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第二章 出国

 金は、その日のうちに振り込まれていた。日本においとくと、裏から手を回されてずるいことをされそうだったので、そのまま海外の口座に分散させた。

 だが、それだけだ。

 狂犬病の二回目の予防接種――狂犬病の予防接種は、三回受ける。二回目は、一回目の四週間後。三回目は向こうで受けることになりそうだ――を受けて、必要なものを揃え、アラビア語について軽くおさらい――バルカ共和国は、英語とアラビア語が公用語で、田舎ではスワヒリ語という形だった。スワヒリ語は現地で覚えるしかない――、出国となってしまった。


 外交団は、俺を除いてたった十名の小規模なもので、特命全権大使が俺の面接なんかも行っていた横田というあんまり特徴の無い冴えない中年男で、その下にまんま横田の五年前って感じの総領事、いかにも良い大学出てますって感じの、プライド高そうなくせに応用力無さそうな三十代前半の参事官と書記と理事官が二名ずつ計六名。そして――あの横柄でヤバ気な女は、医務官の肩書きだった。地位的には上の方じゃないが……、空港で他の連中を顎で使っているところを見るに、大使以上の扱いだな。ちなみに、医務官は二人で、ヤバ気な女と、なんていうか、年齢の読み難い爬虫類っぽい顔立ちの男が女の助手として同行している。

 しかし、華の紅一点がアレではな。

 まあ、あんまり美人が同行して、それに伴うトラブルが頻発、とかいう事態よりはましか。


 それでなくとも山ほどある頭痛の種が減った、と、良い方に解釈し、飛行機を何度も乗り継ぎ――多分、丸一日ぐらい経ったはずだが、まだバルカ共和国に入国できなかった。アフリカには着いているんだが、その近くの国で一泊し、明日にようやく現地入りだ。


「かなり遠いな」

 と、軽くぼやきつつ、空港に隣接されたホテルの警備について確認しているとクソ大使の横田が、話に混じってきあがった。多分、普段つかいっぱしりにしている部下を、まるまるあの女に取られて手持ち無沙汰だったんだろう。

「直通便が無いからね。二年後には、日本からの飛行機も入るさ」

 アフリカとしては、割としっかりした空港と、安眠できそうな警備システム、付近での事件の報道の確認を済ませ――、楽観的なクソ大使に俺は向き直った。

「鉱石なら、バラ積みの貨物船でしょう。採算を考えるなら。海賊が怖いなら、陸路でエジプトまで運んで、欧州の海運業者を使うとか」

「ああ、うん。そうだね、でも――」

 多分、喋りたいだけだったんだろう。こっちが露骨に嫌がっている態度を示すと、喧嘩になって困るのは自分だと理解したのか、口をモゴモゴさせて……いじけた。

 まるでガキだな。

「ホテルの警備も問題ないですね。一応、四階の部屋を全て借り上げ、フロアに警備員の巡回を依頼しました。出立は、明日の昼……頃、荷物さえまとめておけば、連絡があってから準備すれば良いでしょう」

「あ、はい」

 一応、火災時の脱出なんかも考えての低層階だったんだが、あんまり理解していないような顔で横田が頷き、近くに居たミニチュア版横田……もとい、総領事がほかのメンバーへと伝えにいった。

「ああ、あと、一応、入国はしていますが、外出は控えてください」

 まあ、ここは、日本の島嶼部にある小さい空港って感じで、観光資源も無いからか空港周りの店も少なく、わざわざ外に出る理由も無さそうだがな。

 つーか、それ以前に、役人の癖にほとんどアラビア語喋れてねーし、コイツ等。


 一通りの、当たり前の注意をして……空港の売店で売っていた、緑の壜に黄色の楕円のラベルが張られたエジプト産のビールを買い――あんまり知らない銘柄のは、原料が変わってたりするから手が出し難い。アフリカだと、原料も麦に限らない場合があるし――、適当に欧州産の缶詰をつまみに部屋に引き篭もることにした。

「あー、やってらんねー」

 日本でもまだ秋って感じの気候じゃなかったが、赤道が近いせいで、午後になっても室温は二十五度だった。

 日本人の一般的なアフリカのイメージって言うと、密林か砂漠かのどっちかだが、ここは、沖縄の離島みたいな感じだった。気候も、雰囲気も。まあ、蚊や害虫の感じ的には、こっちのが格段に悪いが。


 付近の情報を収集する目的でラジオをつけ、適当にニュースを流しながら、スーツをベッドに脱ぎ捨て、シャワールームへと入る。備え付けのシャンプーやボディソープは、普通に使えたので――海外だと、泡の感じや臭いが凄いのに当たる時がたまにある――、そのまま身体を洗いながら、適当にニュースに耳を傾ける。


 アフリカでコレラが流行ったのは、かなり前だったように思うが、まだ散発的に患者が出ているのか。水や生モノに対する注意を呼びかけるニュースが流れ……それ以外は、家畜の窃盗事件、殺人と思われる事件、あんま、耳に合わない感じの音楽が流れ、携帯の宣伝、携帯の充電屋――中国製の規格外品の過度の発熱――に関する注意情報……。

 黄熱病は、発生地が遠いのか、おざなりな注意しかされていないな。

 まあ、早めに窓閉めて……日本から持ってきた防虫剤使うか。

 ……あ。他の外交団の連中に蚊に対する注意してなかったけど、まあ、分かるよな、普通。ジカ熱とかも話題になったんだし。つーか、病気対策は俺の仕事じゃねーし。


 ニュースは、そこまで重要なネタはなかったが、危機が起こっていないというのを確認するのも仕事のうち、だ。

 キュッとシャワーのバルブを閉じて、頭を振って水気を飛ばしてから、バスタオルを被った。



 シャワーを澄ませ、トランクスいっちょうで部屋に戻ると……。

「うお?」

 声は女なのに、全く女らしくない悲鳴が聞こえた。

「は? あぁ?」

 窓際の木の椅子に腰掛けていたのは……、最悪の医務官だった。てか、驚いた声を上げた割に、表情はいつも通りのやや不機嫌そうな、しけた面のままだ。

 思わず睨みつけてしまったが、……ああ、いや、それは正しい反応か。約束していたわけでもないし、用事があるにしろ、入室許可を取ってるわけでもない相手なんだから。

「なにをしている」

 今度はごく普通の声色で、医務官が訊いてきたので……。

「シャワーだ」

 と、答え、あんまり長くない髪を、額にタオルを巻いて上げ、気温も手伝ってか、引かない背中の汗をバスタオルで拭ってベッドに腰掛ける。

 つか、なにをしている、は、俺の台詞なんだがな。

 立場、逆だったら大騒ぎされただろうに。……いや、まあ、コイツの場合、どうするのか予想がつかないが。着替え覗かれても、意外とあっさり出てけと言われるだけで、終わりそうな気もする。

「隠さないのか?」

「下は穿いてるだろ。っつーか、なにしてんだよ」

 ドアに視線を向けるが、普通に鍵は掛かってる。

 俺以外の連中は、ホテルのロビーでウダウダしてたし、先回りされてるはずは無いんだがな。

「用事があると言って、鍵を開けてもらった」

 クソホテルめ。

 一応、俺の上役にあたるからって、なんでも聞いてやらなくても良いのになあ。

「つか、なんのようだよ」

 用があるなら早く言え、と、軽く睨めば、医務官は俺が勝っておいたビール瓶をちょっと傾け、くるくると――。回して遊び始めあがったので、泡が酷いことになる前に取り上げる。

 椅子に座ったままの医務官が、持ち上げられたビールを見上げ、そのまま更に俺の胸、口、目と視線を順繰りと上げてきた。

「外に出たい。付き合え」

「手前は、さっきの俺の連絡を聞いてなかったのか?」

「聞いていたし、海外の一人歩きは危ないと思う。ので、こうして命令している」

 どこまで唯我独尊だ、このバカ。

「止めとけ」

「命令だ」

 表情はほとんど代わっていないので分からないが、どうも、口調……も、あんまり変わらないな。まあ、素直に引き下がらない当たり、意地になっているんだろうが――。

「取り巻きの連中連れてけよ。空港周りは、そこまで危なく無いはずだ。それで我慢しろ」

 年が近そうな、若い外交官は、日本国外での危機意識の上げ方をあんまり心得て無さそうだったし、何人かは遊びに出てるはずだ。観光地ぷらぷらした経験から、海外大丈夫とか高を括るってのはよくあるし。

 ……ま、俺は、予め注意したんだから、金を巻き上げられたり、たちの悪い女を捕まえて病気をうつされても自己責任、と、つっぱねられる。高校の修学旅行よろしく、巡回までしてやるつもりは無い。

 外に出たいなら、そいつ等に勝手についていってくれれば嬉しい。

 むしろ、そこで誰か大怪我でもして、外交団派遣延期とかになったら、なお嬉しいかもしれない。


「お前の仕事は、私を守ることだ。つべこべ言わずに従え」

 大分苛立ってきたのか、今度は感情や表情の変化がわかる程度に不機嫌になった医務官。

 俺が守るのは、この女ではなく外交団全体なんだが……まあ、ここでこれ以上粘られてもつまらない、か。未知の国で医者と喧嘩しても良いことは無い。

 簡単な医薬品は持ってきているが、虫刺されや解熱鎮痛剤、止血に化膿止めの普段使いの医薬品が主で、胃腸に関しては、黒くて丸くて臭いアレが俺の最初で最後の防衛線なんだし。他にも、マラリア対策なんかの薬は、この女に出してもらわないといけない。

「ったく、なにしに行くんだっての」

 頭に巻いたタオルで乱暴にはずしてベッドの上に放り投げ、鞄から着替えを引っ張り出す。

 半袖は止めといた方が無難だな。薄手のロングTシャツに、カーゴパンツに……。

「食事。それから、現地の知見を広める」

 医務官からの最悪な返事に、準備の手が止まってしまった。

 コイツもまるっきり観光気分だった。外務省は、もっとましなの雇えば良いのに。それとも、一芸特化なのか? なら、きちんとしたお目付け役をつけろっての。あんな、横田みたいな冴えない中年とか、経験が乏しそうな若手とか、そういう木っ端役人ではなく。

「お前、医者だよな?」

「だから、なんだ?」

 一応確認してみるが、さっきと同じ、平常時よりはやや不機嫌そうな声が返ってきただけ。

 ……まあ、医者が外国語できるっつっても、英語とドイツ語くらいなんだっけ? さっきのニュースは、普通に聞き逃したのかもしれない。

「ああ……。アラビア語分からないのかもしれないが、さっきラジオでコレラに関して注意してるの聞いたか?」

 案の定、この国の言葉――って、東アフリカは中東やインドとの交易の影響で、アラビア語の国が多いんだし、少しぐらいは事前に勉強すれば良いのに――が理解できていならしく、一瞬だけ、え? と、いう顔になった医務官だったが、すぐに取り繕って言い返してきた。

「安全な物を食べれば良い」

 それは、先進国での対策なんだけどな。

 この女は、間違いなく、この辺りを歩いた経験は無さそうだ。もっとも、俺も、大学時代にもう少し北の方の国に数日ってレベルではあるんだが……。いや、数日でも、全く知らないよりはましか。ネットの情報っつっても、逆に情報が多すぎてきちんと選択するのが難しいしな。

「ッチ。お前……いや、まあ、見せた方が早いか?」

 陽は落ちていたので半袖のシャツを羽織り、下にカーゴパンツを穿く。

 そうして、この気温では蒸し暑いだろうに、バッチリスーツを着こなした医務官のエスコートを……止むを得ず始めた。



 ホテルを出ると、まだ日が暮れて間もないせいか、人通りは多かった。いや、空港なんだし、ここで一泊する飛行機のクルーに、空港に勤務している連中、それらを当てにした商人と、観光地でなくてもそれなりには人出が多いものか。

 少し先の通りでは、ややケバいネオンのそういう店も――。


 一応、医務官の様子をそれとなく窺ってみるが、表情が変化していないのでなんとも言えない。

 ああ、まあ、まずは食い物っていってたし、意識はそっちにむいているだけかな。

 さっと見渡しても、メジャーなファーストフードのチェーン店は無かった。まあ、こういう場所だしな。仕方なく、近くの飲食店を顎でさして先導するが――。

 ここではエチオピアの影響も強いのか、近くの商店街やオープンカフェ風のレストランの料理は……。

「生肉?」

 医務官が指差して――って、失礼だからあんまそういうことするなよ――訊ねてきたので、俺は頷いた。

「そうだ。ひき肉に香辛料を混ぜて味を調えたヤツだな」

「……あっちのは、ただの野菜炒めか」

 アフリカの山間部では、家畜を貨幣と同じに考える傾向が強く、出身によっては料理に全く使わなかったりする。沿岸部ではそうでもないんだが、逆に魚介を常食していたりで、中々口に合うものを探すのは難しい。

 比較的安全で、食いなれたものっていうと、カレーいったくなんだが、こういう場所ではなんか色合い的に抵抗がちょっとある。

「缶詰か、ホテルの料理で我慢しろ」

 元々、表情も感情の起伏も乏しい医務官だが、今のこれは途方に暮れているんだ、と、勝手に解釈してフォローしてみる。


 短い沈黙が流れた後、医務官は俺を見上げ――。

「お前、酒買ってたよな?」

 と、訊ねてきた。

 軽く嘆息して答える俺。

「自分用だ。必要なら、自分で買え。付き合って飲んではやるから」

 歳はいってるはずだが、背が低く、全体的にこじんまりとしている医務官が相手というのも、なんだか微妙だけどな。体型の割に、面は隈のせいで険が目立ち、ロリっぽくないし。

 しかし、医務官は現地の言葉――アラビア語――も分からず、ラベルも読めないのか、眉間に僅かに皺を寄せていたので、嘆息して、適当に口に合いそうなものを選んでやった。


 ツナ缶なんかは、この辺りでも生産されているし、味も日本のと比べてなにか悪いってわけでもない。香辛料の混ざったタイプのモノも……ってか、まあ、ぶっちゃけツナカレーだが。ただ、日本のカレーと比べるとシャバシャバした感じではある。もっとも、味は充分に深みもあるし、食えないものでもない。

 他にも――、お? 和風のイラストが蓋に描かれたサバのトマトソース煮があるな。日本企業の名作缶詰だ。位置的に、ここいらで売っているとは思わなかったが、アフリカは人の動きが大きいし、西の方から広まったんだろうな。

 いくつか買っとくか。

 もっとも、たまに……そう、この袋のラーメンみたいに、賞味期限が印字されてないのもあるので、そういうのは注意しないといけないがな。


 結局、エジプトビールに、コーンを加工した現地のスナック菓子と……。

「それは大丈夫なのか?」

 店先で作り売りしていて、俺がついでにと買い求めたファラーフェルに、医務官は訝しげな視線を向けながら聞いてきた。

「揚げるとこ見てたろ? 高温で中まで火を通せば、まあ、大丈夫だ。それに、少しはこっちの食い物に身体を合わせないといけない」

 そうかもしれないが、と、やや不満? いや不安か? そうな顔の医務官。

 あんまり納得していないようなので、軽く解説してみることにした。どうも、食事も一緒の流れなので、メシ時にまで難しい顔をされたくはないから。

「ファラーファル。ヒヨコ豆のコロッケだな。中東由来。ここはまだ北アフリカだし、ヒヨコマメも栽培しているんだろうな。比較的メジャーな食い物だ。コロッケみたいなもんだ。もっとも、香辛料は独特なのもあったりするがな」

 ファラーファルは、北アフリカでは、良く食べられてるし、観光客も良く食べるタイプのものだ。加熱してあるので殺菌されてるし、味も炭水化物っていうか、まあ、そうした系統のほくほくした感じがあるから。


 買い物を追え、本格的に町が夜の雰囲気になる前に――。

 ホテルまで、大通りを選んで歩いていたんだが、ふと銃砲店が目に入った。

 日本の田舎で昔、煙草を売っていたような感じの店作りで、どこか気だるそうな店主がテレビを見ながら店番をしている。

 やや色あせた銃の広告が壁に貼られていて、その下のガラスケースには拳銃が数丁並んでいる。


 ふうん。

 リボルバー、か。

 実の所、装備は一任されているので、銃に関しては持つかどうしようかかなり悩んでいるところでもあった。場合によっては、日本から猟銃扱いで一丁ぐらい持ち出そうかとも思っていたんだけど……。結局、ライフルの敷居の高さに負けて、見送っていた。

 大学の頃に、海外の射撃練習場で半日拳銃のレクチャー受けただけだし、流石にその程度の知識で小銃までは扱えないだろうな、と、思って。


 どこのメーカーの物なのか、店主にアラビア語で訊いてみると、腕を叩き……ああ、自前か。ちょっと怖いな。

 38口径、弾は……ああ、携帯で調べる限り、この辺りでも広く流通しているものみたいだな。反動も弱いが、威力も弱いらしい。防弾じゃなくても、距離や服の種類によっては止まる? 眉唾だな。このネタは信じないことにする。もっとも、壁は貫通しなそうだけどな。

 女性の護身用にも? ああ、ううん。確かに、軽くて頻繁にリロードしない分には、これで良いのかもしれないな。動作も確実、という触れ込みだし。

 中折れ式、ダブルアクション。

 シリンダーや撃鉄も綺麗だし、試射以外では使用していないだろうな。グリップは木。細めだな。まあ、反動の弱さと女性用ってことでなのかもしれないが、俺としては握りこみやすくて良いな。

 重さも手に馴染むし、一丁ぐらい持っていても悪くない、か。外交嚢に入れれば、空港でも税関でもノーチェックって聞いてるし。もっとも、この辺りもそうだし、バルカ共和国の方でも銃規制はかなり緩いらしいが。

 値段は、八十米ドル、か。少し高いような気もするが、昔旅行していたときと比べれば物騒な時代になったしな。武器の需要が増していることも考えれば、そんなもの、かもな。

 少し悩んでいると、店主が銃弾の入った箱――子供の御菓子の箱を一回り大きくしたような感じの箱だ――を差し出し、合わせて八十米ドルで良いと、言ってきた。

 まあ、そのぐらいなら――。


「買ってやろうか?」

 ポケットの財布に手を伸ばそうとする前に、横から急に日本語で話しかけられ、一瞬頭が混乱した。

 同時通訳って、特殊技能だと思う瞬間だ。外国語で話している時には、頭の中で考えていることもその外国語だから、母国語なのに、一瞬ぎょっとしてしまうんだよな。


 うん? と、小首を傾げて見せた医務官に、軽く首を横に振って応じる。

「いや、自分で払う」

 軽く溜息をつくような――いや、そんなに露骨でもないので、単に長く息を吐いただけだったのかもしれないが――気配がした後、医務官が腰に手を当て、どこか非難するような目を――まあ、最初から睨んでいるような目付きで、万年寝不足みたいな隈が更に険しさを増長しているが――俺に向けた。

「そんなに私が嫌いか?」

 嫌いか、と、訊かれれば、まあ、大嫌いではあるんだが、この場合は、単に好き嫌いの問題ではないので、俺は微妙な気分を隠さず、口をへの字にして答えた。

「装備は自分で調達する」

「ん?」

「ナイフもそうだが、銃にしても、見せびらかすだけで効果があるものではない。脅してなんとかなる程度の相手なら、そうなる前に、いくらでも手の打ちようがある。……狂気に対抗するには、理知に基づく武力行使しかない」

 だから? と、ここまで言ってもまだ分かっていない顔をされたので、仕方なく、俺は、直截的に答えた。

「所持した以上、俺は、それを使うだろう。必要だと判断したら、敵を殺すのも、躊躇しない」

「だから?」

「他人に責任を分散するつもりは無い。俺は、俺の意志で引き金を引く。お前が金を出したから、なんて無理な言い訳も自己肯定もしない。それだけだ」

 危険な場所での警備の仕事だ。端から、ただで済むとは思っていない。手を汚すことは、自分の中では前提条件になっていた。

 いや、それは、今に始まったことではなく……。

 少し、昔の仕事の一件がフラッシュバックしかけ――、軽くフンと、鼻を鳴らして追い出した。

 やるべきことをやる。それが、どういった汚れ仕事であろうとも、だ。金が振り込まれ、依頼人が裏切らない限り。

 他人を傷つけない、なんて理想は……俺には合っていなかった。高潔であるつもりなんて無い。

 ひとり殺せば……、殺した後、いつか、それが二人になる時は必ず来ると思ってた。

 抵抗は、あまりない。っていうか、フクションの方が過度に主人公に殺傷させるのを恐れているだけで、現実には、意外と簡単に人は手を汚せるものだ。そして、最初の低いハードルを越えれば、安易に手を汚し続ける。

 いつか、地獄の蓋が開くその日まで。


 少し、微笑んだような……いや、見間違いかもしれないけど、ともかく、そんな風に表情が少し柔らかくなった医務官は――。

「面白い男だ」

 と、どこか柔らかく微笑んだ……気がした。

「それはどうも」

 まあ、見た目からしてアレな女なんだし、そういう台詞にしたって、どの程度の意味を込めたのか分からないしな。深読みしても、損をするだけだ。

 つか、良い歳した女なんだから、もうちょっとは夜に男と二人で飲むことを考えれば良いと思うんだがな。

 ……たとえ、これまで、全く言い寄られたことが無かったとしても。



 部屋に帰り着き、アルコール有りの食事を始めても、会話はほとんど無かった。

 それもそうだ。共通点が全く無いからな。共通の話題も……、仕事の話ぐらいだろうけど、それにしたって俺と医務官ではすることが違うしな。

 ちなみに、ジャケットを脱いだ医務官は――、無頼素からうっすらとブラが透けていたが、エロくはなかった。むしろ、ブラしてたことにちょっとお父さん的な気持ちで感動しそうになる。


 もっとも、無言というのも味気なくて、なんとなく、ポツポツ意味の無い話――食べてるスナック菓子や缶詰の味付けとか、日本から持ってきた品とか、アラビア文字の読み方とか――をしながら、だらだらと飲みながら適当につまんでいると――。

 不意にトスン、と、医務官がテーブルに突っ伏した。

 一応、脈とか呼吸を診てみるが、単に飛行機の疲れがアルコールで睡魔に変わっただけらしい。医者の不養生とはよく言ったものだ。

 寝てる顔は……なんだか無邪気で、いつものあの隈も目立たなくなっているからか、どこか、中学生ぐらいにも見える。

 可愛い……とは、素直には思えないけどな。

 まあ、普通だな。普通。

 もっとも、可愛い部類の女だったら、こんなガチの仕事はしていないものかもしれないが。


 医務官を部屋に送り届けたかったが、鍵を探すにはコイツのポケットなんかをまさぐる必要もあったし――。まあ、幸い、ここはベッドが二つある部屋なので、荷物置きにしようとしていた方のベッドに放り込んで、残りのひとつで俺も就寝した。

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