EPISODE:10(3-4)
ちっ……確実に近づいてきやがる奴らの気配。
俺は、ロイを急かせる様に声を掛けた。
「早くしろっ」
「分かってるよ」
急かしたてながらそう言うと、ロイは昨日と同じ要領で結界を張り始める。
昨晩と同じように光を発し始めた様子を見ながら、俺はどうにか間に合いそうだなと心中で呟く。ロイの身体が結界を張り終えて黄金色から元の色に変わり始めたその瞬間、奴らが姿を現した。
己の意思とは関係なく、心臓が俺の中で派手に動き出す。
間に合ったのか?
それとも間に合わなかったのか?
「くそ、逃げられたか」
「そう簡単に捕まっちゃくれないだろうさ。あまりカリカリするなよ、ダウザー」
数十人の魔族の中に立ちその男は、宥めるかの口調でそう言った。
おそらくこいつが、頭だろうな。
「そりゃあねぇ、あっちだって命がかかっているんだから必死に逃げるさ」
薄く笑みさえ浮かべながらそう言う。それに対してダウザーと呼ばれた男は不満そうだ。
こいつには見覚えがある。何度か対峙し、やり合ってきたが中々の使い手だったはず。
身体は半獣人という事もありガッチリとしていて全身が堅い毛で覆われている。ギラギラとした瞳に、口元から突き出ている鋭い牙が特徴的だ。
それに対してこのリーダー格の男は今日初めて見るな。
気配からして相当な腕前だと優に考え付くが一体?肩よりも数十センチ長いくらいのブロンドの髪、それに反して真っ黒な瞳が何だか妙に不安を掻き立てる。
一見すると唯の優男。顔立ちは、悪くない……まあ、俺には負けるけどな。瞳がどこか目を細めた狐を思わせる嫌な感じだ。
魔族なのか?いや、わからねえ。
「なあ、カルマ。あいつらが、カルマを追いかけてきているヤツラなのか?」
「知るか、黙ってろ見つかるぞ」
注意深く奴等を観察している俺の肩に緊張感無く乗っかってきやがって。
空気を読めよ、この羽虫とばかりに俺は適当な言葉を投げる。
「この中ならいくら大きな声出しても平気なんですーっだ」
大声を張り上げながら空中で一回点してみせるロイ。
この余裕に腹が立つ。今がどれらけ緊迫した状況なのかを分かっていないコイツに腹が立っているわけなのだが、今こんなところでコイツに腹を立てている場合じゃないと分かっているのに、それでも無視しきれない自分も苛立たしい。
「それしか特技ねえんだろ、どうせお前は」
「ありますー、たくさんありますー」
「いい加減に静かにしろ!聞こえねえだろうが」
「ロイ、しぃー」
俺の言葉を補助するかのように、いつの間にか俺の隣にしゃがみ込んできていたサリナも、人差し指を口元に当ててロイに注意の言葉を向けている。
よし、偉いぞサリナ。
「サリナまで」
そしてそれにショックを受けているロイ、ザマアミロと軽く視線を向けてからやっと真面目な空気へと戻ることが出来た。
「あんたが直々に出てきて収穫なしじゃ、ジェロームの旦那もさすがに怒り狂うぜ」
ダウザーが、そう口元にわざとらしく笑みを浮かべながら言う。そこからは、鈍く光る牙と赤黒い舌が覗いている。
「怒り狂うついでに、くたばってくれれば言う事なしなんだがね」
まるで、興味なしとばかりに言ったその男の名を、ダウザーは窘める様に呼んだ。
「アイリス」
アイリスと呼ばれたその男は、片眉をやや動かして尚も続ける。
どうやら、見た目以上に食えない奴みてえだな。自分の雇い主に死ねって言ってるも同じだ……こいつもガードなのか?
「俺はね、どうでもいいんだよ。ダウザー、あのジジイも報酬も。ただ、興味があるだけ」
「あんたともあろう人が、ガード上がりの陳腐な魔族にか?」
ダウザーてめー、絶対殺す。
こいつの会話に自然俺の顔には青筋が走る。
「ガードあがりの陳腐な魔族がこれだけの事やってのけているからこそ、面白いんじゃないか」
歌うような声音、子供が自慢のペットを褒めるようなそんな言い方。
しかし、目が笑っていない。奴の目は、真っ直ぐに半獣人を射抜いていた。反論など何一つ口になどできないであろう、その空気にダウザーさえも、口を噤む。
そうして、アイリスはゆっくりとこちらへと振り返った。
「そうだろう?」
気が付くと俺は、その口がそう動くのを食い入るように見ていた。
間違いなくこれは、俺に向かって発せられているものだと本能的に感じ取る。
「そこにいるのかっ?!」
静かなアイリスの口調に対して、ダウザーは一気に身体に殺気を漂わせてアイリスが向いている方向、つまりこちらへと向けてくる。
俺は無言のまま、サリナに張り付いているロイを見る。しかし、ロイは黙ったまま首を横に振っていた。
大丈夫だって?こんな状況でそんなことが言えるのか?現にこいつはこっちを向いてあの台詞を吐きやがったっていうのに。俺は、下唇を噛みジッとより気配を殺す。
「い〜や。ただどこかで見ているんだろうなあとは思うのだけれどね。あんな数分で気配を感じさせない距離まで逃げるなんて出来るはずがないじゃないか」
奴の台詞に結果の威力は健在で、こちらの居場所はバレテいないと安心したはずの俺の身体には、今も尚嫌な汗がじっとりと背中を伝っている。
本能が、こいつはヤバイと告げている。身体の細部から発せられる信号が胸を締め付ける。
「どこで見ているのか知らないが、随分便利なお友達が出来たみたいじゃないか。けどね、お前の手はいつも血まみれでとても臭う、死臭がする。どれだけ逃げ回ってもそれを拭い去る事などできないように、逃げ切る事など一生出来ないんだよ……一生自由になんかなれない」
ニッコリと微笑んだその顔に、一気に血の気が引く。
「そうだろう、カルマ?」
怖いのか?いや、違う。
奴の言葉に一つも否定できない自分。
そんな、自分に背筋が凍る。
何故、何故だ、どうして俺はこんなに諦めている?
“だから、早く私と遊ぼう”
最後の一言は、声には出さなかった。
だが、俺には読み取る事が出来た。俺にだけ分かればあいつにとってはそっちの方が都合がいいんだろう。
「だったら、この辺をしらみつぶしに探せばいいんじゃねえのか?」
「時間の無駄だ」
横からかけられる声、しかしそれに対してあっさりと言い放つとダウザーの肩を軽くポンと叩くと方向を変えた。
「けど」
「無駄だよ、無駄はキライなんだ。ダイッキライなんだよ。大丈夫だよ、必ず捕らえるから」
後ろから納得しかねる声で奴はそう言ったが、アイリスは考えを変える気はないらしい。
「アイリス?」
魔族達へと、出発命令を出し自分達もその場から離れようとしたダウザーが、動こうとしないアイリスへと声をかける。
「行っていてくれないか、ダウザー頼むよ」
怖いくらいの笑顔。
頼む。
いや、頼んでいるのではない、命じているのだ。ここから立ち去れと、アイリスを包む空気がそう言っている。それを感じ取っているダウザーもまた、やや考えた後、“わかった”と一言告げてその場所を後にする。
そうして、奴らの気配さえも感じなくなってから満足そうに再びこちらへと振り返る。その表情は、まるで旧友に対するもののようで、真っ黒な瞳は、俺の何より恐れた墓穴に見えた。
「カルマ、もうすぐあのジジイはくたばるよ……その前に会おうね。必ず」
親友との、再会の約束のような言葉。
……動けない
何故?動けない?
「お兄ちゃん誰とお話してるの?」
意識が一瞬跳んでいたようだ。
その声に気が付いて振り返ったアイリスとほぼ同様のタイミングで俺もまた、その声の主に目をやる。
子供がそこにはいた。
子供だった気がした。