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承/第五十四話:ムシムシ尽くし(其の四十一)

「――それで、刀さん?」

 不意とのしかかるように身を寄せてきて壱さんは、

「どうかしたのですか?」

 ささやく吐息で我が耳をくすぐりながら、訊いてくる。

「さっき突然、声に元気がなくなりましたけれど?」

「えっ? そ、そうですかね?」

「そーですよ」

 意識してそうしたわけではないけれども、結果そうなった要因は、まぁひとつしかない。

「…………私には、言えないようなことですか?」

 壱さんは寂しげでもあり気遣わしげでもある顔をして、慎重な口調で言う。

「例えば、男の子として残念なことになっ――」

「――ってませんよ」

 いきなりなんちゅうことを言いなさるの、このおヒトは。

「じゃあ、どうして?」

「え? ええっと……」

 まま、べつに、“壱さんに対しては”隠すような事柄じゃあない。けれども、聞かせたくない相手が近くにいるので、ここはヒソヒソ声でお答えさせていただく。

「バツが捕ってきたのって……その、“虫”じゃないですか」

「…………はい?」

「“あれ”を食べるのかと思うと、ちょーっと気後れをですね、してしまいまして、はい」

 バツが誇らしげに見せてくれた布袋の中身は、まごうことなく“虫”だった。黒茶色の太くて短い寸胴な胴体、そんな胴体より長い毛髪状の触角、そしてなにより特徴的な太くて長い後脚――コオロギのような見てくれをした“方々”が、布袋の中で窮屈そうに群れ群れしていらっしゃったのだ。

「刀さんの生まれ育ったところでは、食べないのですか? まったく?」

「いえ、あるにはありますよ。でも、それは、一部地域のことで、“日常的に食べる”というほど一般的じゃあないです」

 ハチの子とかイナゴの佃煮、あるいは炒め。有名なところは、テレビとかを通じて“あるということは”知っている。

「ふむ……。口にしたことは?」

「ないです。耳にしたことしか」

「じゃ、食わず嫌いですか」

 壱さんはややムッとしたふうに言って、眉根を微々と寄せる。こと“食”に関しては本当、とたんに厳しくなりますね。

「いや……まあ、そうなんですけれども」

 ただまったくもっておっしゃる通りなので、なにも言い返せない。

「むぅ……そもそも“虫”がダメ、ですか?」

 ド至近にあるムッと顔さんが小首を傾げて、確認するふうに訊いてきなさった。

「まったくダメってわけではないですけれど……」

 得意とか不得意とか以前に、“方々”の群れ群れインパクトが強烈すぎて、「お、おう……」と腰が引けちゃったわけでありまして……。

「なら、試しに食べてみましょうよ」

 壱さんはポンと背中を押すような気さくなノリで、

「経験のともなわない否定的な“思い/考え/印象/感想”なんて、豊かすぎる想像力のちょっとした“副作用/副産物”でしかないのですから。食べてみたら、意外と好きになっちゃうかもですよ?」

 と、微笑みかけてきなさる。

「ん、んん……」

 脳ミソの真ん中で本音と建前が押しくらまんじゅうをした結果、なんとも中途半端な音がのどの奥で鳴った。

 そも結論からして、バツが捕ってきたという時点で、オレに“食べない”という選択肢は存在していない――退路はたたれているわけで。よいも悪いもどうであれ事前の想像に関係なく、“食べる”の一択しかないのだ。――と、これだけだと、まるでしいられているようだが、決してそういうわけではなく。気後れしつつも、壱さんいわくの“意外と”になることを期待していたりもするのだ。ハチの子とかイナゴの佃煮は、食べてみるとなかなか美味しいというお話だし。自ら進んで「いただきます」をしようとはよほどじゃないと思わないから、これはよい機会だ――と、思うことにしておこう。うん。

「ちなみに、どうやって食べるんですか?」

 結果“食べる”一択にしても、こればっかりは事前に知っておきたい。

「お刺身とか、踊り喰いとか、そういう豪快なのは、さすがにちょっとご遠慮したいんですけど……」

 口元に”それ”が接近したとたん、「オエッ」ってなっちゃう確信しかないので。

「普通は、下処理をしてから、炒めたりして食べますね。刀さんがおっしゃる“豪快な”のほうが美味しいモノもあるので、そちらのほうがよいというヒトもありますけれど、そこは個々人の好みです。ただ、生で食べるのは、動物のお肉を生で食べるのと同様に、モノによっては体調を崩してしまうことがあるので、個人的にはあまりオススメしません」

「なるほど」

 たとえオススメされても、生で食べることは一生涯ないですけどねっ。

 いちおうの安堵を得つつ、なんとなしに絶賛作業中のツミさんとバツのほうを見やる。

 ツミさんが、さっきバツが持っていた布袋を、なにぞ液体で満たされた丼に突っ込んでジャブジャブしていた。役割を終えた布袋を洗っているのだと思ったが、それだと中身はどこに行ったのだろう? バツが中華鍋のようなモノに“油/ラードのような半固体油”を入れて“七輪/木炭コンロ”のようなモノにかけていたので、もう炒めたりしているのだろうと手元をのぞいてみたが、そこに群れ群れした“方々”の姿はなかった。

「な、なあに?」

 我がのぞきこみに、バツが気づいてくれたので、これ幸いと“方々”の行方について問うてみる。

「い、いま、おお姉ちゃんが、ああ洗ってるところだよう」

「……なるほど」

 どうやら、あれは“布袋を”洗っているわけではなかったようだ。

 なんでも、とても“キツイ/強い”お酒で、洗うのと“シメる/酔わす”のを同時におこなっているらしい。考えてみれば当たり前のことだが、布袋から出すまえに動きを止めないと、“方々”が必死に自由への逃走をしてしまう。――してくれてもかまいませんがねっ。

「お家で食べる場合は――」

 世間話をするときの“なんでもないような”口調で壱さんが、補足するふうに言う。

「数日飼って糞出しをしたりするのですけれどねー」

 いま、サラっと聞き捨てならぬことを言われた気がする……いや、うん、そう、気のせいだ。気のせい。…………もう、どうしようもないことだもの。

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