12.ふたつめ、そして、四度目の
ギィの天珠は、ビー玉のような大きさと丸みの、薄い紫っぽいものだった。
だが、いま目の前に浮かぶのは、違う。大きさは同じくらいだが、形と色が異なっている。星の形で、藍色がかったもの。こんぺいとうのような形状にも似ている。
私は呆然とそれを見つめた。
彼の真名を拒んだのに、それなのに、天珠は関係なく生まれてしまった。
もちろん、天珠は必要だ。だが、それが私へ向けられたものということが、私を戸惑わせる。
ギィのときはたまたま私が関わっただけで、あとは誰かの間に天珠が生まれる場面に立ち会うだけだと、勝手に思い込んでいたのだ。
一生に一度しか生み出せない、貴重な想いのかけら。それが私に向けられたと思えば、嬉しさよりも先に困惑が来る。
私はこの異世界に、たまたま紛れ込んだだけなのに。彼らの、一生ぶんの心は、ひたすら恐縮してしまう。
なんなら私は、ディオゲネスさんとエッサラさんの間に生まれるんじゃないかと、そう思っていたのだ。
「これは……天珠?」
ユーリオットさんが、私を抱きしめながら、夢うつつに呟く。
私は弾かれたように彼を見る。いまだ光を放つ天珠に照らされて、天使のように美しい顔は、驚きに固まっている。
どうして知っているのだろう。ギィは知らなかった。それとも、ユーリオットさんくらい、書物に通じていれば、聞いたことはあるのかもしれない。
古い文献のとおりだ、と、囁いた。
「美しい……」
そう。天珠は、非の打ち所のない圧倒的な美しさ。
でもね、この美は、ユーリオットさんの心の一部なんだよ。
こういう、きれいな心を、あなたは持っているんだよ。
(ああ。見事よな。蒼穹のごとき藍。縁子、おまえを想う気持ちだ)
気づけば、私の部屋の机にあったはずの頭輪が、ダイニングテーブルの端にあった。
目を、覚ましていたのか。それとも見計らっていたのか。不平不満は山とあるが、私はとるものもとりあえず、たずねる。
真名を拒んだのに、天珠が生まれてしまった。このふたつは、切り離せない関係ではなかったのか?
(否。真名を与えることは、生涯の献身と忠誠を意味する。転じて、求婚だ。言葉として、つまり音として役割を果たす)
わかるような、わからないような。
(真名を音とするなら、天珠は物質としての役割を果たす。真名は何度でも、誰にでも与えられるが、天珠はその生涯で一度きり。そしてその誕生に、当事者の意思は介在せぬ)
天珠は、生み出そうと思ってつくれるものではないということか。
真名はプロポーズで、天珠は指輪みたいなもの? 私はいったん、自分が納得できる形に事実を変えて、理解しようと努める。
(そういうことだ。――さあ、その天珠、間借りさせてもらうぞ)
浮かぶ天珠が、ふつりと消えた。
どうして。たまはどうしてそこまでして、天珠を集めたいの?
私は胸の中で、強く問いかけた。たまは傲岸不遜、唯我独尊なところはあれども、人道に反するようなことをしないように思える。
なのに、私を使って、あえて天珠の出現を計画し、手にしている。たま本来の性格からは、喜んでそうしたがっているとは思えない。
たまは一瞬、沈黙した。短く答えた。
(我輩には、望みがある。ただひとつの、望みだ。それを叶える、唯一の手段なのだ)
望み? 以前にも、必要だ、とは言っていた気がする。
だが、どんな。
天珠を集めて、神龍が出現して、願いを叶えてくれるとでも?
私の疑問と皮肉、それから不満が混じった問いかけは、黙殺された。
(ここでは、ずいぶんと眠っていた。すでにじゅうぶん、力を使える状態になっている。さあ、縁子。また力を借りるぞ)
えっ、また予知の力で、どっかへ飛ばされるの?
カラブフィサへ転移させられたときと同じようなせわしなさだ。私はそういう不満を、ずっとたまに伝えたかったのに、たまが寝こけていたため、まったく訴えられていない。
腹を割って話をし、納得させてくれない限り、もう協力はしないぞという私の気持ちは、伝えられずじまいだったのだ。
もう、ギィのときのような、心の準備もできないままのお別れはしたくない。後味が悪いし、私が次の場所へ身構えることもできやしない。
心構えって、大事だよね? 職員室に入る前って、やっぱり一瞬緊張するし、会社でも、取引先の人にお茶を出すときは、それなりの表情をつくる。場面にふさわしいように、誰しもが自分を装うのは、しごく当然のことだ。
それを、ぽいっと社長室にでも投げられる心地だ。それも、社長の機嫌がいいのかもわからない場面に! 冗談ではない。
ちょっと待って、とたまに慌てて言ったとき、ユーリオットさんはぎゅうっと私を抱きしめた。
私は、お別れを言うべきなのか、説明をすべきなのかわからなくて、でも何か言いたくて、口をまごまごさせた。
ユーリオットさんはそんな私を見下ろして、どうした? というように眉を上げながら、ちょっと口もとをほころばせた。天珠のことなんて、どうでもいいみたいだった。
その表情を見て、胸がつまった。
彼はちゃんと、人と向き合っていくきっかけを手に入れたのだ。そう思えて。
私に向けられたのは、そういう、相手を思いやるような微笑みだったから。
「ユーリオットさん、あなたは私を丁寧に扱ってくれました。とても感謝しています。それと同じように、どうか自分のことも、あとできたらまわりの人にも、同じようにしてみてください。きっと、いいことばかりになります」
彼と同じ年くらいの私には、とうていできなかったことだ。えらそうによく言えたもんだ、と自分でも思う。
でも、お年寄りのおせっかいと一緒。自分が後悔したり、失敗したから、そうなってほしくないと思って伝えるのだろう。老婆心というやつだ。
「ちょっと、行かなければならないところがあってですね。でも私がいなくなっても、悲しまないで。きっと、いつか会えます」
素敵な仲間にも、という言葉は、すんでのところで飲み込んだ。それでなくとも、ユーリオットさんはまた疑い深い顔つきになる。占い師めいた言葉だ。自分の発言ながら、なんてうさんくさいのだろう。
私は苦笑しながら、彼の手を両手ではさんだ。そして親愛をこめて、その手をぎゅうっと握りこむ。
「おまえ、何を言ってる? それに、輪郭が光っている。なんなんだ、どこへ、行くつもりだ」
「未来で、」
会えますよ――そう口にした言葉は、彼の耳に届いただろうか。私はまた、あの感覚に押しつぶされる。背骨やあばら骨を、身体の外側へ持ってこられるかのような気持ち悪さ。あれっ、私、たまにちょっと待ってって言わなかったっけ? なんで、了承してないのに、こうなってるんだ?
過去の彼と会い、そしてまたどこかへ転移することによって、出会ったころのユーリオットさんに何か影響はあるのだろうか。
私のことを忘れていてもいい。ただ、固い蕾がほころんだような、その心だけは、変わらずに未来へ続いて欲しい。
洗濯機の中でごりごりに回される感覚の中、ひたすらに祈った。
※
そしてその洗濯機から、ぽいっと投げ出されるような感覚のあとに、したたか腰を打った。
からん、とたまが落下する音が、鈍く響く、
湿った土の上だ。腰をさすりながらあたりを見回せば、まるで密林のように、木々が生い茂っている。空高く伸びた樹はよく枝を伸ばし、日は出ているのだろうが、ひどく薄暗い。
なにより、この湿気。
ずっと、乾燥した地域ばかりで過ごしてきたせいか、まるで梅雨どきのような、肌に張り付く空気が重かった。気温は比較的涼しいのでまだいいが、暑かったらプールサイドと同じようなものである。乾いた布を振り回したら、逆に湿り気を帯びてしまいそうなほど。
「たま、ここって」
(むう。いままでにないほどに、負荷がかかった……。吐き気がするぞ)
頭輪が吐き気を? 倒錯的だ。
でも、待てよ。前に、現在 (と思われる)ギィのところから、過去であるユーリオットさんのところへ転移したときも、すごく疲れていた。
それ以上の疲労があるってことは、もしかして。
私はそっと立ち上がり、光が強い方向へ足を動かす。サンダルとちゃんと履いておいて、大正解だ。地面は腐葉土っぽくやわらかいが、歩けば硬く乾いた小枝がぱきぱきと音を立てている。茂った藪から飛び出る葉っぱが、ぴしりぴしりとすねに当たった。こんなところを走ったりしたら、切り傷だらけだ。
そして、林が途切れたところ。光のほうへ顔を出せば、密林の終わるそこは、切り立った崖になっている。
呆然と見下ろせば、眼下には新たな密林が、地の果てまで続いているようだった。蒼穹。空が高い。雄大な大自然特集! とかで、ヘリコプターからの映像だったとしても納得のいく風景。
ブロッコリーを敷き詰めました、という中を左右に割り裂いて、川が横たわっている。いや、川ではなく河。いっそ海とも言える大きさの大河。
風はあたたかく湿り、どこからか花火のような匂いを運んできた。
花火? をするような場所でも雰囲気でもないのだが。
崖から目を凝らせば、遠くの水面には小さな黒いものがいくつも浮かんでいるようだった。
なんだろう、と私が訝しんで身を乗り出したとき、背中に、固いものが押し付けられた。
「動かないほうがいいです。脊髄を、ふたつに分けられたくなければ」
涼やかなその声に、私は戦慄した。聞き覚えがあるのに、記憶のそれとは異なり、底冷えするような冷ややかさをたたえていたからだ。
「ゆっくり、こちらを向いてください。――そう。両手をあげながら」
ホールドアップの状態で、ぎこちなく声のほうへ向き直る。そこにいたのは。
かすかに癖のある、緑がかった黒髪。私よりも、頭ふたつぶんは高い、堂々とした身体。かつてはその身長に対して筋肉が追いついていなかったが、いまやしなやかにその骨格を包んでいる。なにより、その武器。
「斥候にしては、目立ちすぎる。使者にしても、愚鈍そう。あなたはいったい、なんなんですかね?」
声だけで、人を切れそうな。刃物のように鋭く冷たい声だった。
理解できないというように首を傾けた、その青年。彼の顔の、鼻から上には、まるで狐を模したようなお面があった。口元は、涼しげに引き結ばれている。
私は両手を上げたまま、天を仰いだ。
そして私は、唇を噛み、目を閉じて――
たまを拾って、思い切りぶん投げた。
そのへんの木に直撃して、落下したあと、たまはたっぷり三秒、黙った。にわかに驚きと怯えをにじませて、私を罵る。
男性が慌てたように、武器を私に押し付けたが、今はそれどころではない。
決意していたのだ。今度こそ、なあなあにはしないと。
吐き気がしようが、眠りたいと言っていようが、予知の力に影響を与えたくないと言おうが、たまの首ねっこをつかみ、揺さぶり、叩き起こし。これだけは約束させてやる!
転移する前に、私の了承だけは、とりなさい。
心の準備、だいじだから!!
理解できないというように固まっていた、狐面の男性は、独り言(に聞こえるはず)をいいながら頭輪を歪めたり叩いたりしている私を見て、すこし後ずさって、それからゴキプリホイホイの中を覗き込むように、その美しい口元を歪めた。
月花との、さんざんな、再会だった。




