転/第九十三話:(タイトル未定)
ほどなくして。
ある“工房/工場”の大きな鉄扉の前で、歩みが止まった。
その大きさと、川に面してあるかんじからして、これはヒトが出入りするためのモノではなく、物資や機材の搬入出にもちいるモノではなかろうかと思う。
――のだが、レンくんはそんなこと気にしたふうもなく、
「ちょっと待ってて」
と言い残し、鉄扉の端の壁の前までトトトッと小走りで移動。そこに低く設置されてある、鉄扉と比べると極めて小っこい金属製のハンドルを、勝手知ったるというふうにぐるぐると回し始める。
どうやら、それは鉄扉を開閉するための装置であるようで。レンくんの忙しない“回す動作”と連動して、鉄扉が上方へ――なんとも割に合わない微かさで動く。
どう見ても、キツイさある肉体労働だとわかるので、
「オレがやるよ。“その仕掛け”動かすの」
当たり前のこととして申し出て、歩み出る。
――が、レンくんは、
「ちょっと待ってて」
いまさっきと同じだけれども疲労感が増々になった言葉を即、投げ返してきた。ハンドルを回す動作も、止める気配がない。
「そんな、遠慮することな――」
「ちょっと! 待っ! てて!」
そんな頑なさある返しに、どうしたものかと迷うていたらば、つないである手がちょいちょいと呼び鈴を鳴らすがごとく引かれた。
「お言葉に甘えて、私とお話しながら待つとしましょうよ」
我が呼び鈴を鳴らしたお方は、微笑ましいモノを愛でるヒトの優しさあるお顔で、
「ね、刀さん」
そう、おっしゃってきなさった。
「え、でもごっ!」
それでも食い下がらんとしたらば、つないだ手をぐいっと強めに引っ張られた。おっと、と踏ん張り、不意のことに崩れそうになった姿勢を保つ――と、身体が硬直したその一瞬を狙ったがごとく、我が顔面へ“つないでいないほうの手”が瞬と迫ってきた。そんなぶん殴らなくともぉー、と脳裏で走馬灯の代わりに思ったと同時、鼻の横っちょに固くて温くてヌメッペタッとした丸さあるモノが当たった。なんぞっ? と驚きと不安と不気味さを感じる暇もなく、すぐに“それ”をつまんでいない残りの指たちが探るように我が顔面をいじくり――どうやら当初の着地点は“そこ”だったようで。固くて温くてヌメッペタッとした丸さあるモノが、我が口内に闖入してきおった。“甘み”が、口内に広がる。
「んんっ……」
いきなりのこと過ぎて、理解が追いつくのに少々、時を要してしまった。アメ玉を口に突っ込まれたってだけの、じつに単純なことだったのに。
「少しの間、“それ”をペロペロしておいてくださいな。おとなしく。お願いしますね」
壱さんはしてやったりというような愛嬌あるエヘン顔を浮かべ、言うてきた。
「んーむ」
アメ玉をペロペロしつつも、苦いモノを口にしたがごとく眉根が寄ってしまう。
「“沽券に関わる”事柄はあるものですよ。誰しもヒトには、ね」
「そうかもしれませんけど……」
自分より幼い子が額に薄っすら汗を浮かべて働いているのに、ただ立って待つというのは、やっぱり、うーん。
「“ひとりのヒト”であることに、“大人”も“子ども”もないですよ」
そよ風のような声量と口調で壱さんは、そう口にした。
「……まあ、そうですね」
壱さんが言わんとすることは、なんとなくわかるんだけれども……。
うーんむ。
――と、意識するとキリがないことになりそうなので、
「そういえば、壱さん。アメ玉、持っていたんですね」
逃避的にふと気になったことを、口にしてみた。
「まだあとひとつ、ありますよ」
にぃと口を開いて壱さんは、
「ふぉられ」
並びのキレイな上下の前歯で器用に挟んだ“それ”の存在を、ご提示くださる。
「なるほど」
壱さんが元々所持していたモノじゃあなく、さっきオレが放り込んだヤツの残りということですか――あ、そういえば、と“そのこと”を改めて意識する。
意の表層へ、急浮上してきたのだ。“さっき放り込んだヤツ”の関連事項として。
あるいは“これ”も、ひとつの“沽券に関わる”事柄と言えるだろうか。
「壱さんに、ご報告しなければならぬことがあります」
「ふぁふぃ? あんれすか――」
壱さんはアメ玉を提示したままで応じてくれてから、
「改まって?」
ほっぺの片側に“それ”を収納して、疑問顔で小首を傾げる。
「えっと、まずは“これ”を――」
先ほど“勝負の場”で預かったお金と、勝負に勝って増々た分のお金を、手渡す。
受けった壱さんは、にぎにぎと手の内で“なにであるのか”探るがごとく触ってから、
「ああっ! すっかり忘れていました。そういえば、そうでしたね」
さっと流れる所作で“それら”をフトコロに収め、
「しっかりたっぷり“勝った”ようで、なによりです」
喜色満面、口内でアメ玉をコロコロと転がしながら、「ふへへっ」と笑うように言うた。
「いやー、まぁー、そーなんです、けれどもぉ……その、じつは、ですね」
と、“勝負が終わったあとの出来事”をお話させていただく。
「ほうっ」
我が白状を耳にした壱さんは、やや大きい音声を発して応じ、
「美味しかったですか?」
気さくな微笑みある表情をして、訊いてきなさった。
「はい」
素直に、端的に、返答させていただく。
「そうですか。うーん、お夕食のまえに、“プタ”で小腹を満たしておくのもよいかもしれませんね。お話を聞いたら、いろいろな付け合せで味わいたくなってきました」
壱さんは眉を角度の浅いハの字にして、おっしゃった。ほっぺに片手をそえ、とても悩ましげに「うーんむ」と唸る。
「――あら?」
笑顔の鉄拳制裁が執行されると確信して、ぐっと身構えていたのだが……。
どうしたことでしょう。
制裁執行人は、“プタ”の“トッピング/付け合せ”について「うんむうんむ」と唸り始めてしまった。“焼き肉っぽいガッツリ系”か、“納豆やオクラっぽいネバネバ系”かと頭を悩ませ、いっそのこと両者を仲良く混ぜ混ぜしちゃいましょうかと己がお腹と相談していらっしゃる。
「あのう……」
「はい?」
「鉄拳制裁は?」
やかしたという事実に対して“なにもない”というのは、逆に末恐ろしいというか、辛いものがあるというか、なんというか。
「うーん? ……あ、もしかして刀さん、怒られると思っていたのですか?」
「……………………はい」
「ぷあっはっはっはっ、くふふふ」
我が返答を耳にした壱さんは、喜劇を楽しむヒトの表情をして、
「もう、刀さんは真面目さんですねぇ~」
うりうりぃ、と突っつくように身を押し当ててくなさった。
「ま、そこが、よいところでもありますけどね」
「お咎めはなし、ですか?」
「だって、そもそも、損をしていない――どころか、結果的に“徳/得”をしているのに、そこをあえてお咎めしちゃっちゃら、なんだか粋じゃあない。――でしょう?」
確かに預かったときより金額は増えているけれども、オレが“プタ”を食べるのに使っちゃった分は確実に減っているわけで。実際に得られたのは、本来の“それ”に満たない金額である。壱さんからしたら、まったく“徳/得”になっていない。
「個人的には、美味しく“徳/得”をさせていただきましたけれど……」
「あら、刀さんは、“すぐに噛み砕いちゃう派”でしたか。私は、まだ“徳/得”を美味しく味わっていますよ」
壱さんはほっぺをちょんと指差し、「ぬふふ」と微笑みをこぼしながら言いなさった。
「“徳/得”って、アメ玉のことですか?」
「そーですよう。こんなに美味しいのですもの。“これ”を“徳/得”と言わず、なんと言う――ってやつですよ。刀さん」
「まあ、確かに、美味しいですけれども」
いただいたアメ玉はくどさのないお上品な甘さであり、壱さんの“ご意見/ご感想”には激しく同意である。けれども……。
「お値段的にも、“プタ”一杯より“おいしい”ハズですし。そう考えると、刀さんなかなかやりますね」
壱さんは腕をポンポンと軽く叩いて“なにか”を示しながら、そんなことをおっしゃる。
「いや、でも――」
「ふんむ。刀さんは、気にしいさんですね」
むむぅと眉根を寄せて言い、けれどパッと転じて柔和さある表情を浮かべて壱さんは、
「まあ、でも、これで刀さんが真面目さんでなかったら、怒りはしませんけれど、ガッカリはした――かも、しれませんね」
そんなお言葉を聞かせてくださる――次瞬、さらに転じてニヤリと口の端を釣り上げて、
「しっかぁーしっ!」
と継いで、笑みあるそのお口を動かす。
「刀さんが“気になって安眠できない。なんでもする。させてくださいっ!”とおっしゃるのでしたら、しょーがないです。刀さんの安眠のために、“なにか”をしていただくとしましょう。うーん、そうですね……すぐには思いつかないので、考えておきますっ。ご期待くださいっ」
おおう……。“それ”を述べた事実は一切なく。耳にした瞬間は、なんのこっちゃと驚いたけれども、“なんでもする”所存ではある。
「覚悟しておきます」