承/第五十二話:ムシムシ尽くし(其の三十九)
村から続いていた畦道が終わり、雑木林を抜ける道に変わってからしばし。じっくり時をかけて人々が歩き踏み固めた土道はほどよい硬度があり、リアカーの車輪も沈むことなく、難なく進むことができた。しかし曲がり道でコーナリングを少しでもミスると、道の両側に広がる豊かな腐葉土に車輪を抱き込まれてしまい、抜け出すために壱さんとツミさんとバツの手を借りることになったりした。
――という、事ここに至るまでを、件の手帳に書き記した。現在、休憩中である。
まだ雑木林の道の上だが、木々葉々の間で見え隠れする日光は頭の真上まで位置を移していた。時刻的にも個人的なお腹事情としても、ちょうど昼食の頃合い。
「刀さんもお茶、飲みますか?」
訊かれたのでお声のほうを見やると、湯のみと“鉄瓶/ヤカンのようなモノ”を手にした壱さんの姿があった。
「あ、いただきます」
件の手帳をしまってから、お茶の注がれた湯のみを受け取る。
壱さんは自分の分を湯のみに注いでから、探るような動作で“鉄瓶/ヤカンのようなモノ”を“七輪/木炭コンロ”のような円筒形のモノの上に戻す。
ちなみに、湯のみなどなどは、ツミさんとバツが同行の際に持参したモノである。
さらにちなみに現在、それらの持ち主たるふたりの姿はここにない。ふたりは、食べることができたり、利用できたりするモノがないか、雑木林を探索しに行っている。
「そういえば、刀さん。なにを書いていたのですか?」
お茶に口をつけよとしたらば、壱さんからそんなお言葉を投げられた。
「え?」
「いまに限らず、ちょくちょくなにか書いているでしょう?」
壱さんは両の手で包むように持った湯気立つ湯のみに「ふぅふぅ」と息を吹きかけ、お茶を一口すすってから、
「羽根ペンが紙の上をはしるときのような音を、しばしば耳にしていたので」
思い出すふうに耳をそばだてるマネをして言い、
「……違いましたか?」
童女のような純粋さある顔をして、小首を傾げる。
まえに同じようなことを訊かれたときは、確か……なんとなく「秘密です」って返したんだっけ。……しかしなぜになんとなくでそんなしょーもないことを言っちゃったのか、あのときの自分を諭してやりたい。痛い目に遭うぜっ、と。
「…………刀さん?」
「え、あ、はい。書いてますよ。拾った手帳に」
「ほう、それで、どのようなことを?」
壱さんは控えめな語気で促してくる。すまし顔で、気持ちこちらのほうに上体が傾いているのは――座っててお尻が痛くなっちゃったからかな?
「“こっち/異世界”に来てからの“諸々のこと”を、です」
「……………………そうですか」
「なんでそうも露骨にガッカリした的な空気をかもしていらっしゃるんですかね、壱さん」
「聞いたらこちらが赤面してしまうような恥ずかしい詩とか、愛おしすぎるお嫁さんへのちょっと足の遅い甘々な恋文とか、そーゆーモノを胸の内で密やかに期待してワクワクしていたのにっ。もぉーガッカリですよー、とーさん?」
ぷくっとほっぺを膨らませて、壱さんは「ぶぅーぶぅー」と理不尽な抗議をしてきおる。
胸の内のご期待は読み取れませんでしたが、最後の疑問形から滲み出る“いまから書いちゃってくれてもよいのですよ?”という言外の圧はよくよく感じ取れました。書きませんけど。
「ふふっ。なんてね」
不意と、壱さんは破顔一笑して、
「じょーだんですよ、じょーだん」
わざとらしいほどハキハキとした口調で、言う。
「いままで通り、どうぞ“刀さんの言葉”で、しっかりと“諸々のこと”を書き書きしてくださいな」
読み返したとき、“回り灯籠”が脳裏に浮かんじゃうくらいしっかりとですよっ。
最後に、そんな念押しっぽいモノを付け加えて。
「それは……まぁ、前向きに善処します」
いちおうの返答をしてみたらば、壱さんは音声の残滓すべてをかき消すかのように、ことさら濁点の多い音を発ててお茶をすすっていらっしゃった。
聞いちゃいないっていうね……。