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承/第五十六話:ムシムシ尽くし(其の四十三)

 理想と現実の差異を知らされたときのショックほど強烈なわけで。なおかつ“それ/現実”が逃れ難く抗い難いモノであった場合、ヒトは――というかオレは、思考からなにからすべての動きが停止する。

 いま、停止している。

 香ばしい匂いと壱さんの表情の相乗効果で、これはイケるかもしれないとポジティブ思考をしてみたけれども、どんなに匂いがよろしくても見てくれはさほど変わらないわけで。つまるところ、バツが「はいっ、でできたよっ」と笑顔と一緒に渡してくれた木製の器の中には、火が通ってこんがりキツネ色になっただけの“方々”のお姿があったわけで。オレは木製の器を受け取った状態のまま、このあと“なに”を“どのように”するべきなのだろうと努めて考えているふうに器の縁を凝視しているわけで。

「ど、どどうしたのう?」

 そんなことをしていたらば当然、

「とトウお兄ちゃん?」

 バツに不思議がられる。

 気づかう優しさと不安の混在する潤んだ瞳に射られてオレは、

「え、ん、んん……」

 曖昧な笑みを浮かべるしか――

「刀さんの生まれ育ったところでは馴染みの薄い、珍しい料理らしいので」

 うまうまもしゃもしゃと“方々”を咀嚼しながら壱さんが、

「まだ慣れないんですよ、きっと」

 そう、助け船を出してくださった。最後に「ね?」と可愛らしく小首を傾げて、同意を求めてくれる。

 すかさず首肯してオレは、

「そ、そう、そうなんだ。ははは」

 バツを安心させるための笑みを顔面に貼り付け、恥ずかしい秘密がバレちった的なノリで自らの後頭部を軽くポリポリ。

「なので、しょーがないので」

 やれやれというふうに言って壱さんは、こんがり焼けた“方々”のひとつを自らの口に放り込み、なぜだか“方々”が盛りつけられてある木製の器を脇に置く。それから、膝、腿、手、腕、肩、首、と順繰りにこちらを探り確かめるように手で触れてきて、それが頬に至るともう片方の手を反対側の頬にやる。結果、我が頭部は、壱さんのお手々に挟み込まれて自由をなくした。

 ……うん? なんか流れがオカシイことになっているような?

 想定では、バツに納得してもらって、それから頬を薄っすら朱にした“彼”に、「い、いままでで一番、ち、ちゃっんとできたとお思うから」と真摯な眼差しで見つめられながら、「トウお兄ちゃんに、た食べてほしいんだ」と力強くオススメされて、いよいよ踏ん切りをつけたオレはついに“それ”を喰らう――はず、だったのだが。……どうして、いま、オレは頭部を拘束されて、壱さんと面を突き合わせているのだろう?

「わふぁふぃふぁ、ふぁふぇふぁふぇふぇふぁふぃふぁふぇふぁふ」

 さっぱりなにをおっしゃっているのかわからなかったが、壱さんがこれからやらかそうとしていることは、じわりと迫ってくるそのお顔――の口元から察せられた。ニカッと笑ったふうに開かれた口の、整った歯並びの間に甘噛みされて、こんがり焼けた“方々”のひとつがいらっしゃったのだ。それも、わざわざ見つめるがごとくこちらに頭を向けて。

 たぶん壱さんは気を利かせて、オレに“方々”を喰わせてくれようとしている――の、だろう。そのご厚意は、素直にとても嬉しくありがたい。……やりかたの方向は、大きく独創的にズレていらっしゃる――“主たる事柄”を解決することにひたむき過ぎて、“それ”に付随する“気にするべき事柄”に無頓着になってしまっているが。なんというか、愛おしい部類の愚直な猪突猛進さだなと思う。まま、そのおかげで、時として我が心臓がフル稼働して脳ミソが沸騰しちゃうけれども。

 なんていう我が思考などおかまいなしに、壱さんのお顔と“それ”はじわりじわりと距離を詰めてきおる。

 ――“たられば”の話をしよう。

 この着実に迫りくるモノが、壱さんに甘噛みされてあるモノが、もし仮にチョコとかポッキーとかフライドポテトとかソーセージだったなら、オレ歓喜っ! と胸の内で心と魂がファイアーダンスを披露していたことだろう。どこの“創作物語/ラノベ/マンガ/アニメ/ゲーム”だよという、いつでも大歓迎な事態がゆえに。――だがしかし、いまここにある現実は、大歓迎なそれとは微妙だけれども致命的なところが異なっているわけで。チョコやらソーセージやらが甘噛みされてあるべきそこには、こんがりキツネ色に調理済みなコオロギっぽい“虫”がこちらに頭を向けていやがるよチクショウ他は理想的なのにどうしてよりによってここが異なってまったんんんんっ!

 …………いや、まあ、それはそれとして。

 どのみち食べると“決めて/決まって”いるので、わざわざ壱さんのお手もといお口をわずらわせるまでもなく。なので、

「あの、壱さ――かっ!」

 自分で食べますから、とご遠慮の意を申し上げようと口を開いたらば、瞬と一気に超接近してきた壱さんに問答無用で“それ”を口に突っ込まれた。まるで吹き矢を放つがごとく、「ふっ」と“それ”を文字通り吹き飛ばしてきおったのだ。それも、唇と唇が触れるか触れないかという、極めてもどかしくも絶妙なところからっ。

 のどの奥に勢いある「ふっ」の空気と“それ”が衝突して一瞬、息が詰まってしまった。反射的にむせて“それ”をお返ししてしまわぬよう慎重に息を吐きつつ、のどと舌のぜん動運動で“それ”を頬のほうへ移動させる。――遅れて、香ばしい風味と塩味と油分と硬めの触感という、なんだかスナック菓子っぽい感が口内にじわりと広がった。

「どうですか?」

 顔を離して、けれども我が鼻先を吐息でくすぐりながら壱さんが訊いてきた。

「もどかしかったですっ」

「えっと……それは、つまり?」

 壱さんは眉をややハの字にして、小首を傾げる。

 あ、いかん、思わず間違えて心情を吐露してしまったわっ。

「その……そうっ」

 頬のほうで一時保留していた“それ”を、速やかにもしゃもしゃ噛み潰してゴクリとのみ込み、

「もっと早くに食べてりゃよかったっ、損してたなぁ、という意味です」

 訊かれたことに対して改めて“正しく”、返答をする。

「思っていたより食べやすかった、ので」

 まま、突貫工事的に返答しておいてアレだが。実際、口にしてゴクリとしてみたらば、あら意外、けっこう食べやすかった。見てくれに由来する抵抗を除外すれば、口に突っ込まれたとき最初に感じたスナック菓子っぽさ“そのまま”だったのだ。ポップコーンを食したときのそれに似ているかな、と思う。

「なるほど、それはなによりです」

 言って壱さんは我が頭部への拘束を解き、今度はきちんと顔というか身を離して元の位置に座り直す。そしてそれから、「ねっ」とバツのほうに柔らかく微笑みかける。

 なぜか恥ずかしいモノでも目の当たりにしたがごとく困ったふうに顔を赤らめていたバツは、ほうけたふうな若干の間を置いてから、「うんっ」と喜ばしそうに力ある首肯をして応じた。


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