EPISODE:08(3-2)
俺があの男と出会ったのはもう60年以上昔の話になる。
その頃は、ちょうど魔族狩りが流行していた頃だった。狩りと言っても、殺すのが目的ではない。魔族を捕らえ、自分と主従契約を結ばせるのだ。
この主従契約というのが厄介なもので、ある程度の魔力を持つものが自分の肉体の一部を主従を結ばせるものに与え、その身体のとある部分へと印を刻む。
たったこれだけのことで、契約は完了となるわけだ。
これが成立させられると、身体機能として主人となった者には危害を加えることができないうえに、自らの意思で命を断つことさえできない身体になる。
おまけに、主人が自然死・もしくは自らの意思で命を落とす場合を除き、いかなる場合でも、主人が命を落とせば契約を結んで守護となった者の命も同時に奪う。
この契約が破棄されるのは、主人が自然死もしくは自殺するか、主人本人が契約を破棄させた場合のみとなる。
まあ、他にも色々と制約やら何やらがあったりもするのだが、細かい事はいいとして。そんなわけで、人間は魔族を自分のガードにという馬鹿げた遊びに躍起になっていたってわけだ。
ちなみに、この契約同族同士では結べない。確かに面白いゲームであり、その者の力量と地位を満足させるだけの価値はあった。
人間・魔族・精霊族とこの世界は大きく分けて3つの一族で構成されているが、その中で滅多に姿を現さない精霊族ではなく、人は魔族に目をつけたってわけだ。
魔族の寿命は長い、精霊族ほどじゃないがな。あの頃の俺は、まだ何の力も持たないくせに、何でもできると思っていたガキだった。そんな時、奴に捕まりガードになったのが運の尽き。
当時、ある一国の軍事を仕切っていたジェロームは俺を軍事兵器として使った。戦う相手は人間と、俺のようにガードとなった魔族達だった。
「死にたくなかったら勝って来い」それが奴の口癖。
死にもの狂いというのは、ああいうことを言うのだろう。次々と補給される兵器としての同族達、元々俺達に仲間意識というものは薄い。それでも、その日ごとに運び出される死体と、次の日にはもう見知らぬ者が倒れている現実に、さすがの俺も気が狂いそうだった。
運ばれていく姿。
面倒くさそうに墓穴とも呼べぬ洞穴に蹴りこまれていく肢体。
イヤだ、ああなるのだけはイヤだ。
ただ、死なぬ為に戦った。
あの中に放り込まれる悪夢を見ぬ為に、ひたすら両手を血に染めた。
仲間なのか敵なのかそんなことはどうでもいいと、戦場では自分の命だけを守るように血を浴びてきた。いつしか、この悪夢から開放されることを夢見て。
そして、あれから60余年……俺は強さを手に入れた。
ジェロームの命令以外でもただひたすら能力を高め、もはや誰にも負けぬ最強の守護神とまで言われた。
笑い話だ。
傑作すぎて、言葉もでねえ。
何が守護神だ?
かつての同族達は誰一人残っていない。
俺はただ生き残っただけ。
ジェロームは、俺が成長していくのと対照的に老いていった。当たり前といえば、当たり前のことだ。
俺は、戦場から帰ってきて「自由」という言葉が見え隠れするようになってからは、より一層自分を鍛えた。そこには何かが待っているはずだ、あの悪夢はもう襲ってはこない、俺に待っているのはぽっかりと口を開いた空洞ではない。
時が来れば、俺はこの呪縛から解き放たれると、本気で信じていたから。
そして、事は一月ほど前になる。
ジェロームはこの頃になると、体中にがたがきているようだった。昔の軍師として面影はその身体にはもはやなく、何度も夜中に医者が駆け込んでくるような状態にまでなってきていた。
そんな時だ、奴の口癖が変わった。
(お前はずるい、お前だけが生き残る)
そんな戯言を毎度のように繰り返し聞かされる日々がしばらく続いた。モノを投げつけられたり、ある時は力任せに殴られたりする日もあったが、それも俺にとってはもはや苦痛では無かった。
むしろ、そこにあったのは空虚感。
何てちっぽけで哀れな生き物なのか、どうしてコイツに俺を縛るだけの力があるだろう。
(お前だけが自由になんて)
ある日、部屋に呼び出された。その日の奴の口調は明らかに異常だった。
(何故?お前だって散々その手を血で汚してきたじゃないか。お前だけが自由になんて、許されるはずがないのに、許されない……そう許せるはずが無い)
前半ぶつぶつと言っていたかと思うと、目を血走らせてこちらを睨み最後にはそのしゃがれた声を張り上げた。
刹那、扉から数人の魔族が身体中から殺気を漲らせて入ってくる。俺は同時に軋む床を蹴り上げ奴らとの距離をとりながら、苦々しくジェロームへ答えの分かっているその問いを投げかけた。
「俺に大人しく死ねってことか?」
ふざけるな。
何て傲慢さだ。
そう怒鳴りつけてやりたかったのに、咄嗟に声が出なかった。
(そうだ)
そう言って、あいつは笑った。
それは、俺がジェロームと一緒にいた中で一番穏やかで、最も慈愛に満ちたものだった。
が、それを合図に周りの奴らが一斉にこちらへ向かって攻撃を仕掛けてくる。
「ふざけるな!」
俺はそう吼えて、奴らを吹き飛ばし外へと出る。
(帰っておいで……死体になってその美しい顔を歪めて、帰っておいで)
その目に背筋が凍る感覚に襲われる。見なくなった悪夢が目の前に現れる走馬灯のように、その光景は俺に見せ付けるようにゆっくりと流れていく。運ばれていく死体、スコップの土を掘り起こす音、蹴り飛ばされた同族の顔。
イヤだ。
あそこに入るのは、イヤだ。
(お前は私のモノだろう、カルマ)
俺はその瞳と呪文のような言葉から逃げるように走り出していた。
(追え!決して逃がすな!)
その声が遠くから俺の耳に届いていた。だが俺の足が止まることはない、後ろから仕掛けられてくる攻撃を避けながら俺は森へとその足を向けた。
呼ぶな、俺の名を呼ぶな。
伸ばされる腕を狂気を悪意を全て振り払って俺は走っていた、耳を塞ぎたい衝動をひたすら足を動かすことへと費やすことで俺は何も聞かない振りをする。
呼ぶな。
呼ぶな。
その名を呼ぶな。
カルマ。
その名に倣って、罪を背負えとしゃがれた声が心臓に熱を与えて俺の動きを鈍くする。
カルマ。
嗚呼、体が揺さぶられる感覚にゆっくりと世界が明るくなっていくのが分かった。遠くで俺を呼ぶ声がする。ただ、それはアイツの声なんかじゃない。俺を責めたてるような声なんかじゃなくて、瞼の裏に橙色が溢れていく。
「目を開けろ、カルマ」
遠くで声がする。