承/第五十五話:ムシムシ尽くし(其の四十二)
なにごとにも動じない境地へ至るためのヒントがそこにあるがごとく、飲みかけのお茶の水面を凝視することしばし。
熱い油に水分が触れて爆ぜたときの音が不意と、耳に飛び込んできた。
なにぞ? と聞こえてきたほうを見やると、バツが中華鍋のようなモノを振るっていた。体躯に合っていない大きさの“それ”を両の手でしっかりと持ち、全身を使って一生懸命におこなっている。
ツミさんはそんな“彼”の隣に立ち、ときおり言葉少なに助言を述べたりしている。
バツが捕ってきたモノだから、技能習得の意味も含めて“彼”自身が調理している――させている、ようだ。
中華鍋のようなモノの中では、“方々”が軽やかな音を発しながら熱く踊っていた。いや、バツに踊らされていた、と言うほうが的確かな。まま、ともかく、我がお口へと至る調理的な意味での階段を残念なくらい順調に上っていた。その見てくれからは意外な香ばしい匂いが、“食欲/胃袋”にソフトタッチしてくる。
……そろそろ、“覚悟/諦め”を決めなければなるまい。
胸の内でギュンと心のふんどしを締め直しつつ、そういえばとなんとなく気になったので、壱さんの様子をうかがってみる。
例えば、せんべい屋さんの店頭で職人がせんべいを焼いているのを前にした子どものような。例えば、ウナギ屋さんの店頭で職人がウナギを焼いているのを前にしたご婦人のような。例えば、やきとり屋さんの店頭で職人がねぎまを焼いているのを前にしたサラリーマンのような。――腹の虫の要求に素直な、もっすんごくいい表情がそこにはあった。
そんな壱さんの表情を見ていると、なんでだかこれからとても美味しいモノが出てくるように感ぜられた。思わず、いつの間にか増々になっていた唾液をゴクリとのみ込む。壱さんの表情には、食欲増進効果があるのかもしれない。