研究所
研究所は『観覧車』と川との中間あたりにある。歩いて数分。たいして離れていない。
『観覧車』に灯をともしてを回すことなら、あたしは住んでいる森からだって出来る。
どんなに離れているかは問題じゃない。距離も時間も関係ない場所につながるには。
屋台の並ぶ通りから一本裏へと入る。通りの一番はしで魔女が小さな幕屋を張って占いをしていた。黒いレースをかぶり、目から下はやはり黒のベールをして顔を隠している。あたしは相手を探るようにして会釈した。魔女はあたしの小ささに驚いたのか、青く塗った瞼が上に引きあがったけど、挨拶を返してくれた。おたがい、まっとうな『仕事』をしていこう。
もっとも、これからあたしがすることは、まっとうかどうかは疑問が残るけど。
お祭りの喧騒は遠くなった。大きな家が何軒も建ち並ぶひっそりとした場所に来た。あたしは鉄製のアーチ状の門扉を押して、生垣に囲まれた研究所の敷地に入った。白い壁の西洋風の二階建で、正面の右寄りに造られた二階部分が塔のように見える。いくつかの窓から灯りがもれている。庭には芝生が植えられ、夜の闇に薔薇の香りが漂う。門から玄関の間に敷かれた煉瓦の通路を進んで正面玄関で呼び鈴は押さず、あたしはいちど杖を強く突いた。
しゃん!
張りだした石の軒に小気味良く音が反響する。
「お待ちしておりました、アザレア殿」
両開きの樫の扉が開かれ、のっぽの所長自らのお出まし。いつもの白衣に丸い眼鏡、白髪をきちんと七三に分けて、胸ポケットからは懐中時計の金鎖がのぞいている。
「まだ日が高いというのに、ずいぶんお早いお着きでしたね」
にっこり笑っても嫌みは忘れない。穏和なふりして食えない奴。
「馬車をよこしてくれたら、もっと早く来れるんだけど」
「来年はそういたします」
何回となく繰り返されたやり取りだから、来年も自力で来ること請け合いだわ。
靴のまま中にあがると、右手の応接室に通された。しかしながら、廊下の奥からおいしそうな匂いがして足が止まる。胃のあたりがきゅーっとなる。応接室のドアノブを持ったまま待っている所長と厨のほうを指さすあたしの目が合うと、所長は静かに頷いた。
「ビーフスティクはお好きでしたよね? 今年は料理人を呼んでみました。もちろん、お土産もございますよ」
にっこり笑って所長は手招きする。
うぐぐ、思っていたより豪華だ。頑張らねばごちそうにあり付けない。そうと決まれば、さっさと仕事を終わらせたい。あたしは応接室に早足で駆け込むと、レースのカバーがかけられた一人がけソフィアにぴょんと座って足をぶらぶらさせた。
「今回の申込者一覧です」
所長が紐でつづった紙の束をよこした。紙には名前や住所が書かれてある。ざっと目を通してあたしはテーブルの上に置いた。見ても意味がないから。
「今回の申し込みは三十人までとしました。いつもと同じく七時から開始して、終了予定は九時ですが終わりはアザレア殿に任せます」
はい、はい、とあたしはうなずく。
「ところで、さっきから暖炉の横に突っ立っているあの坊やはだあれ?」
仕立てのよい背広姿の、坊やと言われた青年は眉をしかめた。
「紹介が遅れました。息子のロマノです。春に大学を終えて……」
「あなたのインチキを見定めるために帰郷いたしました」
「まあ、それはそれは。中途半端な季節に里帰りですのね」
所長が言い終わらぬうちに話をねじ込んできた彼は、四角い眼鏡の縁をくいっとあげて、鋭い視線を投げてくる。
「死者と交信など、ありえない。こんな田舎町にだって鉄道や電気が通る科学の時代に、あまりに非科学的だ」
科学、科学。そうしてあたしたち魔女は隅へと追いやられて行ったわけで。あたしはひじ掛けに腕を置き、ため息をついてソフィアに深く腰をかけた。腰かけついでに所長をちらりと見る。いき巻く息子を諌めるでなし、柔和な笑顔を張り付けたままだ。
狸め!!
「わたしは、父にこんなインチキなことはやめさせ、一族ほんらいの金融業に戻って欲しいと考えています」
「三代目……か。もう辞めてもいいわよ?」
所長は笑顔を張りつけたまま首を横にふる。
「分家の気楽さで、株の配当でのらりくらりと道楽を続けて。我が家は本家から穀潰し呼ばわりですよ」
「じゃ、あんたが金儲けを頑張れば? あたしは、この所長が死んだら終了、閉鎖で構わないわよ」
青年のそげた頬が神経質そうにピクリと動くのが見えた。
さて、と。あたしはソフィアから降りた。
「なんなら、今回が最後でもいいわ。さっさと始めましょう」
定刻まであと二十分。所長は再び応接室の扉を開け、向側の引き戸を開けた。
「例年どおり、医者と看護婦は隣室に待機させています」
いつもの二人だろう。慣れた者じゃないきゃ、騒ぎ立てられるから。
磨りガラスが嵌められた木製の建具がガタガタと鳴り、白っぽい明かりに照らされた広い空間が現れた。元は二間だった部屋の壁を取り払って一つの大きな板間にしたのだ。真ん中にフラスコに似た広口の大きな容器がある。容器は透明で、青白く光って見える液体で満たされている。その周りには、蛇のように何本もの電線がうねっている。病院にあるような、あるいは軍隊にあるような、みたこともない機械がフラスコとつながっている。
「インチキかどうかの判断は、ご自由に」
あたしは杖を壁に立てかけ、用意されていた脱衣かごにマントと鞄を肩から外して入れた。
黒のブラウスにスカート。靴の紐をほどいて脱ぐと、膝丈の靴下もかごにほうり込み……。あたしは身につけているものすべてを脱いだ。
ロマノが息を飲む音がした。あたしが振り返ると、目をそらして左手で口元を押さえた。シャツの袖口から包帯のようなものがのぞいた。
三つ編みをほどくと白銀の髪は腰の下まで届く。あばらも鎖骨も浮いて見える。今日のために潔斎してきたせいもあるけど、そうしていなくたって、ひどく痩せた子ども……これがあたしだ。
所長に手渡された線が無数に付いた帽子を顎ひもで固定させて、背丈よりも高いフラスコの口にあがる梯子に足をかけた。
「ばかげている、ばかげている。こんな子どもがほんとうの魔女だって? 魔女は卑しい仕事をする連中だ」
ロマノはふるえる声であたしを罵った。正気の沙汰には見えないだろうね。素っ裸でやせっぽっちの子どもが頭にへんな機械をつけてフラスコの縁に腰かけているなんて。
「わたしは確かに聞いたよ」
所長がフラスコの近くにあるいかつい機械の前に陣取った。
「亡くなった母の声を。初代の所長である父と一緒に」
「だから、それは気のせいで……なにかの手品か仕掛け、まやかし……」
あたしは両手を広げて見せた。もちろん、種も仕掛けもない。体は一糸まとわぬ姿ということは見ての通り。
「じゃ、あとはよろしく」
青白い光があたしを招く。人肌に温められた水に浸かると、あたしは水の中で大きく息を吐いた。
がぼん。
大きな泡が水面に向かってあがっていく。最後まで見届けることなく、あたしの意識は一瞬途切れ数拍おいて、「視界」が開ける。
研究所のなか、『観覧車』のそば、それから銀河の川岸。
すべての伝送路のつながりが分かったなら、あたしは一歩を踏み出す。
所長とロマノの声がする。
「し、死ん……父さん、引き上げないと!!」
「慌てるな。向こうとこちらの橋渡しのためにアザレア殿は仮死状態になったのだ」
「や、そんな、無理だ……死ぬ」
いまや青ざめたロマノは、恐ろしいらしくフラスコのほうを見ない。あたしは見えるけど。
「死なぬ。おまえは知らなかったな。アザレア殿の母親は、その昔ケンタウルの星祭りで『鉄道』を走らせた魔女だ」
「な、そんなのは百年も前の話じゃないか!」
ロマノは目を見張った。眼鏡から目がこぼれそうだよ。
そう、川に流された子どもへの哀れさに我を忘れた魔女が、あたしの母親。あの日まで、あたしは知らなかった。母親が魔女だってことを。
細かい泡が口からのぼる。あたしの体はフラスコの底にぶつかってゆらめいた。
『観覧車』では彼が切符を持った申込者に説明をしている。所長が電信の釦を押して、開始を彼に知らせる。
あたしは、呼び出しのハンドルの振動を聞く。