承/第三十八話:ムシムシ尽くし(其の二十五)
結果こうなるという要因は、当たり前だが事前に示されていた。どうして“それ”に気づかなかったのか。どうしてもっと配慮するよう働きかけなかったのか。いまさらながらに、つくづく自分の浅はかさを思い知る。
「だ、大丈夫ですか! 壱さん!」
「んー、正直、あまりよろしくはないですね……」
そう言って、壱さんは苦しげに微笑む。
明らかに大丈夫じゃない雰囲気のヒトに向かって、なに言ってんだオレは。
「……やはり、食後の過度な運動は避けるべきでした」
「……………………は?」
「自分は“適度さ”を守れる、という過信が、私の“おごり”が、この、時間差で横っ腹が痛くなるという無様な結果を招いてしまったわけですから、なんとも情けないお話です……。笑ってくれてかまいません。もういっそペロペロ――」
いまここにある事実だけを述べよう。
そりゃあ、“夫婦大食い祝事(決勝)”で伝説になるほど蒸しまんじゅうをたらふく喰ったあとに戦闘なんていう激しい運動をすれば当然、横っ腹も痛くなるでしょうよっ。
……そう。壱さんは、べつにシズさんの槍の一撃をじつは喰らっていたとか、黒髪のおヒトがなにか不意打ちをしていてそれを喰らっていたとか、そういうことではなく、ただ単に、食後に激しく動いたから横っ腹が痛くなってしまっただけだった。
強いんだか弱いんだか、もうオレの低スペック脳ミソでは判断できないわ。……まあ、どこぞを負傷してしまったわけじゃなかったのは、素直に幸いと喜べることだけど。
「ん~、も~、一歩も動けませ~ん。とぉ~さ~ん、おんぶ~」
幼い駄々っ子のようであり、計算高い大人の女性のようでもある音声と雰囲気で、そんな要求を告げてきおる壱さん。いまさっきのシリアスな空気感との激しすぎるギャップに、薄っすらと女性の恐ろしさを感じつつ、オレは壱さんの手を取り、“おんぶ”を全面的に受け入れる体勢になる。
だってオレは、“いやです/ NO ”と言えない日本人ですからっ。
――とか、べつにそういうのは一切関係なく、そもそも“おんぶ”を拒む理由がない。むしろ“おこしやすっ!/ Welcome! ”とおもてなしの心を持って最高の笑顔で両手を広げ、全身全霊でお迎えするべき事態だ。
背後に、壱さんの存在を感じた。我が背中に、壱さんの温い手が触れ――
「はああああああんっ」
「ど、どうしたんですか。いきなり変な声を上げたりして……。刀さん、とっても気色悪いですよ……。正直、ドン引きですよ……」
「いや、ほら、だって壱さん、不意に背中をいじくりまわすんですもの、……こう、なんと申しましょうか。――出ちまったんです」
さわさわと不意打ち的に背中をいじくりまわされたら、それもこれから身を預けるモノの信用性を査定するがごとく念入りにいじくりまわされたら、きっと誰だって、絶対に、オレと変わりない反応をするに違いない。――と、切に願いたいところです。はい。
「そうですかー。出ちまったんですかー。じゃー、しょーがないですねー。しょーがないことですねー」
「完璧すぎる棒読みっ! ……どうしてだろう、…………心が折れそうです」
「もうっ、じょーだんですよっ。じょーだんっ」
そう言って、壱さんは笑けるようにバシバシと我が背中を叩く。
「出ちまうなら時と場所を考えて自分だけじゃなく相手を気持ちよくしてからにしてっ、という清い乙女からのお願いですよ」
……………………どゆこと? 壱さん、あなたはいったい“なに”について物申していらっしゃるんですか?
――いや、まあ、よくわからないけれども。ただ、揺るぎない確信を持って思います。真に清い乙女はそんなお願いしない、と。……たぶん。
そんなこんなで。
受け入れ準備超万端な我が背中に、ついにやっと壱さんのお身体がおぶさってきた。
「おおう……」
創作された物語の主人公のように、「おおう……、なんでこんな羽毛のように軽いんだ……」とか言える主人公スキルなんぞ一切、オレは備えていないので、壱さんをおんぶして感ずるのは「おおう……、ずっしり……」である。主人公スキルを備えているヒトのように、麗しい女性と節操なくベタベタイチャイチャした経験がなく、現在のヒトと過去のヒトを“比較する”ということができないから、「おおう……、ずっしり……」としか感じられないだけかもしれない。――けれども、けれどもしかし、こっちが引くくらい食べ物をたらふく喰らう健康優良淑女であらせられる壱さんという“生きているヒト/生命/いのち”なのだから、それなりに重量があって当然だと、個人的には思う。生まれたばかりの赤ちゃんだって、けっこうずっしりくる確かな存在感があるわけだし。まぁ、スーパーなどで市販されている一袋およそ五キログラムのお米を、けっこう重たいと感じる“貧弱・マイ・ボディー/オレという存在”だから、余計に“そう”なのかもしれない。――念のために、あらぬ誤解を生じさせないために、あえて付け加えておこう。オレは、べつに決して壱さんが重いと言っているわけではない。もし仮に、実際に羽毛のように軽いヒトがいたら、それに気づいた者は感嘆してないで、相手の健康のために一度お医者さんへ相談しに行ったほうがよろしいんじゃなかろうかと、そんな現実に気づかせていただいたという、“ありがとうございます”にも似た“意”が述べたいのだ。
――ともあれ、いま、現在進行形で、オレも創作された物語の主人公と同じ“思い/感想/感情/感動”を懐いていたりする。
背中にっ! オレの背中にっ! いまこの瞬間っ! とっても優しい、とっても柔らかきモノがっ! ふにょんってしちょる、よっ! ほほぉ~いっ!
…………思わず“自分”を見失って舞い上がってしまったのだわ。……冷静になろう。
自制心っ!
全開っ!
無理っ!
うん。だってほら、おんぶすると、こう、姿勢を安定させるためにお手々を、こう、ふとももからお尻らへんの辺りにそっとそえなければならないじゃないですか。必然的に。――で、いま、現在進行形で、我がお手々は、おぶさる関係上どうしようもなくお召し物の裾から「こんにちは」しちゃう壱さんの、汗で少々しっとりとしている生な“むにむに/むちむち/もちもち”とした“ふ・と・も・も”の温もりと触感を恐悦至極「ひゃっほぉ~いっ!」しているわけで。頭では冷静になりたいのに、オレの中の“誰か”が「熱くなれよっ! もっと熱くなれよぉっ!」とうるさく叫ぶわけですよ。冷静になれるわけ、ないじゃないですかっ。熱くなるよっ!
――と、そんな感じの、過剰な熱情ほど白々しかったりするわけで。