起/第八話:罪と罰と旅の果て
現在それなりに晴天な空の下、オレ達は例のお食事処を目指していた。
左右で縛った髪がどことなぁくウサギの垂れ耳に見え、どこか怯えているようなふるふるとした雰囲気が、またウサギを連想させる、線の細い小柄な身体にエプロンを装着した人物が、ときおりこちらを気にしながら、長い棒のようなモノを大事そうに――幼児がぬいぐるみを手放さんとするがごとく、ぎゅっと抱き、いまにもズッコケそうな頼りない足取りで、我が前方を歩いている。
名前は“バツ”というらしい。
いったいどんな文字が当てはまるだろう。イチさんは、壱という字を勝手に脳内で当てはめているが。
まあそれはどうでもいいか。
問題なのは、我が隣を歩行中な壱さんを、どこぞのスーパーヒーローと勘違いしているということだ。
詳しい話は、お食事処でご飯を食べながら。という条件を壱さんが強行したので、まだ詳しい事情は聞いていないが、ご対面時の「お姉ちゃんをたすけてくださいっ!」という切羽詰った感じなセリフと、昨日のガラの悪いヒト達から推測するに、どうしようもなく、これから荒事が起こるのではなかろうかと想像してしまう。
「どうしたんですか? これから朝ごはんを食べるというのに、意気消沈して」
雰囲気というのか、空気というのか、で我が心情を察してくれたらしい壱さんが、杖の代わりに繋いだオレの手をチョイチョイと引っ張る。
「これからの事を思うと、元気もなくなりますよ……」
荒事は嫌いだ。小説とかマンガとかアニメとかゲームとか映画とかでヴァイオレンスな表現がされているのは気にしないけど、というかむしろ好物だけれども、それは非現実の――そういう“表現方法/演出”であって、リアルな痛みや危険や悪意はともなわない。だが、リアルな痛みや危険や悪意をともなう“それ”は好まない。オレは痛みに興奮するマゾヒストではないし、危機な状況にロマンを想う妄想家でもない。ましてや悪意に立ち向かえるほどの勇者でもない。だから、昨日のようなになってしまうのではなかろうかと、心配であり不安で、テンションダウンしてしまうのも、自然なことだ。
それに寝起きだし。
「なんでですか? あれですか、刀さんは朝ごはんを食べない派なのですか? 健康によくないですよ?」
ものすごくズレた御意見の壱さんである。
「どこの世に、朝ごはん食うことで意気消沈するヒトが居るんですか」
いやまあ、探せば居るかもしれませんけどね。
「じゃあどうして?」
壱さんは不思議そうに眉を寄せて小首を傾げる。
どうしてって、それはだから――
「わふぅっワッ!」
オレが「わふぅっワッ!」って叫んだ訳じゃないですからね。
タイミングが狙ったように絶妙だったけれども。
「大丈夫?」
オレは目の前で豪快にずっこけたバツに、手を貸しながらいう。
「イテテ……だ、だいじょうぶですぅ……。なにかに、足をとられて」
バツは恨めしそうに、自らの足元を見やる。
オレもそれに吊られて視線をやる。そこには、
「なんだろう……本?」
革張りの、本の形をしたモノがそこにあった。
なんと気なしに、手にとってみる。
結構、分厚くて重い。
ゆえに、いまにもズッコケそうな頼りない足取りのバツが、足を取られても、まあ、いたしかたないかなぁと思う。
パラパラと中身を見てるが、しかしそこには文字らしきものは無く、
「白紙……てことは、これは手帳かな?」
ご丁寧に最後のページには、羽ペンのようなモノがはさまっているし。
「手帳? そんなモノどうでもいいじゃないですか。早く朝ごはん食べましょうよっ!」
空腹でイライラし始めたらしい壱さんが、オレの肩を外すかのように、繋いだ手をブンブンと景気良くぶん回す。
わかりました、と壱さんをなだめつつ、涙目なバツに手を貸し立ち上がらせ、じつはもう目の前まで来ていた例のお食事処へ入店する。
ちなみに、拾った手帳は、そのまま道端に戻すのもなんだか気が引け、どうしたものかと迷っているうちに、壱さんがイライラし始めてしまったので、仕方なくオレはフトコロにしまう事にした。
「そういえば、昨日は居なかったよね?」
オレはお食事を運んできたバツに問うた。
着席したのは昨日と同じ席であり、注文したメニューも同じであり、違うのはバツという存在のみ。
「き、きのうは、お台所で仕込みの手伝いをしていたのです」
オボンをぎゅっと抱いて、なんでかオレの言葉に怯えたようにビクッとしつつ、バツは答える。昨日の今日だし、お姉さんが何か大変な事になっているらしいしで、まあ怯えられるのもしかたないかなぁ、と思うのだけれど。しかしちょっと傷つくというか、なんというか。
「い――…………」
壱さんに話をふろうかと思ったのだが、例の如く、彼女はもっすごい他の追随を許さない勢いで、運ばれてきたご飯を喰らっていらっしゃるので、なんというか思わず出かけた言葉を飲み込んでしまう。
触らぬ神にタタリ無し。
なんでだろう、不意にそんな文字列が脳裏をよぎったのは。
まあともあれ、
「空気を読むと、本当はこんなところで朝ごはん食べてる場合じゃないような気がするけれど――」
べつに壱さんが空気読めない人だとは言っていない。決して、断じて言ってない。
「――『お姉ちゃんをたすけてください』っていうのは、どういう?」
昨日このお店を訪れたときのオレと壱さんに関する極少な情報から、宿泊している宿屋を探し出してまで、オレ達――というか壱さんを尋ねてきたのだから、よっぽどな事態なのだろう。
「そ、それはですねっ!」
と、バツは破裂したように一気に語る。
まぁなんというか、どこの世でもヒトのやることに大差ないということだろうか。
バツの姉、ポニーテイル娘さんを連れ去った理由――地上げ。
この屋台みたいなお食事処の土地に、どれほどの価値があるのかオレには理解できないが、バツの姉を連れ去った連中、つまりは昨日のいかにもワルな連中と腹痛先生――その親玉は、この土地を手に入れるために強引な手段に出たということだ。
朝ごはんを食べている場合ではない気がするが、しかし根本的なところからして、
「そういうのは、警察のお仕事じゃない?」
壱さんが暴れてどうなる問題じゃないと思う。
「ケ、ケイサツゥ……て、な、なんですか?」
バツは困ったように形のいい眉を『ハ』の字に、眼に潤みを増幅させ、抱いたオボンをいっそうギュッとして、訊いてくる。
ケイサツは世界共通語ではないらしい。
まぁ、当然か。
しかしなんと言えばいいんだろう……。
んん〜、
「こう……なんて言うんだろう。兵士? 憲兵? んんーいやまぁ、国の役人というのかな。そういう、権力のある――」
オレの言ったことを、自分なりに解釈したバツが、
「領主さまですか?」
領主と警察がイコールかどうかは知らんが、まあそんな感じの偉い人に頼むべきではなかろうか。というニュアンスは伝わったようだ。
が、
「お姉ちゃんが何度も何度も、領主さまにはお願いしにいっているですけど……」
しょんぼりするバツ。
領主に頼んでも、事態は現状に到っていると、そういうわけか。
――「越後屋、おぬしもワルよのぉ」
――「いえいえ、お代官様ほどでは」
――「「あはははははっ!」」
的な、そんな裏があったりするのかなぁ。
役人と悪人は紙一重というか。
ともあれ、領主が悪かどうかは置いておいて、いまこの時には役に立たないヤツであることには違いなく。
に、してもだ。昨日の今日な素性が不透明な壱さんを頼るよりか、こういう時のご近所さんじゃないのか?
「そ、それは……その……」
それ以上の言葉はなく、バツは視線を泳がせ、曇った表情でうつむいた。
あれか、ご近所さんもトバッチリはごめんこうむるというやつか。
「美味しくありませんね」
不意に、今のいままでご飯を喰らっていた壱さんが、口元を布切れで拭いつつ言った。もちろん、自らの前に出ているご飯は完食済み。オレはまだ三分の一も食べてないのに、なんたるハヤワザか。
で、美味しくないって、どういうこと?
「昨日のご飯が気に入ったから、今日の朝ごはんはコレと決めていたのに。なんですかコレは、昨日とは比べ物にならないほど――」
すぅっと壱さんは大量の空気を吸い込み、
「――マズイっ!」
鬼瓦みたいな憤怒の形相で、吸い込んだ大量の空気を使用し、言い放った。
「……は?」
完食しておいて、なにゆえにそんな事を言うのか。
「なんですか、コレは詐欺ですか。ふざけてはいけませんよ。食の恨みは永久の恨み。他の事なら多少は無かった事にしてあげないこともなくもないですけどね。コレは、コレばっかりは、無かった事にはできませんよ。責任者を出しなさいっ! そして昨日と同じご飯を食べさせなさいっ!」
んんー、駄々っ子?
ファミレスとかで親をちょいと困らせるお子様の光景がだぶついた。
「ご、ごめんなさいですぅ。ぼ、ぼく、まだちゃんと料理作れないのです。せ、せきにんしゃ――お姉ちゃんは……」
たぶん年下のバツを困らせている壱さんて、どうなんだろう。
「お姉ちゃんがどうしたんですか」
眉間にシワを刻みながら、険しい表情で壱さんは言葉を吐き出す。
どうしたんですかって、そのことでバツはアナタを訊ねてきたのにね。全然、ヒトの話を聞いていないのですね。
なにがどうしてどうなったのかを、バツは語り――
それを聴いた壱さんは、
「案内なさい――」
スクッと席を立ち、杖を握り締めて、連れ去られたバツの姉の居場所を求めた。
「――私の朝ごはんを、奪還しますっ!」
なにか間違っているような気がしないでもないが。
いまにも駆け出さんばかりの壱さんは、苛立たしげに「まだですかっ」と吐き捨てた。
思い立ったが吉日と言うように、即行動に移行した壱さんを、しかしもっとも駆け出したい衝動を心に抱えているであろうバツが、
「ちょ、ちょっと待ってほしいのですぅ」
と呼び止め、そしてそのまま、お店の奥へ消えてしまったのだ。
どうしたんだろう?
と、思ったやさき、バツは戻ってきた。手の内に、宿屋で会ったとき大事そうにしていた棒のようなモノを抱いて。
この棒のようなモノを取りに行ったのだろうか。
「それって?」
どう見てもそんなに大切なモノには見えないというか、ぬいぐるみを抱きかかえている方が似合っているというか、自然というか。
「こ、これは――」
バツは言いながら、棒の上部を握り、引いた。
すると、棒の上部――握りこぶし二つ分下の位置から、棒は上下に割れ、バツが上部を引くのに合わせて、下部からギラリと輝く――刃が現れる。あれだ、ヤグザさん達が使うような、ツバの付いていない、日本刀みたいな。というか――
「――日本刀?」
どうみても、オレにはバツの持つそれが日本刀にしか見えないのだが。
「ニホントウ……? ち、ちがいますよぉ。こ、これはお肉解体包丁ですぅ。お、お料理するときに欠かせない、か、家宝なのです」
だから置いては行けない、と説明してくれるバツであるが。
ある意味で刀は、お肉を解体する包丁だと思うけれども。あれか、マグロを解体する刃渡りの長い包丁が、どうしても刀に見えてしまうオレの眼には、やっぱりバツの手にある刃物は日本刀に見えてしまうというだけか。
「ん?」
なんとなぁくギラつく刃に魅入られていたオレは、刃に文字が刻まれている事に気が付いた。
「……そはりゅうどうするときのなかであるがままに?」
其は流動する刻のなかで、あるがままに。
どういう意味だろう?
「なにしてるんですかっ! 早く行きますよっ!」
だがしかし、オレの思考は怒れる壱さんに妨害されてしまう。
「わ、わかりましたから、杖をぶん回さないでくださいよっ」
バツに案内された場所は、宿場町から少し離れた所で、
「……デカ」
目の前には、いかにもお屋敷ですと主張する巨大な門が立ちはだかっていた。
ここが柄の悪い連中の本拠地らしい。
「でもこの門は、どうしよう。ノックしただけじゃ、開けてくれないだろうし……」
裏口とかを探すべきなのだろうか。
ていうか、なんか流れに身を任せてココまで来ちゃったけれども、これからつまりはケンカを売りに――いや、売られたケンカを買いに行くんだろう。
なんかなぁ……、正直に言うと、引き返したいのだが。
隣に居るバツを見やる。
潤んだ瞳で、堅く閉ざされた巨大な門を睨み、唇を噛みしめている。
そんな姿を真横で見て、自分だけ引き返すというのは、チキンハートなオレでも、さすがに出来ない。
「裏口を探さないとだめですね」
ペタペタと巨大な門を触って探っている壱さんに言う。
どう頑張っても、この門は開きそうにないし、その左右から伸びるこれまた巨大な壁の高さは、到底、乗り越えられるモノではないし。
「裏口? なんでそんな回りくどい事をしなければいけないんですか。朝ごはんがかかっているんですよっ? 正面突破で最短ルートで、朝ごはんを奪還しますっ!」
グッっとこぶしを握り、宣言する壱さんであるが、
「でも、どうやってこの門を開けるんですか?」
それがまず目前の最大の問題だ。
が、
「ふふっ、この程度は問題の内に入りませんよ刀さん」
不敵な微笑みをたたえて、壱さんはグッとサムズアップする。
なに、なにをするおつもりなのですかね。
で、壱さんのとった行動はというと。
手足を、全身を使い、身体を叩いてコイキなリズムを刻み――
たしかストンプとかいう名称のダンスに類似している気がする行動をし、
全身が奏でるリズムが絶頂に達した瞬間、
「来たれ――イワさんっ!」
手にしている杖を、地面にぶっ刺した。
半ば地中に埋まった杖。
ていうか、それだけ。
「あの壱さん。確かにそんなに深く杖をぶっ刺せる筋力はスゴイと思いますけど、それにどんな意味があるんですか?」
素朴なオレの疑問に、しかし壱さんはピッと人差し指を立てて向け――お静かにって意味かな?
そして、その右手人差し指を、頭上に掲げる。同時に、肩幅に両足を開き、腰を左に突き出す。
壱さん、なにをしているんでございましょう……。
バツも状況をあまり理解できていないのか、呆気にとられてしまっている。
シンッと静まり返る周囲の空気……。
その静寂を待ってましたを言わんばかりのタイミングで、壱さんは掲げた右手でパチンっと指を打つ。
するとどうだろう、地面にぶっ刺さった杖の周囲の土が、まるでアイスを溶かしたかのように流動的なモノへ変化した。そしてそこから刺さった杖が、せり上がってくる。
いや、せり上がってきたのは、杖だけではなかった。
握った杖に引き上げられるように現れたのは――
杖を握った右手を頭上へ掲げ、肩幅に両足を開き、腰を左に突き出すというポージングの……
小っさいオッサンだった。
オレの腹部くらいまでの身長で、我が隣で呆気にとられているバツとタメくらいだ。だが、その肉体はバツとは比べ物にならないくらいに、オレとも比較できないくらいに、筋骨隆々。どっかの美術館にありそうな、英雄の筋肉美を愛でる石膏像のような、重厚で鎧のような印象の筋肉体だ。
ただ残念なことがあるとすれば、身長が低いことではなく、己が肉体を見せつけたい願望のあらわれとでも言うべき、一糸まとわぬ赤裸々な破廉恥極まりないイデタチであるというところか。
オレは無意識に、バツの視界を手でおおい隠してしまった。
「壱さんなんなんですか、この破廉恥漢はっ!」
「イワさんです」
誰がネーミングを訊いたよ。
「そうじゃなくて、なにがしたいんですか。こんな露出狂を出現させてっ」
どうしてどうやってこの変態が出現したのかという疑問すら忘却してしまう、本当に理解しがたい出来事である。
「なにがしたいって、それは当然、正面突破の為ですよ?」
なにを当たり前のことを。とでも言いたげな表情でおっしゃる壱さんだが、しかしどうなのコレは。
アレか、私は一糸まとわぬ、どこにも武器は隠し持っていない、無抵抗な存在だ、さあ話し合おうではないか、的な――こちら葛飾区亀有公園前派出所(通称、こち亀)に登場した海パン刑事的な発想か?
どう頑張っても、裸で迫っていったら、永久にココの門は開かないと思うんですけどね。普通に考えて。
「せめてもうちょっとマトモな手段はなかったんですか」
どうしてこんな破廉恥漢なんですか。
どうしても割り切れない気持ちを壱さんにぶつけていたらば、いままで無言でいた露出狂が、
「ヘイ、メーン」
口を開いた。
「な、なんですか」
「私は“イワンジェネビニッテ・フォルステナ・ソコロフ・シェリングルス・ノーム・ノーマン・ゴーレ・ム”という。初めまして」
破廉恥漢は初対面の挨拶と共にハンドシェイクを求めてきた。
なんだこの、外観からは想像できない紳士な中身は。
ていうか、壱さんはイワさんと呼んでいなかったっけか? めちゃめちゃ長い名乗りだったと思うのだが。
「は、初めまして」
いちおう礼儀として(露出狂に礼儀を通す意味があるのか疑問は尽きないが)、挨拶をし、握手をした。
イワンジェネビニッテ・フォルステナ・ソコロフ・シェリングルス・ノーム・ノーマン・ゴーレ・ム(名前が無駄に長いので以下、イワさん)は、オレにしたのと同じように、バツにも挨拶をする。どん引いているバツは、しかし恐々といった感じであるが、それに応じた。
胸筋を無意味にピクピクさせながら満足そうに頷いたイワさんは、
「で、マイ・マスター。私はなにをしたらいいのですか」
壱さんにかしずいて問う。
「私の朝ごはんを連れ去った、万死に値する方々に、天誅を下し、速やかに私の朝ごはんを奪還する――そのお手伝いをイワさんにはお願いしたいのですが」
「イェス、マイ・マスター」
イワさんは、変態を屋敷に近づけまいと頑強に立ちはだかる巨大な門へと向かう――
運動会が開催できそうなほど、無駄にだだっ広い庭の向こう側に、やっとこさ屋敷の入り口が見えてくる。
無論、そこに到るまでには障害が――親玉を護らんとする柄の悪い連中が襲い掛かってきたが、そんな連中を、赤子の手をヒネルようにポイポイとブッ飛ばし捨て、道の安全を確保し先行するイワさんの後姿を追いつつ、オレは背後に視線をやった。
そこには、変態の侵入を阻止できず、無残に破壊された門が、悔しそうに在る。
イワさん……、ただの露出狂ではなかった。
なんだこのデタラメ過ぎる物理的破壊力は。
「イワさんが、壱さんの言う奥の手ですか?」
オレは繋いだ手の先にいる壱さんに問うた。
見た目にせよ物理的にせよ、イワさんの破壊力は、奥の手といっても過言ではない。
が、返ってきたのは、
「違いますよ。イワさんは、イワさんです」
ちょっと意味はわからんが、奥の手ではないという答えだった。
つまりは、壱さんの秘める奥の手と言うヤツは、イワさんをも越える何かということか?
なんかちょっと怖くも思えてきた……
というところで、屋敷の入り口に到着した。
高級そうな木製の扉を強引に開き、屋敷内部へ侵入する。
ダンスパーティーができそうな、奥行きも高さも無駄にある玄関ホールはしかし、妙な静けさに包まれていた。
が、数瞬後には、異変を察知した眼つきの悪い連中が群れ、血走った殺気溢るる居心地最悪な空間へと成り果ててしまう。
ダンボール箱があったら、かぶりたい。そんな我が心情。
これは冗談じゃなく、ヤバイ。
ヤバ過ぎる状況だ。
が、怖くて過呼吸なオレの気持ちなんぞ察するつもりなんかそもそも無いだろう壱さんは、余裕げな態度で、
「私の朝ごはんを、返しなさいっ!」
堂々と言い放つ。
けれど向こうサイドには、まったく意味が通じず、ゆえに返答はない。
「そうですか、そちらがそのつもりならば、いたしかたありません。イワさん、行きますよっ!」
「イェス、マイ・マスター」
ものすごく一方的な武力行使が始まった。
壱さんは例の舌打ち――反響定位を駆使しながら、舞うように、群れるワルな連中をなぎ倒してゆく。
イワさんは――R指定なヴァイオレンスで、破廉恥漢にドン引いているワルな連中を駆逐する。
瞬く間に、玄関ホールの静寂は取り戻された。
と思ったのも束の間、
「せ、先生っ! こちらですっ!」
切羽詰った感溢れる、そんなセリフがホールに響く。
が、すぐには何も現れず。少しの間を置いてから、
「待たせたな」
腹に響く、渋い音声と共に、一人の剣士がご登場。そして、
「これは……」
ゴミのようにそこらじゅうでノタレているワルな連中を見て、言葉を失う。
そして現状を作り出した元凶を視界に捉えるや、
「なっ。またもお前たちか」
剣を引き抜きながら言う。
「ん? その声は、どこかで聞いた憶えがありますね……」
そりゃ聞き覚えもあるでしょうよ。昨日、アナタが下剤をもった相手ですもの。
「あ、そうそう。お腹の調子はいかがですか?」
ポンと拍手を打って、世間話でもするかのような口調でいう壱さん。
「よくも悪くも、全部出たわっ! て、そんな事はどうでもいい。なんのつもりでココへ来た」
腹痛先生は剣先をコチラへ突きつけながら、問う。
「私の朝ごはんを返してもらいに」
当然のように返答する壱さんだが、その答えは根本的なところからして間違っている。
「朝ごはん? なんのことだ」
まあ、意味がわかんなくて当然だから、腹痛先生の反応はいたって普通だ。
とココで、バツが意を決したように口を開く。
「お、お姉ちゃんを、か、かえしてっ!」
そう、それが本来の理由だ。
「ん? お前は……ああ、あの店の者か。しかしなんだ? お前の姉など、私はココへ連れてきた憶えは無いぞ」
どういうことだ? と側らに控えるザコ(A)に腹痛先生は訊く。
コソコソと耳打ちがなされ、
「なるほど。私の知らぬところで、そういうことがあったのか。しかし人さらいとは、強引な。ともあれ、合い解った。ゆえに全力をもってそれを阻止する」
腹痛先生は構え、斬りこんで来る――
「待て」
――ところで、べつの声にそれは妨害された。
声の主は、いつの間にか現れた、チャラけた感じの頭が悪そうな人物。
待てと言われて腹痛先生はその言葉に従っている。ということは、この頭が悪そうなヤツはそこそこに偉いのか?
と、そんな事はどうでもいい。問題なのは、頭が悪そうなヤツが従えて現れたザコが、ポニーテイル娘さんを拘束してご登場しているということだ。
「お、お姉ちゃん!」
駆け出そうとするバツ。だがそれを、
「来ちゃだめっ!」
ポニーテイル娘さんが、止めた。
「この声――、見つけましたよ。私の朝ごはん」
壱さん……。一人だけ別次元にいらしゃるわ……。
「まさか、ここまでの用心棒を連れてくるとは思ってなかったけれど。まあそんなのはどうでもいい。なにも争うつもりはないんだから――」
頭悪そうなヤツは、なんか意味のわからない事を、演説するようにオーバーな身振り手振りで語る。
争うもなにも、先に暴力に出たのは、そちらじゃないのか?
「――解決策は簡単。いま、キミが大事に抱えているその“異界人が鍛えし剣”をボクにくれれば、それでいいんだから。そうすれば、キミの大好きなお姉ちゃんは無事に解放されるハズだよ?」
頭悪そうなヤツは、イヤラシイ笑みを顔面に貼り付けながら、どうだい簡単だろう? とバツの抱くお肉解体包丁を指差しながら言ってくる。
なんだろう、なんかムカつくのは。
ていうか、なんだ“異界人が鍛えし剣”って。
というか、
「お食事処の土地が欲しくて、バツのお姉さんをさらったんじゃなかったのか?」
「店の土地? ああ、たしかに剣を手に入れるついでに、いただこうとは思っていたがね。あんなショボイ土地なんて、得たところでなんの特にもならないさ。そもそもあんな土地より、価値のあるその剣があればそれでいい。ボクが欲しいのはその剣なんだから」
新しいオモチャを目の前にしてテンションアップしている子どもみたいだなと、コイツを見て思う。
「バツ、こんなバカにお父さんとお母さんの形見をわたしちゃダメよっ!」
キリリとこんなバカを睨みながら、ポニーテイル娘さんは言い放つ。
「で、でも……」
戸惑うバツ。当然である。自らの姉と剣。本来なら同じ天秤に乗るモノではない。が、同じ天秤にポニーテイル娘さんは自ら乗ってしまったがゆえ、バツは迷う。
「なんだか、のけ者にされている気がして、面白くないですね」
「イェス、マイ・マスター」
そりゃまぁ当然じゃなかろうかと思う。
「お腹も空き過ぎて背中とくっ付いてしまいそうですし――お話の腰を折ってしまい申し訳ないとは思いますが、そろそろ終わりにします。というわけで刀さん」
いきなり話をふられても困るのだが。
「な、なんですか?」
「朝ごはん奪還を妨害しそうな人数を教えてもらえますか?」
つまりは、ポニーテイル娘さんを奪い返すのを邪魔しそうな人数ということか。
「ええっと――」
腹痛先生とその脇に控えるザコ(A)。
頭悪そうなヤツと、その隣でポニーテイル娘さんを拘束しているザコ(B)。
合計は、
「――四人ほどですけど」
人数を聞いた壱さんの口元に浮かぶのは、余裕たっぷりな小悪魔の微笑み――
お食事処へ帰り着くなり、壱さんは朝ごはんを作れとポニーテイル娘さんに強要した。
そういえばいつの間にか、イワさんの姿がないが、まあ露出狂は居ないほうが精神衛生的に好ましいから、気にしないでおこう。
壱さんの朝ごはん奪還の決着は、割とすぐについた。
腹痛先生とイワさんとの死闘は凄まじいモノであったが、拮抗していい勝負をしていたのはこの二人だけであり、ザコ(A)と(B)はあっさり倒され、頭の悪そうなヤツも、壱さんの地獄突きを股間に喰らい、同じ男としては同情してしまいそうな最後を迎えサヨウナラ。
でもしかし、事ここに至って死人が出ていないのは、奇跡というか、壱さんの技量の格が違うということだろうか。
そう、あれほどに凄まじい戦闘を繰り広げているにもかかわらず、だれも死んでいないのだ。
「半殺しならぬ、七割殺しですけどね」
帰り道、壱さんはそんな怖いセリフをサラリと言ってのけていた。
いま目の前で、口元をギトギト汚しながら美味しそうにご飯をかっ喰らっている子どもみたいなお人が、同じ口でそんな事を言ったというのは、少々想像し難い。
ともあれ、頭の悪そうなヤツが言っていた、お肉解体包丁が“異界人が鍛えし剣”であるという言葉が、どうにも脳裏に張り付いてはなれず、ご飯を作り終えたポニーテイル娘さん(名前はツミというらしい)に、その事について訊ねることにした。
いったん台所に入り件の包丁を取って戻ってきてから、ツミさんが語るに、
「コレは私たちの両親が首都エタレアに住んでいた頃に知り合った鍛冶師が、この宿場町で料理屋をやると言う両親に作ってくれたものなんです。私たちはその鍛冶師に会った事はないのですけど」
と言いつつ、ツミは眠っていた刃を起こす。
「でも、なんでそれが“異界人が鍛えし剣”ってことになるんでしょう?」
べつに普通に作られた刀みたいな包丁だろうと思うのだが。
「それは、その鍛冶師さんが、必ず鍛えた作品に刻む印に由来するらしいです」
これです、とツミさんは刃に刻まれている文字を指差す。
「其は流動する刻のなかで、あるがままに。……どうしてこれで異界人?」
理由がよくわからず、問い返して見たらば、なんでか目を見開いているツミさんの表情があった。
「こ、この印が読めるんですかっ?」
オレだってそれなりに学校で学習しているわけだし、超がつくほど難しい漢字でもないのだから読めて当然だろう。
と思いつつ、ツミさんの表情ごしに見えた壁にかかるお店のメニューをみて、ハッとして気づく。
オレは、このお店のメニューが読めない。というかまったく知らぬこの世の文字が理解できるはずもなく。しかし、包丁に刻まれた文字は読めて?
「どうしてコレを作った鍛冶師は日本語が使え……」
つまりそれは――
手掛かり発見ということか?
当たり前のように無料で昼飯に変わった朝飯を食べたあとの、宿屋への帰り道にて。
「壱さん、訊いてもいいですか?」
手を繋いだ先にいる壱さんに、オレはひとつの問いかけをした。
「なにをですか?」
「首都エタレアって、どこに在るんでしょう」
つまりは、例の鍛冶師が居るらしい場所である。
「エタレアですか……。んんー改めてどこって言われても口答するのは難しいですね。そもそも私、地図が見れませんし。でもまあ大雑把に言うと、クレベル王国の中心に近い――正確な中央よりやや南よりにある中央首都です。整備の行き届いた道路の終着点にして出発点。にしても、エタレアの事を訊くなんて、急にどうしたんですか?」
小首を傾げる壱さん。
「その、エタレアにオレと似たような境遇の人がいるかもしれないんです。だから、なにか知れるかなぁと思いまして」
「ああ、なるほど」
納得というように壱さんは頷く。
「あの壱さん」
「はい?」
「壱さんの旅のついで、気がむいたらでいいんですけど、一度エタレアに寄り道するって可能ですか?」
そんなオレの問いかけに、しかし壱さんはしばらく沈黙して、
「可能ですかって言われれば、可能ですけどね。刀さん、回りくどい言い方しないで、単刀直入に意見をいったらどうですか? もみ手をして相手の顔色うかがいながら相手の察する能力にオンブに抱っこで、自分の意見を伝えようなんて――いうじゃないですか、同じ釜の飯を食らわば、腹割って喜怒哀楽も共食いだって。それとも私は腹割って意思疎通するにあたいしませんか?」
ぷくっとほっぺを膨らませ、しかし落ち着いた声音で言う。
つまりは――対等な立ち位置で語り合おうじゃないかこの野郎っ! ということか。
「そうですね……。壱さん、一度エタレアに行かせてください」
「もちろん、かまいませんよ。そもそも私、目的あって旅しているわけじゃないですし。それになにより、面白そうなことになりそうですしね」
思い立ったが吉日というノリと勢いで、エタレアに向かうことが即決された。明日の朝一で出発だそうな。
「でも――ひとつだけ、残念なお知らせがあります」
ホントに残念そうな口調で壱さんは言う。
「私、この宿場町がクレベル王国のどの辺りにあるのか、知らないんですよ。行き当たりばったりの流浪の旅をし続けていたもので」
それは致命的に思えたがしかし、明日の朝一までに誰かに訊けば、その問題は解決である。
宿屋に着くや、支配人っぽいお人がもみ手モミモミで接してきた。
なんでも、昨日、壱さんが去れと言い放ち、この宿屋のお客ではなくした例の者が、べつの宿屋で他のお客の荷を盗んでいたところを、捕まったのだそうだ。
壱さんが追い払わなかったら、この宿屋で盗難騒ぎになっていた。ありがとう。そして雑用させて申し訳ない。だ、そうな。
そういえば、宿代が無料に云々と壱さんは言っていたが、つまりはこの事か? 恩着せがましい気もするけど。
ともあれ、
「どうして、泥棒だってわかったんですか?」
部屋にもどってから、素朴な疑問をぶつけてみた。
「足音を不自然に殺していましたし、なにより、フトコロを探られてましたからね刀さんが」
ベッドにちょこんと腰掛けた壱さんがいうには、どうやらオレはスリに遭いそう――というか遭っていたのか――だったらしい。
「他人のフトコロを探るヒトが、マトモなヒトのわけがないですし。と、そんなところです」
いやいや、スリに遭っていたらしいオレ自身が、すられていた自覚が無いのに、なにゆえに壱さんにはわかったのか?
「音ですよ、音」
ことさら平然と壱さんはそういって、
「お昼寝しますので、夕食時になったら起こしてください――それでは、おやすみなさい」
気持ち良さそうな寝息と寝顔を残して、夢の世界へ船をこぎ出した。
いったい壱さんには、この世界はどんなふうに見えて(知覚されて)いるのだろうか?
そんな事を思いつつも、オレもする事がないので、昼寝する事にした。
気づいたら、外から燃えているような黄昏の光が差し込んでいた。
だいぶ本気で寝ていたらしい。
「おはようございます、刀さん」
声のしたほうを見てみると、先に目覚めていたらしい壱さんが居た。
「さあ、夕食を食べに行きましょうっ!」
元気良く、壱さんのテンションは高い。
べつに何が悪いというわけではないのだが、なんかご飯を食いまくりな気がする。
当たり前のように、例のお食事処へ足を運ぶ。
「あ、いらっしゃーい」
ツミさんがほがらかな笑顔で迎えてくれる。その影に隠れるようにバツの姿も、見え隠れ。
他にお客さんの姿は無い。
例の如く、お品を注文してから、
「これって、そもそも何系統の食べ物なんだろう」
運ばれてきた品を見て、思うわけだ。
あえて形容しようにも、オレはコレに類似する食い物を知らないし。
んんー。
「食べられれば、ご飯はそれでいいじゃないですか。語るに舌を使わず、全力で料理を味わえっ――て、どこかの偉い人も、きっと言うと思いますし。くっちゃべってないで、美味しく食べましょうよっ」
全力で味わい中な壱さんが、口から噛み砕きすり潰した食物を「ボォファッ!」と豪快に撒き散らしながら、そんな事を言う。
わかりましたから、二度と口にモノ入れて喋らないでくださいね。
「そこまで豪快に食べてもらえると、料理人みょうりにつきるわ」
あっはっはっ、と笑いながら、布巾を片手にツミさんが登場した。
ちょうどいい、彼女に訊ねたいことがあったのだ。
それは、
「鍛冶師の名前と住まい?」
なんでまた、と小首を傾げるツミさん。
なんでかどうしてかを、オレはザッパリ語る。
「エタレアに行くんですか。なるほど」
頷き、
「住まいはわからないですけど、名前は――」
という情報を得て、まあとりあえずの目標は立ったわけだ。
それで全てが万事解決するとは、思ってないけれども。
何もしないよりは、何かしているほうが、気がらく。
それだけ。
翌日、早朝。
宿場町に訪れた時と同じ服装で、入ってきたところから出て行くために、掘っ建て小屋のある宿場町入り口を目指して歩いていた。
この宿場町がどこなのかは、掘っ立て小屋のオッサンに訊けばいい。
というわけで、安っぽい入り口が見えてきた。
「ん? なんだろう」
「どうしたんですか、刀さん」
「え、ええ、なんか入り口の所に、誰かが待ち構えているので」
あれか、七割殺しにされたワルな連中が報復しにやってきたのか?
と、思ったのも一瞬の事で、入り口の所に停められたリアカーに腰掛けているツインテイルと、その脇に立っているポニーテイルは知っている姿だった。
理由は、報復の可能性がありそれから逃れる為というのと、単純に両親が育った土地を見てみたいというものだった。
オレはいま、リアカーを引いて地道を進んでいる。
ともあれ、重い。
人間二人と、荷物多数と、食料品。
ちなみに人間というのは壱さんとバツである。
我がお隣には、ほがらかな表情のツミさんの姿もある。
なんだかなぁーと思いつつ、ちょっと前の時間を回想してみたり。
「私と弟を、旅の道ずれにしてもらえないでしょうか」
待ち構えていたツミとバツは、開口一番そんなことを言った。
理由は先の通り。
だがそんなことより、
「弟って? ……まさか、バツ?」
オレにはそっちのほうが、衝撃だったりした。
眼球が落っこちそうなほど目を見開いているオレとは対照的に、ツミさんは「何を当たり前の事を」という態度である。
なんというか、オレの目も節穴になったというのか、腐ったというのか、
「どう頑張って見ても女の子だろう」
ていうか、そもそもツインテイルと男が等しい場所にカテゴライズされていない我が知識なので、
「どうして、ツインテイルなんだー」
回想終わり。
陽も暮れてきて、川べりで野宿ということになった。
壱さんが二人の道ずれを拒否しなかったのは、まあオレを旅の道ずれにしているあたりからして、大した理由があるわけでもないだろうけど、予想するに、好んだ料理を常に食えるからではなかろうかと思う。
ともあれ、夕食を食べ終わり、たき火にあたりながら何をするでもなくしていたらば、ふと思い出すことがあった。
フトコロに手を突っ込んで、それを引っ張り出す。
白紙の手帳である。
「これが文庫本だったら、暇つぶしになるんだけれども」
なんせ白紙なので、読むところがない。
ご丁寧に、羽ペンが付属しているけれども、
「インクがないから、使い物にならないよなぁ」
昔、飼っていたインコのぬけた羽を、羽ペン代わりにして遊んでいたのを思い出したり……
「イ、インクなら、あ、ありますよぉ」
不意に真横から声が降ってきたのでちょっと驚いたが、そこには手に小ビンを持ったバツの姿があった。
かゆいところに手が届くというやつか。
でもなぁ、
「これといって、書くことがない」
小ビンを受け取って、手の内でころがしてみても、とくに思いつくことはない。
というか最近、手で文字を書くことが少ない。パソコンとか、ケイタイとか、書くというより打ち込むことのほうが多い。
学校では、まあ黒板に書かれていることをノートにうつしたりしていたけれども、正直にいうと、黒板に書かれていることそれ自体が、教科書の写しだったりするので、あまり積極的にノートはとらない。
たぶんオレ、漢字とかそんなに書けないだろうなぁ。読めるけれど。
「日記とか書いたら? 旅日記」
食べられる草を狩りにいっていたツミさんが、薄闇から登場して言う。
「日記ですか……」
三日どころか、二日ともたなかった記憶があるのだが。
でもまあ、メモしておけば役に立つこともあるかもしれないし、なによりヒマだし、
「書いてみよう」
と、いうわけで。
薄闇が濃闇になり、たき火の灯りを頼りにしながら、ココに来てから体験したことを前文のごとく、壱さんと出会うちょっと前から記入してみたわけだが……
なんか後半、ちょいと面倒になって大雑把になった気も、しないこともない。
まあいいか……
旅は、まだまだ始まったばかりだし。
これから書き込むことのほうが多いだろう。
この手帳に書き込むところが無くなる頃には、旅が終了していることを願うばかりだが……
「刀さん、なにさっきから黙り込んでいるんですか?」
夜飯を喰らうことに集中していた壱さんが、完食してコチラに気を向ける。
「秘密です――ガッはッァ!」
「私に隠しことなんて、ヒドイですよっ!」
平然とボディータックルをかましてくるこの人と一緒に居たら、旅が終わる前にオレが終わってしまいそうで……
前途多難である――
壱さんに耐え切れるかなぁ……
オレの肉体……
《ザ・刀と壱の旅》 〜The Tou and Ichi's travels〜
第一部【起】――終わり。
と不意に、
『なにしてるの? おじいちゃん』
懐かしさを読み返すことに夢中だった私は、
突然、横からかけられた愛らしい声によって――
――現実に引き戻された。