転/第六十話:(タイトル未定)
宿屋の外、中央首都の城下町には、活気と喧騒が溢れていた。“老若男女/喜怒哀楽/その他諸々”の声や音、“ヒト/老若男女”の表情や仕草、“モノ/建築物/装飾品”の材質や形状、そこかしこにある文字っぽい記号、それらに個性を加える色――という、あまり統一感のない雑多な情報が、ぎちぎちガヤガヤと己が存在を主張している。
この国は交易で栄えているらしいので、より“そう/統一感なく雑多に”なっているのかもしれない。ちなみに、この国に関するお話は、到着してから宿屋までの道中、壱さんとツミさんと時々ちょろっとバツが教えてくれた。
そして“そう”であるがゆえか、現在位置たる“ここ”は、窮屈とまではいかないが、なんとなく狭くかんぜられた。――けれども、数多くのヒトや物資を積んだ荷車などがさして滞ることなく行き交えているので、城下町の造りが細々しているというわけではないだろう。……ヒトとモノが数多く集まってワイワイ盛り上がっているから、そんな気がしてしまうのかな。たぶん。
ただ、個人的に、この空気感はイヤではなかった。
より正確に述べるなら、今現在の個人的には、だが。
以前の、“こちら”へ来るまえのオレなら、「もういいよ」と確実にうんざりしていただろう。でも、いまは、このゴミゴミっとして忙しない雰囲気が、なんとなく“日本の都心部”のそれと似ているように感ぜられて、なんでだか“形容し難い嬉しい気持ち/根拠のない安心感”を懐くのだ。まあ、空に関しては、圧倒的に“こちら”のほうが高く広くかんぜられるけれども。
――イヤではないと述べたが、哀しいかな好いこと尽くめというわけでもなかった。
あるいは、「もういいよ」と確実にうんざりできることが、幸せの一面であることに気づくことができた――と、空元気をフル稼働させて、ミュージカルがごとく歌って踊って明るく受け止めてみるのも、ありかもわからない。
なにが、どうしちゃったのか。
久しぶりに“懐かしくあるヒト混み”の中にあって、意識しちゃったのだ。自分以外の存在、他者との“つながり/関わり/接点の共有”について。
現在位置たる中央首都の城下町、そこにある“日常の風景/文化”。“懐かしみある安心/ほっとする気持ち”を感じると同時に、似ているけれども“やっぱり異なる”と、かんづいてしまうのだ。ヒトはいるけれども、そのヒトが、そのヒトたちが、“なに”をしているのか、“なに”に関して話しているのか、行動しているのか――そこかしこで当たり前のように展開されている“日常の風景/文化”が、ぱっと直感的に“理解/解釈/認識”できない。
もし“日本/故郷”のそれであったなら、その“日常の風景/文化”と“そこで行動するヒトたち/個々人の習慣”に対して、常識やら礼儀やらがどうのこうのという意を懐き、脳内で模範的な常識人ぶれていただろう。
……あるいは、持ってて当たり前な高機能携帯端末と、生活圏ではだいたい接続できるネットの“恩恵/救済”を最大限に活用して、離れた“どこか”にいる自分と同様な存在と“選んで/選ばないで”つながり、風景に対してどうのこうのと論じ合い、これまた模範的な常識人ぶっていたかもしれない。
――が、いま、我が手の内に携帯端末はない。そもそも、ここには、ネットもそれにともなうサービスも存在していない。……これが、真の異文化コミュニケーションの洗礼というやつなのだろうか? もしくは、疎外感?
つまり、なにが言いたいのかというと――
宿屋で壱さんに「刀さんを忘れてしまうなんてっ」と言われたとき、じつは胸の内で、“恐怖/不安”が豆腐っぽい我が心臓をわしづかみしていたのだぜっ――という、ちょっちホラーな体験をしちゃったでござる、というお話である。
まま、もちろん、壱さんの“それ”が冗談であろうことは、“直感的/希望的”に信じてわかっていたけれども。
……けれども。
…………けれども、もし、壱さんと“出逢って/関わって”いなかったら、オレは“こちら”で完全無欠で完璧なる“独りぼっち”になっていたかもしれないわけで。……おわかりいただけるだろうか? この“心情/感覚”。
さっきは、「おっとう……」と受け流しつつ、“務めて知らんぷり”を決め込んだけれども、そのあとに壱さんが口にしてくれた、「刀さんのことは常に意識していますもの、忘れるわけがありません」という言葉が耳に届いていなかったら、果たして我が精神衛生はどうなっていたことか。聞けてほっとした、というのが素直な胸の内である。
じゃなかったら、我が手をアメの代わりに、という余裕ある柔軟な発想はできなかっただろう。“務めて知らんぷりする”ということは、つまるところ“知っている/意識している”ということであるから。受け流すということは、ちょっとは受けちゃっているということであるし。それになにより、“努め”には限りと無理がある。
――とは言うても、これは“たら・れば/かもしれない”なお話。豊かな想像力の、もやっと湧いた“副作用/副産物”でしかない。
いま、我が手の内に携帯端末はない。
いま、我が手は、確かな“温もり/質感/重量感/存在感”を感じている。ともすればふわっと浮いてしまいそうなオレを、“そのお隣”の地べたで歩ませてくれている。“ここ”につなぎとめてくれている。
そんな“ほっ”を与えてくれる存在――壱さんは今現在、眉根を寄せて、ほっぺをぷくっと膨らませたりして、“だんまり”を決め込んでいらっしゃった。
我がお隣を、まさに黙々と歩んでいる。
宿屋を出てから八度目に聞こえてきたお腹の音が、あまりにも素晴らしかったので、
「よい音ですねっ」
と、素直に、“耳にした感想”を口にしたらば、こうなってしまったのだ。
「……刀さんは、乙女心がわからない」
壱さんは“だんまり”を決め込む間際、あきれたふうであり、ガッカリしたふうでもあり、どことなく怒っているふうでもある、なんとも形容し難い複雑な表情をして、吐息まじりにポソリとそんな言葉をこぼしなさった。
まったくその通りだと自分でも思うので、どうこう言うつもりはない――ない、けれどもしかし、壱さんのことならば、乙女心よりは少しわかっているつもりだ。一に飲食、ニに飲食、三と四も飲食で、五にその他諸々がぎゅっと凝縮されている、と。
そう意を懐いた次瞬、つないでいる手が思いっクソ力強く握られた。我が手の骨と筋肉を混ぜ合わせるがごとく、にぎにぎぐりゅぐりゅと容赦なく責めてきおった。
そして“それ/にぎにぎぐりゅぐりゅ”は、壱さんが“だんまり”を決め込み、オレが城下町の風景を眺めつつ、いろいろと思い、考えてみたりしている間も、じみぃ~に継続していた。“いま”も現在進行形で続いており、そろそろ指の付け根の関節が“外れ/潰れ”そうな悪寒がする。
――が、大丈夫っ! もう安心していいのよ、オレ。
なぜならばっ!
指が望まぬ脱着機能を獲得しちゃうまえに、“それ”を終わらせる“きっかけ”に辿り着くことができたのだからっ!
だからオレは、行動した。終わらせるために。
絶望の中に射す淡い希望の光に手を伸ばすがごとく。渋滞にはまって身動きがとれぬバスの中で長時間、腹痛に耐え、ようやっとバスが動き、それから公衆トイレのある公園の最寄りのバス停で降車するため、降車ボタンに手を、指を伸ばし、押すがごとく――
「つきましたよ、壱さん」
ぶぅ、と気の抜ける音が短く鳴った。
連動するように、“それ/にぎにぎぐりゅぐりゅ”がピタリと止む。
「ついてますね、私の頬を。刀さん?」
むぅとした表情はそのままに、壱さんは説明を求める冷静な口調で言うてきた。
そんな発言、発音をする口の動きを、ほっぺごしに人差し指の先で感じたりしつつ、
「え? “ついた/着いた”のは“お食事処に”、ですよ」
務めてしれっと、ウソではないけれども的確でもない返しをする。
ひとつのことを終わらせるためにやった行動だったけれども、この終わらせるための行動を終わらせる算段をしていなかったことに、いま気がついた。押したらダメなボタンを、その場かぎりのひとつの勢いに任せて押しちゃったヒトは皆、きっと我が心情と似たモノを懐くに違いない。
……ど、どどどうしましょう。
いまさらながらに脳ミソをフル回転させ、解決策を探す。
――と、ほぼ同時。最前線を維持したまま待機していた我が人差し指の先が、“変化”を感知した。
なんぞ? と思い、意識をそちらへ向ける。
イタズラをひらめいた小僧のようなニヤリ顔が見えた――次瞬、
「かぷっ」
我が人差し指はほっぺの触感を失い、代わりに湿り気ある生温かさに包まれ、硬いモノに挟まれちゃったことを知った。
「おおうふ……」
最前線を維持していた我が人差し指が、捕食されていた。
捕食者はしてやったりという表情を浮かべ、
「ふぇっへっへっ」
という薄い笑いの発音にあわせて、獲物をあまがみしおる。
不意のことだったので驚いた――けれども驚いたのは“不意のこと”にであって、この状況に、ではない。手をアメの代わりに献上する覚悟は、宿屋で済ませてある。……いや、まあ、まさか実現しちゃうとは思わなかったけれども。こうして実現しちゃったのならば、もう片方の手、指も献上し、捕食者さんのお口を左右に「ニィ~」と広げたりなんかしちゃったり――
「指もいいが、ウチのメシもなかなかなもんでな」
我が内に眠る“右をやるなら左もどうぞ”の精神が、あともう少しで発揮されようかというタイミングで、そんな言葉が耳に投げ込まれた。
「どうだろう」
渋さというより重さを感じるやや枯れた音声は続けて、
「いいヒトの指の味は、ふたりだけのときにじっくり堪能することにして、だ。いまは、ウチのメシの味を、どんなもんかと確かめてみるってえのは?」
という提案を、あまり抑揚のない言葉遣いで放り投げてくる。
どゆことなの? という疑問を懐きつつ意を向けるとそこには、己が戦場と向き合っている漢の横顔があった。
青空の下に並べられた木製のテーブルや椅子のその奥、数名が腰掛けたら満員な小さいお店の中の、もっとも専有面積がある調理場で、ねじりハチマキをした険しく厳つい面構えのおっさんが調理をおこなっていたのだ。
なにか揚げ物をしているようで。おっさんの存在は、心はずむ軽やかな“揚げ”の音色と、胃腸に染みこんでくる香ばしい匂いをまとってそこにあった。
「――っ?」
いままで湿った生温かさに包まれていた人差し指が、急にヒヤッと空気を感じた。
と、思うたら、
「……そうですね。そうしましょう」
壱さんがなにもなかったかのような平静さで、おっさんに応じていた。
「ね、刀さん?」
「え? ええ、そうですね。ここには、昼を食べるために訪れたわけですし」
そんなわけで。
昼食のお時間とあいなった。
「……少々、はしゃぎ過ぎてしまいました」
不意と流れたそよ風に乗って、そんな小声がお隣から聞こえた気がした――けれども、まあ、気のせいだろう。お隣さんは、ほっぺの血色をよくして、閉じた口をもにょもにょさせてらっしゃるし。……あるいは、うっかりお漏らししちゃった自分の心の声かもしれない。ヒトの往来ある賑やかな町の中で、ぷくっとほっぺを突っついたり、指を「かぷっ」とされたりしたあとなわけだし……。冷静になって思うと……、こっ恥ずいのだわ……。