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第八章 殺意

 不意に、目が覚めた。

 携帯のサブディスプレイの時計を光らせると、まだ午前二時四十分と少々……。


 悪夢は、中々消えない。

 死にかけたせいもあるのかもしれないが、戦時の感覚が平時の感覚に戻るにつれて、今更ながら罪悪感を感じ始めた……。いや、多分違うな、そんなのはらしくない。戦った相手は、確かに人間だ。でも、顔見知りってわけでもなく、ただ、斬っただけ、突いただけ。銃口を向け合っただけ、引き金を引き合っただけ、だ。

 斬らなきゃ、斬られてた。撃たなきゃ撃たれていた。

 罪とか、罰とか、そういう世界じゃない。

 豆球のオレンジの明かりの中で、両腕を持ち上げる。腕はある。違和感は、日増しに消えている。でも、日が経つにつれ、自分の物じゃ――これまでの腕じゃないという感覚も育ってきていて……。失った、自身の本当の手足への渇望のようなものがそうさせているのかもしれない。


 頭の後ろで手を組み、目を瞑り、さっきまでの夢の輪郭をなぞるようにして、俺は再び夜の世界へと落ちていった。



 その日は――。

 時間は朝で、日が昇ってからまだそんなに経っていなくて、町はまだまどろみの中にあり、炊煙がポツポツと上がっている程度だった。

 その時――夢の中の――俺は、屋上から双眼鏡で周囲の状況を偵察していた。敵の戦略は不明だが、この町は軍事拠点ではない以上、おそらく、正面から堂々と侵入してくると予想していた。

 そして、それは的中した。


 かなりパワーのある車両なんだと思う。村の入り口までは領事館から一キロ以上離れているはずだが、耳を澄ませば微かに重いエンジン音が響いていた。

 徐々に明らかになっていく姿。

 速度は遅い。多分、徐行している。

 随伴歩兵に合わせたのかもしれないが、過積載のせいかもしれない。装甲車の屋根の上にも人が乗っている。

 戦車とは、またちょっと違うシルエットだな。

 キャタピラじゃなくて、タイヤが付いてる。……ああ、兵員輸送装甲車ってヤツだな。それが一台と、随伴している歩兵が十と少し。とはいえ、装甲車の屋根の上だけでなく、中にも十人程度は乗っているはずだ。多く見積もって、約五十。

 小隊規模という予想は当たったな。……もしかすると、糧食の問題もあるのかも。現地調達しようにも、国境の基地に山岳の基地、付近の村。何百人もを長期間養えるだけのキャパがあるとは思えない。なら、敵は意外と少数か?

 装備は、整っているとは言い難い連中だな。防弾ベストみたいなもを着ている兵士は、数名だ。他は、ヘルメットにTシャツ、そして銃火器を肩に担いだり背負ったりしている。

 ……あまり行儀の良い兵隊じゃないな。ガムか噛み煙草かをクチャクチャやってる兵士に、雑談しているのもいる。

 既に戦勝気分だな。

 なら、ここに来たのも、物資の略奪のためだけか? それなら、まだ対処のしようがあるかもしれないが……。


 車両の音に気付いたのか、町がざわつき始めていた。しかし、急な動きをして目に付きたくないとも考えているのか、まだ、家の中にこもって様子を見ているような感じだ。ここじゃ、低所得者層の家では、家の外で炊事や食事をするんだが、そうした女子供が家に引っ込んだだけで、通りに出るヤツも、こっそり裏口から逃げるヤツも、今はまだいなかった。


 町で一番広い道路を悠々と進む兵員輸送装甲車。

 ああ、車体の重さで未整地ってか、舗装されていない道は不安があるとかなのかも。なら、即席の塹壕とバリケードも多少は役に立つか。


 まずは出方を窺って、後は交渉で――。

 と、思っていた矢先、装甲車の上に乗っていた兵士が降り、一番近くの家に入り、住民を引きずり出した。

 頭の後ろに手を組まされ、道造に並べられた家族。八人家族だな。四十代の夫婦と、マトリョーシカみたいに順に小さくなっていく子供が六人。

 兵士はなにか調べているようだったが、最終的には、後頭部に拳銃を向け、あっけなく引き金を引いた。

 乾いた発砲音がいくつも折り重なり、音が消えたときには、道沿いに八つの死体が並んでいた。


 町が一気に騒がしくなったが――、兵士と、兵員輸送装甲車の機銃が空を目掛けて威嚇射撃をし、大声を上げると、静まった……とは言い難いものの、散会した兵士が、其々を分断し、家に押し込み、人の動きを制限し始めた。

 最初のは見せしめだったのか、以降は――いや、何人かは撃ち殺されているな。年齢でや性別じゃない。どんな基準で分けているのか、いまいち分からないが……。


 ……はぁ。

 話し合いで引き伸ばしを……なんて、甘い手合いではないのか。

 金と食料が目当てなら、物品を提供しつつ、領事館を兵舎として提供し、上手くストックホルム症候群を引き起こさせれば、被害無く交渉で解放を目指す――人質側が犯人に親近感を抱くのと同様に、犯人側も人質の見方が変わり、容易には殺せなくなる――ことも出来たかもしれないが。


 誰かから助言が欲しいが、ここには俺独りしか居ない。

 俺がやるしかない。

 レンバードとの電話は繋がらないままだ。国境での戦闘時に死んだか、逃げたか……あるいは――。いや、まあ、いないヤツに関しては戦略に組み込むべきじゃないか。


 日本の警察よりは、しっかりと訓練をしていたという自負はある。テロの脅威が差し迫っているせいで、戦術研究も。

 しかし、軍人相手に俺の付け焼刃がどれだけ通用するかは未知数だな。


 自分だけは大丈夫、と、自分ならやれる、という感覚が、一番危険なのは四号業務でも戦場でも同じだろう。

 誰もが死ぬ可能性はあるし、それは、ほんの少しの違いだ。数センチのズレ、数ミリの差、その程度が生死を分けてしまう。

 嫌な世界だ。

 どれだけ鍛えても、完全に上手くやれることなんて無いんだから。努力だけじゃどうしようもないんだから。正しいことを主張していたって、……いや、先見の明があったからこそ、こんな貧乏籤を引かされているんだから。



 屋上から降り、そのまま一階まで階段を駆け下りようとしたが――。物音に気付いたのか、二階の踊り場で横田に鉢合わせた。

「ど、どんな、状況は……」

 視線が定まっていない。呂律も――、いや、呂律は、ぶっちゃけいつも通りか。上に言われたこと以外では、基本的に責任を負いたくない中年なんだし。

 ってか、今更そんな露骨に怯えられてもな。

 どうせ自力ではどうしようもないんだから、せめて腹ぐらい括っておけば良いものを。責任者の癖に、見苦しい。

「黙ってろ、木っ端役人。連中、皆殺しにするつもりだ。出るぞ。お前等は大人しくしてろ」

 まあ、言われなくても部屋の隅で大人しくしてるだろうけどな。

 カクカクと横田は頷き――、そして、下がった視線で、俺が拳銃とナイフで武装していることに今更気付いたようで、更に顔色を悪くして言ってきた。

「そ、その、反撃は、自衛のために最低限で、発砲は――」

 非常時でも、役人は役人らしい。

 ハン、これだけ劣勢で、しかも向こうはヤる気なのに、先制攻撃もせずに凌げるかっての。

 まあ、事が済んで生き延びていたら、人道に反する行為だとか、俺を弾劾する気なんだろうな、このバカは。

 ……流れ弾で殉職させてやろうかな。これまで、散々俺の邪魔をしてくれたんだし。


 なーんてな。

 戦闘時にこちらを危険にさらす行動とか、直接的に俺に攻撃をしてくるとか、そういう状況にならない限りさすがにそこまでする気はないし、出来ないと思う。陰でグチグチやってるのはムカつくが、だからといってそれだけで殺意が固まるってモノでもない。

 損な性格だな、俺も。

 嘆息ついでに――。

「死ね、バーカ。そんな余裕あるか。クソが。殺さなきゃ、こっちが死ぬっての。それに、俺らには外交官特権があるんだろ? 逮捕、起訴されないなら、ペルソナ・ノン・グラータを勧告されない限りは、敵を殺して生き延びる。それが唯一の活路だ」

 思いっきり罵倒してみた。

「最悪だ。お仕舞いだ。……なんで、僕が」

 横田は……、多分、俺の監督責任とかその辺の部分でストレスが爆発したのか、踊り場で頭を抱えて蹲った。

「黙ってろ、クソ役人」

 大使のケツ蹴って突き飛ばし、階段を駆け下り、領事館の外へ出る。


 敵はまだここまで迫ってきてはいない。目立つ建物なんだが……。外側から徐々に包囲をせばめ、最後にまとめて始末するつもりなのかもしれない。ポツポツとだが、町人が避難を始めていたので、一階に立てこもるように指示を出して、俺はそのまま街中へと突入を開始した。


 屋上からの監視でピックアップしていた、突出している一班五名はすぐに見つかった。

 誰彼構わず殺してるってわけでもないようだが、町人の半分程度はその場で殺されているな。

 女を後の楽しみに残してる、ってわけでも無さそうだし、本当になにが目的で侵攻してきたんだ?

 支配したいなら、ここまで死傷者を出す意味が無い。労働人口の減少で、拠点としての整備維持に難が出る。首都進攻の中継地点としても、物資が集積されているわけでもないし、別にスルーしても良さそうだけどな。鉱山の警備は確かに脅威かもしれないが、あくまでビジネスの連中がわざわざこんな小国の内乱に介入するとは思えないし。

 単純な、子供向けのストーリーみたいな、世界制服とかそういう目的で、目の前の物はなんでも欲しいって感覚なのかね?



 班が家屋に入った際、裏口を固めようと離れたひとりを狙いを定め、足音を殺して忍び寄る。

 ゆっくりと息を吐き――、覚悟を決めて飛び掛る。

 口に布を巻いた手をあてがい、すぐさまナイフで首を切り裂いた。抵抗は、無かった。あっけなく、兵士の体から力が抜けた。血が……。血のぬるっとした触感と、体温と、匂いが、右手にこびり付いていく。

 静かに、死体を地面に横たえ、装備を奪って再び家の裏手の納屋のような場所に身を隠す。大丈夫だ。気付かれていない。悲鳴も無く、崩れ落ちる音も最小限にとどめた。

 唾を、飲む音が耳に大きく響く。

 飲み込む唾に微かな違和感を感じる。

 匂いのせいか、まるで血を飲んじまったような気がした。


 上がりそうな息を、早くなる動機を深呼吸で落ち着ける。ここからは死角になっているが、家の中や玄関前の兵士が気付いた様子は無い。

 もう少し、削れる、か?

 迷ったのは、短い時間だった。

 減らせる時に、出来るだけ減らしておく。

 結論と同時に再び俺は動き出した。

 殺したやつのヘルメットを奪い、薪の束を足場に屋根に上る。ヘルメットを投げ――、正面を押さえていた二人が音に気付いた。屋根の上へは警戒をしていない。顔を見合わせた二人は、二手に分かれて挟み打つかどうするか短く言葉を交わしたが、結局は一緒に、ひとりが前方を警戒し、もうひとりが後方を警戒する形で進み始めた。

 今じゃない。今飛び掛っても、どちらかに気付かれて、反撃を受ける。完璧な隙を探さないといけない。

 だがしかし、隙を作るための準備は既に済んでいる。

 死んだ兵士に気付いた。前方を警戒していたひとりの足が止まり――、二人共が正面を向いた。増援は呼んでいない、まずは自分達で確認するつもりのようだ。

 ――いける、この位置で、敵が二人なら、なんとか。

 二人が死体に接触する瞬間、背後に降り立ち――、後衛の一人の膝裏を蹴って姿勢を崩し、首に腕を巻きつける。ソイツを盾に、振り返った男――前で死体の脈を確認しようとしていたようだ――にナイフを突き立てた。予定通りに切り裂く形にはならなかったが、首筋に深く刺さったナイフをすぐに抜き、そのまま返し様、左腕で抑えている男の胸を突いた。

 他の敵に、気付かれた。

 家の中が騒がしくなっている。

 位置的に、家の中の兵士が出てくるまで、そして他の家を検めている兵士に囲まれるまでは間があるはずだ。足音を立てても問題ない。匍匐ではなく、姿勢を低くして中腰で駆け、細い路地へと入る。

 ここは障害物や死角が多い。建築法が日本とは違うのか、そもそも未整備なのか、家が密集しているせいで、裏通りは狭く、所々に食事のための裏庭のような広場があるものの、それが逆に視界を広げたり狭めたりするせいで、敵に気づかれ難い。もっとも、こちらからも敵の動向を探りにくいので、事前に充分な偵察――屋上から、敵の動きを観察し、移動経路を予測して地図に記している――が無ければ、危険だが。


 領事館の敷地に入り、土嚢の陰で奪った武装を確認する。

 ライフルに――、サイドポーチの側面に手榴弾が三つ、サイドポーチの中身は、予備のマガジンが四つか。

 まあ、拳銃だけよりはましだが、これだけの装備で兵員輸送装甲車と残りの兵士を片付けられるって物でもないな。

 そもそも、銃を撃てば音で位置を気付かれる。なので、みだりに発砲するわけにはいかないが、銃無しで出来る抵抗なんてたかが知れてる。

 まあ、ナイフや格闘術は、これまでの経験上それなりではあるはずだが……。

「ハッ、ハーッ、ハッハ」

 そこまで走ったつもりは無かったが、いつのまにか息が上がっていた。呼吸が……。いや、違う。心臓が、今更になって、早鐘を打っていた。

 過呼吸?

 いや、大丈夫だ。まだ、そんな……そう、自分を自分でコントロールできている。


 手応えは、はっきりあった。まだ指先に、余韻が残ってる。刃が、皮膚で軽く押し返され、その後すんなりと貫く感触。骨の硬さと、血のぬめり。

 そして、匂い。

 血だけじゃない。なんていうか、死体も独特の臭さがあることを知った。鼻の奥に、糞尿臭って言うか、夏場の掃除してないキャンプ場の便所みたいな匂いが微かに残ってる。

 罪悪感は感じなかった、死体や血の不快感は感じているが。

 ……うん。

 実践は初めてだが、冷静にやれている、と、思う。人を殺すこと、殺したことに関して、特に強い感情が喚起されたりはしていない。

 多少の緊張はあるものの、あくまで、いつも通りだ。

 ……いや、それもそうか。

 俺は――、かつての仕事で、クライアントを守るためにはそれ以外の手段は無いと判断して、ストーカーをひとり殺している。

 一線なんて、とっくの昔に越えていた。殺した人間が、一人から二人、三人四人と増えたところで、そこまでのものでもない。

 そもそも、最初の殺人に関したって、思い出して悩んだりしたことは無かったし。


 あの狂的だが冷静でもあるサイコパス気質のストーカーと対峙し、観察した時、この男は、必ず出所後にクライアントを殺すという確信があった。住居への不法侵入に始まり、脅迫やその他様々な罪状で実刑は下るだろうが、執着の対象であるクライアントと引き離された刑務所では模範囚で通るだろうし、出所までの時間は長くないとも。

 今、ここで殺さなければ、次は、俺かクライアントが死ぬと思った。


 だから、取り押さえた後、警察に通報するふりをしてわざと隙を見せ――突き出されたナイフを、いなし、相手の力を利用して心臓に刺して返した。

 その時にも、皮膚、そして、肉を裂く手応えははっきりとあった。

 だが、それだけだ。

 恨みがましい視線も、断末魔の叫びも、そんなずっしりと重くのしかかるようなものでもなかった。

 俺は、あくまで仕事をこなしただけ。

 休日までは引き摺るけど、月曜になって新しい場所で、新しい警備もしくは護衛をすることになれば、すぐに記憶から消える。

 その程度だった。


 人が皆そうなのかは分からない。

 むしろ、俺みたいなタイプの人間が珍しい……のか? まあ、昨今、妙な事件が日本でも多いし、自分を少数派か多数派に分類する意味も無いのかもしれないが。

 ともかくも、俺は、俺だ。

 職務を遂行し、生き延びるだけ。


 ドライって言うか、シビアって言うか、多分……。

 うん、そうだな。

 俺は他人に興味が無い。

 生き死ににも、善人か悪人かにも、男女も老若も、なにもかも。全部まとめて他人のひとくくりだ。依頼があって、金が出るなら、それ以上の事は――それ以外の事は、関係ない。

 目的も意欲も無いが、別にそれは普通だろう。

 どんな風に生きようが一生は一生。

 人に尊敬されようがされまいが、別に最後は同じ骨なんだし関係ない。刹那的だろうが享楽的だろうが、無為だろうがな。


 ともあれ今は、そんな日常をこれからも送るために――、敵を殺す時だ。

 銃を握り締め、土嚢に身を隠しながら、俺はこれから始まる激戦に備えた。

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