3.異文化とは興味深いものです
大きく脚色していますが、ある実在する部族を参考にした、赤子を殺す風習の描写があります。
ご注意ください。
私はいま、六畳ほどの部屋に座っている。
ヒルダの家の二階だ。
――ユカリコは私が見つけたから、私のものよ。昼ごはんを持ってくるから、休んでいて。
ヒルダが歌うようにそう言って、階下へと消えたのはつい先ほどのことだ。急に静かになって、私はそわそわとあたりを見回していた。
家は、ほとんど竹と同じような植物を膨大な本数を束ねて作っているみたい。束ねているのは乾燥した細い蔓のようなもので、何重にも巻かれている。ひとつの家を作るのに、地球一周ぶんの長さが必要だと言われても信じるかもしれない。床も壁も、天井すらも、おんなじように巻かれて合体させられている。
二階の床の一部はマンホールのふたと同じような大きさで四角く繰り貫かれ、そこにはまたもや竹の梯子がくくりつけられていて、上り下りができる。
椅子や机といった調度品はなく、寝床と思われる筵が隅に広げられただけ。その寝床のわきには、削りかけの木の塊がある。缶ジュースくらいの大きさの木材で、中を繰り抜くように加工している最中といったところか。手の空いた時間に作っているのかもしれない。
壁には窓っぽい穴もあり、外を注意深く観察すれば、隣の家がゆったり上下するさまが見て取れた。
私を連れてくるのにも、ケトは最後まで反対していた。
それも当然だ。私だって反対する。敵対する民族が、森のすぐ奥に息を潜めているかもしれない緊迫した状況である。月花が言っていたように、斥候や諜報員だと疑うのは、ごく自然のことに思えるではないか。
しかしヒルダは譲らなかった。
ひとりでは舟もろくに漕げない、泳ぎ方も知らない(私は泳げない)、手にタコもない(戦闘できるなら、あってしかるべきものだ)私を指差し、絶対に精霊の御使いだと、一歩も引かなかったのである。
ケトはもの言いたげにヒルダと対峙していたが、やがて息を吐き、舟を漕いで去っていった。
そういえば、ケトに助けてくれたお礼を言い忘れた。彼がいなければ、私は月花に、はるか下の崖に落とされていただろう。
いったい月花に、何があったのか。それから私どうなっちゃうんだろうと、そう考えた瞬間、鼻を掠めた匂いが、すべての意識を掻っ攫う。
大きな木のお皿を頭に乗っけて、ヒルダが上がってきたところだった。とてもいいにおいだ。私の胃がねじれている。皿に後光が差している。
「さあ、食べましょう」
「いっ、いただきます!」
私はいそいそと両手を合わせた。それを怪訝そうにする見てくるヒルダ。ククルージャで四人と過ごし始めたときも、ギィにも幼いユーリオットさんにも不思議がられたが、いただきますの習性だけは無くせない。
ここの人たちは、どういうものを食べているのだろう。彼女が持ってきてくれたお皿を覗き込む。
幅広の葉っぱ(オオバコみたいなやつだ)が山と盛られ、ナッツのような木の実が数種類添えられている。それから蒸し焼きされたような、丸焼きの魚がいくつか。
ヒルダが手にとって、頭からもりもり食べるのを見て、私も真似をしてみる。
魚の腹あたりにかぶりつけば、うまいこと骨を残して肉だけ食べることができた。白身でほくほくの、ジューシーな魚だ。
すごく、おいしい! 魚大好き! 日本人だもの。DHA!
ぜいたくを言えば、醤油がほしい。それか塩。おそらくなんの味付けもされていないので、ちょっと、いや、かなり物足りない。ひとしおあればうまみ倍増に違いない。
不思議に思って聞いてみた。
「ねえヒルダ。ここではお塩って使わないの?」
魚を葉っぱにくるんで、二匹目を食べていたヒルダは目をぱちくりしている。ほっぺについた、魚のしっぽのかすがかわいい。
「おしお。それは何かしら。ユカリコは、不思議な言葉をたくさん使うのね」
「えっ、塩ないの?」
「どういうものなの、それ」
「食べ物に振り掛ける、白い細かい結晶みたいな。食べるとしょっぱいよ」
ヒルダは斜め左を見上げて、そういうものは聞いたことがないわね、とあっさり言ってのけた。私は閉口してしまう。だって、塩って人間が生きていくうえで欠かせないものでは?
サラリーマンという語源も、かつて労働の対価はお金ではなく、塩だったという理由から派生しているはずだ。人って、塩がなくても生きれるのか。
ヒルダはたいして興味も持たなかったようだ。さっさと食べることに戻っている。私もそこであきらめる。
カムグエンのことは、まだわからないことだらけだけど、ひとつだけわかったことがある。
高血圧に苦しむ人は、絶対にいないってことだ。
ヒルダとはそのままいろいろ話をした。とはいっても、最初はほとんど質問攻めにされるかたちではあったが。
自分をいくつくらいだと認識しているのか。どういう記憶を持っているのか。縁子という名前は、どうして覚えていたのか。
私はどう話そうと困ってしまったが、やはりなるべく正直に話した。気づいたらあの森にいて、名前は親に名づけられたものだと。
「なんだか、初めて会ったような気がしないのよね」
私はばりばり初対面に感じています。そもそも、どちらかといえば人見知りです。
「もしかしたら、私のお姉ちゃん(ウオニー)の魂が入っているのかも」
「お姉ちゃん?」
そう、とヒルダは目を輝かせながらうなずいた。
「カムグエンの習性や、精霊についても、忘れてしまったの? いいわ。教えてあげる」
ヒルダは口を手の甲でぐいっと拭って、胡坐をかいて私に向き直る。私も慌てて正座して、両手をひざの上に置いた。
「精霊は、このカムグエンのありとあらゆるものに宿るもの。万物の根源。私たちの姿もまた、その一部に過ぎない。たとえば花だって、種子から芽になり、茎を伸ばし、花を咲かせ、やがて枯れ落ちてまた実を結ぶ。かたちは違えど、ぜんぶ同じ花の姿よね。それとおなじ」
なんとなく、わかる。八百万の日本の神様と、仏教の輪廻転生が混じったようなものかな。
「古い口伝があるのよ。白い肌、まっすぐな黒髪、黒い瞳の少女が、カムグエンの危機を救うっていう。それで、ユカリコってばぴったり当てはまるじゃない? 私それで、すっかりうれしくなっちゃって」
少女ではない。控えめにそう言ってみたが、聞こえていないようだ。
「ほかにも、言い伝えはあるのよ。精霊がときとして、私たちの姿をとって顕れたり。それは御使いで、善きしるしなの」
私は眉根をしかめながら、なんとかそれらの情報を受け入れようとした。が、難しかった。頭がぱんぱんで、処理が追いつかない。
「生まれることも、死ぬことも、変化のひとつに過ぎない。おんなは子を産むとき、ひとりで精霊の洞窟へ移る。そしてひとりで産む。けれど、産んだその赤子を連れ帰るか、あるいは森で精霊に捧げるかは、お母さんしだい」
「捧げる? どういうこと」
「子の首を折って、洞窟の土に埋めるのよ」
私は絶句した。
聞き間違えかと思った。すべての思考が停止した私を見て、ヒルダはもう一度、ゆっくりと繰り返した。
本気で、意味がわからない。
「お母さんは、選ぶのよ。産んだその子を育てるか。精霊のもとへ還すか。それだけ」
そして私のお姉ちゃんは選ばれなかったし、私は選ばれた。
ヒルダはなんでもないようにそう言って、首を傾げる。
「死と生に、違いはないのよ。地上に顕れている間を生と呼び、精霊とともに在る間を死と、そう呼んでいるだけだもの」
「……おとなが、死んだら。どうするの」
「石をつけて、湖に沈めるわ。母なるカムグエンに還り、またいつの日か顕れるまで」
屈託なく、少女は微笑む。
私は彼女の言葉が、ゆっくりと頭になじみ、指先の細胞に行き渡るまで、身じろぎもできずに固まっていた。
※
ごちそうさまでした、と手を合わせてから、ヒルダは私のことを報告しに、両親のところへいってくるとのことで、身軽に水上の人となった。
時刻はすっかり昼を過ぎ、水面のぎらつきはいっそう強くなっていた。ヒルダの漕ぐ小舟が、あっというまに遠ざかっていく。たったまま長い竹のようなもので、湖の底をえんやこらと押して進むタイプの櫂だ。一定のペースで腕を動かす様子は、マニュアル運転に慣れた人のギア操作のように迷いない。
目の前でゆらめく湖に、視線を落とす。気まぐれに波立っては、ちゃぷん、と家の土台に当たり、私の足を濡らしている。
その湖の底には、きっとたくさんの骨が眠っている。
私はちょっと想像してみた。小さな魚がゆったりと進む、湖の底。日の光は水に弱められ、時間の流れをも鈍くする。泥が積もり、わずかに生える水草。心地よさそうにまどろむ、いくつもの頭蓋骨。音のない世界。
思えば、現代の私たちの生活は、死を遠ざける。人が死ねば墓というものに入れ、黒服を着てその死を悼む。忌避すべきもの。
ヒルダの話は、衝撃的でもあり、痛快でもあった。死というものを、ある意味では呼吸するのと同じように受け入れ、傍に置いている。
彼女を見送って、私は肺の中の空気をぜんぶ取り替えるように、大きく息を吸う。
水辺独特の、湿ったような生臭いような、けれど清涼な空気が私を満たす。
さて、と意識も切り替た。一歩一歩踏みしめて二階に戻った。このときを待ちわびていた。
梯子から、ばんと床に手をついて、にじり上る。床に置いてあった、頭輪の前に正座する。半眼になって口を開く。さて。約束を忘れたとは言わせない。
「さあて。何から話してくれるのかしら」
告解の時間ですよ。
ごくり、と頭輪が唾を飲む音が聞こえた気がした。




