転/第八十七話:(タイトル未定)
うまいこと、囲まれた状況からは抜け出せた。
怒れる方々にすぐ気づかれ、あとを追われてしまったけれども、騒ぎを聞いて様子を見に道へ出てきたらしいヒトたちの群れが、まさに肉の壁となってくれたおかげで、どうにか捕まることなく駆け抜けられ――
物影に身をひそめて様子をうかがう、今現在である。
一時の難からは脱したけれども、根本的に“ここ”から脱出するための足が、いつの間にか先回りしていた怒れる方々に抑えられてしまっていたのだ。地下にあるこの“賭け事の島”から脱出するための足たる、小舟が。
さきほどからチラリチラリと船着場へ視線をやってはいるけれども、勢い任せで小舟に乗り込めるような隙はなく。
だからといって、べつの船着場へ移動しようにも、いまこの物影から出たらばテンヤワンヤ賑やかなことになってしまう可能性が濃厚で……これまた本当に、どうしましょう。
ゲームだったら、セーブ地点かチャックポイントからやり直してるなぁ――と、“たられば”を逃避的に思うていたらば、
「おっ、ん?」
つないでる手が、ちょいちょいと控えめに引かれた。
「なんでございましょう?」
呼んだのに、なんでか一拍、ためらうふうな間を置いてから、
「あのう……なぜ、いま、このように身をかがめてじっとしているのでしょう?」
眉を困ったふうな角度の浅いハの字にして、壱さんは訊いてきなさった。まだ口内にあるアメ玉をそちらに寄せ集めたのか、右のほっぺがもごっと膨れている。
「あと、火事は大丈夫だったのでしょうか? “臭い”も“雰囲気”も、それらしいモノは感じられないですが」
「う、うーん……じっとしているのは、隣の“カブキ者”がうっかりおおみえをきっちゃうと、えっらい賑やかなことになっちゃうから――とでも申しましょうか」
「うん?」
「火事はウソ――の、はずです」
「ふぇっ? ウソ……なのですか?」
壱さんが疑問と驚き混じりの愉快な表情を浮かべなさった、ちょうどそのとき。
「さっきの火事、どうもデマだったらしい」
船着場のほうから、
「んだとうっ? ふざけやがって! どこのどいつがそんな――」
という、怒れる方々の苛立ちある話し声が聞こえてきた。
それは、お隣さんの耳にも届いてくれたようで。
「どうして――」
聞くが早いか、
「わかったのですか?」
壱さんは素朴な好奇心で彩られたお顔を、ぐぐいっと身体ごとこちらに近寄せ、
「刀さん?」
発音の吐息で我がお耳をくすぐりながら、訊いてきた。
「それは」
「それは?」
「“耳にしたことのあるお喋りの声”だったからです。さっきのが」
そりゃあもう、耳に居候してきたタコさんがうんざりするほどにねっ!
「うん?」
壱さんは頭の上に疑問符を浮かべて、小首を傾げる。
まあ、いまので察して、というのも無理難題が過ぎますよね。
というわけで、“はしり”の場で出会った“お喋りなヒト”のことをお話する。
「――ちなみに、いま壱さんが舐めているアメ玉は、その飴菓子屋のご主人からいただいたモノなんですよ」
「ふぇー、そうだったのですか。じゃあ、あとでお店に出向いて、“先ほどの”お礼を述べないといけませんね。それから、売っている飴菓子を試食させていただいて――じっくりと吟味したのち、お品を購入しなければなりませんねっ!」
「お礼が“ついで”のように聞こえましたけど」
「まさか、そんなことありません」
「まあ、お礼を言わないといけないのは、まったくその通り、なんです、けど……」
「けど? なにか問題が?」
「肝心のお店の名前も場所も、聞いていないことに、いま気がつきました」
言って。アメ玉を包んである質のよさそうな布を取り出し、なにか手がかりがないものかと観察してみる。素人感覚でも質がよいと感じる肌触りと、
「んー、奇抜」
そんな感想しか出てこない“模様/柄”があるくらいで、至って普通の布である。
ま、当たり前か。
「それ、“ムラ屋”の看板にある印と同じだ」
幼さある音声が、不意打ちのように耳に侵入してきた。
突然の知らぬ声にビクッビクゥと身震いしつつ、聞こえたほうにへ意を向ける。
「んんっ! ……どちら様?」
こちらの状態に合わせてくれたのか、身をかがめている子どもの姿が、そこにあった。
「少なくとも“あいつら”の身内じゃないから、安心していいぜっ」
やんちゃな男の子の豪気さある笑みをニカッと浮かべて、そんなことを言うてくる。
「う、うん。そうなんだ」
理解が追いつかず、まともな返しの言葉が出てこなかった。
これは、またまた、どうしたことでしょう――と現実逃避的に逡巡しようとしたらば、
「ねえねえ、刀さん」
つないだ手をちょいちょいと引っ張って壱さんが、
「“それ”って、なんのことですか?」
いまさっきの“いきなり現れた子ども”の発言に関して、補足説明を求めてきなさった。
「“アメ玉を包んである布”のことですよ。奇抜な――まあ、これは個人的な感想ですけどね、柄が施されてありまして。その柄が、“ムラ屋”の看板にある印と同じ――なんですって、いましがた現れた“この子”いわく」
「なるほど」
壱さんはうなずいて理解を示してから、
「ちなみに」
と継いで、さらに口を動かす。
「その“ムラ屋”さんというのは、どのようなモノを扱っているお店なのですか?」
「飴菓子屋だぜ。まっ、高っけぇから、買ったことも食べたこともないけどなっ」
つまるところ、その“ムラ屋”さんが、あの“お喋りな恩人”さんのお店――ということになるのだろう。
どうやら、壱さんも同じ“受け取り”をしたようで。喜色満面、よい笑みを浮かべて、
「これなら、あとで食べ――お礼を述べに行けますねっ。刀さんっ」
ぐっとサムズアップな勢いで拳を握り、「ふへへっ」とおっしゃった。
「そうですね。その為には、まず“ここ”から無事に脱出しないと――」
「知ってるぜっ!」
やや食い気味に、身を乗り出すようにして、“いきなり現れた子ども”が言うてきた。
「船に乗らず、無事に“ここ”から出られる道っ!」