


 狐面が、はじかれたようにこちらを見る。私はまろぶようにしてそちらへ降りていく。

 サンダルの底にに砂利が巻き込まれてちくちくと痛いがそれどころではない。


 伝えたいことがたくさんあるのだ。


「まさか、どうして。湖に沈んだはずでは」

「聞いて、月花」


 月花は水辺にひざをついたまま呆然としている。濡れた顎を水滴がつたう。

 私は上がった息を整えながら彼のすぐ隣に両手をつく。夜明け前の湿気を吸って、砂利はひんやりと冷たい。

 その近すぎる距離に月花は半身を引いた。

 どうすればいい。いったい何を、言えばいい? 私は苦しくて切なくて、わけがわからない。

 けれどすぐにウオンリュが追ってくるだろう。急がなければならない。


「月花、あの男、止めて」


 のどがひゅうひゅう鳴っている。湖に落とされたときは水なんてこりごりだったけど、いまはバケツいっぱいの水を飲みたい。


「ウオンリュが、月花が作ったガス……煙を、使おうとしてる。月花はそれを望んでない、そうでしょう?」

「何ですって」

「知ってるもん。月花は賢くて、そういう自分を慎重に制御しようとしてた。勉強が好きで、実生活に役立つものを考えるのが好きだって言っていた」

「何を……どうして、あなたがそれを」

「あの庭で! 言って笑った! 後悔してほしくないよ」


 私は感情がぐちゃぐちゃになって、月花の服にしがみつく。

 考えないようにしていた、彼の過去が渦巻いて胸が痛い。


 幼かった月花は、どれだけ怖かっただろう。自分が気まぐれに思いついた作戦が実行され、文字通りたくさんの人の行き場を、命を奪った。

 その後の三人との束の間の平穏は失われあの男に拾われた。名前を捨てた。自分を操るために注がれる愛情。初めて保護される心地よさ。


 せめて、ウオンリュが月花を本当に愛していればそれでよかった。

 でも、いまの月花は。


「だめだよ月花。愛されるのは心地いいけど、月花の知恵を差し出すかわりの愛情なんておかしい。月花の思考を、判断を、行動を、あの男が気に入ってくれるかどうかで決めるのはだめ」


 狐の面の、その目のあたりをぎゅっと見つめる。みどりの瞳はちらりとも見えない。


「……勝手なことを。あなたいったい、何様ですか。好き勝手に現れて、言いたいことを言って、僕を混乱させて。そんなに僕に、息の根を止めてほしい?」


 月花は苛立ちを隠さず、けれど戸惑った声でぴしゃりと言い放つ。そのまま私の首に両手を当てた。じわりじわりと力を強める。

 私はあえて逃げなかった。


「――ウオンリュだけだ。罪子で醜く、なんの価値もない僕を大切にしてくれるのは。兄さん(エトライ)と呼ばせてすらくれた。あの人のためなら、僕はなんでもできる」


 本当に彼が月花を大切にしていたなら、どれだけよかっただろう。


「本当に? 大切にするって、相手の心を尊重することでもある。月花に無断でガスを使って、人を殺そうとなんてしないでしょう……?」


 月花の血相が変わった。仮面に覆われていてもなお、その冴え冴えとした気配がぴんと張り詰めた。


「あなたは、本当に僕を混乱させる……。よりによって、煙の存在までも知っているなんて」

「本当なの。お願い。取り返しがつかなくなる。彼を、止めて」

「嘘だ! あなたは僕を欺いて、また僕をひとりにさせようとしているんでしょう。兄さん(エトライ)はそんなことしない! 兄さんの言うとおりにしていれば、僕は間違わない。僕は愛してもらえる!」

「月花のばか!」


 月花は言われた言葉を理解できないというように、ぽかりと口を開けた。


「いま、なんて」

「ばかって言ったの。昔の月花はきれいでかっこよかったけど、今はぜんぜん違う。すっごく、かっこわるい。月花はどうしたいの。救われたいの、愛されたいの、責められたいの? 声を上げて言わなければ、誰にも何にもわからない!」

「は」

「過去のことをいつまでもうじうじと。間違わない人なんているわけがない。問題はその後でしょう。だからみんな知恵と知識をつかって、同じ間違いをしないようにするんじゃないの!?」

「僕が、どうしたいか……?」

「声を上げれば、誰かには届く。届いて初めて、その誰かは月花に向き合う」


 勝手なことを言っている自覚はあった。私だって間違ってばかりだ。でも間違いばかりだからこそ、伝わればいいと思うのだ。後悔って、まるで影みたいにどこまでも追いかけてくる。月花の影がこれ以上濃くなってほしくない。

 だんだん呼吸が苦しくなってくる。月花はあくまでゆっくりと私の気道をふさいでいく。


「自分を、恥じないで」


 ああ、と私は思った。月花に再開してからずっともやもやしていたことはこれだったのだ。


 月花は何かを恥じていた。過去の過ちを? 自分の身の振り方を? でもどうか、自分を恥じないでほしかった。どこにも進めないから。


 視界が靄がかり、白いのに薄暗くなっていく。あるいはこれは夜明けの色だろうか。


 月花が何か呟く声が聞こえた。意味を理解する前に、私は気を失った。






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