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第七章 再適

 リハビリは――しかし、意外とあっさりと進んでいった。

 負傷して十四日、目が覚めてからまだ四日しか経っていないのに、必要最低限の日常の事は自分で行えている。まあ、医務官も医者なんだし、そういう介護も仕事と割り切っていたのかもしれないが、男として、あと、身長差もあって、やっぱ、なんか絵的にアレ……だったし。

 ま、細かいことを言えば、違和感は消えたとは言い難く、幻肢痛……と呼んで良いのか悩むが、そうした、手足の、ごく狭い範囲にビリッとした鋭い痛みが走ることがある。もっとも、機械からの情報を上手く処理しきれずに感じてしまう痛みなのかもしれないが。

 ただ、そうした違和感や痛みに関しては、基本的には、有線で接続して――自分では確認出来ないが、USBの差込口が、背中の電源コードの差込口を囲むように五箇所逆五角形に配置されているそうだ――、医務官がパソコンであれこれ調整してくれるので、すぐに感じなくなっていく。

 あんまり過度に痛覚や違和感を消すのも、なんだか身体に悪いような気がしてしまうんだが、医務官曰く、下手に我慢された方が、重症に至る兆候を見逃すので、細かいケアを行いたい、だそうだ。

 なぜなら――。

「試作型?」

 あんまり面白くも無い台詞に、眉を顰めてしまう。

 医務官は、特に俺の反応を気にした様子もなく、雑談しながら俺の四肢の状態のモニタリングを続けている。

「あくまで、意識のある人間に対しての第一号という意味でだがな」

 カチカチとキーボードを打ちながら、適当に答える医務官。

 俺はといえば、ベッドに腰掛け、命令されれば手を挙げたり、脚を組んだりする程度なので、かなり暇を持て余している。

「うん?」

 だから、医務官が発した『第一号』の台詞が耳についた。あの三人は、俺より前に、手術されたんじゃないだろうか?

 医務官は、一度手を止め、俺の顔を一瞥し、それから再びパソコンに向き直った。

「人間の臓器で、酸欠にもっとも弱いのは?」

「脳?」

「そうだ。サイボーグ化の手術では、どうしても、脳への酸素や栄養の供給に問題をきたしてしまうんだ。神経を繋ぐ関係上。冷やして代謝を落としたとしてもな。冷凍睡眠が実用化されていないのと同じさ」

 まあ、その程度の話は、微妙な特番でUFOネタと合わせてやってたりもするので、なんとなくは分かる。

「なので、脳幹は生きているものの、広範な記憶障害が発生していると思われていた患者に対する手術しか行われていなかった。手術の過程で、脳細胞が無視出来ない範囲で死んでしまうから」

「脳死患者用の技術?」

 不満って言うか、不安って言うか……。ううん。人体実験に対する嫌悪感よりも、なら、俺はどうなんだ? これからどうなるんだ? という不安からか、思っていたよりも硬質な声が出ていた。

 普段の仕事では、やたらと人権に配慮しなきゃならなかったので、その反動なのかも。

 ……いや、記憶を再建できないから、もう、者ではなく物だと扱うようなやり方が、いまひとつ合わないせいだろう。

 俺も善人ではないんだが、……なんつーか、医務官とは別のところに一線を引いているのかもしれない。


 医務官は、俺の反応はさっき一瞥したときに予測していたのか、パソコンからこちらに視線も向けずに答えた。

「厳密には、違う。脳死は、脳幹も死んでいる場合に適応されるが、脳幹が死んでいる場合、サイボーグ化してもどうにもならん」

 さして大きな違いは無いような気がするんだがな。

 ってか、その程度の揚げ足取りで話を誤魔化すなよ、と、睨むが「膝蓋腱反射の信号を割り込む。足の力を抜け」と、突き放された。

 嘆息し、足の力を抜く。

 一拍後、膝から下の足が跳ね上がった。

 うむ、と、医務官が頷き――、唐突に、さっきの話を再開した。

「人工的な内臓は、ほぼ実用化していない。完全滑込み方の人工心臓や、人工腎臓も研究や試作はされているが、まだまだだ」

 みたいだったが、なにを言いたいのか分からなかった。

「脳幹は、生命維持機能を司っているんだ。それを代償する医療機器は無い。それに、身体の全て――脳の全てを機械にするなら、それはロボットであり、サイボーグじゃない」

 ああ、まあ、それも分かる、が、よお。

 なんか、釈然としねえっつーか。

「お前の補助腎臓だって、単品で身体を維持出来るものじゃない。四肢の神経と筋肉を接続している部分。半透膜を使い機械パーツと体液の接触を最低限にしているが、そこから混じった金属や人体に有害な成分を吸着する特定用途に関してだけの……」

「よく分かった。で?」

 延々とわけの分からない理屈を並べ立てられても、話が迷子になりそうだったので、結論を促してみる。

 医務官も、論点がずれたことには気付いたのか、どこか恥ずかしそう――でもないが、まあ、軽く視線だけを動かして俺の様子を確認し、ようするに、と、前置き――。

「四肢や、既に再生技術のあるパーツ以外はサイボーグ化できない。サイボーグ化していない生身の部分を維持するためには、脳幹は必須だ」

 医務官は、ドヤ顔? をしているつもりなんだと思う――実際には、いつも通り目の下の深い隈の印象が全て持っていく、不景気な面だが――目の動き的に。

 しかし、それは、俺が聞きたい系統の話でも無いんだよな。

 謝罪の言葉が聞きたいわけじゃない……。誰に謝るんだって話だし、既に俺はサイボーグ化され、今のところ問題なく生存できている。

 ただ、俺以前の実験体をどう思っているのかと、俺自身に関しては、致命傷なんだから好きに使おうと思って実験したのか、救命の最終手段としてそうしたのか否かを、はっきりさせたかっただけで。


 つーか、そもそも、脳に障害を負う危険を冒してまで四肢を再建させたいとは、普通は思わないんじゃないか? 今の患者は全て過程としてしか認識してないってか?

「手間が掛かる割に実りも無さそうだが」

 皮肉をたっぷりと盛って肩を竦めてみせる。

 医療技術の実証という側面もあるとは思う。でも、身体スペックが常人をはるかに越える位置にあることと、記憶や人格を残していない人間の四肢を再建する意味を考えれば、軍事利用だと思いつくのは容易かった。

 しかし、だったらわざわざサイボーグ化するよりも、リモートコントロールするロボットの方が、コストや倫理的な面ではるかに扱いやすそうだ。なにより、人型にする意味もあんまりないとおもうしな。UAVとか、地面を走破したいなら戦車型とかの方が有利だろうし。

「そうでもない。米軍は、仲間を見捨てないという行動も徹底しているし、兵も国民だからな。先進国では、多少高くても医療技術の進歩に金を出す。二次元への憧れだけではないんだ」

 まあ、コイツの場合は、二次元への興味だけのように感じなくも無いが。

 機械に身体を置き換える前は、ほとんど空気だった俺に対する扱いが、軽い会話をする程度には近付いているんだし。

「どこまで話したっけな。ああ、これまでは、脳細胞へのダメージが無視できない。うん、そうだったんだ。が――」

「俺で、なにか、実験したのか?」

 特に記憶が曖昧だったり、身体を動かすのに――慣らしは必要だったが――不具合が生じてもいない。俺の成功は、たまたまだったのか、それともなにか対策をしてくれていたのか。多分、前者だと思うがな。対策を見つけ出していたなら、急に俺に実行するよりも、きちんとした場所で、多数の医師の立会いのもとで行うだろうし。

 半分以上、むしろ、八割方期待していない目で医務官の様子を窺うが、返ってきた返事は予想とは違ったものだった。

「逆だ」

「逆?」

 どこか、弾んだようにも聞こえる声に、不信感を隠さずにオウム返しに訊き返す俺。

 しかし、医務官は――これまでは表情に乏しいイメージが強かったんだが、今回ばかりは、それとなく分かる程度には浮かれた顔と調子で続けた。

「手術の過程で、お前の脳波の変化に違和感を感じた。ので、術式に関するアレンジを行ってみたところ、それが成功したんだ。お前の体質は、どうも、怪我に対して特殊な仮死状態を脳に生じさせるようで――」

 自分が、特別、ね。

 危険な考え方だ。四号業務をしていた時も、自分なら上手くやれる、とは、努めて考えないようにしてきた俺にとっては、特に。

 高めた技術で回避できる危機は多い、が、充分に備えていても、負ける時も怪我をする時もある。運、と言い切るのにも抵抗があるが、そうした、ほんのちょっとの差で生死の境界を感じる経験が、何度かあった。


 ……いや、もしかして、昔の脇腹の怪我の時も――サイボーグ化で、身体の腹筋のやや外側までは人工の皮膚なので、今はもう痕は消えていた――、その体質のおかげで治療が間に合ったのか?

 ううん、決め付けは怖いが、もしかすると、な。


 まあ、だから次も怪我して大丈夫とか思いたくねーけど。次も怪我するような場面で使おうとか思われたくもねーし。

「具体的には、人工心肺のスタンバイ前に、意識障害で特徴的な波形が観測されなかったので、不思議に思って特徴を記録させたところ、頭部への衝撃が切っ掛けになったのか、海馬と関連していると思われるβ派の……」

 ひとがちょっとセンチに考え事してるって言うのに、医務官が横で専門用語を並べ立ててくれるおかげで、へこむにへこめない。

 まあ、いいけどな。

 しょげてて誰かがどうにかしてくれるのは学生までで、必要充分以上に年食ってる今は、ならどうするかを考えるのが先決だし。

「わかった。俺の体質で新たに良い事が見つかったんだな。ばんざい」

 まだ喋りたそうだったが、俺の聞く気がないという態度を正確に読み解いた医務官は、コホンと咳払いをして、いつも通りの無表情に戻った。

「もっとも、その時点でも脳への多少の記憶障害なんかは残ると思っていたんだがな」

「その場合はどうしたんだ?」

 訊ねると、うん? と、医務官は少しだけ首を傾げた後、流暢に話し始めた。

「一部の記憶が抜けただけなら、カウンセリングや過去のアルバムなんかから――」

「記憶の、大部分が壊れていたら? いや、自我を保てないような状態だったらどうするつもりだったんだ?」

 脳に障害を負った場合の回復は、個人差が大きいらしい。完全に回復する場合もあるとは聞くが、そんなのは泣ける実話として加工された現実で、表に出ない数字として、大多数がそのまま永遠の眠りに入るか、行動や知能に問題を残して、それと一生付き合っていく。

 そもそも、脳を回復出来るなら、卒中やアルツハイマーなんかも治せるってことだろうしな。


 一拍の間が開いたが、医務官は別に言い難そうでもなく、当たり前の事、という態度で答えた。

「……もしもを仮定する意味は無い。が、そうだな、その場合は他の患者と同様だ。脳の一部を機械に置き換える」

 そんなのが出来るんだろうか?

 まあ、現実問題として、実施例があるんだから出来ているんだろうが。ってか、そんなことが可能なら、もっと医療現場で普及していそうなものだがな。

 なにか、それにも問題があるのか?


 俺の疑問を表情から察したのか、それとも単にさっき喋り足りなかっただけなのか、医務官は――、紺と場キーボードを打つ手を止め、再び説明を始めた。

「簡単に言うなら、パソコンのOSのようなものを考えてもらえば分かりやすいかもしれない。脳の機能停止している部分に、ハードディスクのような記憶素材を埋め込み、適応させるんだ。身体に命令を出している部分が残っていて、そことの接続が上手くいけば、記憶だけがリセットされた、自発的な意思を持たない、こちらの命令に従う人間が再誕する。元々、人の脳には機能代償する機構が備わっているからな」

 テーブルの上に肘を着き組んだ両手の上に顎を乗せた医務官。

 長ったらしくて難しいが、要は、なにかを覚えるって作業をしている脳の部位なら置き換えられるってこと、だと思う。

「元の人格も、いずれは回復するのか?」

 医務官は軽く肩を竦め、お前も分かっているだろ? とでも、前置きたそうな顔で答えた。

「それは無理だ。大脳新皮質や、海馬の機能が破壊されている時点で、残ってはいない」

 だよな。

 でも、それなら――。

「……人権に関しては?」

「うん?」

 今度は、本当に俺がなにを言っているのか――問題にしているのか――分からないといった顔になった医務官。

「その、なんていうか、俺以外のは、幼児みたいなもんなんだろ?」

 自分でも上手く言葉にし難い部分の話なので、説明の言葉を選ぶのに困ったが、ともかくもそんな風にさらに質問を重ねてみた。


 かつてその人だった記憶は残っていない以上、元のような生活には戻れないと思う。まあ、家族や恋人が介護するって言うなら、同じ環境へは戻せるんだろうが……。

 でも、同一人物、と言い切りにくい部分がある。記憶喪失とは、似て非なる分類、だと思う、少なくとも、個人的には。

 ただ、まるっきりロボットとして扱うって言うのも非情っていうか、なにか違う気がしてしまう。

 つーか、脳死を人の死と定義するなら、脳幹は生きている俺以前のサイボーグも、定義上は生きているってことになるんだよな……。

 生死の境界、か。

 昔は呼吸で、次は心臓、今は脳幹……そして、今の死の定義では定義し難い、サイボーグ……の初期の実験体。

 彼等は、どの段階で死亡と判断されるんだろうか? 再生不能になるまで壊された時か? なら、俺は……?


「理論的には、成長するはずだが、個体の性能差による個性以上の物は発生していない。まだ未知の機能やシステムが人体にあるんだろうな」

 無責任だな、と、口には出さずに俺は溜息を付いた。

 はっきりとした自我が芽生えていないから、人権に関する議論は全く行われていない、というのが現状なんだろう。っていうか、もしかしたら、俺以前のサイボーグは、研究者の間では、人と定義されていなかったのかも。


 理解は出来るが、納得はし切れず、だからといって良い案も浮かばない俺は、……沈黙しか返せなかった。

「……それも、お前の治療結果から、変わってくるかもしれないがな」

 フォローのつもり……は、無いのかもしれないが、不意に降りてきた沈黙を破った。

「うん?」

「お前の行動をモニタリングし、脳波の動きなんかを基にして進化を促す試みも行われる予定だ」

 それはそれで、喜びきれない部分があるな。

 どうも、俺もコイツ等にとっては、人権の無いモノの側に分類されているようだ。もしかしなくても、死亡診断書とかも出されてたりしてな。はは。

「なんというか、ほんとに実験なんだな」

 露骨に感情を顔に出したつもりは無かったが、医務官は珍しく咎めるような口振りで質問してきた。

「……不満か?」

 視線を合わせ、一呼吸、二呼吸……。

「まあ、死ぬよりましだし、いいけどな」

 いつもの皮肉を口の端に乗せて俺は答えた。

 誰がどう判断しようが、まあ、結局俺は俺だ。好きに生きるし、好きに死ぬさ。もっとも、今すぐ死ぬのも、無駄死にもゴメンだがな。

 コイツ等の駒で終わるつもりはない。

 とはいえ、クーデターなんかを計画したり、反抗的な態度に出るってのも俺らしくないしな。

 適当に、聞ける範囲ではいはい答えて、残りは人生を楽しんで、なにか大きな問題が起きたら、その時にでも改めて考えるさ。

「オフはフリーなんだろ? あと、傷病手当に、残りの千五百万も――」

 軽い調子で続ければ、どこか煩そうな顔になった医務官が、組んでいた手を解き、椅子から立ち上がって俺に近付いてきた。

「ああ。……しかし、金、金煩い男だな」

 俺の背中のコードを抜く医務官。

 顎を手に乗せた時点で、チェックは済んでいたらしい。

 ……ふうん。

 コイツでも、俺相手の雑談に興じようとか思うのか。まあ、この国に来る前の空港でも絡まれたが、あれは、どっちかといえば消去法……って、それは、治療と実験のために側にいなきゃいけない今もか。

 訂正、やっぱ、医務官はいつもの医務官だ。

 不景気な面の、若干ムカつく女。


 自由になった身体を伸ばし、ベッドから立ち上がり――、俺は、まず、三十センチ程度の身長差を見おろし、肩を竦めて見せた。

「世の中で一番信用できるものだからな。多様化している現代だから、尚の事、共通の価値観は重要だろ?」

 医務官は、表情こそ変えなかったものの、あの漫画とかでよく見るミミズがのたくったようなぐにゃぐにゃした曲線が浮かんでいるような感じで、諦めたように呟いた。


「複雑なのか、底が浅いのか、解釈に悩む男だ」

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