2.編みぐるみと人質と
この優しげな素敵男性は、ジウォマという名で呼ばれていた。
ギィが「会わせるべき人間」と言っていたのは、十中八九この人だと思う。
にもかかわらず、ギィは紹介さえしない。
まあ、何か考えがあってのことなのだろうけれど。そういうわけで、私は放置されたまま、じゅうたんの上。二人は机に寄りかかりながら、書き付けやら図面っぽいものやらを手元に、話し込んでいる。
彼らの話に耳を傾け、自分で状況を把握すべきなのかもしれない。
でも、ギィはきっと、必要なことだけを説明するのだろうと思ったので、そんな疲れることは早々に諦めた。
ふと、会社でのことを思い出す。私のような普通の人間は、与えられたことだけをまずは完璧にする。
慣れて余裕が出てきたら、上司の意を汲み取ることに挑戦すればいい。あれもこれもは、だめなのだ。失敗するから。
同期の女の子が、がんばって何もかもをやろうとして、社内のほかの部署にまで迷惑がかかるミスを起こした。こっぴどく叱られる彼女を見て、私が得た教訓のひとつである。
つまり私は、手持ち無沙汰である。じゅうたんの上で体育すわりをしながら、部屋の中を眺めてみることにした。
たぶん、六畳とキッチンみたいな広さで間違いない。私のアパートと似たような感じだから、すぐわかる。
もちろん水道やシャワーはないけど、そのかわり大きめの暖炉があるあたりは土地柄を感じる。
今も、細々とした木々が、ぱちぱちと爆ぜながら、かろうじて部屋を暖めている。
私がギィに投げ出された場所は、その暖炉の目の前にあるので、身体がぽかぽかしてきた。というか、火! ずっと外でキャンプファイヤーしかしていなかったから、手放しで温まれるありがたさに感動する。
外でも中でも、火は火だろうと思うが、ぜんぜん違う。
野外だと、強風ですぐに消えてしまうこともある。これが本当に、心を折る……。マッチっぽいものから火種を起こし、ちゃんと安定した火になるまですごく大変なのだ。ようやく手放しで温まれると思った瞬間、強い風でお陀仏。私の心もお陀仏。ほかにも、仕切りとなる壁もないので熱が留まらなかったりする。
目の前でゆらゆらと爆ぜる橙色の、なんと落ち着くことか。じんわりとした熱が、ゆるゆると身体の輪郭をなぞって、取り巻いてくれる。
部屋の中央には、食卓の兼仕事用のような机と椅子ひとつある。それに接するようにして、ベッドがぎゅっと詰められたように置かれている。とにかく、手狭だ。
そのまま天井へ視線を滑らせる。古い漆喰のような、くすんだ白色が広がっている。漆喰はククルージャでも、外壁や天井に使われてはいたが、天井の高さがずいぶんと異なっている。ここビエチアマンの天井は、ずいぶん低いのだ。熱がすぐに部屋を暖めるようにかもしれない。
視線を戻して暖炉の熱に浸っていると、上のあたりに、ちょっとした棚みたいになっているところがあるのに気づいた。マントルピースというのだったか。
こまごまとした雑貨のようなものが置かれていて、意外に思ってよく見てみた。部屋の中は、引越しでもするんですかというほどに簡素なので、そこに置かれたものたちからは唯一、生活を感じた。
あったのは、うどんくらいの太さの原始的な糸で編まれた、編みぐるみのような人形だ。
私の握りこぶし一つ分くらいの大きさで、おそらくだけど、雪だるまを模しているようだ。
眼のところは、黒豆がくくりつけられ、ちょっといびつな表情はひどく愛くるしい。
不器用ながらも、作り手の心をあらわしているような。
まさか、ジウォマさんが編んだわけではないだろうが、この家からはほかの人の気配は感じない。
もっとよく見ようと前のめりになると、突然うしろから首根っこをつかまれた。
見上げるように頭をのけぞらせると、さかさまにギィと目が合う。以前よりも、うっとおしがる色が減り、逆にペットのしつけに悩む主人のような感じに見えるのは、きっと私の勘違いだろう。
そのまま親猫が子猫をくわえるかのように、ひっぱりあげられる。苦しいって。
「何するんです」
「あんたな、何度呼んだと思ってるんだ」
「えっ、そんなに呼びました?」
「熱心に、何を見ていた」
ギィの眉根は、日に日にしわが深くなっている気がする。きっとそう言えば、私のせいとか返されそうなので、懸命にも私は黙った。
編みぐるみへ向けた私の視線を追って、ギィも気づいたようだ。数回、瞬いて、目をそらす。
その目に一瞬、切るような悲しみがあったのは、気のせいだと思いたい。
「――あんたにしてほしいことを、話す。完璧に、記憶しろ」
なんだろう。日に日に上司のようなポジションになっている気もする。
※
ギィに言われたことをまとめると、こういうことになる。
・私は、三日後、ある女の子と、数日の間入れ替わる。
・入れ替わった女の子のふりをして、ばれないように、最低でも二日、乗り切る。
・数日後、身代わりの役目を果たした私を、ギィが拾いにくる。
話を聞き終わって、とりあえずうなずく私。ギィは、必要なものはすべてこちらでそろえるし、あらゆることは指示しておく、とだけ付け足した。
それから、もう用は済んだとばかりに毛皮を纏い、家を出ていった。余計なことを言うなよ、と、ジウォマさんに念押ししてだ。
残された私は、さすがに呆然とした。
もっと、やるべきことの背景とか、こまごまとした打ち合わせとか、してくれると思っていたのだ。
どこのだれと入れ替わるとかも教えてくれなかったし。それに、私が依頼されたことって、なんだか犯罪のにおいがするような。
いつも法の中で平穏無事に生きてきた私には、荷が勝ちすぎません?
どうしよう、たま。そう泣き言を呟けば、たまはため息をついた。
(こうなってはやるしかあるまいに。小娘は肝が据わっているかと思えば、すぐに慌てふためく。不均衡な女だな)
肝なんて、据わってないよ。ちょっとでも立ち止まると、二度と立てなくなりそうだから、なんとか目の前のことをやろうとしているだけなのだ。
たまと、無言のやりとりをしていたら、控えめに声をかけられた。
「ユカリ、でしたね。僕はジウォマといいます。今回は、お力を貸してくださるということで、なんと感謝すればいいか」
ほわほわとした、羽毛のような声である。いっ、癒しキャラだ……!
「僕たちのために、危険なまねをさせてしまいます。正直、お金が足りなかったので、感謝してもしきれなくって」
ん? お金?
「ジウォマさん、お金って、なんの話ですか」
私はお金なんて、一銭ももっていないよ。とんちんかんな言葉に私は首をひねる。
そう問えば、ジウォマさんは目を見開いて、瞬いた。それから、なるほどというように息をつく。
「ギィは、何も話していないんだね?」
「ギィは、いつでも何も話してくれませんよ」
皮肉でもなんでもなく、事実である。ジウォマさんはそこで、まじまじと私を眺めた。そして、珍しい、と呟く。
「ユカリがギィとどういう経緯で知り合って、協力してくれているのか、僕は知らない。でも、今回の仔細を聞かされていないというのは、大切にされているということだ」
「逆なのでは? ふつう、大切にするなら話すでしょう」
大切にされているとは、ちっとも思わないが。そう言えば、ジウォマさんは小さく笑って、黙った。
(こいつらが、小娘を何に巻き込もうとしているのかは知らぬが。何も知らなければ、万が一失敗したときに、小娘は無事でいられる可能性が高くなる。ものごとは、知りすぎているほうが危険を増すことがある)
たまが、うさんくさそうに呟いた。なにやら雲行きが怪しくなってきた。やっぱり犯罪沙汰のお手伝いをするのだろうか。
素直に、怖い。それって、やってもいいことなのかな。もし失敗したらどうしよう、と顔色を曇らせる私を、ジウォマさんは観察するように見つめている。
少ししてから、彼はゆったりと、口を開いた。
「ギィは、話すなと言ったけど。危険を冒してくれる人に、僕は隠したくない。君には聞く権利もある。だから、話す」
ジウォマさんは暖炉上へ視線を向けた。その瞳が、かすかに沈んだことに、私は気づく。
場違いな、あの編みぐるみは。
「今回、君を身代わりにして奪い返したい人は、僕の恋人で――ギィの妹なんだ」
その一言で、ようやく私は理解する。
烙印奴隷の人質だ。




