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5.誰がなんと言おうと、風呂は風呂なのです

 ご主人さまたちが仕事に出かけると、当然のことだが、家はとたんに静かになる。


 私は簡単な昼食をとり、洗濯を済ませる。この洗濯が、実はいちばんの重労働。大きめのたらいに水を張り、洗剤かわりの白い粉(たぶん、重曹みたいなやつ)を入れ、わっしゃわっしゃと足で踏み込む。

 これが五人分もあると、太ももと腰がぱんぱんに張るくらいのトレーニングだ。おかげでちょっとウエストできたよ……。


 はじめは、脱水をどうしようと困ったけれど、すぐに杞憂と知る。

 この乾燥世界、かるく絞って庭に張ったロープに干せば、明るいうちにからりと乾く。


 この時点で、日暮れまでまだだいぶ時間がある。


 普段はもらえる給金の金勘定と、へそくりを合わせていくらか数える。想像以上に、金の貯まりは早くて、ちょっとほっとする。


 いかんともしがたいのは、この「退屈」だ。


 どっかの哲学者も言っていた気がするが、「退屈」こそ最大の悪だ。


 本も読めない、外出もできない、話し相手もいない。可愛がるべき拓斗もいない。


 からっと澄み渡る空の下、裏庭でぼんやりたなびく洗濯物を見つめていたとき、私はひらめいた。


 風呂に入ろう!!



「縁子、いま帰った」


 とっぷり日も暮れて、ご主人さまが帰ってくる夜中になっていた。


 私は慌てて部屋に入り、おかえりなさいと出迎える。


 四人は仕事帰りそのもので、身につけている薄い鎧や簡易的な兜を、がしゃがしゃと取り外している。

 その身体に緑色の付着物がないことから、今夜は魔獣は現れなかったのだろうと思う。

 魔獣の血は、ゴーヤをすりつぶしたような薄い緑色なのだ。


「いま、身体を拭く布をお持ちします」

「ああ、頼む」


 簡単な夜食はすでに作ってあるので、身体を拭いた四人はそれぞれ卓につく。

 人心地ついた、というように、薄めていない葡萄酒を飲んでいる彼らを見るのが、私は好きだ。


「縁子、その格好は?」


 阿止里あとりさんが訝しげにするのも、無理はない。私はもんぺっぽい下穿きに、動きやすい薄手の長袖みたいな服装だ。


「お風呂を作ってました」

「風呂?」


 四人がすっとんきょうな声を上げる。


 私はしたり顔でうなずいて、にっこり笑う。


「まあ、明日を楽しみにしていてください」






 ということで、朝だ。


 庭に引っ張り出されたご主人さまたちは、「これはいったいなに?」というふうに眉を寄せている。


 そう、私は地面を掘り下げて、人ひとり寝っころがれる穴を――砂風呂を、作っていたのだ。

 見た目、ちょっと雑な墓穴のように見えるが、汗と努力の結晶だ。

 このあたりの地面は思いのほか堅く、危うく手にマメができかけている。

 ガーデニング用の小さなシャベルしかなかったから、すごく苦労したのだ。うむ。


「これは風呂ではない」


 厳かにそうのたまって、ユーリオットさんは踵を返した。想定の範囲内です。


「今日は、朝からギルドへ行って、進捗を報告するんだった」


 阿止里さんはおもむろに頷いて、足早に去っていった。その目に申し訳ない感じが浮かんでいるのが、ちょっと腹立つぞ!


「縁子、僕は武器の手入れ道具の油が切れちゃっていてね、みんなの分と合わせて買いに行く予定だったんだ」


 月花ユエホワまでも! と思い、最後にナラ・ガルさんをぎっと見る。

 私と真正面から目を合わせるはめになった彼は、フェミニストの名に恥じない男だった。

 両手を挙げて、微笑んだ。


「――もちろん。もちろん。わかってる。それで、縁子は俺に何をさせたいのかな?」


 その言葉を待っていた。





 そして、砂に埋もれたミノムシのような格好で、ナラ・ガルさんは入浴するはめになった。


 直射日光が眩しいので、目のところには歯医者さんのように布をかけている。


「どうですか、ぽかぽかしてきました?」


 この日差しなら、すぐに暖かくなると思うのだが。


「縁子、これは、いけない」


 えっ、なにか、まずかった?


「これは、気持ちがよすぎる――魔法のよう」


 なんだ、とほっとして、私は肩の力を抜いた。

 全身の血行がよくなって、すぐに汗が出てくるはずだ。私は首筋にも砂をかけなおして、口元に薄い葡萄酒を運んであげる。


「疲れも、とれやすくなりますよ。ただ、水分不足になってはいけないから、これを飲んでください」


 ちなみにナラ・ガルさんは、上半身を脱いで砂風呂に入ることに、最後まで抵抗した。

 物腰の柔らかな彼には珍しく、困ったように微笑みながらも、拒絶したのだ。

 醜い身体を、私に見せたくないのだと。

 もちろん、私は彼の肉体美について、こんこんとお話した。

 いつになったら、彼らは信じてくれるのでしょう。


「――おいしい」


 きりりと冷える、とまでは行かないが、日陰の涼しいところに置いてある葡萄酒と、井戸水で薄めたもの。

 ちょっとレモンもどきの汁も入れてあるのだ。クエン酸でイオン補給ができるといいな。


 葡萄酒を飲み下すと、くっきりとしたのど仏がゆっくりと上下した。

 ナラ・ガルさんは、四人の中で、いちばんすごい肉体を持っている。2メートルはあろうかという長身には、見事に鍛え上げられた筋肉がしっかりとついている。筋肉フェチの人なら、その上腕三頭筋に釘付けだろう。

 さぞ筋トレをしてるかと思えば、それはわりと体質に依るものらしく、すきま時間にしていることは、意外や意外、裁縫だ。


 もう一度いう、裁縫だ。

 想像してみてほしい。がたいのいい大男が、その背を丸めて、指先をちょこちょこ動かし、服ハンカチに刺繍を施すさまを。


 そして出来上がった、かわいらしいブタ柄の入ったそれを、ひっそりと私にくれたのだ。


 なぜブタ、と聞けば、私が描いた拓斗の絵にいちばん近い動物だから、という。(この世界に猫はいない)


 大きな身体とたくましい筋肉、そして乙女な趣味を持ったピュア青年なのだ。

 うっかり、現世の装飾情報――レースやフリル、編み物について――を話した私は、目を光らせた彼に、根掘り葉掘り聞かれるはめになったのは、忘れたい事実である。


 次はフリルの入ったワンピースを作るのだと意気込んでいたが、アラサーがフリルの服を着るのはぞっとしないので、私はなんとか彼を傷つけずにフリルを回避できないか、本気で考えている。


「縁子、とても気持ちはいいのだけれど、ちょっとのぼせる心地だ。起きてもいいかな」

「はい。もちろん。今、掘り起こしますね」


 そう言って、わんさと積んだ砂を、せっせと払う。

 私がそんなことをせずとも、一人で起きられるだろうが、まあそれはそれ。


「ああ、気持ちがいいね。あの三人にも、あとで教えてあげよう」

「ぜひ、そうして下さい。いいものは、啓蒙していかねば」


 ふふっと笑うと、ナラ・ガルさんもはにかんだ。

 それから、私にも入ってみるといい、と言ってくれた。


「いいんですか!」

「もちろん。発案者がこれの良さを知らないのは、ひどい話だ」


 そうなの、これって、砂をかけてくれる人がいないと完成しないから、一人では味わえないのだ。


「ありがとうございます、お願いします」


 私も薄手のワンピースのようなものに着替え、砂とタオルをかけてもらう。

 真上から見たなら、綺麗にミノムシになっているだろう。


 視界は白い布地で覆われて、何も見えない。

 そうすると、聴覚が鋭くなるから、人間って面白いね。


「ナラ・ガルさん、ありがとうございます。とても、気持ちがいい……」


 うっとりとお礼を告げると、彼が微笑む気配がした。肩のあたりに、追加の砂をかけてくれる。


「お礼をいいたいのは、こちらのほうだよ」


 彼の声はとても低い。テノールではなく、バスってやつかな。ゆったりとした話し方とあいまって、とても耳心地がいい。

 ぴゅるるるるる、と、空を舞うビュルカの声がする。

 はたはたと、干した洗濯物が風に吹かれる音がする。

 ああ、癒される……。


「――君は、何なんだろう」


 落とされた声は、感情の一切を欠いたような声だったので、それがナラ・ガルさんのものだと、すぐにはわからなかった。

 彼の声は普段、穏やかで温かみを湛えているのが常なのに。


「どうして、俺たちの前に現れたのかな。君のような、女の子が」


 女の子、という年齢ではないですよ。そう言おうか迷って、やめた。


「泡のように、消えたりしないで」


 迷子のような、希う声が、かろうじて鼓膜を震わせる。

 ナラ・ガルさん、と呼ぼうとした口に、震える何かが、ゆっくりと差し込まれる。

 反射的にそれを噛んでしまってから、それが彼の親指だと知る。

 残りの指は、頬に添えられ、親指はおそるおそる、という風に、私の口内をさまよった。


 どうしようか迷って、それから私は舌先で、そっとその指を受け入れた。


 その瞬間、彼の手が強張ったけれど、引かれたりはしなかった。


 頬に暖かい雫が落ちてきたけど、知らん振りをしたのは――彼らの過去に向き合う勇気がない私の、卑怯さそのものだった。




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