承/第四十六話:ムシムシ尽くし(其の三十三)
空っぽのガチャポンをいくらガチャガチャしたところで、ポンッと“なにか”が出てくるわけもなく。
汗がダラダラな身体は、冷っこい井戸水を浴びてサッパリ爽快になった。けれども頭の中には残尿感のようなモヤモヤがくすぶって、どうにもスッキリしない。
――なので。
かくかくしかじかと、突っついたら“なにか”が出てきそうなかんじにほっぺをぷくっと膨らませている壱さんにお訊ねしてみた。お風呂場から戻ったらば、“ロダンの『考えるヒト』”がごときポージングでベッドの縁に腰掛けていらっしゃったのだ。その足下に一瞬、“地獄の門”を幻視してしまう空気感で。
「んん、ぷふふふ」
壱さんは厳しいふうを装いつつ、微苦笑を漏らした。
「男の真面目なおバカに気づいていても、そっと気づいていないふりをしてあげるものなのですよ。いい女は」
「……はい?」
「ですから、ね」
壱さんは口元にやっていた右手の指先で、やや着崩れたお召し物の襟ぐりからのぞく、艷な鎖骨をつつぅ~となぞりながら、おっしゃる。
「寝ている私の鎖骨を、刀さんが思わず舐め回しちゃったことに気づいていても、私は気づいていないふりをしてあげわけですよ」
「…………は?」
「ですから、刀さんが思わず、寝ている私の鎖骨にしゃぶりついちゃったことは――」
「悪化してるすうぃっ! 思わずでそんなことするとか、それじゃあまるでオレ、とんだド変態野郎じゃないですかっ」
「違いましたか?」
「…………え?」
「…………え?」
「…………ふぇ?」
最後、オレと壱さん以外の音声が聞こえた。ややうわずった“それ”が誰のモノであるかは、考えるまでもなく知れている。――が、しかしだからこそ、“そちら”に意識を向けたくないわけで……。
「……と、とトウお兄ちゃん」
けれども名前をお呼ばれしちゃったら当然、お返事をするわけで。
「ん、んん……なにかな? バツ?」
「……そのう」
困り果てたふうに眉を八の字にして、潤んだ瞳でチラリチラリとこちらをうかがいながら、“彼”はもにょもにょと口を動かす。
「ねね寝ているイチお姉ちゃんのさ鎖骨に、し、しぃ、しゃぶり――」
いやぁぁぁぁああああああああ、唯一の真実の証言者たるバツに疑われたうえにちょっと引かれてるぅぅぅぅうううううううう――――。
――閑話休題。
壱さんはちょいちょいと手招きしてバツを呼び寄せると、口元に薄っすら笑みを浮かべながら、なにか耳打ちをした。
転瞬、バツは顔を真赤にしてうつむき、そのまま酔っ払いのような足どりで元居た場所へ戻ると、ペタンと尻を着いて座る。あわあわするように揺れているツインテイルの間から、なんか湯気が出ているような……。
「壱さんっ、バツになに余計なこと言ったんですかっ?」
疑いを懐いてしまった真実の証言者に、事の真相を説明して理解を求めるという難題に、これから挑まねばならぬというのにっ。
「――っ」
壱さんはビクッと小さく肩を震わせ、
「どうしたのですか、刀さん? そんなに語気を強めて」
眉尻を下げ、やや当惑した面持ちで、もにょもにょと控えめに口を開く。
「私はただ、“さっきのは冗談ですよ”って教えただけですよう。あまり刀さんを“からかう”のもよろしくないと思って」
バツのあのリアクションは、どう見ても冗談と明かされたあとの“それ”じゃあないと思うのですがっ。
「まあ、それはそれとして」
あっさりいなされたぁー。
「少しお話を戻して真面目なことを述べますと――」
いまさっきの表情と態度はどこえやら、いろいろ知ってる大人のお姉さんふうを装って壱さんはおっしゃる。
「時が経てば自然と治るキズもあれば、時が経つと治せない致命的なキズもあるわけですよ。致命的なキズは、それこそ致命的であるがゆえに最悪、死に至ってしまう。自然と治るキズは、しかし自然治癒であるがゆえに消えない傷痕が残ってしまう――以後ずっと、キズがあった事実の証しと向き合い続けなければならないわけです」
「……なんか、どっちも嬉しくない結果ですね」
「そうですね。しかしこれは、“結果/キズの治り”に対して一方的な受け身である場合のお話です。まぁ、つまるところ、どちらにしても“望ましい結果”にならないのなら、“望ましい結果”になる可能性が微々でもあることをするべき――ウジウジ悩んで時間を浪費するくらいなら、お尻をキュッと引き締めて一歩を踏み出したほうがお得だということですよ。少なくとも、なにもせず“うしなって”から気づいて後悔するよりはよっぽど」
言って、壱さんは“なにか”をのみ込むようにちょいとうつむく。それから数拍の間を置いて見せてくれたお顔には、やや眉尻の下がった表情があった。微苦笑を浮かべるように些々と口が動かされ、言葉が発せられる。
「結局のところは、“どうしたいか/なにを望むか”という当人の意志によりけりですけれどね」