起/第四話:敵に同情、味方は外道――
なんというか……。
あれだよね、こういうデンジャラスでバイオレンスな状況って、“マンガ・小説・ゲーム・ドラマ・映画”等々で描かれているのを観て、おもしろいと思ったり、若干の憧れ妄想(謎な組織に狙われている女の子を偶然に助けてしまって事件に巻き込まれてしまう、とかね)したりするけれども……実際、当事者になると、あれだね、心臓に悪いだけだ。
で、オレの心臓を悪くしている原因。
それは――
いかにもワルです! って面構えしてる男の人たち――と見せかけて、じつは、べつにある。
関わらなきゃ良いのに、食事代を浮かせてなおかつ無料でお土産をいただこうというセコイ思考の下で、いかにもワルな男達にケンカを吹っかけた人物。この人が現状、我が心の臓を悪いあんばいでドキドキさせてくれて……、もう勘弁してほしいです。
いまその人は――ちょっと音の高い舌打ちをしつつ、肩幅に両足を開き、道を探る杖を握った右手を頭上へ掲げ、腰を左に突き出すという奇怪なポージングで、リアル刃物を構えているワルな男たちと対じしている。
どうがんばっても、頭がオカシイだろうとしか言いようがない。
「ヒ、ヒドイです、刀さん。私はオカシイ頭なんてしてませんっ! 言葉の暴食反対ですっ! 乙女の心は傷つきましたっ」
ほっぺをぷくっと膨らませて抗議してくる。が、奇怪ポージングを維持したままなので、なんか滑稽だ。
ちなみに、刀さんというのはオレの呼び名であるが、決してオレの本名ではない。“磨磨佐刀/とぎまさとう”、これがオレの名である。
で、口に出てしまっていたようであるが、本当の事しか言えなくて、すみません。ついでに発言の訂正はしませんよ、思考に余裕がないので。
しかし、そう思ってしまっても――いや言ってしまっても、仕方ないじゃないですか。
最初、本当に最初は、ワルな男たちも奇怪なポージングにドン引きしてくれていたけれども、ファーストインパクトが強烈という以外に、このポージングが現状、リアル刃物に対して有効な戦闘手段であるとは言えない。それは素人目で見ても明らか。
「壱さん、どうするつもりですか」
奇怪なポージングで我が前方に立つ、紫色が主色の民族衣装みたいな服を着た、ばさついた髪の女性――壱さんに、オレは問う。
ある意味で、この現状は死活問題である。
とばっちりを喰らうというのも、そうであるが、もっとも問題なのは、現状でオレが頼れる人は壱さんしか居ないという事である。こんな、大型ダンプにぶっ飛ばされて、気づいたら見知らぬ土地にぶっ倒れていたとかいう、理解し難い状況。正直、不安な気持ちでいっぱいであるし、そんなオレを救ってくれた人が、セコさ満点の自業自得だったとしても、危ない目にあうのは見るに耐えない。
だからといって、自分がリアル刃物を構える人達の前に立ちはだかるとか、向かってゆくとか、そんな事できるほどの肝っ玉、持ち合わせていないので、加勢するとかもできない。というかちょっと足が震えてるわ――
「どうするって、チョイって追い帰すだけですよ?」
――ていう、オレの心情は爪先のアカほどもくみ取らない、超が付くほど余裕な態度で壱さんは答えてくれる。
「言ってくれるじゃねぇか、アマがぁ!」
先頭で刃物を構える男が野太い音で吠えた。
「それに、さっきから舌打ちしやがってよぉ! うるせぇんだよっ!」
言い放つと同時に、腹の前に刃を構え、先頭の男が突進する。
それに続けとばかりに、残り二人の男も、刃を振りかざして壱さんへ向かう。
ああ、どうする、どうしよう、ああ、どうしたら……。
こんな瞬間に限って、思考は止まるものだ。
なにをどうしたらいいか思う以前に、脳内は真っ白。
オレはただ、目の前の光景を静観するしかできない――
音の高い舌打ちで刻んでいたリズムが、いつの間にか全身へと伝わっており、壱さんは全身で一定のリズムをとっていた――
そして、目前には腹部で刃を構えた男が迫る。
壱さんはリズムにノリながら、掲げていた逆手持ちの杖を振り下ろした。が、その一撃は一泊の差で男の目前を空振り、男の進攻を阻止するに至らない。
男の一撃が壱さんに到るっ!
オレは視線を逸らしたかったが、真っ白な脳は身体を動かしてはくれない。
見たくもないものを、見てしまう――と思われたが、そうはならなかった。
壱さんの振り下ろした一撃は、男の額にはヒットしなかったが、しかし振り下ろした先には、男の踏み込み足が。その足の膝を突くような位置に杖はあり、踏み込みを妨害していたのだ。
右足の踏み込みを邪魔された男は、乗った勢いを制御できずにバランスを崩しかけ、とっさに体勢を維持しようと不自然に大開な足構えと、腕の開きをしてしまう。
無理にバランスを保とうとして爪先立ちのようになってしまった右足、その膝へ壱さんは振り落ちてそこにある杖を叩き入れ、力を加えて膝を折る――膝カックン。と見せかけて、肉薄し、あらぬ位置にある刃を握った右手を自らの左手で掴み引き、自らの右足を男の右足後へ踏み込ませると、肉薄の勢いと掴み引く力を利用して、ボディータックルをしたように男を押し倒す――と同時に引っ掴んでいた手を離す。
足の踏ん張りを邪魔されている男は、やられるままに若干ふっ飛び、ぶっ倒される。
それが一瞬の出来事。
そしてその勢いのまま、壱さんはタップを踏むような軽快な足さばきで、倒れている男を避けて、後から迫り来ていた男に向かう。
第二の男は、先頭の男がぶっ倒されたことに一瞬たじろぎ、動きが鈍っていた。
ある程度の距離に接近するや、壱さんは大きく右足を踏み込み、同時に杖を薙ぎ放った。杖は第二の男の右手甲に鈍く痛い音をたてながら命中し、手の中に在った刃物を叩き落とす。
踏み込んだ右足を追ってきた左足が追い越し、第二男の横に着地する。同時に身体を寄らせた壱さんは、杖を握っている手の人差し指、中指を立て、杖は残りの指と掌で握り、刃物を落として所在無さげな第二男の右手服袖を二つ指と杖で挟み、捻って掴む。空いている左手は、男の捻り掴まれた腕の肘に当てがい、肘が曲がらないように固定する。同時に、引き戻る自らの右足を、男の右膝に叩きいれ、それを折り、倒れこむような勢いと、捻り掴んだ手を引き上げる力を利用して、第二男を引き倒す。
最後、トドメとばかりに第二男の横っ面へ杖の一撃をみまう。
第二男は横っ面を押さえて苦悶の声を漏らす。
この間、壱さんは音の高い舌打ちをしっぱなしである。
そして、ついにワル面の男は最後の一人になった。
最後の男は、第二男が引き倒されると同時に後方へ跳び退っていたので、壱さんとの距離は開いている。
「くそ……」
刃物をチラつかせつつ悪態吐く最後の男――と、しかし何故かその口元にはニタリと悪笑みが浮かぶ。
なんだ、なにか隠しているのか?
と思った瞬間、最後男が声を上げた。
「先生っ! お願いしまスッ!」
誰、先生って。
というか、最後は他力本願なのかよ……。
「聞いて驚けっ! そして戦慄けっ! 先生はかつて、王国近衛騎士団で武勲をあげた、とてもスゴイお人だっ!」
まるで自分の事のように鼻高々と語る最後男であるが……
「……あの、刀さん。センセイさんはもうご登場しているのでしょうか? 人が増えたようには思えないのですが……。気配をここまで完全に消せる方を相手にするのは、少々骨が折れそうで……」
見据えていない眼差しを最後男へ向け、音の高い舌打ちをし辺りを探るように頭部を動かしつつ、戸惑ったように訊いてくる壱さん。
であるが、
「えっと……、安心していいのかわかりませんけど、誰もご登場してないですよ……。少なくとも、オレの眼には映ってません」
オレは事実を壱さんに告げる。が、それに驚いたような反応を示したのは、最後男だった。
「なっ? せ、先生? 先生? どこですかっ! せんっせ――――っ!」
すごい動揺っぷりである。
なんか親とはぐれた子供のようだ。
せんせー、せんせーと連呼しまくりながら、辺りをせわしなく探る最後の男。と、幾度目かの叫びのあとに、
「お、おう。ちょっとまってくれ……。い、いま行くから……」
どこかしらから、弱々しい返答があった。
「せっ! 先生っ!」
最後の男が慌てたように、声が聞こえた方角と思われる食事処の脇道へと駆けて行く。
「せ、先生っ。ど、どうしたんですか。大丈夫ですかっ?」
姿は見えないが、どうやら先生と呼ばれる人物は、大丈夫じゃない状況にいるようだ。
「あの、壱さん」
この隙に、提案してみる。
「なんですか?」
「いまのうちに逃げましょうよ」
「ダ・メっ! です」
壱さんはムッとしたように眉を寄せ、ぷくっとほっぺを膨らませる。
「どうしてですか? いまが絶好の逃走場面なのに」
「まだ、お土産をもらってませんっ!」
それですかぁー。
せめて、せめて食事処のポニーテイルな娘さんの為だと言って欲しかった。
無料でもらう予定のお土産の為に戦うって、どんな? それってどんな? 自らの欲の為に武力行使していいの?
「なんですか? 刀さんは欲しくないんですか? お土産」
むぅーと眉を逆八の字に、唇を尖らせ、理解できません的な表情でおっしゃる壱さんであるが、オレにはお土産に対する壱さんの情熱が理解できません。
「どうしてそこまで――」
――お土産が欲しいんですか? と尋ねようとしたオレの言葉にかぶせて、
「待たせたな」
ちょいと渋めな、しかしどこか力の抜けた声がした。そして、食事処の脇道から最後の男に肩を借り、鞘付きの剣を杖のように使って一人の人物が登場する。
「すまんな。今朝方ちょっと寒かっただろ、アレで腹を冷やしてしまったらしくてな。すまん。腹の調子が絶不調なんだ。ほんと、時間とらせてスマン」
ああ、きっとこの人、良い人だ。
物心付いた時から胃腸が弱いオレとしては、この朝冷えによる腹痛で登場が遅れた人物へ同情を禁じえない。
ああ、わかる。わかるよ。あの、腹の痛みで安眠を破壊される哀しみも、ぶつけようもない腹痛への憤りも、そして辛さも。わかる。わかるよ先生と呼ばれし人。オレの腹巻きをわけてあげたいくらいだよ。朝冷えに対抗するには腹巻きが最強なんだ。
「腹痛……ですか。ふふ、腹痛に効く、いい丸薬がありますよ」
言うや、壱さんは懐に手を突っ込み、水戸黄門が職権乱用する時にバンっ! と見せびらかす印籠のような、手の平サイズのケース(印籠のような外見ではない)を取り出す。
そして、それをポイッと腹痛人物の前へ放り投げた。
弱々しくソレを受け取った腹痛人物は、
「すまん。情けに感謝する」
礼を言い、隣に居るワル面の最後な男に「水を……」と告げる。
どこからか水を調達して舞い戻った最後な男から水を受け取り、ケースから黒い小粒な丸薬を取り出し、それを口に放り込むや、追うように水を流し込む。
「すぐには効いてこないのだろうが――感謝する、これで役割を果たせる」
ああ、同情しちゃったけど、この人、恩をあだで返す気満々だ。
杖代わりにしていた剣を抜き放ち、右手に剣、左手に鞘という構えをとっている。
いままで堪えるようにうつむき加減だったのでよく見えなかった顔が、剣を構えて初めてうかがえた。腹痛で弱ったり、恩をあだで返すようなマネをしなければ、若い年輪のようなシワを刻む表情が渋くもカッコイイ人物である。なんか現状、色々と損をしているようであるが。
「んん〜失敗しちゃいました」
人差し指を唇にあてがいながら、悩ましげにおっしゃるのは壱さんであるが、この状況で失敗って、致命的なんじゃ……。
「な、なにを失敗してしまったんですか?」
問うオレ。
「ん? いえ、丸薬をおゆずりする代わりに、手を引いてもらえばよかったなぁと」
ああ、確かに。
「しかし、もう手遅れですね――」
諦めたようにつっ立つ壱さん。
「では、いざ参るぅぅううぅうっ!」
威勢よく駆け出した腹痛人物は――しかし、二歩、三歩と、弱りきったおじいちゃんみたいな足どりをすると、その場に腹を抱えてうずくまってしう。
「――やっぱり」
腹痛人物が崩れ落ちる音を聞くや、壱さんは悲しげな表情を浮かべた。
なんかまるで腹痛人物がうずくまってしまうのがわかっていたような物言いだったので、オレは疑問に思い、
「やっぱりって?」
お尋ねしてみたら、壱さんは平然と、
「だって、おゆずりしたの下剤ですもの」
残酷なことを言いやがった。
ゲ・ザ・イっ! 地獄の三文字っ!
壱さんっ! それは、それだけは、それだけはやっちゃいけない非人道的なおこないでしょうよ、ねぇ! 腹痛の人に下剤って、そりゃ便秘に苦しむ人にはイイと思いますがね。しかし相手は朝冷えの腹痛ですよ。ねえ、これだけは譲れないよっ! 胃腸が弱いオレとしてはっ!
「普通、敵対する人を助けないでしょう? 何かを守ろうと思うなら、卑怯であろうと、いかな手段を用いても敵は倒すモノですよ」
しれっと語る壱さん。
確かに、確かに間違ったことは言ってないように思えるよ。
でも、でもね、壱さんの守りたいものって、飲食費を無料にして、なおかつ無料でお土産をもらうっていう条件でしょう。
「あぁぁああっ! うっぐっ。ダメだ、もう今日はダメ……今日は……もう、許して……」
下剤を盛られた腹痛人物は、弱々しく剣を鞘に収めると、隣の最後な男へそう告げ、哀愁ただよう背を向けてどこぞへ去り往く。
「せ、先生っ! ま、待ってくだせぇっ! せんっせーっ!」
取り残された最後な男は、ぶっ倒れのびている己が仲間をたたき起こして、手を貸し肩を貸しながら、去り往く先生を追いかける。
「テメェら、おぼえてろよっ!」
最後に超三流な捨てゼリフを吐いて。
まぁしかし、結果オーライというやつだろうか。
とりあえず、目先の危機は去ったわけだし。
「それじゃあ、今回の食事代を無料にするのと、お土産をよっつお願いしますね」
食事処の席へ早々に戻り座るや、壱さんはいまだに呆気にとられている感じのポニーテイルな娘さんへ告げた。なんか、お土産の数が増えているように思えるが、気のせいだろうか。
「壱さんて、いつもこんな事してるんですか?」
なんだか、旅の道連れにされたら、命がいくつあっても足りなさそうな気がしてきたのだけれども。
「まさか、そんなわけないじゃないですか。今日は偶然です。運がいい事に」
よくはないでしょう。と思いつつも、まあ常に壱さんが食事代等々を浮かせる為にケンカ吹っかけるわけではない事を知れただけよしとしよう。
もうね、起こる出来事全部を気にしすぎると精神が持たないように思えてきたし。
諦めの境地というヤツか。
どうにでもなれっていう。
ある意味、オレ最強っ! てな心構え……みたいな。
気にするから気になる。気にしなければ気にならないっ!
よし、現時点からこれを我が座右の銘にしよう。
で、目前に問題がある。
「壱さん、これは美味しいんですか?」
ポニーテイルな娘さんに聞こえない程度の小声で、訊いてみる。先ほど壱さんが美味しそうに喰らっていたお品の事だ。オレはまだ食していないので。
「そんなの味覚なんて人それぞれですから……というか食べればわかることじゃないですか。どうして食べないんです? 食わず嫌いでお残しする人は、末代で飢え死にしますよ」
初めて聞いたよ、食わず嫌いは末代が呪われる的なお話。まあ、壱さん的な世の理では――の話だろうが。
べつにオレは、目の前の品が得体の知れないものだから、それがイヤで、食べるのをためらっているわけではない。
先に語ったように、オレの胃腸は基準よりデリケートにできている。
下手にモノを食べると、先の腹痛先生のようになってしまう。
目の前のお人が、あるいはお腹下した人に対して、常識的かつ人道的な対応がとれる人だったならば、恐る恐るにでも、オレは目の前の品を食えただろう。が、腹痛の人へ下剤を盛るのが壱さんである。生存本能的に、そんな人の前でお腹は壊したくない。
食うべきか、食わざるべきか。この選択肢は、ああ究極だわ。
「どうして刀さんは、食べる食べないで迷っているのですか? 食べられる時に食べておかないと、後悔しますよ? そもそも作ってくれた人に対して失礼じゃないですか。それに食べたくても食べられずに死に逝く人がゴロゴロいるのに、そんな貴族的で贅沢な悩みなんてしていたら、呪い殺されますよ」
「……すみません」
確かに、壱さんの言うとおりである。
謹んで目の前の品をいただくことにしよう。
食べてみたら、不味くはなかったが、いままでに味わったことのない舌への刺激があった。
なんだろうこの料理は。
例えようのない、味である。
だが食べるには問題ない味であったので、完食した。
そのタイミングを見計らったかのように――いや、見計らっていたのか。ポニーテイルな娘さんが、壱さんの要求したお土産の詰った包みをもって現れ、それを壱さんの前にコトリと音を発て、置く。
置かれたお土産の包みを探るように手で触れ、
「さて、お土産もいただいたことですし、帰りましょう」
早々に帰還しようとする。
が、それをポニーテイル娘さんが引き止めた。
「あの、あなた達は旅人さんですか?」
「そうですが、なんでしょう」
立ち上がるのを中断して壱さんは答える。
「どれくらい滞在するんですか? もう、宿はとって? なんなら家に」
急かすように追って尋ねる娘さん。だが、壱さんは平静に答えるだけ。
「滞在は三日を目安に。宿はもうとってあります。――さあ、刀さん。行きましょう」
すくっと立ち上がり、
「お土産ごちそうさまでした」
お土産の包みを手に、壱さんは店から出てゆく。
「ごちそうさまでした」
オレは慌てて後を追った。
壱さんは少し歩いたところで急に立ち止まる。
「どうしたんですか?」
本当に突然だったので思わず訊いた。そんなオレの声をたどるように、壱さんはこちらを振り向き、
「道案内してもらわないと、あと荷物持ちも」
お土産の包みを握っていた左手を差し出す。オレは包みを受け取り、空になってなおそのままの位置にある彼女の手をとり、進むことにする。が、
「どこに向かうんですか?」
まあ、オレが目印を知っていて案内できるのは、宿屋、食事処、風呂屋だけであるが。
「一度、宿に戻りましょう」
宿屋へ戻る道中、
「壱さん」
手を引き歩きつつ、オレは壱さんへ声をかける。
「なんですか?」
「危ない事は極力しないでくださいね」
まず、私利私欲の為に強制武力介入はしないでください。
次に、逃げられる時に、私利私欲の為に戦闘継続しないでください。
壱さんはなんだかんだで、強いお方のようなので、自分の身は自分で守れるのでしょうが、オレには無理なので。
「……はい」
壱さん、なぜに頬を紅らめているのですか。
まあ、わかっていただけたなら、それでいいのですけど。
と、それはさて置いても、
「そういえば、奥の手ってなんだったんですか? あの舌打ちですか? というか最初のポージングはなんだったんですか?」
激しく疑問である。
そもそも、壱さんは眼が見えていないのではなかったか?
あの機敏な動きは、果たしてどうやって?
ファーストインパクトだけ強烈な、あの奇怪ポージングは、なんの意味が?
「奥の手は、使う前に勝負ついちゃったので、結局使ってないんですよ。最初の構えからズババババンッ! て発動する予定だったんですけど。というわけで、真の奥の手は……ふふ、ひ・み・つ、なのですよぉー。乞うご期待です」
乞うご期待って、さっき頬を紅らめて「……はい」って危ない事しないって約束したばかりじゃないですか。もう、どこかしらでバトルするつもりなのですか……。願わくば、秘密が永久にひ・み・つでありますように。
お星様にでも願っておこうか。いや、いっそのこと悪魔にでも頼もうか。オレを害すもの全てをその腕で退けてくれそうな、悪魔に。
ともあれ、
「じゃあ、あの舌打ちはなんなんですか?」
という疑問は残る。
オレに手を引かれて半歩後を歩いていた壱さんは、そんな我が問いかけを聞くや、踏み出しの一歩を大股にして、覗き込むようなしかしこちらを捉えない眼差しで、
「知りたい? 知りたいですか?」
と、なぜか御一人様テンションアップで、「知りたい?」としつこいくらいの連呼で言う。
「いえ、無理に聞くつもりはないです」
まあ、べつに知ってどうなるものではないだろうから、強要する気なんぞ元よりない。
「そこはぁ、素直に知りたいですって言ってくださいよ」
ぷくっとほっぺを膨らませる壱さん。
どうやら、喋りたかったようだ。
「じゅあ、知りたいです」
「じゃあぁ?」
頭に「じゃあ」ってつけたらダメなのですか。よくわかんないところをこだわりますね。
「知りたいです、教えてください」
ちょっとへりくだっているように聞こえなくもない、我が言い回し。
「では、教えて差し上げましょう」
どうやら我が言い回しは正解だったようだ。
どこか自慢げに、誇らしげに、鼻高々といった感じに壱さんは語る。
「あれはですねぇ〜、“反響定位”なのですよ」
「“はんきょうていい”?」
なんだろう、初めて聞いた言葉だ。意味がわからない。
「その、“はんきょうていい”は、具体的にどんなモノなんですか?」
「んん、私の感覚の話なので、わかり難いかもしれませんが――」
とそこで、壱さんは例の若干音の高い舌打ちを打ち鳴らし、
「――ていう音を持続的に発して、その反響音でモノの外形や距離をつかむのです。反響音の大小で距離とか、深みとか柔らかさで質感とか」
ものすごく得意げに語る壱さんであるが、その態度にも納得な凄い技であることは、なんとなぁくオレにもわかった。
ようは、イルカとかコウモリみたいに辺りを探っているということだろう。
しかし、これは語るに安しであるが、実際に扱うというのは、相当難儀なことのように思われる。
トレーニングで鍛えれば、ある程度までなら扱えるようになるだろうが、しかしあんな機敏に動く戦闘で耐えうるまでに使いこなせるというのは、相当な訓練と生まれ持ったセンスが必要だろう。
んんー、じつは壱さん、凄い人なのだろうか。
どことなくセコイ方向性の思考をお持ちのようであるが、もう少し彼女に対する見かたを改めねば。
とかなんとかしているうちに、安宿の前に到達していた。
部屋に戻って持ち帰ったお土産を置くや、
「さあ、刀さん。お風呂屋さんへ行きましょう」
オレの返答は聞かず、壱さん既に退室している。
背を追いつつ、
「あの壱さん、なんで杖を置いてきたんですか?」
まさか忘れたわけではなかろうに。
「だって、お風呂屋さんじゃあ邪魔になるだけですし。それに、刀さんが私の眼になってくれるんでしょう?」
そんな微笑みながら言われると、ちょいと照れるが……まあ、いいや。
――て、あっ!
「そういえばオレ、着替えとか持ってないんですけど」
風呂屋へ行くならば最低限持ってい行ったほうがいい物を、自分は持っていないと告げる。
「大丈夫です、私もありません」
ダメじゃん。
「宿から借りればいいんですよ」
ああ、なるほど。
――と納得してみたものの、安宿はそんな貸し出しサービスしていなかった。
けれども、もみ手もみもみな支配人っぽい男性が、
「んん〜、うちのお店で使い古した制服でよかったら差し上げますけど」
良い人だ。営業スマイルが鬱陶しい事このうえないが、この支配人っぽい人は良い人だ。
そんなこんなで、安宿側の善意によって着替えをゲットし、いまは風呂屋へ向かい壱さんの手を引いて進行中である。
「あ……、身体拭くヤツが無い」
えらく中途半端なところで、オレ気がついた。
「それなら大丈夫ですよ。お風呂屋さんでもらえますから」
オレに右手を引かれながら、壱さんは空いている左手で「ご安心めされい」ってなぐあいにグッと親指を立てる。
借りるではなく、もらうなのは、なして?
「お金払う時にくれるんですよ。常識じゃないですか」
そんな常識しりませんでした。
で、目的地に到着。
なんか無駄に巨大な石造り建築である。古代ローマって感じの。
「おおー」
と見上げていると、クイッと手を引かれた。
壱さんが早くしろとうながしている――と、思う。
入り口と思われる開けっ放しの戸をくぐったそこには、受付カウンターと思しきものがあった。とりあえず前まで移動する。
「いらっしゃいませ」
人当たりの良さそうな微笑みを浮かべて、額にバンダナのようなモノを巻いた受付の人が応じた。
あとの手続きはオレにはわからないので、壱さんにおまかせする。
と身体の前面くらいは覆い隠せそうな大きさの布が手渡された。手触りはゴワゴワ。どうやら、これがバスタオルであるらしい。しかも本当にもらえるようで。オレはてっきり、壱さんが旅館やホテルに宿泊したオバちゃんのごとく、何でもサービスと称して悪意無くパクッてるんだと思っていたが――勝手な想像でセコさ誇張してゴメンナサイ。
で、案内役らしい風呂屋の店員さんが導くまま後にくっ付いて移動ていくと、徐々に空気がむっと湿っぽくなってくる。
「それではごゆっくり」
ペコリと一礼して去り行く店員さん。だが……なんだろう。オレは銭湯のようなヤツを想像していたのだが、
「なにこの巨大な鍋は」
目の前には巨大な鍋のようなモノが一つドドンッ! とあるだけで、
「どこがお風呂?」
んんーよくわからん。
木で出来た板の壁に囲われた所の中央に、中華鍋の持ち手を無くしたような巨大なそれがある以外には、服とかをいれて置くヤツと思われるカゴがあるだけである。他にこれといってモノは無い。
「なにを言ってるんですか、刀さん。いまここがお風呂じゃないですか」
「ここが? お湯も無いのに?」
そう、どこにもお湯が無い。外見がどうあれ、風呂という場所での共通点は、お湯だろう。が、それがこの場所には無いのだ。これのどこがお風呂だと?
「お湯は、もうすぐ来ると思いますよ」
「……は?」
なに、お湯が来るって。
――と、そのとき。
何かが上から落ちてきた。
それは巨大鍋の内へと、巨大な滝つぼがごとき壮絶な水しぶきと轟音をあげておさまる。
「な、なな、なんだ……?」
「だからお湯ですよ」
当たり前のことで驚かないでください、と言わんばかりの態度で壱さんは言うが、
「なん、なんで、お湯が上から降って来るの……」
わけがわからない。
「なんでって言われても、当然の事を説明するのは意外と難しいですね……んん〜」
どうやら、オレの知らぬ事だらけなこちらの世では、お湯が上から降って来るのがお風呂屋さんの普通であるらしい。
「まあ、気にしなければ気になりませんよ――」
なんかちょっと前に、それを座右の銘にしたような気がするが、やっぱ無理だった。
「――さあ、早く入りましょうよ」
ツイと手を引かれ、
「へ?」
と、ちょいとふ抜けて振り返ると、
そこには――
なんで。
どうして。
どうしちゃった。
――壱さん、アナタ、真っ裸でなにしてるんっ!
いつの間にか風呂へ入る準備を万端整えた壱さんが、そこにいらっしゃった。