きゃ~、遅刻遅刻~
「きゃー、遅刻ちこくぅ〜」
またもや寝坊した深夜真世は、ギリギリに飛び乗ったいつもの電車が運悪くダイヤの乱れで数分立ち往生し遅れたせいで必死になって走っている。いつもなら始業1分前に会社に着くのに、このままだと1分遅刻が確定だ。
深夜真世。
仕事に情熱を傾けているわけではないが、朝イチ限定で1分1秒に命を懸けている。服装や身だしなみにフェミニンさが欠けるのは、かように競争社会を生きき抜くため身に着いた悲しいビジネスマンの性だった。すれ違う両お下げをふわふわとなびかせて歩くゴシックロリータな女性を最小の動きでかわして先を急ぐ。「きゃっ」というなんとものんびりした反応を遥か後ろに聞いた。
間に合わない。
そんな確たる思いが深夜の脳裏を過ぎる。
「まずい。まずい。まずい。今日遅刻したらまずいのにぃぃぃぃ〜」
本当にまずいのだろう。涙目で顔を歪ませながらわめく。周りからの視線はおかまいなしだ。もちろんスピードは落とさない。しかし、もう始業まで1分しかない。いかに深夜が朝イチのみ優秀な人材でも物理的に間に合わせることは不可能だった。
「うぎゃ〜。神様、神様、神様〜。時間。時間止めて〜、私以外のすべての時間〜。止めて〜、ルルベル、ルルリラ〜」
わめく。
自分でももう何を言っているのか分からない。
しかし。
「あ!」
それでちゃんと時が止まるから、世の中よく分からない。
車道を激しく行き交う車は止まり、交差点の信号は青のまま。
歩道を歩いていた通行人は人形のように歩幅を残したまま固まった。
その横を歩いて逃げていたハトは、首を突き出したまま戻すこともない。
ビルの電光時計は、午前8時59分から動かず、点滅もしない。
何と、深夜以外、世の中すべての動きが止まったのだ。
「やった」
深夜は立ち止まって周りを見回し、顔を喜色に染めた。
「やった。助かった。すごいすごい。神様っているんだ。神様ありがとう」
そう感謝しながら歩道脇のフェンスに右手をつくとひらりと飛び越え、止まった自動車の間を縫いながら会社のビルまで一直線に走っていった。
はたして。会社の中もしっかり時間が止まっていた。あれから2分弱は経過したが、タイムレコーダーは午前8時59分で止まったまま。
「よっし。やった!」
ぜーはー言いつつも、勝ち誇る。自分のタイムカードを取り、始業1分前のレコーダーに通す。
が。
「あれ?」
レコーダーは、無反応。
「あれ。ガチャンって、いわない」
カードを抜き差しする。それでも無反応。さらに激しく抜いたり差したり。
「ああ、そうか。機械も止まってるわけね」
やっと理解した。すぐにカードを差せる体勢を取ってから、「神さま、もういいですよ」とかいって世界が動き出すのを待つ。しかし、いつまで待っても深夜以外の時間は動きださない。ルルベル、ルルリラとか一応言ってみるが、それでも駄目。
「あの、神様。もしかして……」
もちろん返事はない。
おしまい
ふらっと、瀬川です。
自ブログに発表したことのある旧作品「動かない時計」を改題した作品です。
気軽にさくっとお楽しみください。