転/第六十七話:(タイトル未定)
どうやら壱さんは、我が驚きと混乱を解消する助力はしてくれないようだ。
ご紹介のあと、けれどもそれ以上のお話はなく。
そのまま極めて自然な流れで壱さんは、「次はですね」と口にし――
我が現在地は、運河を走る小舟の上である。
しかも、壱さんとオレのふたりで貸切状態。
ともすれば嬉し楽しいシチュエーションなのだが、いろいろと解消されないまま、目的地を聞かされずにこの状況だと、そうもいかない。
身体の所在は刻々と移動しているにもかかわらず、理解は完全に置いてけぼりである。
なので、それを解消するため、お隣に腰掛けていらっしゃるおヒトにお訊ねさせていただく。“なにを”するため、“どのような場所へ”向かっているのか、その詳細を。
「あの壱さ――」
「あ、そうだ」
こちらの言葉をさっぱり斬り捨て、お隣のおヒトは思い出したふうに口を動かす。
「刀さんの頼もしい相棒さんですからね」
そして、なんでかしら、もたらされたのは“これから”に関する詳細な情報ではなく。
「いまから親交を深めておいてくださいな」
お持ち帰り用の紙袋と入れ替わるカタチで、
「はい」
甲羅を有する“そいつ”が、我が掌の上へとやってきた。
掌にちょうど収まる大きさで、顔の両側面に紋様チックな柄がある。甲羅の後部からは、シュッとしたしっぽがのぞく。足には地べたをしっかりととらえて歩むための、なかなかに鋭い爪を備えている。
そして、我が掌は地べたとして認識されたようで。その鋭さある爪が、ぎうと容赦なく我が肌に、肉に、喰い込んできた。哀しいかな地味に痛い――が、懐かしくて嬉しくて、なんだかくすぐったくもある。
掌の上の姿“そいつ”を見て、感じて、ぱっと思い浮かんだのは、ゼニガメ(ニホンイシガメないしクサガメの幼体の呼び名)だった。
じつは、カメは、幼少の頃から生活を共にしている存在だったりする。だから馴染み深く、“それ”がぱっと思い浮かんだのも個人的には当たり前のことだった。もっとも、我が家のカメさんは現在、幼体ではないので、正確にはゼニガメではないのだけれども。それに、いま我が掌の上にいるヤツも、大きさ的に厳密には幼体ではないだろう――たぶん。でも、個人的にはゼニガメのほうが語感が好ましいので、いままでも、これからも、この姿のことはゼニガメとして認識しておく。
ともあれ。
まさか、異世界にあって、馴染み深いその姿にまた会えるとはっ!
――と、最初の数拍は感慨深かったが、よくよく考えてみれば、そもそも“ヒト”が我が認識の範囲内の姿で、しかも日本語が通じる状態で存在するのである。極めてよく似た種類のカメが存在していたって、なんら不思議じゃあない。
そう、うん、不思議なことなんてない。
……うん。不思議なことなんて起こっちゃいない。
なんて現実逃避的に脳内をぺぺっと整理してから、己が掌の上の現実を直視する。
掌の上の“そいつ”――キチさんは、ぬーんと首を伸ばし、意外とぱっちりしたお目々でこちらを凝視していた。
「こ、こんにちは」
目が合い、反射的に挨拶してしまった。
当然、返答はない。
ただ、このタイミングで、キチさんが右の前足で顔をかくような動作をした。これは顔にゴミがくっついちゃったときなどに、まま見られる行動である。なにか特別な意が含まれた動きではない――が、どうしてだかオレには、よっと気さくなノリで片手を上げるがごとく、こちらの挨拶に応じてくれたようにかんぜられた。
ま、そんなわけないんだけどね。
閑話休題。
「それで……あの、壱さん。いま、いったい、どこへ向かっているんでしょう?」
一匹のカメと親交を深めるまえに、“これから”や諸々に関して理解を深めさせていただきたいわけです。
「こんなふうに――」
背後に船頭さんがいることを思い出してオレは、
「こんなうふうに、わざわざ小舟に乗らないとダメな場所なんですか?」
身を寄せるようにして壱さんの耳元に口を近づけ、
「いま向かっている場所は?」
小声で訊いた。
「うん? ……あっ、もしかして刀さん、酔ってしまいましたか? ごめんなさい、乗るまえにうかがっておくべきでした」
壱さんはハッとして、
「酔いを緩和するお薬がありますから、とりあえずそれを――」
慌てたふうに己がフトコロへ手を伸ばしてくれる。
「ありがとうございます。でも、大丈夫ですよ。べつに船酔いしたわけじゃないですから」
「そう……なのですか?」
我が言葉に、けれど壱さんは優しさある懐疑的な表情を浮かべる。
「私には、すぐにこの小舟から降りたい、とおっしゃているように聞こえたのですが」
ま、間違っていない。
というか、かなり正しく我が心情をくみとってくれている。
「そうちゃあ、そうなんですけれどもね」
ただ、船酔いしたからというわけではないのだ。
「うん?」
壱さんは困ったふうな顔をして、眉を「どゆこと?」と訴えかけるハの字にする。
「その、なんと申しますか……」
この小舟に乗るときに遭遇した、この小舟の船着場にいたヒトたちのまとう空気が、いま背後にいる船頭さんのそれも含めて、どうにも警戒心を懐かずにはいられない感じなのだ。なんというか、“あっち系/堅気じゃない系/道ですれ違ったら思わずスッと視線をそらしてしまう系”のそれっぽいというか。うーん、この生存本能が訴えかけてくる感覚を、どうやって“言葉という共通認識のための形状に区切って”説明しようかしら……。
「船頭さんたちの雰囲気が……どうにも、怖くてらっしゃるので」
己が感覚を的確に表現している言葉を模索しつつ口を動かした結果、自分の語彙力が残念であると自覚しました。国語の授業、もう少し真面目に受けておけばなぁ……。
そんな“ひとつの成れの果て”を耳にして壱さんは、
「ぷぐっ」
堪らぬといったかんじで吹き出し、
「くははははは――」
お腹を抱えて笑いおった。それも、思いっくそ声を上げて。
いっそ気持ちの好い、笑いっぷり。笑われっぷり。
――だが、
「そんな、笑わんでも」
ちょいとぷりぷり物申したくなる我が心情も、お察しいただきたい。
「はははっ、くくっ――ごめんなさい。安心したら、思わず、ふふっ」
けれども、しかし。
たかが船酔い。されど船酔い。体調不良であることには違いなく。
それに加えて“ここ/中央首都”へ訪れる道中、オレは体調を崩し、ダメな感じの高熱を発したりして、壱さんやツミさんやバツに迷惑をかけてしまった経緯がある。井戸に落ち、温泉を堪能したあとのお話だ。
なんだかんだで気ぃ遣いな壱さんである。大なり小なり不安を“懐いてしまった/懐かせてしまった”のだろう。
なんというか、ありがたくもあり、申し訳なくもある。
「体調がよくなかったら、遠慮なんかしないでゲロ吐きますよ――じゃないっ、ゲロ吐くまえに申告しますよっ、遠慮なんかしないでっ」
先の通り残念な語彙力の持ち主なので、この言い回しが適切である自信はない。というか、すでに言い間違えてしまったのでアレだが、
「だから、まったくもって大丈夫です。ご心配なく」
これだけでも正しく伝わってくれれば、いまはそれでいい。
「くふふ、わかりました。今後はフトコロに紙の袋と諸々用の水をしのばせておきますね」
「備えあれば嬉しいな、ですねっ。安心ですっ」
……あれ? これは“正しく伝わった”あとのやり取りなのかな?
いや、まま、それはそれとして。
オレは“この状況”に対しても一定の安心を得たいので、
「それで、ですね、壱さん――」
と、先ほどの問いの答えを、改めて求めさせていただく。“なにを”するため、“どのような場所へ”向かっているのか、その詳細を。
「あ、そうでしたね。まだ、はっきりと述べていませんでしたね……えっと、うーん」
壱さんは言葉を選んでいるような間を、胸の前に抱えてあるお持ち帰り用の紙袋の端っこを指でいじくり置いてから、
「刀さんの故郷では、一攫千金を狙う場合、どのような方法をもちいますか? というより、そもそも刀さんの“故郷/世界”に、一攫千金という概念、価値観はありますか?」
慎重さある口調で、そんな確かめるための言葉を投げてきなさった。
いまさら、と思うたけれども、国境の線をまたぐだけで“文化/価値観/よし悪しの判断基準”がガラリと転じてしまうのがヒトのそれである。いちおう、壱さんとオレは、国どころか世界をまたいでお話していたりするので、この“念のため”は、後顧の憂いをなくす意で、あって困るものではないだろう。
「もちろんありますよ、一獲千金」
我がご両親もそれを夢見て、定期的に宝くじやロトくじを購入しているし。
「方法は……まあ、よくも悪くもいろいろあるでしょうけれど」
おおまかにとらえて考え、代表的であり一般的によく知られている方法を上げると――
「やっぱり、賭け事ですかねぇ」
そんな我が意を耳にして、壱さんは「ほう」と小さく口にし、まるで「なんだ、わかっているじゃあないですか」と述べているような笑みをニヤリと浮かべた。
「……え、まさか、これからやろうとしている一攫千金の方法って」
確信的なよろしくない予感が、「こいつはヤベェぜっ!」と警鐘を鳴らすがごとく吐き気をもよおす。
「ええ、そうですっ」
壱さんは深く肯き、ことさら天真爛漫におっしゃる。
「ちまちましこしこと稼ぐより、ドカンっと一発、賭けで一攫千金つかみ取ろうという算段なのですっ。ちなみに、この小舟は賭場への専用船ですっ」
語尾に星々が煌めいたようにかんじたのは、果たして壱さんの天真爛漫さが起こした超自然的演出なのか、それともいまオレが感じているめまいのようなモノのせいなのか……。
ともあれ、我が生存本能は間違っていなかったようだ。
まあ、当たったところで、まったく喜ばしくはないのだけれども。