第三章 義体
視界が、霞んでいた。
雨の日に走る車のフロントガラスみたいな、そんな感じだ。
多分、痛み止めのせいだと思う。頭がぼんやりするのは。
生きてる。
うん、生きては、いる。
首を動かすのさえ……難儀するけどなあ。なんつーか、金縛りみたいだなこれ。頭は、まあまあ起きてんのに、どうにも身体が動かねえ。
まあ、それもそうだよなぁ。もろに破片と爆風だもんなぁ。……後遺症、出るよな。てか、指とか、多分、いくつか無くなってるよな。ちくしょう。
保険降りるかな。俺が普段加入してるのは、おりなそうだよなあ。危ない地域に勝手に行ったとか、紛争という特殊状況がどうのとか言われて。
くそ。
絶対医療費外務省につけてやる。ついでに、慰謝料も水増ししてな!
「おい」
「……う」
呼びかけに答えようとしたが、声が上手く出せなかった。痰が切れないって言うか、喉の奥に薄くタールでも塗られたような、妙にイガイガした感じがする。
「起きたな? 脳波で分かってるんだぞ? 返事をしろ」
「か、は」
声は、あのクソ医務官のものだと分かるんだが、そっちを向けない。
あれから、何日経った?
窓が無いのか、灰色の部屋で――明かりが乏しい、発電機が潰されてるのか? ――、時間も分からない。いや、室温はややひんやりする程度なので、空調は生きているようだが……。
微かに、嘆息する音がした。
「まだ、無理か」
後頭部に手が差し込まれ、頭が持ち上げられた。意図せずに視界に入ってきたのは、右腕で……。
よかった、右はまだ普通の状態だ。包帯なんかもほとんど巻かれていない。指もしっかりとついてる。
ひんやりとした指先は、そのまま俺の頭を抱きかかえるように固定してきた。一拍後、なんの前触れも無く、注射の針が首筋に刺し込まれ――ああ、やっぱり痛み止めも使われてるな。針が差し込まれる感覚はあるが、痛みが無い――、意識が再び混濁していった。
てか、ほんとに、これ、痛み止めなんだろうな。
酩酊感っていうか……。
薬剤に抵抗したってわけでもないが、少しでも情報が欲しくて、目玉だけを動かして周囲を――。
「寝てろ」
そんなぶっきらぼうな声が真上から降ってきて、子供がするみたいに額を指で押され、反射的に目を瞑ってしまった。
瞼は、もう、重くて持ち上がらない。
ったく、このブス、礼のひとつも言えねぇのかよ。金払ってんだから当然だってか? ちくしょう、次は絶対見殺しにしてやる。
っつーか、傷病手当貰って辞めてやる。
そう、決意を新たにしたところで俺は再び夢の中へと落ちていった。
夢を見なかったせいか、どのぐらいの時間眠っていたのか分からない。短かったような、長かったような……。
ともかくも、人の話し声で目が覚めた。が、また薬を打たれたくもなかったので、目を瞑ったままで聞き耳を立てる。
「……つまり、意識は……ああ、その、この場合は、彼の人格は保っていると」
男の声だな。日本語だが日本人じゃない。この国の兵士? って感じでもないな。阿野連中が日本語を話せるとは思えない。ってことは、救援の多国籍軍、もしくはアフリカ連合が軍を派遣したってことか?
「新しい術式だけの影響じゃないかもしれない。本人の体質……怪我に慣れているというのもあるし、戦闘時の負傷によって脳内で分泌されていた物質の――」
こっちは、あの医務官だな。相変わらず、不機嫌そうな声だ。
……コイツどういう場合に、嬉しそうな声を出すんだろ?
「予後がどうか、というのはまた別問題かもしれないが……。もう、動けるのか?」
「いや、多分、パーツ調整をしないと難しい。人格があるので、生身だったときの感覚で動こうとすれば、機械部品とのズレが生じる。そもそも、左耳を失っているんだ。平衡感覚や回転感覚を調整しなくては、立ち上がることも出来ん」
……これは、アレだよな。俺の状態。耳を失った、か。ん? いや、でも、普通に聞こえてはいるが……。いや、そうか、機械部品って単語が出てるって事は……。
「……中々に厄介なんだな、脳が完全に生身というのも。どのぐらいかかる?」
「期間か? 悪いがそれは本人次第だ。アレは他とは違う。ロボットじゃない。こっちが調整したとしても、最終的には素の身体の性能にもよる。……どうなるかも含めてな」
「ふむ」
足音が離れていくのを確認し、声のおおよその距離から、部屋の広さを推測する。割と広い部屋だな。音の反響的には、地下のように思う。外の環境音も聞こえないし。
と、今度は逆にドアからこちらに向かってくる――聞き覚えのある、スニーカーの引き摺るような足音が響いてきて、こん、と、額を軽く小突かれた。
「盗み聞きか? 聞こえてはいるんだろう?」
目を開ける。
相変わらずの不景気で、四十八時間ぐらい寝ていなさそうな隈のある面が目に入ってきた。
「ああ」
「ほう。もう、声は出せるか。身体は動くか?」
医務官は、あまり驚いた様子はなかったが、無造作なウルフカットを軽く右手で掻き揚げ、まじまじを俺の顔を見た。
「耳を、潰されたのか? 人工内耳を?」
「うん? ああ、少しはそうした知識があるのか……まあ、追々な。聞こえていたなら分かると思うが、入出力をお前の身体に合わせた値に最適化しなければならないんだ」
「うん?」
専門知識を持ち合わせていないので分からないが、そういうもの、なんだろうか? まるでサイボーグだな。
ああ、小学生の頃だったら、ちょっと有頂天になってたかもしれないが……。
「そういうの、かっこいいだろ」
まんま、俺の声を代弁したかのような医務官の声。いや、もっとも、このとしになってからの感想としては、なんか微妙というのが正解だが。大学時代の講師に、確か膝か踝をを悪くしてなにかそういう部品を入れたヤツがいて、講義のたびに、ちょっとだけサイボーグとかほざいていたので、憧れが失せたのかも。
死んでないし、聞こえるだけ良いのかもしれないが、中々リハビリも大変そうだなー。めんどくせーなー。もう帰りたい。
まあ、治療期間中は仕事サボれるし、千五百万は前金でせしめてるし、その辺は良いけどよお。
「中二病医務官め」
「ふふ、加速装置やバズーカなんかも仕込むか。……いずれ、な」
軽く毒づいたつもりだったんだけど、医務官からは、これまで聞いたことも無かった、ちょっと嬉しそうな声が返ってきた。
え? コイツって、そういう系統の? アレな人ってヤツか?
「呼吸と心拍が乱れているな。動揺したか?」
「多分、お前が思っている部分で、じゃないがな」
うん? と、――多分、俺の視界に入るように、わざと俺に覆い被さるような形で――いや、なんか、寝ている男にキスするドラマのシーンみたいな感じで、俺の顔を覗きこんで着た医務官。
容姿は好みじゃない。
が、あれだ。
男って、無節操な生き物なので、微妙には――更に動揺した。
「大丈夫だ。私に任せろ。と、言っても、体力がまだ回復していないからな。今は寝ておくんだな」
俺の葛藤というか混乱を他所に、医務官はそんなことを言って、首筋に、また、注射を打たれてしまった。
目が回って……再び夢の中へと戻される。
怪我のせいなのか、それとも、薬品に頼った眠りだからなのかは分からないが、瞼の裏に見たことのある風景が映る。
それは、この国についてからの……。
過去の、夢だった。




