第六章 摩擦
親睦会の翌日に移った領事館の建物は、元々は小さな貿易会社だったらしく、地下一階地上三階建ての鉄筋コンクリートの建物だった。地下階を商品の倉庫として使っていたらしく、どの階も小さなスーパーマーケット程度の広さで、これをたった四人で使う――とはいえ、三階は居住区画で、一階にはこの国の人間を雇って雑務に当たってもらうらしいが――というのはかなり贅沢というか、スペースの無駄のような気がした。
新政府命令による貿易会社の首都移転と同時に、日本がこの建物を買い取ったらしいが。
それもどうなんだろうな。
まあ、唯一の喜ぶべき点を上げるなら……。
壁の厚さは銃弾程度じゃ貫通しないし、ロケット弾を打ち込まれても数発は耐えられる、とのことだ、書類上のスペックでは。
生活の知恵というか、なんというか。
まあ、必要だから――多分、独立問題が拗れた場合への予防線として――そこまでガードを上げていたんだと思うと、素直に堅牢さを喜べはしないけどな。君子なら、危うきには近付かないのが鉄則なんだし。
しかし、この広さを独りで警備するのも骨だな。
どこの在外公館でもそうだが、ここも三メートルの壁が全周を覆っていて、正門横には入館管理室もある。だが、有事の際には、あんな箱、一瞬で吹っ飛ばされるだろうしな。平時には、あの小さな物置みたいな場所で、最低限のチェックを行うにしても、館内の警備を監視カメラだけでなんとかするってのもな……。
「警備に従事する人間は、他には?」
建物を一通り検め、鉱山の視察のため、今週はこっちに居るという横田に執務室で訊いてみると、いつもながらポカンとした顔で返されてしまった。
「いや、あなただけだ」
入り口で、形ばかりの身分チェックと手荷物検査だけしろってことかね、このバカは。
「単独で、この建物を守るんですか?」
呆れを隠さずに、嘆息しつつ訊き返せば、今度は若干ムカつく、教えてやるみたいな言い草と顔で答えてきあがるし。
「いや、キミも多少は調べているんだろうが、在外公館警備対策官は直接的に警備を行ったりはしないんだ。現地の民間の警備会社を雇い、それを指導・指揮するという――」
「この場所でですか?」
マニュアル通りの返しに苛立ちを隠さずに、発言を途中で遮って、再び俺は訊ねた。
横田は、分かっていない顔をしている。
「ハロワに求人出すのとは、わけが違うんですよ?」
この国でのコネが俺たちには無い。警備会社を紹介してもらう当ても無いし、新しく雇うなら尚の事、雇用者の資質を見極めなきゃならないし、一朝一夕には信用しきれない部分もある。未経験の手合いなら、教育や訓練も必要だろう。
てか、そもそも、それなら外交団を派遣する前に現地で警備員の募集ぐらいかけとけって話のような気もするがなあ。
「その、警備員の募集に関しても、キミの仕事ということで、僕の方では、その、承認とか予算とかを……」
無計画なのか、いつも通りモゴモゴしだしたので、腰に手を当てて、最終確認の意味で訊いてみる。
「勝手にやって良いってことですか?」
それならそれで、遣りやすいんだがな。
これまでもなんだかんだで余計な口出しをされてきていたので――首都に居る際には、現地警備会社との相談もNGを出されていた。何社かは、元が……というか、普通に民間軍事企業の警備部門という業務形態を問題視したという理由でだが――、それが無くなると言うだけで随分と遣り易くなる。
「充分な相談と、金額面での書類を出して貰って、その、きちんと本国側の承認を取れれば、それから正式に雇用してもらうという……」
が、横田はもしもの際の責任を取りたくないのか、はっきりと明言しなかった。
「今更で悪いが、説明不足のまま、俺を雇用したのはアナタ方だ。依頼内容を明確にして欲しい」
ダン、と、高そうな机に手を衝いて恫喝する。
「ええと……」
「俺は、この建物全体の警備責任ということで、人員の雇用も含めた責任を頂けるのか? それなら、予算の上限は幾らだ?」
「い、いや、その、相場が分からないので、予め決めていなくて……その……。改めて、意見を上げてもらって、それを検討するという形で」
「報酬額もはっきりさせずに、交渉できるわけないでしょう? この国のメジャーな警備会社は不許可としたのは、アンタなんだし」
「軍事企業に警備を任せたとあっては、その、世論が……メディア対策も難しいし、外務省の方でも、そういう人達は問題として、だね」
ああ、もう、埒が明かない。
そりゃ、確かに民間軍事企業の元祖は南アフリカにあって、様々な問題があったのも事実だが、傭兵と言う側面だけを見て問題視するというのもどうかとは思う。紛争時に、平和維持軍にとってかわられた際に、更に問題が広がった故事もあるわけだし。その辺りは、柔軟に対応すべき問題だと思うんだがな。必要悪を論じるのに、倫理観なんてぶら下げる意味あるか? それが、汚かろうが誰かがやらなきゃいけないことなら、是非も無いだろ。
それに、最近では、イラクやアフガンでの経験も踏まえ、業績から比較的軍事色の薄い企業をピックアップすることも不可能ではないんだし。
「なら、俺は、立ちんぼの警備だけしてればいいんですね?」
「いや、その……危険が無いわけではないんだし、外交団へ危害を加えられないように、総合的な警備と、生命と財産の保全。それに、防諜を……」
――ッチ。
上から指示されてないことは命令したくないってか?
キレそうだな、クソ。
大体、予算にしたって、こんかいの派遣に際して外交団として自由に出来る金もあるはずなんだがな。
「なら、はっきり言う。俺単独で、予測されうる全ての危険に対処することは不可能だ」
強い口調で訴えれば――。
「上に、掛け合ってみるよ……」
結局、それは、うやむやにしてなにも決めないといっているのと同じだろうと思った。
いや、それも分かってたこと、か。
どうも、俺もカリカリしてるな。……鬱憤が溜まっていないとは言わないが、形ばかりの責任者に怒鳴るとか、らしくない。
なにか……、上手く言えないが、落ち着かない空気があるんだよな、この国に来てからずっと。町の人が荒れてるってわけじゃないんだ、ガラが悪い連中も、居ないわけではないけど、多いってわけじゃないし。むしろ、愛想の良い人が多くて――。
どこか、浮かれたような、そわそわしたような、そんな空気が漂っている。
地に足が着かないって言うか、なにがあってもおかしくないと思ってるって言うか、そんな日本的に言うなら、ハレの日の雰囲気。
陳腐な表現かもしれないが、悪い予感ってヤツだ。
キナ臭いなんて表現があるが、火薬の匂いがするってわけじゃない、ほんとの危険の予感は、ライトでポップな空気だ。
嵐の前の静けさって言うか、今のうちに楽しんどけ、みたいな、な。
ふぅ、と、これみよがしに溜息を吐いた後、正門横の入館管理室に戻り、この町とその周辺に関する情報収集を、日用品や事務機器なんかを納入する業者対応の合間に進めることにした。
地図によると、この町の人口は二千、付近に――とはいえ、日本の感覚での付近ではなく、その村から一番近い場所という意味でだが――村はいくつかあるが、日帰りで来れる距離でも無さそうだ。
大使館の警備員を住み込みにするのは……、さすがにちょっと時期尚早だな。三階の同じ区画で寝泊りさせた場合、なにが起こるか保障しかねる部分もある。
ここは、日本じゃないんだ。
意気投合したからって隙を見せれば、良くて財布、悪けりゃ命まで差し出すことになりかねない。きちんと、相手との一線を引き、魔が差さないように威嚇するのは最低限の常識だ。
ちなみに、あの医務官が嫌いだと理由だけじゃなく、もしもの場合に治療絵を受けられないとかいう事態に対応するため、空き時間を使って、納品に来た業者の運転手から聞いた町医者の所へといってみたが……。
ここでは首都と違い、病院も普通の家の一室のような場所で、普通の薬とハーブなんかを半々で使う――ウィッチドクターっていうとまた意味が違うかもしれないが、民間療法の延長のような治療を行っているらしい。
ちょっと、あまり、御厄介にはなりたくないな。
他に、町に一件のスーパーで住人を観察してみたりもしたが、働き手となりそうな若い男はかなり少ないという印象だった。こちらが、外国語が分からないと思っているのか、町の人間の無防備な会話に聞き耳を立てた結果、どうも、鉱山の方で大規模に鉱夫として雇っているらしい。残っているのは、採掘している企業が不採用にしたのだけとか。
……さすがに、そういうのを当たりたくはないな。俺、面接官なんてやったこと無いんだし、人を見抜く能力は――敵を人波から探るのは得意だが――無いしなあ。
そして、やっぱり最後に行き着いたのは、鉱山に関する調査なんだが……。
多分、ゲリラ対策も兼ねているんだろうが、鉱山がそのままひとつの町っていうか戦国時代の山城みたいな感じで。横田が視察に行くので、それに付随して貰った資料でも、外層のフェンス、櫓から始まり、三重の内壁で区画を分けているし、古い坑道を利用したトンネルの抜け道もしっかりと完備していたりと、軍事基地並みの防備体勢だ。
……経済拠点はそっちなんだから、領事館も、その敷地に建ててくれた方が、よっぽど安全だと思うんだがな。攻撃に巻き込まれるかも、ではなく、もし攻撃があった際に、協力して対処できるんだし。
まあ、民間の会社が買い上げている土地ってことで、敷地内が無理だとしても、隣接して建てるとかさ。
パラパラと地図や会社概要に目を通していく。
んん? 警備は、アメリカに本社のあるメジャーな民間軍事請負企業だが、採掘会社そのものはこの国の民間企業……? 代表者は……ああ、かつて高山周辺に住んでいた連中の村長とか、そういうのなのか。
え? 名義上ってだけだよな、これ。それって、更になにか裏があるってことか?
公開されている会社の帳簿から、人と資金の流れを追おうとしたんだが、必要以上に口座を分散し、鉱石の取引業者もタックスヘイブンの企業なんかを何重にも介しているようで、ちょっとすぐには取り引き内容も、元締めがどこなのかも辿れそうになかった。
鉱石を積み出している船の船籍は――、ダメだな、典型的な便宜置籍船だ。会社も、ペーパーカンパニーだろう。
そもそも、どんな鉱物を採掘し、どの精錬段階で輸出しているのかさえ――あからさまな、ダミーとして、レアメタルを主要取り引きしていると記載してはあるが――、はっきりしない。
多分、警備を依頼するって口実で、民間軍事請負企業を常駐させ、その警備費用を成果物で払うって形で、間接的に鉱山の権利を移して、本当の品はそっち経由で持ち出されているっぽいが……。そうまでして、欲しい好物ってなんだ? ウランとかか?
……ッチ。くそう。キナ臭え。あからさまに、陰謀っぽくねえか、これ?
余計なことに気付いてしまったら、そのネタを保険にする以前に消されそうな気がして、鉱山には関わらないと決め、もっと無難な形での領事館の防衛計画を練ることにした。
だが、結局は、脇の甘い領事館員との間に軋轢を生じさせるだけに終わってしまったがな。最低限の現地に対する理解と協調と自衛策も、外交官特権を理由に一笑に付された。
横田も、さすがに拙いとは感じているのか、予定を延ばして視察後も、暫くはこちらに留まって、外交団の文官風情を宥めるらしかった。
そして、あの医務官は、地下階をまるまる占拠し、連日四トントラックで謎のコンテナ――危険物対策でチェックしたかったが、あの医務官の権限でそれは拒否されていた――を納入させ、我関せずといった調子だ。
ははん、なんだこの状況は。
はっきり言って、すでに計画は空中分解してるじゃねーか。
誰か、とっとと、俺を解任してくれよ。
領事館に詰めていても気が滅入るだけなので、日が落ちる前――夕焼けの時間に、気分転換も兼ねて町の酒場へと繰り出すと、あの国軍兵士を見かけた。
てっきり、首都の方に詰めているんだと思っていたが――、いや、国境警備の兵士を、臨時で会場警備に回してたとかそういうのだったのか?
「ハバァ、ビザリオリ」
覚えたてののスワヒリ語だが、こんばんは、という意味らしい。
にこやかに、スワヒリ語も覚えたのか? と、あの時の国軍兵士の隊長にアラビア語で訊かれたので、苦笑いで首を横に振り、アラビア語で返事をした。
「鋭意勉強中さ」
「勤勉だな」
俺は彼の正面の席――彼は、入り口が視界に入る位置の、二人掛けのテーブルについていた――に座った。
品書を眺めていると、彼が大声で―ウエイトレスもいるが、小さな店なので、それでも注文できるらしい――カウンターに居る店長に、俺としては全く聞きなれない酒を注文した。
店の人間との遣り取りを見るに、今日が初めてってわけでは無さそうだな。
って、オフの時間でまで、こんなにも頭を使ってガードを上げたくは無いものなんだがな。
軽く彼に向かって小首を傾げて見せると「両国の友好に」と、答えた。
一杯目は彼の奢りらしい。
まあ、ビールには飽きていたし、なんでも良いか。
「必要なことを学ぶのは、勤勉とは言わないさ」
酒が届く前に話を戻し、やや皮肉交じりにそう答えてみる。
「いや、こっちの言葉を覚えない連中は多いさ。最近じゃ、どこでも英語で――」
話の途中だったが、酒が届いたので、彼は話を打ち切った。
小さなグラスで届いた酒は、透明で――しかし、アルコール度数はかなり高いのか、強い甘い香りの中、口もつけていないのにアルコールの刺激が近付けた鼻先や唇にビリビリ来た。
グラスを受け取ったこちらの反応を、からかうような目で見られていたので、俺からグラスを掲げ――。
「バルカ共和国に」
乾杯し、クイッと一息で干す。
喉が焼け付くような火酒だった。なのに……ああ、香りはバナナなのか。香りの甘さとのギャップが激しいな。
あっという間に酔いそうだ。
「ムスリムじゃなかったんだな」
俺はウエイトレスに向かい、同じものを二つ、と頼んでから、彼に向き直った。
「うん? ああ……まあね。しかし、地域によってはムスリムが多いし、酒が飲めない町もある。気をつけろよ」
態度が少し曖昧だ。禁酒なんかは無視する形の、文化的ムスリムってことなのかもしれない。
油断してたつもりは無かったが、俺も、もう少し発言に気をつけた方が良いかもな。
「ああ、だから、店で飲んで酒瓶は持ち歩かないようにしてる」
「それが無難さ」
届いた二杯目を再び乾杯で干してから、三杯目を適当に頼み――。
「セレツェ・レンバードだ」
「マサヤ・オダギリ」
俺達は、今更かもしれないが、ようやく簡単に名乗りあった。
「……ギリィ?」
ただ、どうも俺の名前はあまりこちらではなじみが無いらしいな。まあ、いつもの事といえばそうだが。
「ギリーで結構」
セレツェが、身振りで――多分、ギリースーツのことだろうな、蓑を纏うような仕草をしたので、苦笑いで頷いてみせる。
「目立たないに越したことは無い」
「もっともだ」
届いた三杯目をチビチビやりながら、酔いに任せて――しかし、外交団や領事館移管することは頭にロックを掛け――適当に会話を始める。
「この辺りは、どういう状況なんだ?」
「有り触れたアフリカ」
つまらなそうというか、どこか、観光地の近くに住んでいる人がやりがちな無関心な態度で、レンバードは答えた。
俺は、ゆるゆると首を横に振ってみせ。
「悪いが、俺はこの辺りは初めてなんだ」
「そうなのか? アラビア語も上手く扱えているし、立ち振る舞いも不審な点は感じられないが」
本当にそう思っているらしく、どこかガードが下がったような無防備な顔を向けられた。
「違和感が無いのと、馴染んでいるのは別さ」
そもそも、目立つようなことをしなければ、見た目以上の注目はされないものだ。特に、他の外交官がアレでは、相対的に俺が現地に馴染んでいると思われても仕方が無いような状況でもある。
現にこの前も、買い物でトラブルになったとか喚いて、外交官特権を盾に仕返ししようぜ、みたいなバカ言ってたのがいたし。
「まあ、武装集団が無いわけではないよ。欧米のおかげで、ね」
おかげで、に皮肉なアクセントがあった。
まあ、そういう意味では、レンバードも一般的なアフリカ人ってことなのかもしれない。
アフリカは、植民地支配からの脱却時に、頭脳といえる白人を殺すか国外に逃がすかしてしまった。そのせいで、農業も工業も低迷し、資源の割に今も貧しいままだという評価をされてもいる。
とはいえ、難しいところだがな。憎しみの深さは、打算で押さえられるって物でもないし。エコノミストのコメントにしたって、当事者じゃないから言える分析内容って部分もあるから。
「危ないのか?」
「全然」
レンバードは軽く請け負い、申告そうな顔をする俺の横に回り、肩を叩きながら続けた。
「精々が通行税を取る程度さ」
いかほど? と、視線で問えば、帰って来た答えは、日本円で一万円程度の金額だった。まあ、その程度なら外交団の連中の財布には充分に入っているだろう。機嫌を損ねて死体で帰って来る、なんてことも無い筈だ。
ああいうエリート面した連中は、雇いの俺みたいのには強く出るが、ほんとのいざというときにはちゃんとヘタレるんだし。
あんまり多いようなら対策も考えるが、月に一~二回程度なら、被害の相談は握りつぶすとするか。下手に刺激して先鋭化させたくもないし。
そのままダラダラと飲み続けながら、警備員を募集している旨を伝えると、レンバードは、心当たりを何人か紹介してくれた。国軍を退役した連中だそうだ。歳はそれなりだが、その分経験があるし、老熟したおかげで性格も穏やかな連中らしい。
まあ、掛け値なしに信じるわけには行かないが、最初は二~三人を建物外で使ってみて、それから増やして十名程度で領事館を警備するのが無難か。国軍を退役したという経歴も、有事にはバルカ共和国軍との協調を取る上でも重要なパイプになってくれるだろう。
そして、そのまま、歩いて帰れるギリギリまで飲んで、レンバードと別れた。なにかあった時用に、と、携帯のアドレス交換をして。
レンバードと飲んだ二日後。
「雇えない?」
レンバードのおかげで急速にまとまった緊急事態における陣地構築と、警備体制の意見書、雇用者名簿と履歴書を持って大使の横田の元へ行くと、書類を渡す前に、横田は態度を急変させ、これまでの曖昧な返事ではなく、明確に警備計画に関して否定してきあがった。
「外務省の方で、まだ、色々とその辺の法整備や予算の点で、その協議中の部分があって、だね」
口調が若干偉そうだ。多分、上役のお墨付きを貰ったってことなんだろう。こちらの警備を増員せず、俺だけにおしつけるということの。
「……そんな悠長な」
「いや、現地の人間の雇用に関しては、中々に難しい問題で、政府としても、どの程度の特権を雇用者に与えるかで調整中でね。そう、ほら、この国は出来たばっかりなんだし、免税特権の範囲が――」
派遣する前に、事前に決めとけって内容だがな。
まったく、仕事しない省庁はこれだから。第二次世界大戦の、対米宣戦布告でさえも、アメリカ大使館の怠慢のおかげで、日本が悪者にされたままだっつのによ。
じゃあ、警備どうすんだ? と、切り出そうとしたところ――。
ノックもなしに、医務官が大使の執務室に入ってきた。後ろに、現地人らしい三人の男を引き連れて。
同じ建物で働いてるってのに、随分と久しぶりに見たな。まあ、病気になったわけでもないので、会う理由が無かったってのが一番の理由だが。
しかし、医務官の口から出てきたのは、更に俺の機嫌を逆撫でるような台詞で――。
「前に言っていた、私の助手をさせる連中だ」
「ああ、はい。分かりました」
はぁ!?
俺の時と、真逆の反応を返した横田を睨みつけるが、横田は俺の視線から逃げるようにして三人――っていうか、医務官に深々と頭を下げたので、視線での追求が出来無くなった。
医務官になにか言ってやろうかとも思ったが、それよりも早く、用件は済んだとばかりに、あっという間に来て、あっという間に出て行った医務官。
ってか、助手をさせるって、アイツ、地下でなにしてんだ? 医療技術の指導ってわけでもないと思うが……。
やっぱり、鉱山でウランをこっそり掘り出してて、その被爆の検査かなんかなのか?
しかし、愛想が悪いって言うか、日本人は良く表情が読めないとか言われるらしいが、それ以上に表情が読めない三人だった。容貌を見るに、兄弟って感じでは無さそうだが。
四人が出て行った室内で、改めて横田に向き合う。
「俺が、自費で雇えば良いってことッスか?」
前金の千五百万は、そういう意味ってことなのかもしれない。必要経費を認めるってのは、ただの方便で、よお。
医務官に対する反応への当てこすりも含めて、皮肉たっぷりの顔で訊ねてみる。
遠回りはしたが、責任を負いたくない連中が、あくまで俺が自発的にそうしたという形にしたくて邪魔をしていた、という結論に至ったんだが……。
「いや、それは、止めてくれ」
うん?
珍しくはっきりとした物言いをする大使に……ああ、いや、コイツが急に滑舌が良くなるのって、決まって――。
「個人で警備員を雇うと、私兵と批判される。それに、政府の立場としては、露骨に武力を示すわけにはいかないし、そもそもアフリカにおいては軍人に関する認識があまり良いとは言えないので、日本の立場としては……」
上から、命じられてるってことだよな。
自分の意見ぐらい持てよ、クソが。これだからこのお荷物にしかならないバブル世代って嫌いだ。無能なのに、かつて高い金ふんだくってたってのも気に食わないしな。
「リスクヘッジのためにも、抑止力は必要でしょう」
無駄だと分かってはいたが、ただで引き下がるのも癪なので、言い返してみるが、後はやっぱりいつもの横田になってしまった。
のらくらと言い逃れて、本当に拙い事態になった際にどうしよう、とは考えず、ヤバいことなんて無いんだから、備えるのは不経済だとでも言わんばかりの態度だ。
盛大に溜息を吐き、書類だけを横田の机の上に残し「正門での入館のチェック以外の責任は持てない。それを忘れるなよ」と、だけ告げ、俺は執務室を出た。
目の前からいなくなってくれるならそれで良いとしか思っていないのか、背後から声は掛からなかった。
そして、その日もいつも通りに正門横で、人の出入の簡単なチェックだけを続け、定時で仕事を終え――、外交団の他の連中とは、務めて顔を合わせないようにして過ごした。
そんな生活の中だからか、仕事上がりに、酒場に飲みに良くことが増えた。
いえ、増えたなんてものじゃないな。毎日だ。
おかげで、店長以外にも、良く見る顔ぶれの何人かとは顔なじみになっちまった。酒量が増えるのは、ストレスの表れだ。
胃も荒れるし、程々で止めたいんだが、そうもいかない。こんな生活が、あと一年十一ヶ月は続くんだ。
身体、壊すかもな。
まあ、そうなったらなったで、自由の身に慣れるんだし、願ったりかもしれないがな。
特に、最近では、レンバードに教えてもらった、ウガンダ産のワラギにも手を出し始めたので、ちょっと飲み過ぎる傾向にあるし――。
よう、と、遅れて酒場にやって来たレンバードに右手を上げて挨拶する。
――あんまり、外交団よりもこっちの連中を優先するわけにもいかないんだがな。多少は、打算も混じった愛想のはずなんだし。
「すまないな。折角紹介してもらったってのに」
俺の正面の席に座ったレンバードに、開口一番、先だっての非礼を詫びた。
「いや、こちらも後で知ったが、日本は軍隊を持たないので、警備も中々難しいんだって?」
本当に気にした様子もなくレンバードは応じ、いつもの、と、直に店長に注文しながらも、酒が入る前に手早く仕事に関する話をし始めた。
まあ、その辺は複雑な政治的理由ってやつもあるし、マスコミなんかがは自衛隊の位置付けを特殊なものにしてしまいがちなので、なんとも言えないがな。
今の政権になってから、多少は前に進んでもいるんだし、将来的にはもっときちんとした立場になるかもしれないが……、いや、それに関してもまだなんとも言えないか。
イラク戦争や、その後の対テロ戦争で、湾岸戦争時の、金を多く出しても兵を出さなかったことから必要以上に軽視されたことに対する反発も薄れてきているとも感じられるし。
それに、本土に脅威が及ばない限りは、基本的にテレビの向こうの出来事として、国際的な評価に関しても無関心で、自衛権に関する国際常識には特に疎い部分があるからな。
「備えるという意識に乏しいんだ。国内は平和だから」
飲食店の席をキープするのに財布や携帯を置いたままで、カウンターまで席を離れることが多いことや、電車で居眠りするのが多いという例を上げると、レンバードは呆れたようかな顔になった。
が、すぐさま思い直したように頬を引き締め。
「しばらくは、独りの軍隊、か?」
「アドバイスはあるかい?」
俺より、はるかに現場での経験が豊富そうなレンバードに、半分は雑談として、もう半分は、有事の際に生き延びるたいという切実さをもって訊ねてみる。
一拍、二拍と、やや間が空き――、ウエイトレスが注文の酒を持ってきたタイミングでレンバードは口を開いた。
「怖いのは、手榴弾だな」
どのように? と、続きを促せば、酒で口を湿らせずにレンバードは続けた。
「汎用性の高さと威力。安全ピンを糸でつなげれば、罠としても使えるからな。なにより小型で持ち運びやすい。ポケットなんかにも隠せるからな」
「どう対処する?」
「ギリーは攻勢には出ないだろ? なら、敵が持って近付いてくるのを防ぐのと、投げ込まれるのの予防だな」
まあ、見える場所にぶら下げてくれれば楽なんだがな。
ボディチェックの最中に見つけても、ピンを抜かせずに奪い取れるかは……正直運任せだな。日本にいた頃みたいに、カッターナイフを振り回される程度なら、多少強引に皮を切らせて奪い取ることも出来るが……。
状況をイメージする俺に、レンバードが、当たり前といえばそうだが、対処方法を教えてくれた。だが――。
「領事館に向かってくる人間は、手をポケットや荷物袋に突っ込ませない。そして、投げ込まれたら投げ返す」
「投げ返す?」
安全ピンが引き抜かれたってことは、あんまり衝撃を与えるのも拙いんじゃないだろうか?
いや、そもそも、落下するまでに数秒は経っているはずだし、投げ返すったって、時間的猶予はほとんど無いんじゃないか? ピンを抜いて――五秒? 三秒? 確か、ちょっとなら調整できるらしいが、まあ、いずれにしても大差ない秒数だろう。
しかし、レンバードは、俺の反応を予測し、決まりきった修辞語のようなものとして俺の表情の変化を待っていただけなのか、しれっとした顔で続けた。
「知ってるか? 手榴弾の破片は、ヘルメットと防弾のボディーアーマーを被せても防ぎきれないんだぞ?」
知らなかった、が、まあ、自爆テロなんかの報道で、爆発物に対する危機意識は低くないので、そういうものだと認識を改める。
ってか、結局は近くに落ちれば終わりってことか?
「加害範囲は?」
「十メートルは離れたいな。それ未満だと、遮蔽物が無い場合、かなり危険だ」
顔色ひとつ変えずにレンバードが言う。
職業軍人なら、普通の事なのかもしれないが、一介の警備員には職場放棄したくなる内容だな。
「確かに厄介だ」
しみじみと呟けば、カラカラと軽くレンバードが笑って、着てそのままになっていた酒に口をつけた。
ので、俺も一口含んで唇を湿らせる。
「戦争でも、攻守両面で活躍するぞ。寄せ手を銃撃で足止めして、土嚢の裏から投げ込んだり、逆に、寄せ手側が陣地目掛けて投げ込んできたり」
全然笑えねえ。
悪いが、そうしたシーンは、戦争映画の中だけで済ませて欲しいものだ。
お手上げのポーズをした俺に、レンバードは笑っていない目で告げる。
「足を止めるな。手榴弾は、ピンを抜き、投げ、数秒後に爆発する。一秒で十メートル走るのは、そんなに難しくないだろ?」
楽な仕事みたいな態度で言われちまったので、俺は頬を引き攣らせて答えた。
「まあ、言うは易しってレベルだがな」
戦闘時に、それだけの判断力が残っているのか、余力があるのか未知数だ。そもそも、戦闘の興奮でどれだけ視野が維持されるかも分からないしな。警備業務でも、犯人と直接対峙し、取り押さえる場面では、目の前の敵に集中する分、背後や側面への視野が極端に狭まるのを自覚していた。
日本の、一般人よりははるかに戦えると思う。しかし、戦場にいる人間の中では、平均値までいってるかさえ怪しいとも。
……とんずらすっかな。
このまま逃げちまって、移民に寛容そうな欧州のどっかの国に紛れ込むとか。別に、日本にそんなに執着があるわけじゃねーんだよな、俺って。
割と真面目に職務放棄について考えていると、そんな俺の心中までは推し量れないレンバードは、イメージトレーニングを始めたとでも勘違いしたのか、手振りも交えて解説し始めた。
「戦いには、流れがあるんだ。正面から撃ち合う、お互いの足が止まったら、ロケットを撃ち込んだり、手榴弾を投げ合ったり。歩兵が攻めあぐねた後は、長距離砲撃に、空爆とな」
なんだか、結局最後には戦闘機が爆弾落とすんだから、その前の段階なんて意味がないとでも思っているような口振りだった。
まあ、それもそうか。
結構前の話だっけな? 爆装した無人機が使われだしたのって。
安全圏から敵を殺せるなら、雑多な小火器で蜂起するのなんて、もう、やってらんねえって気分になるか。んで、軍と戦わずに市民を狙う、と。
まあ、報復の連鎖に対して、俺はきれいごとをいうつもりは無いけどな。
お偉いさんの都合はともかく、始まっちまったら、ヤるしかないってのが、俺らみたいな下っ端の心理だ。
最終的にどうなるか?
ハン。
人間は、頭ではそれが分かっていても、目の前の出来事に囚われる生き物だ。
任官されている二年が、ただ外交団内部の軋轢――ギスギスした空気だけで終わるならそれでいい。ただ、もし、俺の感じている不安通りに戦いが始まったら……。
その時、俺は……。
「相手がどうするかを予想し、遮蔽物に身を隠しながら常に移動し続け、敵を撹乱し、予想外の方向から攻める。少数で多数を足止めする鉄則だ」
語り終えたレンバードが、少し訝しむように……そして、すぐに表情を引き締めて俺を見ていた。
知らずに細めていた眼を、引き締めていた口元を、いつも通りの自分に戻し、グラスの酒を干してから皮肉屋の仮面を纏い直して俺はレンバードにおどけてみせた。
「怖い世界だ」
探るような目をしていたレンバードだったが、すぐに砕けた態度に戻って、ぱんぱん、と、俺の肩を叩き――。
「まあ、この辺りは平和だからな。安心しろよ」
「だと良いんだがな」
陽気なレンバードの言葉に、どこか不安が増した気がして、その日も夜まで深酒をしてしまった。
そして……。
その三日後のことだった。
前触れも無く。
国境線の不安も、聞こえてこなかった。
それなのに――。
「宣戦布告は、されてないんだな?」
アメリカ大使館に確認を取っていた外交官からの報告に、念を押してみるが、結局、震えた顔で肯定されただけで終わった。
反政府ゲリラからの犯行声明も出ていない。
ネットがおおいに普及したことで、戦闘の動画がどこかに投稿されていてもおかしくはないはずなんだが……。特に、緒戦を有利に進めているなら、気合の入った声明文付きでな。
改めて地図と向き合う。
制圧されたのは、ここから北東にある、三国の国境線が交わっている国境警備隊の基地、そして、その国境線を背後からカバーしている砲兵連帯が駐留している山岳基地だ。
維持費の問題もあってか、この国は空軍が無く、陸軍にヘリが少しあるだけ。戦力の問題を鑑みてか、反撃はまだ行われていない。今は、奇妙な小康状態だ。
付近の村の様子は、通信手段が限られているので不明。ってか、遊牧を行う集団もあったりするので、被害の現状が把握し難い。
ラジオのニュースを聞く限り、東の旧宗主国も、北の国も静かなものだった。攻撃は、バルカ共和国のみに対して行われているようだったので、独立問題が今更燃え上がったのかとも思ったんだが……。それも、違うらしいな。なら、どこが攻めてきてるんだ?
ともかくも、国境に向かう街道は完全に敵に押さえられ――、その延長線上にあるこの町や、経済基盤になる鉱山町は、連中の次の獲物としては、格好の標的だ。特に、領事館のあるこっちの町には、身代金を吹っ掛けられそうな外国人がこれだけいて、防衛施設もない上、たった一人しか警備員がいないんだからな。
そして更に事態をややこしくしているのが、ここよりも内陸側にある、基地局がどうも爆破されたようで、携帯がかなりつながりにくくなっていることだ。有線の電話は、何本か回線が生きている――多分、もっと西にある電話局を経由している回線だろう――ので、最低限の連絡は出来ているが、それもいつまでもつか……。
「ゲリラか民兵の越境攻撃か。もしかすると、ソマリア近海の海賊や、軍閥の出稼ぎなのか」
偵察に誰か行かせているわけじゃないので、情報は、この国の軍隊経由……だが、混乱が生じているのか、調子の悪い回線以上に、向こうからの連絡は途絶えがちだった。
現状、その辺のおっさん達の井戸端会議の情報の方が、速さと精度が良いような状態だ。
多分、逃げ慣れてるってことなんだろうな。アフリカ大戦だって、ほんの十数年前の事だし。
「まずいことになった」
「ったく、だから散々言ってただろーがよお!」
会議室で、議長席に座りながらも頭を抱えた横田に、毒づいて一つ一つの情報を検証する。
戒厳令が布かれ、首都への幹線道路も封鎖されているので、大使もこっちに足止めだ。人の話を聞かないバカなんだし、良い気味だ。他の外交官も、普段の偉そうな態度はどこえやら、怯えた様子で互いの顔を見合ってるしな。
領事館に居る邦人は六名。
兵隊は、あの女の雇った三名プラス俺。
中々、絶望的な数字だな。最悪過ぎて、笑ってしまいそうなほど。
ゲリラが十人未満ならありがたいが、そんなのが国境線を突破するはずは無いよな。
第一波は……情報が無い中でなんともいえないが、小隊に分かれてあちこちを占領し始めているとするなら、ここに最初に来るのは五十かそこらの偵察隊ってとこか? 一般的な、正規軍の作戦を参考にすれば、だが。
てか、それでも無理な数字だな。
動かしやすい範囲ってことで小隊をイメージしたが、その根拠も薄いし。なにより、敵を判断する材料がまるで無い。
「ここを放棄して引くぞ。検問も、外交官特権で押し通れ」
安全、とは言い難いかもしれないが、国旗を掲げた公用車にいきなり発砲してきたりはしないだろう。そもそもが防弾なんだし、少し拗れる程度なら、無理に突入し、その後、首都の刑務所かどっかで一時的に拘留された方がましだ。いずれにしても、不逮捕特権で、すぐに出られるだろうしな。
「ダメだ。ここの設備は――」
反論の第一声は医務官で……肝の据わった女だな、他の男がビクついている中、いつも通りの不景気な能面みたいな面をし続けている。
って、そこに感心する意味も無いな。
買い直せる設備よりも、売ってない命を優先する、と突き放そうとしたが、意外にも機先を制したのは横田だった。
「む、無理です」
どっちに対しての無理なのか、中途半端な否定の言葉を睨みつければ、つっかえながらも横田は続けた。
「大使館員からの連絡で、首都への侵入防止のため、峡谷の橋が落とされたと……」
すぐさま地図に目を走らせる。
ここに来るまでの道順は覚えていたが、あの橋はかなり首都寄りの位置で……ああ、くそ、国の東西を分断するように、峡谷が走ってるのか。油断していた、俺のチェックミスだな。他国へ逃れる道には敵。退路がない。
「首都は無事なんだよな?」
バツが悪いような空気を誤魔化す意味でも、改めて訊ねてみる。横田は、他の外交官へと視線を向け――。
「夜間外出禁止令は出たようですけど、その、一応は」
答えたのは、横田ではなく、電話番をしている外交官の書記だった。
なら、アメリカが動くか? 自国企業が関わってる鉱山だし、おそらく、アメリカ人の技師や責任者は鉱山に足止めされているはずだ。警備業務の請負人も。
しかし、それにしたって議会の承認も必要だろうし、何日かかるか分かったもんじゃねえなあ。
ついでに、こっちの町を無視して、ヘリかなんかでピンポイントに鉱山の事務所に向かわれたら……い、いや、ここにいるのの大半はバカでも外交官なんだし、その程度の要請は出来ると信じておく、しかない。
まあ、ともかくも、一日二日じゃ、状況は好転しないだろうな。
一週間かそこいら守り抜く。
……ちっくしょう、マジかよ。
無理だろ、どう考えても。発電設備は館内にあるし、水食料に不安は無い。が、こんな場所で篭城して勝ち目はあるか?
武器なんて、拳銃一丁だぞ?
「お前、金貰ってるんだから、なんとかしろよ!」
不意に苛立ったような声が投げられ――、声のした方を即座に睨みつけた。
「ああ?」
強気な態度を返してきたのは一瞬で、本気で睨みつけると、拳銃を抜くまでも無くバカは黙った。が、良い機会なので「手前、なんつった?」と、追い討ち、詰め寄り、爪先を踏みつける。
「お、小田切君、その……」
横田の制止を無視して、日ごろ腹の中に収めていた不満をぶつける。
「俺は、予想されうる脅威に対する意見を何度も具申した。それを無視したのはお前等だ。正直、手前等みたいなカスを置いて逃げるってのも選択肢のひとつなんだよ。警備員の指導指揮が俺の仕事らしいからな。指示出すヤツがいないなら、俺の仕事は終わってるとも解釈できんだろ? 分かったら、その臭え口閉じてろ、バカが」
脛を蹴って転がし、再び自分の席に座る。
やりすぎた自覚はあったが、そもそも忠告を無視し続けてきたのは、コイツ等の方だ。金を払ってる――それにしたって、税金であって、この外交官が払ってるわけじゃねえし――から、どんな命令をしても構わない、なんて思われたらたまったもんじゃねえ。
ぶっちゃけ、貰った金額と、理不尽な指示を鑑みれば、戦時という特殊状況を理由に契約破棄しても構わないはずだ。テュイルリー宮殿襲撃のギャルド・スイスになんて、俺はなりたくないしな。
しかし、逃げようったって、今はその場所が無い。コイツ等と別れるとしても、退路を確保してからだ。逃走手段が見つかった上で、それを拒否られたら、改めて正式に任務終了を宣言し、独りで逃げてやる。
協力は、最初からあてにしてはいなかった。
素人にうろつかれると、かえって邪魔になるし、そもそも一部の外交官は、塹壕やバリケードの構築も、敵を刺激するとか言って、反対していたぐらいだ。
両手を上げれば、撃たれないとでも思っているのかね?
持ち込んだ携帯ゲームでは、ホールドアップした敵を普通に撃ち殺してるくせに、現実世界だからそんなことされないはずだと? 戦場って特殊状況に対する認識が甘いと言わざるを得ないな。
タガが外れるなら、人はたいていの事は顔色ひとつ変えずに、鼻歌交じりに出来るってのにな。
そんなクソな状況で、税金にたかるダニみたいな連中を守らなきゃならないなんて、情けなくて涙が出そうになるがな。帰国したら、絶対税金滞納してやる。
汗を乾いた赤い大地にしみこませながら、睡眠時間を削って塹壕を掘り。掘った土を土嚢に入れ、積み上げて壁を作っていく。遠巻きに、せせら笑う声や、あからさまに嘲る視線を向けられたが、するべきことが目の前にあるせいか、気にはならなかった。
現地の住人からは、有事の際の避難を要請されたり、それと引き換えの形で簡単な差し入れも貰ったしな。
そういして――。
防衛陣地の構築が完了した翌朝。
隣町を制圧したという武装集団が、攻め込んできた。




