承/第三十一話:ムシムシ尽くし(其の十八)
――と、そんな具合に、好くも悪くもキャッキャウフフしていたら。
いつの間にやら、ロエさん宅であるところのメムス屋さんがもう目と鼻の先である。
そういえば、ロエさんとジンさんは“あの後”どうなったんだろう……。とくにジンさん――の容態が、こっちが引くくらいロエさんにボッコボコにされていたジンさんの容態が、とても気にかかる。“いのち/生命”的な意味で。
そんなことを考えていたからなのか、とても既視感を覚える光景を“そこ”に見た。
ひとりの人物が、メムス屋さんの店先に突っ立っていた。濃紺が主色の民族衣装っぽい服を着て、右手には身の丈より長い棒のようなモノを持ち、いい具合に大根がすりおろせそうな坊主頭をしている。
まんじゅうを販売しているお店なので、店先にヒトがいることそれ自体に不思議はない。しかしその人物は、どうにも雰囲気からしてまんじゅうを買いに来たというふうではなく。かと言って、ジンさんのように理由あって入店をためらっているというふうでもなく。あえて言うなら――そう、誰かと待ち合わせをしているふうであった。
柔和な表情で、その人物はこちらに向かって軽く頭を下げる。道でたまたま会った知人にする“それ”と同じように。
オレは意もなく反射的に頭を軽く下げ――
壱さんは、オレとその人物との間に割ってはいるように一歩前へ出る。ついさっきまでふにゃふにゃに緩んでいたのがウソのように、いまはどこか研ぎ澄まされた刀を想わせる凛として冷たく鋭い風格ある表情をしている。
「お久しぶりです、壱さん」
坊主頭の人物が、人好きのする温和な音声で言った。
「その声は……、シズですか」
壱さんは表情を和らげることなく、けれど口調だけは親しげに、
「久しぶりですね。できれば、このまま二度と再会したくありませんでしたが」
と答えた。ほんの一瞬だけ、どこか“痛む/傷む/悼む”ヒトのような表情が見えた気がしたが……たぶん、気のせいだろう。
「ウソ偽りなく言えば、私も“それ”を切に願っておりましたが――」
坊主頭の人物――シズさんは、空のその先を見上げ、
「“現実/運命の女神”は、しばしば酷な演出を好むようです」
と苦笑を浮かべる。
ふたりの、いまのちょっとしたやり取りの間に、オレはどこか遠くに置き去りにされたような“近くて遠い気分”になり、
「えっと……お知り合い、ですか?」
会話の中に“明確な答え”があったことを、あえて確認するように、壱さんに訊いてしまった。
「ええ」
壱さんは、壱さんらしからぬ感情の薄い声で、
「かつて」
ただ淡々と“ひとつの事実”を告げるように、
「友でした」
そう、教えてくれる。
なぜに過去形?
んー、再会したくなかったと言う壱さんからして、壱さんがなにかやらかして、ケンカ別れをしてしまったから気まずい――とか、そういう?
「ところで――」
シズさんはオレのほうを見やり、
「お名前を、お訊ねしてもよろしいですか?」
他者を安心させる柔らかい笑みで、訊いてくる。
「え、ああ、えっとオレは――」
果たして“磨磨佐刀/とぎまさとう”と自らを貫いて名乗るか、“刀/とう”と“こちらの世界”に合わせて名乗るか、自分としては重大な問題なので、少々逡巡していたら、
「彼の名前は、刀さん。旅の道中、出逢いましてね。意気投合して、向かう先も同じだったので、ちょっとご一緒しているんですよ」
と壱さんがオレの名乗りをぶった斬って、
「ただそれだけの関わりの“ヒト/他人”です」
きっぱりと、そう紹介してくださる。
……どうしてだろう。胸の奥が、ちょっと苦しい。
「そうですか……。それにしては、ずいぶんと仲がよろしいように思えましたが。いましがた、とても興味深い宣告が聞こえてきましたし」
と、シズさんは思うところある顔つきをする。
「適度な遊び心は、円滑な人間関係を築くために必要でしょう?」
さらりと、あっさりと、流すように壱さんは言った。
「そうですね――」
シズさんは感慨もなさそうに軽く首肯してから、
「では、壱さん。そろそろ、“現実/運命の女神”が好む演出の、“つもる話”を済ませてしまいましょう」
話題を、身にまとう雰囲気ごと一変させる。急に、近寄り難いヒトの“それ”になったのだ。柔和を思わせる表情は、同じなのに。
「……ええ」
壱さんは諦めるヒトのような顔をしてから、
「そうですね」
と同意を示す。
なんのこっちゃいまいち理解が追いつかないオレであったが、
「ここでは村の方々に迷惑ですから、場所を変えましょう」
という壱さんの言葉を聞いて、ひとつ察することができた。
きっと“つもる話”は、拳で語り合うほうの“話し”なんだろうなぁ、と。
「刀さんは、先に帰っていてくださいな」
ふと、いつもの柔らかな表情に戻って、けれど突き放すように言う壱さんに、
「いえ、ご一緒させていただきます」
さもそれが当然のことであるかのように、オレは告げた。
常識的に考えて、久しぶりに再会した方々の“つもる話”に部外者が立ち入るのは、相手の承諾があれば完全にダメなことではないだろうが、しかし確実に迷惑極まりない行為である。――だから、
「不粋ですね」
壱さんが責めるふうにおっしゃるのも至極当然のことであり、百も承知のことである。――と、承知しているくせに言ってるのだから、なおのことよろしくない感じだが、
「初めて気づいたんですけど……、どうやらオレはかなり嫉妬深い性格らしくてですね……。ほら、壱さん言ってたじゃないですか、『自分の知らないところでの“妻の行動”が、とっても気になってしまう感じですか?』って。――もうオレ、この時点で気になりまくりで、どうにかなってしまいそうなんですよっ! なぜって? 壱さんはあぁっ! オレのおぉっ! 嫁ええええぇぇぇっ! ですからああぁぁぁっ!」
果たしてオレに、“なにが”できるかはわからないし、“なにか”できるかどうかもわからない。いざ実際に行動できるかもわからない。――だが、よろしくないことが起こる可能性のある場所へ、「はい、わかりました」と壱さんを送り出せるほど、オレは壱さんに無関心ではない。……けれど、たぶんオレのこの行動は、正確には、厳密には、壱さんのためではない、と思う。……いや、確信を持って、壱さんのためではない言える。そもそも自分より圧倒的に強い壱さんに対して“ため”なんて、おこがましいにもほどがある。結局、自分がイヤな思いをしたくないのだ。自分の知らないところで、もし万が一にも“無関心ではいられないヒト/壱さん”が“どうにか”なってしまったら、という限りなく“無/ゼロ”に近い“有/イチ”の可能性を、未来を考えられる生き物であるがゆえに、イヤでも想像できてしまうから。
なにも“好ましくないこと”が起こることなく、“迷惑極まりないヤツ”という称号をオレが獲得するだけで終了してくれたら、それでいい。いや、それがいい。
けれど、“現実/運命の女神”が好む演出は――
「“そちら側”にも“見届け人”があったほうがより公平だと思いますので、私に反対の意はありませんよ」
シズさんは、壱さんから視線を外すことなく言った。いまいちよくわからない言い回しだが、オレが“つもる話”にご一緒しても問題ないということだろう。
そして壱さんは、肯定の言葉も否定の言葉もなく、
「…………」
ぷいとそっぽを向いて、ほっぺをぷくっと膨らませている。まったくもってよろしいご機嫌ではないようだが、でもオレには、さきほどの刀じみた表情と違って、そこに微笑みがあるように見えた。
――そして。
壱さんとシズさんとオレは、場所を移す。