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7.父親

 そうしてまた、ゆるやかに日々は過ぎていった。


 私がユーリオットさんの部屋に殴りこみ(と言っても過言ではない)をしたときから、彼の様子がすこし変わったように、私は思う。


 読み漁っている巻物の中に、マナー本のようなものも混ざりだした。(挿絵がついているので、文字のわからない私にもわかる)

 からだを作る栄養素について、私がねちねち言ったせいもあってか、出されたものは残さず食べるようになった。

 篭りっぱなしは、筋肉が衰えてしまうということで、庭を散歩するようにもなった。庭と言っても、日本の小さな公園くらいあるので、ちょっとした距離がある。加えて、ひとりでも鍛えられるものをと、弓の練習まで始めた。家の裏手に、木の板を数メートル立て、弓道場のようなところを作ったのには驚いた。きゅっと集中をして矢をつがえ、指を離す彼の姿は、書物からやり方を学んだとは思えないほどに堂に入っていた。これが完成されてゆき、将来のユーリオットさんの魔獣狩りに役立つことになるのだろう。


 以前よりも、気がつくと思いのほか近くにいたりもする。薪割りに手こずっていたときなんかは、貸せ、と言って人生初の薪割りをやっていた。最初はへたくそだったが、持ち前の学習能力の高さを活かし、すぐに私よりもぱかぱか割れるようになっていた。そのときの、私を見てふふんと笑う顔はいかにも少年らしく、活発でやんちゃなのであろう、彼の隠された一面が透けて見えた、初めてのときだった。


 彼が蒔いた種はすっかり花となり、実をつけるのを待つばかり。

 トランプのゲームの種類も増えた。最近のユーリオットさんは、ぶたのしっぽにはまっていて、若者の反射神経に勝てない私はいつも悔しがるはめになっている。得意げな顔が、ひどく憎らしい。


 私は余った時間を使って、本腰入れて裁縫の練習を始めていた。

 以前は四人のお世話だったのが、いまはひとりで暇なのと、あとは余計なことを考えないようにするためだ。


 それでもときおり、拓斗や四人のこと、それからギィのことを思い出した。


 拓斗のことに関しては、たまが「保証する」と名言したことで、私はいちばんの気がかりから解放されていた。ただ、どういうことか問い詰めたくても、ずっと寝こけているので話ができない。


 たまは、あえて「話さない」ことはあっても、嘘をついて丸め込もうということはしないだろう。私がそういうことを嫌っているのを、ギィと過ごしたときに知っているはずだ。納得がいかなければ、私はてこでも動かないし、協力しない。だから、拓斗はきっと大丈夫。


 ただ、それは別の懸念をも、もたらした。拓斗がたまによって「保証」されているということは、裏を返せば、たまの思いつきひとつでどうとでもできる、ということではないか?


 そのたまは相変わらず、眠ったり覚醒したりを繰り返している。会話するのも疲れるらしく、すぐにその意識は遠のいてしまうけれど。


 まだ、天珠ラーラ・アモがどうして必要で、あといくつ欲しいのかも聞けていない。そこだけは、私に話すべきでしょう! と、問い詰めたが、やっぱり貝のように口を閉ざす。

 意地悪とかではないと言う。それによって、予知プロヴィシマにおかしな影響が出ないか不安だという。まったく、自分の力くらい、正確に把握してほしいものだ。

 この話題になると、たまはひどく神妙になるので、それ以上突っ込みにくく思えてしまう。


 そもそも私がこんな目にあっているのは、たまとアレクシスのせいなはずなのだが、やっぱり憎みきれない。巻き込まれすぎたせいで、どう思うのが正常なのかも、わからなくなっているのかもしれない。

 しいて言うならそれは、同僚が急に転属させられて、その人の仕事をどうしても引き継がなければならないかのような、そういう気持ちに近かった。厄介だが、仕方ない、といった類の。


 それでもときどき、なんで私がこんな目に! と、胸ぐら掴んでたまを問い詰めたくもなるのだが、拓斗という猫質がいてはどうにもならない。


 だから結局のところ、私はほだされてしまうのだ。





 ある日の昼過ぎ、ゾエさんが邸を訪れた。


 彼女はいつものように完璧に中立な表情をのせ(生まれてから笑ったことなどありません、と言われても、私は信じる)、ユーリオットさんへ手紙を渡すよう、私に預けて、去っていった。

 私の知る手紙にも、よく似ていた。パピルスをB5くらいのサイズに切ったもので、文字を書いた面を内側に三つ折りにし、少し重ねた部分を封蝋で止めたもの。


 封蝋! 映画とかでしか見たことないよ。


 あまりにも興味深くて、爪の先でちょっとだけつついてみる。固まった蝋燭と同じ理屈だが、想像以上に硬く、まるで分厚いプラスチックのようだった。


 それをユーリオットさんに手渡す。不思議そうな顔は、封蝋を見て強張った。

 そうか、封蝋って、その人唯一の意匠だ。日本で言う、ハンコみたいなものか。見れば誰からか、すぐにわかるのだろう。


 ユーリオットさんは羽ペンの先を差し込んで、ぱきりと開けた。かたいシールが剥がれるようだった。封蝋はその役目を全うした。


 目を通して、無表情のまま席を立つ。

 ひとこと、出かけてくる、とだけ言い残して、邸を後にした。


 私もちょっと面食らったけれど、私は私の仕事を済ませてしまおうと、洗濯に取り掛かる。

 外に出て、壁に立てかけてある大きなたらいを手に、井戸へと近づく。

 贅沢なことに、裏口を出ればすぐに井戸がある。ククルージャで、市民共有の井戸までえっちらおっちら水を汲みにいっていたことを考えると、すさまじく豪華な環境だなあとため息も出る。


 さあ、今日は何回汲み上げれば足りるかな――と考えながら、一回目の水を汲み上げたとき、邸の中から鈴の音が聞こえた。


 まるで風鈴のようなその音は、ユーリオットさんの私室に置かれている呼び鈴のものだ。

 何か用があると、彼は上品にそれをつまみ、軽く左右に振って私を呼ぶ。まあ、最近では名前を呼ばれて行くことも多いのだが。


 しかし、彼は出かけたはずではなかったか。何か忘れ物でもしたのかな。


 引き上げた水をこぼさないようにたらいへ注ぎ込む。わずかだろうと、こぼしてしまえば汲み上げ回数が増えるため、慎重に。本当に重くていやなのだ。

 前掛けで、濡れた手を拭きながら、邸の廊下を歩いていくと、もう一度、鈴が鳴らされた。


 はいはい、とユーリオットさんの部屋を覗くと、そこにはユーリオットさんではなく、大柄な男性が立っていた。


 この敷地で、奥女中のゾエさんとユーリオットさん、そして彼の母親であるエッサラさん以外の人を見たのは初めてで、私はぱちぱちと瞬く。


 私よりは年上の、しかし40歳には届いていないであろう、がっしりした体格の男の人。茶色い髪、茶色い瞳。

 その顔立ちは、全体的に整っているのだが、内面の、確固たる意志を乗せて、ひどく近寄りがたい。

 彼は私を見ながら、鈴を机の上にゆっくりと置く。彼の手の中で、鈴は寄る辺なく恐縮しているように見えた。手も大きいのだ。


「おまえが、あれの世話をしているという女か」


 おなかに響くような、とても低い声。ゆっくりとした口調なのに、その声は部屋のすみずみまで行き渡った。威圧されているように感じてしまう。

 あれ、とはユーリオットさんのことだろう。私はうなずいて、男の身なりを観察する。

 立派な皮のサンダル――縫製の縫い目が、とても細かく、端々まで回っている。衣服は、街を行く人々と同じ、白っぽい布をまとったような簡素なものだが、光沢でその差を知ることができる。

 腰の辺りにある帯のような留め布も、豪奢な刺繍がなされ、一目で高価なものだとわかる。


「あなたが、ユーリオットさんの、父親ですね?」


 彼の発する圧力に声を出しにくくなる前に、私は聞いてみた。左右対称の、美しいかたちの瞳が、ひどく似ている。

 私の問いかけに、男はゆっくりと首を傾けた。


「いくら欲しい」


 私は三秒ほど、固まった。会話になっていない。


「と、いいますと」

「いくら欲しいと聞いている」

「ええと、何に対しての話ですか。お給料なら、ユーリオットさんから十分すぎるほどもらっていますが」


 彼は私をまじまじと見た。おすわりができない犬を見るように。あるいは壊れたオルゴールを眺めるように。


「――いくら払えば、あれに毒を盛ってくれると聞いている」


 今度は私が彼をまじまじと見る番だった。ビキニを着た宇宙人を見るように。




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