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5.争いの理由

 窓から身を乗り出すようにして、外の様子を伺う。


 湖面には、槍だとか弓だとかを持つ男の人たちの舟が忙しなく動いていた。どこからか集まってきて、なにやら話をしている。

 みんな、ヒルダと同じ日に焼けた肌。くるくるした黒い髪、麻のハーフパンツを身にまとっている。上半身は裸だが、だれもが引き締まっていて、狩猟民族だと一目でわかる風体だ。

 その中には、ケトさんもいた。同年代くらいの青年の輪の中心にいるようだった。その引き締まった横顔は落ち着いていて、若者たちの中では風格がある。


 女子どもは、慌てながらそれぞれの家に帰っているようだ。小走りならぬ小漕ぎ?

 だれもが不安げな顔をしているが、何にしたって、私には状況がわからない。

 ばん族が攻めてきたのか。これはよくある威嚇の攻撃なのか。それとも腰を据えての、本格的な開始の合図だったのか。


「ユカリコ! 乗って!」


 声のほうへ目をやれば、ヒルダが家のすぐそばまで戻ってきていた。櫂を片手に持ち、手を振って、舟を示している。

 いま行く、と答えて梯子を降りる。たまとの会話は途中になってしまったが、質問はあとひとつ残っているはずだ。たまを腕に通して床の穴に脚から入る。竹の梯子はよくしなり、そして硬い植物同士が擦れる独特のいやな音が響いた。ちょっとだけ黒板を爪で引っかいたときに似ている。

 慣れない動作に、手に汗がにじんだ。


「窓から飛び込めば早いのに」


 ようやくヒルダの舟に飛び乗れば、櫂を操りながら呆れたように言われる。


「やだ。泳げないもん」


 正確に言うなら泳ぐことはできる。ただプールの端から端までは難しいってだけで、と心の中で言い訳をする。

 そうだったわね、と肩をすくめながら、湖の奥へと進んでいく。まわりを見れば、私たちと同じように、女性や子どもは同じ方向へ舟を向けているようだ。


「ヒルダ。さっきの音って」


 私は舟のへりに両手でつかまり、ヒルダを見上げる。漕いでいる彼女の表情も、やや強張っている。


ばん族が、押し寄せてきたというのは言ったよね。そしてあの白狐ハウ・キュオが、出て行けと言ったことも」

「覚えてるよ」

「私がユカリコに話したことだけつなげると、ある日いきなりそれが起こったように聞こえたかもしれない。でも違うの。ほんとうは、先触れのようなものがあったのよ」

「先触れ?」


 そう、とうなずくヒルダは、どう話したらいいか、記憶をたどっているように見える。


 私は邪魔をしたくないので、いったん視線を前方へ戻した。女子どもが向かう先には、とりわけ大きな家がひとつ、浮かんでいる。


「あそこで落ち着いたら、話すわ。助け合いの家(サリメンゴルマ・バン)よ」

「助け合い」

「夫を亡くしてしまった女や、身寄りのない老人、親のない子。そういう人たちの家。こういう事態ははじめてだけど、何かあったときはそこで待つように決められていたの」


 それって、福祉施設のようなもの? 私は感心してしまう。

 ひどく原始的な暮らしをする民族かと思えば、社会的弱者へのこういった救済措置もあり、整えられている。


 私はふと考えた。もし私が日本に戻れて、時間が経ってしまっていたらきっとクビになってるんだろうなあ。長期間の無断欠勤だ。これって、失業手当とか出るのかな。

 拓斗のことはたまが保証してくれているにしろ、私の雇用事情は保証の対象外である。まったくもう。


 なるようになるか、と遠い目で考えているうちに、その大きな家はぐんぐんと視界に広がってきた。

 近づけば近づくほど、それは巨大な家だった。さすがに体育館とまではいかないが、屋根も高い。周囲にはぐるりと足場もある。


 家を目指していた人たちは手早く舟をもやい、ぞろぞろと上がりこんで広めの居間のような場所へ移動した。

 私も続いて広間へ入ると、中央に大きめの囲炉裏がある。その中を覗き込んで、驚きに身を固めた。


「ヒルダ、ヒルダ! あれって」

「もう、こんどは何? あなたは本当に何にでも興味しんしんね」

「この、囲炉裏の中にあるやつって」


 薬草を煮ていた家。火は見えなかったが、角度のせいで見逃したとばかり思っていた。

 指をさせば、ヒルダは首を傾けて、なんてことないように続ける。


精霊の涙(ケラ・セマガ)のことね。すごいでしょう。木と違って、熱がずうっと長持ちするのよ」


 あかあかと静かな熱を秘めて輝く、拳くらいの物体たち。

 それは私がこの世界に来て初めて目にした、鉱産資源――石炭だった。






 最初から話すわ。そう言ってヒルダは、粘土を焼いて作ったコップに白湯を注いだ。


 とぽとぽ、という音が、耳に残る。現実離れした場所にいても、水を注ぐときの音は私が自分の部屋でコーヒーを入れるときと同じで、不思議な錯覚に陥る。私は友達の家に遊びに来ていて、彼女は飲み物を入れてくれたときのような。

 けれど現実にはここは異世界だし、それもきな臭いの場所だし、料理するにもお塩はないし、私が座っているのは水に浮かんだ家の中だ。


 私はゆっくり息を吸って、彼女の言葉に耳を傾ける。


 ことの始まりは、数年前にひとりのばん族が遭難し、カムグエンの湖岸で倒れていたのを見つけたことだという。

 森の中を数週間さまよい、衰弱しきった播族の若い男を、彼らは手厚く保護した。

 それこそ精霊の御使いのようなものだと思ったのだろう。

 男は徐々に回復し、健康を取り戻したのち、礼を述べて去っていった。


 だがしばらくして、使者と名乗るものがカムグエンを訪れた。

 手に、黒い石を持ち、それを掲げて、金と交換してほしい。そう言った。

 カムグエンの民は拒んだ。金に、何の価値もないからだ。ここには通貨というものも存在しない。

 使者はそれから、何となら交換してくれるか。そう尋ねた。

 カムグエンの民は首を横に振った。それと交換する価値のあるものなどなかった。


 その黒い石は、カムグエンの湖、その奥にある洞窟から掘られるもので、「精霊の涙」と呼ばれている。

 たとえ薪がなくても、熱を保つことができる、精霊の恩恵そのものとして、カムグエンでは丁寧に大切に扱われているもの。迷い込んだ播族が、ひとつ懐に忍ばせて、国に報告したもの。

 舟で通りがかった、薬草の大鍋を煮ていたあの囲炉裏にあったもの。日本で、「黒いダイヤ」と呼ばれるもの。


 私ののどが、ごくりと鳴った。小さな民族のいざこざではない。これは国と部族の間の、石炭をめぐる資源戦争だったのだ。







「……たま。今回はまた、すごいところに派遣してくれたもんね」


(ハケン?)


 ああ、こっちにはない言葉なのか。私はちょっと肩を回して、深呼吸してみる。


 時間はすっかり夜。この助け合いの家の外側には、家畜の島も併設されている。豚の鳴き声が、暗闇からかすかに聞こえる。

 家まわりはほかにもキャンプ場のロッジのように竹の床が延長されていて、多目的に利用できそうだ。

 私はそこに体育座り。水が沁みてくるかちょっと不安だったけど、竹の地面はかなりの厚さで、本物のロッジみたいに安心感がある。


 星明りが湖面に反射して、気まぐれに煌めいている。水平線を境に、合わせ鏡のような絶景。日本にいたら、きっと私は一生見ることはないだろう景色だ。キャンプとか行かないし。


「この世界でも、戦争は絶えないのね?」


 私の足のつま先あたりには、巾着が広げて置いてある。ヒルダが何も持たない私を見かねて与えてくれたものだ。

 その上に乗せられたたまが、どうだろうな、とあいまいに答える。


(世界とひとくちに言うが。世界は広いものだ。その全容など知れぬ。それに戦いとは、人の営みの一部だろう? どこかしらで起こっては無くなっていくものであろう)


 意外に思う。魔法使いの弟子のたまですら、世界の概要を知らないのか。

 ということは私の感覚で言う、地図とか地球儀の感覚がないのだろう。この世界がよほど広いか、たまに興味がないだけか。


「そうかもしれないね」


 私もぼんやり返しながら、地球のことについて考えた。戦いは、人の営みの一部――言い得て妙だ。確かに先史時代、古代文明のおこりから現代にいたるまで、戦いがない時代などなかったのではないか。

 テレビをつければ、そこには争いのニュースであふれている。

 歯を磨きながら、それこそ異世界のように思えていた。戦争はなくならない。私たちが食事をとり、働き、睡眠をとるように、戦争もまた生活に組み込まれたものなのかもしれない。


 だとしたら、と私は考える。

 だとしたら私たちは、用心深くならなければならない。巻き込まれないように、刺激しないように。どうして戦争が起こるのか知った上で、慎重に取り扱っていかなければならない。


「……まあ、無関心にならないように、注意しますか」


 私はあえて大きめの声を上げて、後ろ手をつく。空を見上げて、息を吐く。

 テレビでは評論家たちが神妙な顔をして、よりよい世界のためにとか討論しているけれど、私にはこれもぴんと来ない。

 私にできることって、なんだろう。

 ちゃんと現実を見て、どうでもいいと思わないことかな。


「男の人が、子どもを産めばいいのに」


(何?)


 たまが素っ頓狂な声を上げた。


「私は産んだことないけどね、赤ちゃんを産むってすごい大変なんだって。痛いし、苦しい。子どもを産む痛みを知っていれば、人を殺そうだなんて思わない。違う?」


 私のいたって真面目な発言に、たまはちょっと笑った。そういうことか、と言って、極論だが悪くないなと楽しげだ。


 思いのほかたまが笑ったので、私も仕方なく微笑んだ。笑いって、たまにすごく伝染する。


「それにしたって、ごはんがおいしい。お風呂があれば、言うことなしなんだけど」


 夜ご飯は、広間の大鍋で煮た魚と菜っ葉のスープと、芋のようなものだった。ジャガイモよりも粘り気が強く、里芋との中間のようなやつだ。

 この世界では甘味というものが少ないので、甘さを感じることができるお芋なんてのはごちそうだ。スープはシチューのような感じでコクがあり、絶品だった。

 あまりにもおいしくて、牛乳はないはずなのにそれっぽくって、何が入っているか聞いたとき、戦慄した。聞けば、すりつぶした芋虫のようなもののスープだったのだ。

 それをを見たときは、固まった……。見た目で判断してはいけないんだけどね、でも本当にグロい芋虫だった。蝉の幼虫の全身に、細かいうぶ毛が生えたようなやつ。食べ終わってから聞いてよかった。本当によかった。


(風呂、風呂とよくもそう繰り返すものだ。そんなにいいものか?)


 私は鼻を鳴らして、あごを上げる。たまを盛大に見下ろして哀れんだ。かわいそうに。ほかほかの温泉がない人生など、生きる楽しみの三割を失っている。


「入らせてあげたいよ、冬に入るほかほかお風呂なんてね、そりゃあもう――」


 次の瞬間、私は背後から口をふさがれた。不意のことで、私は反射的に身を縮めて、逃れようとする。


 静かに、と、耳に吹き込まれた声。


「危害は加えません。騒ぐのならば、その限りではないですが」


 すこし、話がしたいのです。その聞き覚えのある声に、私はそろりと目だけで見上げる。

 白い狐面が、星明りに青々と光っていた。






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