承/第五十話:ムシムシ尽くし(其の三十七)
翌日、夜から朝に表情を変えようかという薄暗い空の下。
村の出入り口までリアカーを引いてオレは、足を止めた。隣を歩いていた壱さんとツミさんも、合わせて止まる。ちなみにバツは、リアカーの荷台に腰掛けて、あくびを噛み殺したり、目をこすたっり、夢と現の間を行ったり来たりしている。朝早いもんね。正直、オレもまだ眠い。
昨日、就寝前に準備は整え終えていたので、ここまで滞りはなく。個人的な唯一の懸念は、目覚まし時計なしに起きられるかということだったのだが、日の出と共にきっかりシャッキリ起床しなさった壱さんが、それはもう優しく叩き起してくれたので、大丈夫でした、ありがどうございました。
そんな朝にお強い壱さんは、
「お世話になりました」
振り返って、深すぎず浅すぎず頭を下げた。そちらには、見送るために来てくれたロエさんとジンさんの姿がある。
オレも、壱さんにならう。
「いえいえ、そんなにかしこまらないでくださいまし」
ロエさんはパタパタと手を振ってから、
「また、いつでも、お越しくださいね。大歓迎ですから」
寂しげな表情で、そう言ってくださる。
壱さんは言葉ではなく曖昧な微笑みを浮かべて、それに応じた。
静かな間が数瞬、生じ――
「ほらっ、あなたっ」
ロエさんが小声で言って、ジンさんの尻をペシッと叩く。
「あ、ああ」
ジンさんは尻を叩かれた勢いで一歩を踏み出して、そのままこちらに歩み寄ってくる。
「これは、その、餞別のようなモノだ。受け取ってくれ」
差し出されたのは、一抱えほどの大きな布袋だった。
「ありがとうございます」
唾液が増々な口でお礼を述べつつ、受け取る。――が、じつは受け取るまえから、それが“なに”であるのか脳ミソより先にお腹でわかっていた。起床と出発の時間の都合上、朝食をとっていないので、布袋からただよってくる美味しい匂いは、ガツンとグッと強烈に胃袋に自己アピールしてきおるのだ。それに応じるように、我が胃袋さんが「早くそいつをっ、その蒸しまんじゅうをっ、オレに消化させてくれぇっ」とぎゅるぎゅる鳴いて訴えてきおる。
「甘いのとしょっぱいのを半々、包んでおきましたので――」
朝食の代わりにでも、とロエさん。
「ごちそぅ****」
壱さんのお腹が、壱さんの音声をかき消すパワフルさで「腹減ったわぁ~」と叫んだ。
「……コホン」
壱さんはひとつ咳払いをしてから、
「ごちそうさまです」
なにもなかったかのように、言い直した。努めて真面目ふうなちょいとしたエヘン顔は、輝く頭を出し始めた朝日に照らされているからか、茹でたタコのようにぽっぽと熱っぽく赤い。
そのいまいち作りきれていないかんじに、思わず忍び笑ってしまったら、
「むぅ」
眉根を寄せて、ほっぺをぷくっと膨らませた壱さんに、
「ふんっ」
と、なぜだか、蒸しまんじゅうの詰まった布袋を奪取されてしまった。
「刀さんの失礼な言動によって傷ついた心を慰めるために、刀さんの分から蒸しまんじゅうを徴収しますっ。拒否権はありませんっ」
言うが早いか、さっそく蒸しまんじゅうをほおばる壱さん。
まあ、べつにいいんですけどね。――でも。
「せめて、ひとつくらいは残して……」
「ふんっ」
そっぽ向かれちゃったぜっ。
そうしたらば、どうしてだか、周囲の方々から生温かい微笑を贈られてしまった。
……うん? いまのどこぞに微笑ポイントがあったのだろう? …………怪人二十面相も「お、おう……」とたじろぎそうなほどコロコロ彩りを変える壱さんの顔面筋に、思わずくすりときちゃったのかな?
まま、けれども、そんな彩り豊かな顔面筋のおかげか。
湿っぽくなることなく、「また会う日まで――」と出立することができた。
涙と鼻水の溢るるお別れも悪くはないのだろうけれども、やっぱり笑みあるほうが断然、好いよねっ。