青空道守(2)
今岡真三郎はこの大学の経済学部国際経営学科の4年。
政界のサラブレット候補ということでこの学部の中でも目立つ存在ではあるが本人は全くといって良いほど、自分の置かれている立場に対して、意識をしていない。
しかし、独特の話し方と和風な服装で入学以来、空也が話しかけるまではこの大学一近寄りがたい人間だった。
それは入学から1ヶ月たった学内のカフェテラスでの出来事。
真三郎は大勢の人間を従えて、1年生でありながらカフェテラスの独占をしていた。
それは本人が意図して行った行為ではなく、周囲の人間が真三郎や自分達の権力を誇示するかのように行っていた事だった。
いつものように真三郎はその中心に座り、世界経済のニュースをスマホで拾いながら、黙々と食事を続けていた。
その目の前の席に1人の男が無理やりに席をどかせ、真三郎に文句を言った。
「サラブレットだか、首相の息子だか知らないがここは学生なら誰でも使用できる施設だ。お前らが独占する権利はないだろ」
真三郎に喧嘩を売ったのは工学部マネジメントサイエンス学科一年、海道守だった。
「おい、あの一年、海道家の跡取りらしいな。今回ばかりは俺たちの脅しは効かないな」
周囲は何事もなかったかのように真三郎を取り巻いていた人間達は席を立ち、気付くと、真三郎と守が向かい合った状態になっていた。
「何か言え、今岡真三郎」
真三郎はスマホをテーブルに置くとため息をこぼした。
「私に何か用かね、海道守」
真三郎の視線はするどく守の方を見た。
「今度は脅しか。そんなもの、俺には通じないがな、おぼっちゃん」
守はニヤリと真三郎の方を見返した。
「私は忙しい。こうしている間にも日本の国債は海外に多くが買われようとしている。世界の法令や過去の情報を検索しながらその対策を考えていたところだ。お前の相手などしている暇はない」
「だったら他所でやれ。カフェテラスを権力の象徴のような場所にするな。お前なら空いている部屋でも教室でも使用許可が下りるだろ。それとも」
話の続きをしようとしたが真三郎が驚くような言葉を口にした。
「その通りだな。お前なかなか良い事を言う。そうすれば良かったのだな。それならこの取り巻き達にも私は囲まれる事なく、1人で静かな昼食が取れるものだ。感謝するぞ、海道家の跡継ぎ」
カフェテラスの中は沈黙に包まれた。
「まあ分かればいいんだ、分かれば」
「早速明日からそうすることにしようと思うぞ。しかしだ、時間はまだ残っているが今日早々では場所の手配が出来ない。そのアイデアを言い出したお前が責任持って、これからの私の移動先を探すのだ。それくらいのことは出来る男だと思っているのだが私の勘違いか」
正直、守はそこまでのことを考えていなかった。
今岡の息子を手玉に取り、学内での自分の力が証明されればそれでよし、言い争いになり負かされることになっても今日の出来事が校内で噂になり、自分の箔がつくことになれば、またそれもよし。
しかし、真三郎を噂の印象からしか推し量っていなかった守には真三郎の言葉に返す言葉がなかった。
「俺も明日までになら探す事が可能だが今日は無理だな。明日にしてくれ」
「私の話を聞いていなかったか。明日までになら私も手配できると言っておる」
「今日はここにいればいいだろう。それで周りの学生も明日から平穏な昼食が送れるということになる。お前を囲んでいた取り巻きが邪魔をすることがなければな」
そういうと守は真三郎を囲んでいた学生たちに睨みを利かせた。
「取り巻き取り巻きとさっきからお前は言っているがそれは誤解だ。私は家柄学年を問わず誰とでも合い席になることについてはいとわんのでな」
「お前がそれでもこいつらはそうは思ってないようだけどな。名門だとか、家柄だとか、そんなくだらないもんがこんな所にまで幅を利かせてることにうんざりする」
「海道守。お前は間違っているが正しい」
「どういうことだ」
「前半の部分、名門、家柄についてだがそれを大事に守り続けて生きている人間も多くいるのだ。この中にもお前のように私を囲むではなく、自分の生き方に沿うように過ごしている学生も多くいる。ここはそういう学校だ。そういう客観的視点から幅を利かせているということはない。私はそういう行動をしたつもりもない。そして、後半の言葉だが、私もそういうものにはうんざりしている」
守は呆気にとられた。
入学から始まり、カフェテラスの利用が始まると、主のようにこの場所を独占していた人間が口にする言葉ではない事を平然と喋っていた。
「お前なあ、どの口からその言葉を言っている」
いつの間にか守は我を失っていた。
「私の口からでは不満でもあるのか」
そういった瞬間、守はテーブルの上に上がると、真三郎の飲みかけの日本茶を飲み干した。
「お前が飲んでいるお茶の味も大したことないな」
次の瞬間、真三郎もテーブルの上に上がり、守の頬を平手で叩いた。
「私のことについてはいい。しかしだ、このお茶の生産者の悪口は許さん。茶づくりを始めたばかりでお前の言うとおり、今年の出来栄えはベテランの茶農家に比べるとまだまだかもしれん。しかしだ、何も知らずに勝手に人の茶に口を付け、出た言葉がそれでは私も我慢するわけにもいかん」
守は真三郎に叩かれた時、子供の頃、父親に叩かれたことを思い出していた。
どれくらいたっただろうか。
少しの沈黙の後、守は怒ることもなく、口を開いた。
「そりゃ、悪かったな。その茶農家の名前を教えてくれ。これから先は海道家がすべて買い占める。お前のいうように今後、上手い茶を作るか、俺自らが見守っていくことにする。美味しければ、大々的に売り出す事も出来るしな」
「あなたは間違っている」
その言葉の先に真三郎と守、その他カフェテラスにいた全ての人間の視線が注がれた。
「おい、庶民。それは俺に対して文句を言っているのか」
「また間違った」
「おい、そこの高校生のような雰囲気をかもし出したまま、大学生になりきれてもいないお前。俺に喧嘩を売るなら買ってやる。お前はどの家のものだ」
「はぁ、間違いすぎ。僕はどの家と言われれば、青木空也。青木家のものですが。青木家と言っても親も兄弟も親戚もいないから、1人青木家といえばいいのかな」
「まあいい。それでは質問だ。俺は何をどう間違っているのか話してみろ」
「さっきの会話とあなたの話から質問します。あなたに買い占められたまだ中途半端とあなたが思っているお茶はあなたが販売に乗せようと考える気になる期間はどうなりますか?」
「俺が納得するまでは廃棄だ。海道家の名が付くブランドに貧相なものでは販売できないからな」
「やっぱり思ったとおりだ。それではどうしてそこの人はあなたがそんな風に思っているお茶を飲んでいましたか?」
「それは始めたばかりの茶農家を応援するためではないのか」
「ですよね。だからあなたは間違っていると言ったんです」
「だから何がだ」
「そちらの人は味には拘らず、これからも毎年の楽しみとしてその農家さんのお茶を飲もうとしている。一方あなたは自分の望むものが出来る間は廃棄しようという」
「それの何が悪い。何が間違っている」
「あなたの器とその方の器では比べようがないほど、あなたが愚かだということです」
空也が言ったその一言に周りの人間達の表情が凍りつく。
「お前」
殺すという言葉をかき消して、真三郎の笑い声がカフェテラスに響き渡る。
その後、先に空に話しかけてきたのは真三郎だった。
「青木空也、空と呼んでもいいかね」
「いいですけど、どうしてですか?」
「私は空の親友になりたいと思ってな」
「おい、今岡、俺はこいつに言いたいことが山ほどある。そして、こいつの今の状況を把握して、辱めを受けた報いをすべて返すつもりでいる。それでもお前はこんなやつと親友になるつもりなのか」
「また間違った」
「間違っておる」
「もう親友になった気か」
「いやいや、まだ空の了承を得ていないので舞っているところだ」
気付くとテーブルの上で真三郎は迫真の舞を披露していた。
「お前こんな場所で何をしている」
「だから、舞を舞って、空の返事を待っているところだ」
「勝手にしろ!それよりもお前だ。覚悟は出来ているんだろうな」
「君こそ、自分の言葉を自分で汚した覚悟は出来ているのかな?」
「どういうことだ」
「君がうんざりしていることは何だったかな?よーく考えてみてほしいな」
「名門だとか家柄・・・・・」
それ以上、守が口にすることはなかった。
「海道、ようやく空の言う事が分かったようだな」
「ああ」
「それからさっきのお茶だが道の駅で販売されている。その前に一つ補足を付け加える。このお茶の生産者についてだ。この茶の生産者は今岡家の元運転手をしてくれた人間だ。私は幼い時から可愛がってもらっていた。この茶を飲むと一緒に過ごした時間を思い出しながら、自分もまだまだ努力せねばならないという思いに駆られるのだ」
気付くと真三郎の目からは自然と一粒の涙が零れていたが気付かれないようにすぐに手で拭った。
しかし、すぐ近くにいた守はその涙に気付いていた。
「おい、青木空也。俺を辱めにしたことは許してやる。その代わり、今岡よりも先に俺を親友に選べ」
「はぁ、あなた達のような人とは親友にはなれません」
「空、君も間違っているな」
「だな、間違っているぞ」
「この空気と流れに付き合いきれないのと、午後からの授業があるのでそろそろ行きます」
そういうと、空は何事もなかったようにカフェテラスを後にした。
「おい、今岡」
「真三郎でよいぞ、海道の跡取り」
「俺は守でいい。それよりもどっちが先に青木と親友になるか、勝負だ」
「間違っておる。親友とはそういうものではない」
「間違っていてもいい。カフェテラスにいた学生達の前で俺達の誘いを断ったあの男を絶対に親友にする。そして、いつか俺の器がお前よりも上だということを言わせてやる」
「間違ってるが正しい判断でもある」
「お前も力を貸せ。絶対に親友になってやる」
「ここに来て、初めて面白いことになってきたようだ。それと、そこの者達。そういうわけなのでこれからはこの守と行動を共にする事にした。これからは私に付きまとうのは止めて頂きたい。1年生ならまだ分かるが4年生が大学院生までが私に対して頭を下げるような行為に関して、私も心を痛めていたところだが空の言葉で目が覚めた。これからは先輩らしい言葉で声を掛けてきて頂きたい。私も後輩らしい言葉で声を掛けさせていただきますのでよろしくお願いします」
「お前、面白いやつだな。いや、違うか、青木か。あいつがお前をそんな風にしたのか」
「私だけか」
「いや、よく考えれば、俺もだ。理由は分からんが俺達にない物をあいつは持っているんだな」
「やれやれ、ようやく気付いたか。あの雰囲気の中、私と守の喧嘩を一言で止め、守の考えを改めさせ、2人の器の違いを端的に口にし、その二人から親友の誘いをきっぱりと断り、自分の世界に戻って行った。私には空という人間の判断が付かん。いや、底知れんと言った方が妥当か」
「一つ抜けているぞ。お前に涙まで零させたという事実を俺は見逃してない」
「あれは幻ということにしておいてくれ」
「ああ、もちろんだ。それにお前と親友になるとは言っていないからどこかのタイミングで切り札の一つとして手足として使わせてもらう」
「そんなことをすると、空とは親友にはなれぬな。その話をすれば、口も利いてもらえなくなる事を考えてそう言っているのか」
「またやっちまうところだったか。よし、まずお前と親友になることから始めるぞ、覚悟はいいな、真三郎」
(守は入学式での件が空だったことにまだ気付けていないのか)
守の言葉に真三郎は大笑いしながらカフェテラスを後にした。
(入学式早々、あの屈辱の原因は空だったか。もういい。受け入れる)
守は1人右拳を握り締めながら、気合を入れ、カフェテラスを後にした。
カフェテラスを独占していた人間達は真三郎とは別に部屋を手配し、カフェテラスの光景は次の日から誰でも気軽にゆっくりと楽しめる場に変わった。
その中にはもちろん空も入っていた。
その後、しつこいほどの2人の努力?の甲斐なのか、同じ時間を共有したことで大学一年間に3人の仲中は自然と会話するようなほどになっていた。
しかし、嫉妬や妬み、庶民と蔑みたい一部のグループの間で空の存在はこの大学から消し去りたい大きな存在になっていた事も事実である。
大学2年になったとき、ついに起きてはならないことが起きてしまった。