11.天珠、そして、二度あることは
「天珠?」
私は呆然とをれを見ながら、たまの言葉を繰り返す。
ビー玉くらいの大きさの、透明な球。内側に星の光を閉じ込めたかのように煌きが揺れ、全体はほのかに紫色がかっている。ありえない現象を前に、私はぎゅうっと眉を寄せた。ギィの反応を伺えば、彼もまた、信じられないようにその玉を見ている。つまりギィにとっても、普通ではない出来事のようだ。
(天珠とは。人を想う感情の、上澄み。善き想い、その一部が、結晶として顕れたもの。狂おしいほど純粋なそれは、物質としても情報としても、世から失われて久しい)
意味がわからない。どういうこと?
たまは恍惚として話し出す。
それははるか古代のむかし。原初の神話にも出てくるものだという。人の心は善きものと悪いものが混在するのが常だが、その善きものの、さらに研ぎ澄まされた美しい部分。
しかるべき時がくるとそれはかたちをとって、目に見えるようになる。
ひとりの、高まった感情が、想いを伝え合うときに顕れて、番いになる橋渡しの役割を果たす。基本的には触れ合った身体の一部から出でて、消えることはない。
人それぞれ、さまざまな色や形をしていて、同じものはひとつとしてない。生涯に一度、ただひとりの相手にだけ渡せる、心の欠片。
だがそれも、時が経つにつれ失われていった。この時代ではおとぎ話の道具でしかなくなった。
目の前の生活に精一杯で、だれもかれもが自分を優先することが多くなり、そうでなくても純粋に他人に心を注ぐ人々は減ってきたせいだという。天珠という呼称すらも、知らない人のほうが多いほどだと。
つまり、これはギィの私への気持ちの一端、ということだろうか。
(男は縁子に、心を示そうとした。そして縁子が、男の心を拒まなかった。だからこそ、具現化できたのだ)
たまが補足した。相手が心を閉ざしていると、天珠はかたちを取れないということ?
それは、お互いにフルネームを知ったということと、関係あるのだろうか。だとしたら、私ってば何も知らずにうかつなことを。
内心、ひどく焦りながら考えていると、たまは幼子に嚙んで含めるようにして話し出した。その様子から、どうやらたまは天珠というものにそうとう詳しく、関心を寄せていることがわかる。
(ただの名の交換ではない。先ほど男が口にしたのは、真なる名。家族すらも知りえない、男だけの真名。男は精通とともに、女は初潮とともに、本人のみが得るもの。そしてその名を伝えることは、すなわち生涯の献身、あるいは求愛を意味する)
なんだと。私は耳を疑った。世界の仕組みが違いすぎて、困ってしまう。この世界では、フルネームを伝えることは、忠誠や求婚の意味合いがあるってこと?
しかも、待って。ねえ、たま、待って。私、ギィに名乗り返しちゃったんだけど。
これって、どういう状況かな。まさか承諾の意味にはなってないよね?
しかし、それはたまに無視される。
(我輩は、天珠をこそ欲している。我輩の予知は縁子こそが鍵と告げたが。正しかった。ようやくその存在を、確認できた――だが、まだ足りない)
たまは、何を言っているの?
私はすっかり混乱して、小さく頭を振る。ギィにはたまの声は聞こえていないのだろう。ギィも浮かんでいる天珠に疑うような戸惑うような視線を向けている。まるで守るかのように、私の身体に回していた腕に力を込めて、抱えなおされた。
まるで、天珠を警戒するかのように。
たまが言うとおり、現物としても、情報としても、ギィたちのような、今を生きる人には、まったく認知されていないのだろう。たまは、おとぎ話に出てくるとまで言っていた。そんな時代錯誤なものを、たまは欲しがっているということか。
いったい、何のために。
(あの砂漠の街では、縁子は堅く心を閉ざしていたのでだろう。しっかりと線引きをして、むやみにその心を傷めないために。それは賢い選択だ。だが、我輩はそれでは困るのだ。この状況で、ようやく心を開いたな)
私は奇妙な後ろめたさから、視線をたまから暖炉の火へと移す。それは事実だった。
四人のもとにいるときは、夢ではないと思いながらも、やはりどこか――心の奥では現実として受け入れていなかった。四人にも、最低限度の距離を保って生活していた。
しかし、ギィと引き合わされて、ニグラさんやジウォマさんに関わったことで、その距離は崩れた。彼らの過去や感情は、生々しく私の心に迫り、とうとう心を傾けた。自ら、関わろうとしてしまったのだ。アブドロへ啖呵をきったあのときが、その表れだった。
では、では。天珠を手にするために、たまは私とギィを引き合わせたというのだろうか。
予知と言っていたのは、希少なそれを見つけるための、たまの能力ということ?
ギィのところに転移したのも、偶然ではなかったのか。
だとしたら、恐ろしいまでの計画性だ。いや、ありえない。どうして、どうして。
たまは蕩けるような声音を潜めて、ひどく中立的な声で私に言った。
(天珠が、必要なのだ。我輩は、どうしても)
悪いようにはしない。どうか、力を貸して欲しいと、たまは真摯に囁く。
何がなんだかわからないながらも、私の答えは決まっている。
応えは、ノーだ!
「――意味が! わからない! 私はね、たま。四人に借金の残りを返して、現代に帰りたいの! 拓斗を抱きしめて、もふもふしたいの! 熱いシャワーも浴びたい。炊きたてのごはんも食べたい。こたつに入って、本を読みたい! 眉毛だって整えたい! これ以上の厄介は、まっぴらごめんこうむる!」
魂の叫びだ。
心の底からの叫びだ。
どう考えても、運悪く巻き込まれただけだよね、私。もう十分だと思うんだ。すごくよくやったと思う。映画いっぽんぶんどころか、シリーズものになるような怒涛の展開だ。
嫌だ、嫌です。お断りです。
(そのタクトのことだが。気に病むことはない。我輩が保証しよう)
えっ。いま、なんて。
私は机の上にあるたまを見て、固まる。拓斗に、たまが干渉できるということ?
私の関心を引けたからだろうか、たまは静かに続ける。
(我輩の願いは、さらなる天珠を集めること。それを果たしてくれたなら、どんな願いも叶えてみせよう)
それって、私を日本に返すことも?
たまは無垢な稚児のように笑う。ギィと私との間に浮かんでいた天珠が、ふつりと消えた。たまが何かしたのだろう。
(さあ、縁子。過去か未来か、それとも今か。予知に任せて、天珠の道筋を、追おうではないか)
晴れ晴れとしたその声は、まるで今すぐ旅立とうとでもしているかのよう。というか、している。ククルージャから雪原へ転移させられたときのような光が、頭輪からにじみ出ていやしないか。
相性が悪いどころではない。こいつがすべての元凶では?
「ま、待って。その天珠をギィから取って、ギィに悪影響はないのね?」
慌てて聞けば、たまはひとこと一言区切るようにして、ゆっくりと答えた。
(どのような影響もない。顕れたのちは、誰からの手も離れ、ひとつの物質として存在する。それに、ことが済めばその男にちゃんと返す。さあ、行くぞ)
ことってなんだ。私は説明を求める! 労働者の権利だ。ああっ、法律が違うからなんともいえないのか!
拒否権はないらしい。私はとびきり苦い薬を飲むときの気持ちになる。拒めば、拓斗には合えない。拒まなければ、またわけのわからないところへ連れて行かれ、天珠なるものを探さなければならない。
探す、のではない。生み出すのだ。と、たまがすかさず訂正してきたけれど、どっちだっていい。
私は大きくため息をついて、ぐっと顔を上げる。ギィに向き直る。
ひとりであたふたして、叫んだりしている私を、ちょっと不気味そうに見ているが、まあ無理もない。
そういう、感情を表に出せているギィを見て、私は改めて思った。
よかった。この人が自由になって、本当によかった。
家族のような、友人のような。それとも、それ以外のものもあるかもしれない。そういう親愛を込めて、私は微笑む。
私に向けてくれた感情は、素直にとてもうれしい。同じ気持ちを、返すことはできないけれど。
私を抱きしめる彼に、そっと腕を回す。ギィは驚いたように身体を強張らせたが、かまわず抱きしめた。感謝と、親愛と、祈りを込めた抱擁は生まれて初めてのことで、だけど不思議と照れはなかった。
「ギィ、私、行かなくちゃいけないみたい。雪原で拾ってくれて、ありがとう。ニグラさんとジウォマさんにも、よろしく伝えて。どうか、元気で――」
一気にまくしたてる私を不安げに見ながら、ユカリ、と、彼は初めて、口にした。
ああ、本当の名前すら、彼に教えていなかった。
ギィが私を抱く腕に、力を込めた。対極に、頬にそうっと、手のひらが添えられる。彼の瞳が悩ましげに細められ、顔が近づけられる。
私の唇の端、頬のあたりに彼の唇が寄せられ、触れ合いそうになる。
けれど、触れ合う前に。そしてさよならを言う前に、三度目のあの感覚に身を包まれる。何度体験しても、慣れやしない。
遊園地のアトラクションの、数倍は気色悪い浮遊感。身体の中身を好き勝手に入れ替えられるような不快感。
そして――
ぼちゃん、とどこかへ落下した。奴隷服のワンピース姿の私は、全身ずぶぬれ。
呆然とあたりを見回す。
空は高く晴れ渡る青。均一な石畳の広場。そこを取り巻く白い建物。
目の前の広場には、たくさんの店が軒を連ねている。市場だ。ククルージャよりもすっきりと整理され、ビエチアマンよりも店数が多く、とても賑わっている。
後ろ手をつきながら背後を見上げると、精緻なレリーフが施された、大理石の神殿のような建物が格調高くひしめいている。真上から注ぐ、まっすぐな光が白い建物を反射して、私は目を眇める。
つまり私は。古代ギリシャの都市国家のような広場にいた。さらに言うなら、広場の中央にある、噴水のど真ん中にいた。
白い布を身にまとい、髪を結い上げた女性たち。籐のかごには野菜やパンが入れられている。ひげを蓄え、皮のサンダルで行きかっていた男たち。パピルスのような、紙状の丸められたのもを持っている。ここでは羊皮紙ではなく、紙が流通しているのだろうか。それにしても、やはりみんな、醜く見えるように化粧をしたり、たるんだ肉体だ。ああ、ここは”いつもの”世界だと、そう思うあたり私も順応してしまっているのだろう。
そういう人たちの何人かが、私に気づいて動きを止めて、こちらを見ていた。それから、怪しげにひそひそ話し始める。
そんな中。噴水の手前、私に近いところで愕然と固まっている少年に、私は見覚えがある。
麦穂色の髪と瞳。均整のとれた、彫像のように美しい顔立ち。
ありえない。
記憶よりもはるかに幼い、その少年は。この世界の数少ない知り合いに、酷似していた。
いや、こんなの。ありえない。ありえないけど!
まだ成長しきっていない手足。不可解そうに寄せられた眉根。見れば見るほど、それはユーリオットさんの表情そのもので。
思い出せ。たまは何と、言っていた。過去か未来か、それとも今か――?
私は頭をかち割って脳みそを取り出して、噴水でわしわしと洗いたくなった。
噴水のふちに、澄ましたように鎮座している頭輪を見て、ひとりではない安心と、たとえようのない腹立ちとに支配される。
たま。いろいろ、いろいろ、いろいろ言いたいことはあるのだが。
いったん、腹を割って話をしよう。
でなければ、なんと言われようと! 今後、協力は、いっさい、しない!
からりと晴れ渡る空の下、パンの焼ける香ばしい匂いが空腹に染みて、鳩のような鳥が不思議そうに私をみて、歌うようにぽるると鳴いた。




