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承/第四十一話:ムシムシ尽くし(其の二十八)


 ――ともあれ。


 やっと“苦行”から解放される。

 ――と思えたのも一瞬のことで、いまここにある現実はまったくそんなことはなく。目の前でいちゃいちゃしやがってこの幸せ者どもめっ――おっと、ゲフンゲフン。さすがにもう、“心身/精神”が耐久限界なので、“ご勘弁願いたい意”を丁重かつ遠回しにお伝えする。「わかりましたから、もう許してくださいお願いします」、と。

 ――そしてついてに。

 短いようで長く、長いようで長かった“苦行”が終了した。

 ロエさんは夕食の準備に、ジンさんはお風呂の準備をしてくると言って退室した。

「はぁ……」

 心身が、全身全霊が、解きほぐれるように弛緩する。

 土下座外交の申し子たるオレが、まさか異世界で土下座外交に通ずる恐ろしさを実感することになろうとは……。こんな強力な武器を潜在的に保有しておきながら、どうして我が育ちしお国は“外交/交渉能力”が低弱なのだろう――いや、まあ、実際はそう単純じゃあないのだろうけれども。

 ――それはそれとして。

 広い居間に、いまは壱さんとオレだけである。

 しかも壱さんは夢の世界に旅立っていらっしゃる。

 ――ときたら、これっ! こう、なにがしか、こう、凹に凸する餅つき大会というか、凸が凹に鉄砲玉をぶっ放す的なイベントが発生しちゃう、ラノベやマンガやアニメやゲーム的な状況なんじゃなかろうかっ! 臼のお餅を杵で“つく”か“つかない”か、鉄砲玉をぶっ放すために鉄砲の引き金を“絞る”か“絞らない”か、その選択肢が表示されるちょるような状況なんじゃなかろうかっ!

 はっ! いかんいかん。“苦行”から解放された反動で煩悩全開になってしまったわ。

 大きく深呼吸して自制心を呼び戻さなくてはっ!

「すぅはぁすぅはぁすぅハァハァハァハァ」

 ……よし。やや過呼吸になってしまってけれど、問題ない。

 改めて、すやすや寝息の壱さんを見やる。こっちまで気が緩む、じつに気の抜けた寝顔がそこにあった。

 こっちが“苦行”に耐えている間も、“こう”であったのかと思うと、怒りではないけれども、どうにもすんなり納得できないモノがある。

 ――ので。

 気の抜けた寝顔にある、ふんにゃり緩んだほっぺを、ちょいと突っついたったわっ!

 ちょいちょい、と続けざまに突っつく――

 そうしたらもう、やめられない止まらない。手が、人差し指が、離したそばから、壱さんのほっぺの触感を求めおる。

 なんなのかしら、この中毒性っ。

 ちょいちょい、ちょいちょいちょいちょい――

 ちょいちょい、ちょいちょいちょいちょいちょいちょいちょいちょい――

「かっぷんちょ」

 ……………………おやおやぁ?

 いままで壱さんのぽっぺを突っついていた我がお指が、どうしてかしら、壱さんのお口に喰われているように見えるのは? 我がお指が、絶妙な力加減で奥歯に噛まれているような触感を味わっているのは、どうしてかしら?

 ……いや、うん、わかってるんだ。相手が寝ているのをいいことに、ちょいとばかり調子に乗って、“引き際”という重要な事柄を失念していた結果だってことは。

 いま、まごうことなく、壱さんに人差し指を喰われている。くわえられている。甘噛みと本気噛みの間くらいの、痛くはないけれど引っこ抜くこともできない噛み加減で。

 間違って指を喰い千切られたら困るので、無理に引っこ抜こうなんていう強行は最後の最後までおこないたくない。けれどもご就寝中の壱さんをこの状況で起こすというのも、なかなか気が引ける――というか、かなりの度胸が必要だ。……さて、どうしたものか。

 ここは真剣に、安全かつ隠密に指を引っこ抜く策を考えよう。

 ――と、したらば。

 我がお指が、壱さんのお口にもてあそばれているような触感があった。ねっとりと舌がからみ付くような、コリコリと歯がいじめてくるような、くすぐったくすらある触感。けれどそれらは不思議とイヤな感じではなく。むしろ、なんとも形容し難い“快感/快楽”のような、イケナイ感じのモノがムクムクと湧き起こってきて、ちょいと気持ちよくすらあるのだわん。

「んー、んん、あひ、うふひ……れすねぇ…………むにゃむにゃ……あひふぁ」

 壱さん、いま“味が薄い”とか、そんなようなことをおっしゃられたような……。

 てか、コリコリやられたときに、タイミングを見計らって指を引っこ抜けばよかったのにっ! くそうっ! なに気持ちよくなっちゃってるんだよ、オレっ!

 冷静になろう。冷静に。“リビドー/強い衝動”をなだめすかすんだ。気持ちよくない気持ちよくないかもしれないような気がするようなしないこともないような気がしないこともないような気がするようなしないような――気持ちイイぜっ!

「……ふぅ」

 心機一転。

 改めて、いかにして安全かつ隠密に指を引っこ抜くかを考えよう。指がふやけて軟らかく食べやすくなってしまうまえにっ!

 どうするべきか。

 どうなるのがより好いのか。

 やはりここは、壱さんに“自然なカタチ”でお口を開いていただくのが好ましいだろう。

 では、どのようにして“そう”するか。

 こちょこちょして笑わせてその隙に引っこ抜くっ! 名付けて“くすぐり作戦”っ!

 ……いや、笑った拍子にバチンとグチャッとやられてしまいそうだからダメか。

 なんか、こう、ヌルッとお口を開かせるというか、お口の締まりが甘ぁ~く緩んじゃうような――はっ! そうだっ! 甘い吐息だっ! 「お口で甘ぁ~くといえば甘い吐息じゃありませんかっ!」と、我が煩悩が、抑えきれない“リビドー/強い衝動”が、前のめりに告げてくる。「壱さんがお口から息を吐けば、それにあわせて締まりも緩むんじゃないでしょうかっ!」、と。

 ――そんなわけで。

 壱さんにお口から息を吐いていただくべく、お口から息を吐いちゃう状況を生じさせる手段を、名付けて“はぁはぁ作戦”を、いざ実行させていただく。

 失敗は許されないので、自由が利くもう片方の手指をワキワキと動かして準備運動。万全を期す。

 ゴクリ、と生唾をひとつ。

 慎重に、冷静に、その手を、壱さんの“その部位”へやる。

「――んっ」

 手が触れた瞬間、ピクッと壱さんは身を震わせた。最悪の事態を思って一瞬ドキリと焦ったが、どうやら大丈夫のようだ。

 我が手が、与えられた任務を遂行する。

「ん、ぅんんー、んぅー」

 壱さんは眉根を寄せて、苦しげに切なげにのどを鳴らして身じろぎする。

「んぅぅ」

 徐々に、お顔が薄っすらと赤くなってゆく。

「ぅん~、んんんんん」

 そしてそれは蓄積したモノが爆発するがごとく突然に、けれど静かに起こった。

「んんっ――はぁぁはぁ」

 半開かれたお口から、湿り気と熱を帯びた艶かしい吐息が荒々と吐かれる。

 刹那、オレは指を引っこ抜いた。口と指をつなぐようにして唾液の糸が引く。

 おかえりっ! オレの人差し指っ!

 壱さんのお口の中で保湿され過ぎてデロデロふやふやシワシワになってしまっていたが、お指のご無事な姿が確認できた。壱さんも起床してしまった気配はないし、とりあえずは一安心である。

 安堵の息を吐きつつ、壱さんの“その部位”であるところの“お鼻”から手を離す。まあ、つまるところ、すやすや寝息の鼻呼吸を強制遮断して、艶かしい吐息の口呼吸へ強引に移行していただいたわけだ。

 不覚にも陥った悩ましい事態は、そんな“はぁはぁ作戦”の成功によって静かに終了した。――ただ、どうしてだろう。この、胸の内じゃなくて人差し指に生温かくモヤッと名残惜しいような気持ちがあるのは。

 ふと、指から続く唾液の糸をたどって壱さんを見やる。いまさっきまでそこにあった苦しげな艶かしさはもうなく、いい夢を味わっていると快活に物語る無防備な寝顔があった。

「むにゃむにゃ味が薄い、ときは、ふへへ塩を、それで、むにゃむにゃ美味しくなるのですよぉ~、へへ、へへへ」

 なんとも恐ろしい寝言を最高の微笑みを浮かべて「むにゃむにゃ」と漏らしつつ、のっそりと寝返りを打つ壱さん。寝返った拍子にお着物の裾が乱れて、あらあら、まあまあ、ふとももさんこんにちはっ!

 ――と、まあ、いちおうご挨拶は済ませたので、ささっと裾の乱れを正す。ふとももさんがあらわになっていらっしゃると、いろいろな意味で悩ましくて困るのだ。ふとももさんさようならっ! また逢う日までっ!

 そんな出逢いと別れを経てオレは、

「ふぅ……」

 と、ひと息。家出しかけていた平常心を呼び戻す。

 冷静になってみると、居間の広さがどうにも居心地好ましくなく。身の程に合わない広さ、とでも言おうか。トイレという狭くて機能的な空間に妙な落ち着きを覚えてしまう貧乏性なオレには、どうにも広すぎるのだ。落ち着かなくてお尻が浮く――というか、なんかそろそろ“お尻/ケツ”がダンスを始めそうである。

 放課後の学校の教室にぽつんとひとり取り残されてときにも、これと似たような感覚を味わったことがある。空間が広くて遠いのだ。普段、当たり前のようにある存在感、圧迫感が一切ないという、慣れない感覚、違和感。まあ、あのときは、期末テストで赤点を獲得しちゃって、居残り補修を課せられちゃった気分の悪さと、早く帰りたいという心情もあったわけだけれど。

 まま、いまは、放課後の学校の教室と大きく異なり、お隣で壱さんが「すやすや」と寝息を発てていらっしゃるという救いがあるので、百倍マシではある。

 ――が、居心地が好ましくないことには変わりない。

 どうしたものかなぁ、と思いつつ壱さんを見やる。

 うん。寝てる。

 もういっそのこと一緒に寝ちゃおうかしら、なんて思ってみたが、壱さんほどの寝付きのよさを持ち合わせていないので、ちょっと無理なお話か。

 客間に戻ろうかなぁ、と考えつつ壱さんを見やる。

 やっぱり寝てる。「でへへぇ~」とよだれを垂らして寝てる。

 絨毯的なモノが敷いてあるとはいえ、壱さんをこのまま床でお寝んねさせて自分だけ客間に戻るというのは、なんだか心苦しい。

 うーん。

 うううーん。

 うううううーん。

 と、低スペック脳ミソをフル回転させて、ちょろっと思案した結果――

 壱さんと一緒に客間へ戻ったらいいじゃなぁーい、という名案をひらめいた。

 もちろんっ、壱さんにはベッドで安眠していただくためですっ。

 そうとなれば話は早い。即行動である。

 眠れる壱さんの肩と脚の下に手腕を滑り込ませ、いわゆる“お姫様抱っこ”をしようと足腰に力を――

 ……そっと壱さんから手腕を離す。

「…………」

 ちょいとばかり調子に乗って、“お姫様抱っこ”で壱さんをベッドまで運ぼうとか思っちゃったが、いざ抱っこせんと力んだ瞬間、足腰さんが「修羅の道を行くのかい? これ以上やると、壊れるぜっ?」と投げかけてきた。

 修羅の道より、安全な道を時たま道草喰いながら歩むのが好きなオレである。

 改めて冷静に足腰さんと意見交換した結果、ここはやはり、自分の身の程に合ったやりかたで、壱さんをお運びしようということになった。


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