第五章 適合
「休むな、動かそうとし続けろ。こっちで、機械側の閾値を調整する」
どこか棒読みにも聞こえてしまう叱咤激励の言葉に、まったく背中を押されず――それでも、あくまで自分のためだと気力を振り絞って、まったく持ち上がらない腕を、そのまま必死で動かそうとし続けている。
ってか、頭がこれだけ治ってきて――意識がはっきりしているのに、身体が動かないってどういう状況だ? 前に、三半規管がどうとか話している声は聞こえていたが、三半規管って、回転とかそういうのに関するんじゃないのか?
……腕の神経、繋ぎなおすの失敗したとか。
まあ、このクソ医務官の治療なんだし、それもありそうだけど……。つか、コイツ、専門外科か?
って、助けた女の医療ミスとか、報われなさ過ぎだろ俺!
「うお?」
気が滅入りかけたところで、不意に思いっきり振りあがった左手が……顔面を強打した。
「っぷ」
クソ医務官め、笑いあがって。って、コイツ笑うのか。いやむしろ嗤う? ま、まあ、どっちにしても、そういう感情表現するタイプだと思ってなかったが。
いや、それよりも――。
「義手?」
医務官の態度に腹が立つよりも、自分の体に関する驚きの方がはるかに大きかった。つか、医務官の失言はいつものことだしな。
見た感じ、普通の腕のようではあるんだが、頭にぶつかった感覚から硬質な――いや、金属的ではなく、プラスチックみたいな硬さを感じた。皮膚の柔らかさでは、間違っても無い。
だが、しかし、腕の触覚は普通に働いている。筋電義手なら、そうした触感のフィードバックまでは出来ないと、ニュースかなんかで見た気がしたが……。
最新型の腕、なのか?
医療の現場は日進月歩というし、幻肢の応用とかでそういうのも出来るようになったのかもしれない。
「少し違う。右も、もう動くな?」
少し? と、言い方に疑問も感じたが、言われた通りに右手を動かしてみる。
「本当だ」
右腕にも、どこか、自分の物じゃないような……上手く言えないけど、右腕を動かしているのに左腕を動かしているような……、両腕が微妙にクロスして捻られて接続しているような……、奇妙な感覚の不一致があった。
普通に動く、物もつかめる、触った感触も、固いベッドの温度も分かるんだけど……なんていうか、なにに触っても、書割に触ってるような平坦な感じがする。あと、右肩に左腕をくっつけてるような、左肩に右腕をくっつけているような、そんな感覚も。
「なんか、変な感じだな」
手を握ったり開いたりしながら確かめていると、どこか満足そうな医務官の声が聞こえて来た。
「馴染んでいないだけだ。歯科治療の歯の詰め物と同じで、二~三日すれば脳の方で勝手に順応する……予定だ」
最後の余計な台詞はなんだ。
睨みつけながら上体を起こす。こいつの中では、もうとっくに過去の話なのかもしれないが、人の言いつけを守らず、挙句、俺に重症を負わせた件について、俺はまだムカついている。だから、そんな風に上から目線と、無責任な感じで言われるのは面白くなかった。
上体を起こし、急に立ち上がって立ち眩みとかして倒れても嫌だったので、ベッドの横に腰掛ける。
上半身は裸だったが……いや、だからこそ、怪我の痕が……ん?
背後からの爆風とはいえ、身体の前面が綺麗なままってのも不自然だ。いや、脇腹なんかも怪我をしたはずだが……?
「驚いたな。そんなにすぐに動けるのか?」
いつもより僅かに目を大きく開け――とはいえ、隈が目立っただけのような気もするが、そんな顔をした後、小走りになって医務官が近付いてきた。
「うん? なにを言ってる?」
これまでは視界の外だったので分からなかったが、ベッドからは少し距離がある場所で、木製の簡素な机の上にノートパソコンが乗っていて、底から延びたコードが俺の頭に向かっているようだ。 そのコードを辿り、側頭部に軽く触れてみると、電極のパッチみたいなものとしてくっついていた。が……。
うん、まあ、そうだろうな、とは思っていたが、左耳は無かった。代わりに、卵形の保護カバーみたいのが覆っているようだ。
痛みは、ほぼ無い。起きて数日は過ぎたはずだが、それ以前に、かなり長く昏睡状態が続いていたのかもしれない。
ああ、だから腕が動かしにくかったり、固かったりしたのか? いや、でも、見た感じ、そこまでやせ細ってたり、体系が変わってたりはし無そうだが……。
「あれから、何日……いや、何ヶ月過ぎたんだ?」
ショックというか、どちらかと言えば混乱が収まらないので、まずは簡単に処理できる問題について質問してみる。
「十日だ」
「十日!?」
簡単な質問のはずだが、かえって来た言葉は予想外過ぎた。
上半身を検めてみるが、火傷の痕もなければ、縫った痕も残っていない。皮膚を移植……いや、それにしたって繋いだ痕ぐらいはもっとはっきり残ると思うが。
懸命に情報を整理しようと試みるが、医務官は、俺が欲しい情報じゃないことを喋り続けてきて、思考が中々まとまらない。
「あの後、国軍が盛り返し、地中海上に展開していたどっかの空母も、自国民保護のついでに救援の海兵隊を送ってくれた」
ああ、まあ、回りくどい言い方だが、この町はもう大丈夫ってわけか。まあ、装甲兵員輸送車で侵攻されたんだし、まるっきりそのままとは行かないだろうが……。
領事館、移転するよな、これ?
ひと月にも満たずに閉鎖とか、開設した意味が全く無いな。ったく、だから散々意味無いって俺は反対したのになあ。
「お前の負傷の三日後だ。敵の指揮系統ははっきりしていないのか、後続は、銃を持ったのが数名偵察に来た程度だ。それも、警備員の二名が追い払った」
二名……。ってことは、ひとりは殉職したのか。いや、負傷しただけかもしれないが、それならこの部屋に居ないのはおかしい。多分、ここは領事館の一室だとは思うが、何箇所も医務室を置くのは無駄だし。
「俺って、思いの外、軽傷だったのか?」
少し焦れてきたので、こちらから訊ねてみると――。
「いや、至近距離からの爆風と、左半身に突き刺さった無数の破片で、即死しなかった時点で奇跡だったぞ」
罪悪感の無さそうな顔と声だ。その固そうな、ちょっと疲れた感じのほっぺた抓ってやろうか?
「移植手術?」
「いや、サイボーグ化手術だ」
…………。
胸を張って――、にも拘らず、表情が変化しない医務官と見つめ合う。なにか言おうとしたんだが、言葉が上手く出ずに……結局、開けた口をもう一度閉じただけに終わった。
「信じてないのか?」
やや不安そうな台詞が聞こえ、言い返そうと口を開けたが――。
「ハン」
鼻で笑うことしかできなかった。いや、信じてないっつーか、SFだろっつーか、なんだ? いや、ああ……医学用語でのサイボーグってことか? なにか、そういう、新しい治療方法とか、そういうの。
「まず、お前の左半身は、もう、ダメだったので。腕と足を切断し――、お前の身体のサイズは予め把握していたので、サイズの合ったサイボーグのパッケージを、背中の皮膚を剥がして移植し――」
「聞きたくも無いわ! そんなグロい話!」
思った以上に、フィクションのサイボーグっぽかった。ってか、そんな技術、実用化されてたのかよ。なら、マスコミは、もっときちんと報道しろ! 芸能人のゴシップばっかりじゃなくて!
「ちゃんと聞いておかなくて困るのはお前だぞ? 日常生活への影響もある」
「……言ってみろよ」
ビビッたわけじゃ、あるけど……。でも、それ以上に、改造? されたなら、メンテナンス――って表現で合ってるのか? ――も必要だろうしな。
混乱は収まる気配を見せず、むしろ、更に混乱してしまってはいたが、それでもどんな風に生活できるのか知るのは重要だと判断し、真面目に医務官の説明に耳を傾けた。
両手両足、そして、背中の皮膚がまるっと作り物で……。内臓は――機能強化するために、特殊な腎臓のような臓器を損傷の大きかった左脇腹に入れてはいるが、基本的にはオリジナルだそうだ。
完全防水――まあ、当然だ。風呂に入れないとかどうすんだよ――だが、睡眠時には背中のソケットにコードを差して、両腕と両足のバッテリーを充電させないといけないらしい。充電は、一応、四十八時間持つそうだ。あと、機械と神経の接続を維持するために、一日一回、液体の飲み薬を服用すること。
そして、機械パーツには其々メンテナンスの時間が設定されているので、ある程度使ったら身体を交換する――オーバーホールとかいう表現を医務官は使っていた――必要があること、ぐらいか。
「つまり、俺は頭と内臓以外は、機械ってことか?」
長い話をまとめてみると、医務官は首を横に振りあがった。
「頭の左側の、耳や三半規管、顎や歯の一部も人工の物だ」
ああ、そうかい。
ふと、臓器……と呼んで良いのかは分からないものの、男としては重要なモノなので、アレがどうなったか気になったんだが……女の医務官に露骨にそれを質問するわけにもいかず、ちょっと口篭ってしまった。
が、こんなときだけは鋭いのか、少し口角を下げた医務官が、サディスティックに言い放った。
「ソレも、周囲の皮膚なんかを上手く使って、人工で形成することは出来るが、オリジナルだ。安心しろ」
ああ、まあ、ホルモンバランスとか、そういうのもあるらしいし、内臓といえば内臓だもんな。なにかあったら、さすがにへこむ……だけじゃ済まない。まあ、結婚も子供も、欲しいとは思ってないけど、な。
俺が露骨に安心したのが可笑しかったのか、医務官が要らない一言を付け加えあがった。
「まあ、大して役に立たないかもしれんがな」
「おい! セクハラだかんな」
怒鳴り返せば、どこか不思議そうに見詰め返され――。
「治療の間は、基本全裸にしていたんだ。今更なにを言う」
それもそうかもしれないが……。
いや、なんつーか、複雑な気分だ。そういうもんではあるんだろうが、こう、仮にも異性にじっくりと裸を見られると、なあ……。恋人とか、そういう間柄ではなく、むしろ、嫌いな手合いなので尚更。
ってか、コイツは、気まずくは無いんだろうか?
「動けるなら、散歩に出るぞ。四肢との接続は出来ているが、慣らしが必要だからな。体力的に、館内を少し歩くいてもらう。ついてこい」
相も変らぬ高圧的な態度だ。いや、表情筋死んでる女なので、高圧的って言うのも変かもしれないが、最初の時もそうだったが、俺が従うと疑っていないのが癪に障る。
まあ、今怒らせると、身体をメンテしないとか臍曲げられそうだから、従うけどよぉ。
身長に立ち上がり――ああ、まあ、脚の感覚も、若干変だな。段差とか、慣れるまで少し怖いかもしれない。
まず手始めに軽く足踏みしてみると……。
「裸で外に出るなよ」
と、医務官にブルーの……手術着? だと思うが、青い紙で出来ているような薄っぺらな貫頭衣を投げ付けられたので、大人しくそれを被った。
ペタペタと――ってか、今更だが、医務官、スリッパ履きだな。しかも、裸足にスリッパ。……戦闘後の荒れた館内じゃ、なに踏むか分からないだろうに。
そして、歩き方も猫背だ。白衣のポケットに手を突っ込んで、前のめりっていうか、いや、なんか、積極性が無いので、前のめりって表現も違和感があるが、そんな若干前に傾いだ歩き方だ。
背が低いが、足運びなんかは子供っぽくは無くて、むしろくたびれたおばあちゃんのようにも感じる。
……あ、もしかして、コイツもサイボーグとか言うオチか? 中身が年寄りだけど、外見は若めのボディに入ってるとか。
まあ、顔とか髪の質感的に、そんなことはないだろうけどさ。
「どのぐらいで慣れるモノなんだ?」
黙ったままで歩いているのも少し気まずくて、無理から話しかけてみたが、医務官は振り向きもせずにのろのろ、ぺたぺたと歩きながら返事してきた。
「さあ」
さあ、ってなんだ、さあって! ってか、せめて、肩越しに一度ぐらいは振り返れ。
しかし、医務官はそんな俺の心の声までは聞き取れないのか、平坦な声で続け、唐突に再び会話をぶった切った。
「そういうのは、個人差がある。平均期間を取る意味は無い。お前のペースで慣れろ」
はぁ~あ、と、溜息をつきながら、辺りの様子を窺う。
十日というのが長いのか短いのかは判断に迷うが、建物の中は意外と片付いていて、修理に入っている、地元の建築業者の社員をあちこちで見かけた。周囲の会話を聞くともなしに聞いていると、ガスは止まっていて、電気は自家発電に切り替わっているらしいが、水は浄水器――水道につける家庭用のじゃ無くて、この国の水道水を再処理して、日本の水準までクリーンにする設備――が動いていないらしく、ミネラルウォーターを買って運び込んでいるらしい。
どこに向かっているのかさえ分からない医務医務官の背中に、再び、半ば独り言のつもりで呟き始めると、不意に喋るのを遮られた。
「俺も、この前の連中みたいに、超人的――」
「いや」
うん? と、首を傾げると、今度は足を止めて医務官が俺に向き直った。
百五十転地程度の医務官だから、百八十五センチの俺に対して、上目遣いに見上げるような形になる。どうも、顔を上に向けるという発想は無さそうだ。こっちの方が姿勢的に辛そうなんだが。
ぱちぱち、と、瞬きしてみせると、医務官は少し面白く無さそうに続けた。
「まだ、試行錯誤なんだ。戦車を殴った男は、反動の衝撃で亡くなった。内臓破裂でな。力は増している、が、いや、だからこそ普通の人の頃とは同じに行動するな。生身の部分がついていけない。反動を受け流す――サイボーグ格闘術みたいなものを、これから編み出していく必要がある……そうだ。この技術を開発した連中の受け売りだが」
……この女の発明じゃないのか。いや、まあ、こういう特殊技術なんだから、フィクションみたいに、暗い洋館で独りのマッドサイエンティストが編み出せたりはしないんだろうけどさ。ボディもパッケージとか言っていってたし、規格品が流通しているようだしな。
「無敵には程遠いか」
ははん、と、軽く自嘲するように、日曜朝にやってるヒーロー物のようには行かない改造を嗤えば、思ったよりは真面目な声が返ってきた。
「そうだ。だから、無理はするな」
軽く肩を竦めてみせる。
が、医務官は既に俺に背中を向け、再び歩き始めていた。ので――。
「部下を慮れる上司に出会えたら、改めて検討するさ」
皮肉は、しかし、あっさりと無視された。
はぁ~あぁ、と、さっきよりも長い溜息を吐き、手を頭の後ろで組んで、医務官に対抗してわけじゃないが、胸を張って天井を見上げるような姿勢でその背中を追いかけた。
歩いている内に、何人か外交団の連中も見かけ――と言っても、領事館に常駐しているのは、俺と医務官以外には、総領事と書記だけだが、建物の復旧のためか、大使館の方からも人が来ているようだった。
初めての身近な戦争を上手く処理できていないのか、表情はあまり大丈夫そうではなかったが、負傷者はいなそうだった。
ただ、窓の向こう――町並みや、正門付近は、戦闘の跡がはっきりと残っている。道から外れたところに避けられてはいるが、無造作に撃ち捨てられているのは、あの装甲兵員輸送車だ。
念のためなのか、俺が作ったバリケードもそのまま残されていて、所々に残る弾痕や焼けて黒くなった地面が、戦いの記憶をはっきりとそこに留めていた。




