承/第四十八話:ムシムシ尽くし(其の三十五)
部屋に戻るなり壱さんは、こちらにズイと身を寄せてきて、
「さあっ、刀さんっ、お風呂へ行きましょうっ」
我が顔面に音声と合わせて息を吹きつけながら、そんなことを言うてきた。
「食べてすぐに入ったらゲロっちゃいますよ、壱さん。ちゃんと食休み取らないと。それにオレ――」
夕食のまえにお風呂いただきましたし、と続くはずだったのを、
「じゃあ」
と壱さんは一方的に切り捨てて、言う。
「ちゅっちゅしちゃいますかっ?」
意味がわからないでござる。
そして顔が近いでござる。
遊んではしゃぐ犬のしっぽのごとく内部を物語る眉が、よくよく見える。
「……私とじゃあイヤですか? ちゅっちゅ?」
今度はボールを投げてもらえずにしょげる犬のしっぽのごとく表情を変える、壱さんの眉。なんとも見てて退屈しない眉だわ。
「ふふっ」
「むぅ」
壱さんは眉根を寄せて、
「刀さん、どうして笑うのですかっ」
ほっぺをぷくっと膨らませる。
「いやー」
なんだか眉が人懐っこい犬みたいで、
「可愛いなぁーと思いまして」
と、べつに隠すことでもないので、正直に懐いた感想を述べてみた。
そうしたらば、どうしてだか壱さんは困ったふうに眉をハの字にしてうつむいてしまった。ぷくっとほっぺが桃のごとき淡い色と熱っぽさをおびている。――力み過ぎて、頭に血が上っちゃったのかな?
まあ、それはそれとして。
ぷくっとほっぺを両の手で左右からプッシュさせていただく。そこに山が云々的に、そこにほっぺが云々であるからして云々――
我が両の掌が壱さんのお熱なほっぺ温を感じたのを始まりに、気持よく出たときのオナラみたいな音を発して、ほっぺはしぼんでゆく。
「とうふぁん、たほえふぁおげふぃんれす」
ほっぺを左右から押された状態のまま、壱さんはもごもごとおちょぼ口を動かして抗議してきた。むぅ、と憤るふうに眉根を寄せていらっしゃる。
ちょっと……なにをおっしゃっているのか聞き取れませんでしたわ。
壱さんのほっぺがピクリと動いた――のを右の掌が感知した、時すでに遅し。さっきから近かった壱さんの顔面が急接近してきて――
「あだっ」
いまのがいい頭突きだということは、よくわかりました。