承/第三十話:ムシムシ尽くし(其の十七)
「……どうして、手拭いなんだろう?」
会場からの帰り道。ふと疑問に思った。
ともすれば夫婦限定の大食い大会にしか思えない“夫婦大食い祝事”で、望まぬ名誉とともに得た“モノ”である。
両腕をいっぱいに広げたよりもだいぶ長い、白の手拭い。
やったことが“食べる”だけであったとしても、収穫祭の意味ある行事のひとつだったので、オレはてっきり勝者には、なにか“食”に関連したモノが大量に贈られたり、あるいは儀式的な使命というか役目が与えられたりするものだと思っていたのだが、しかし実際に贈られたのは称賛の言葉と、なぜか白の手拭いだった。
参加賞かとも思ったのが、他に出場していた方々には贈られていなかったので、どうやらこれは勝者限定の品らしい。
手拭いを贈ることに、なにか意味があるのだろうか?
あったとしたら、その意味とは?
あえて気にしなければ気にならないような、これこそ些細な事柄だけれども、気にしちゃったので、とても気になるのだ。
――断じて、断じてっ、雰囲気にのまれてちょっとお祭りが楽しくなっちゃって、結果的に壱さんのご活躍に拍車をかけてしまった自分の、重大な落ち度から逃避しようとしているわけではない。
なんだろうねっ、手拭いを贈る意味って?
「“厄除け/厄落とし”ですよ」
お隣を歩く“生ける伝説”さんが、つないだ手をちょいと引っぱり、
「手拭いは“厄除け/厄落とし”の道具でもありますからね」
とオレの知らぬ手拭いの一面を教えてくださる。
「へぇー。でも、それなら出場した全員に贈ってもよさそうですけど」
むしろお祭り的には、そのほうがよろしいと思うのだが。
「それはですねー」
新たに憶えた知識を披露する子どものごとく、壱さんは楽しげな得意顔で言う。
「“夫婦大食い祝事”の勝者に贈られる手拭いは、この土地の神様から与えられる“神聖な証”でもあるので、勝者しか受け取れないんですよ」
「“神聖な証”……なんですか? 手拭いが?」
「そうなのですよ――」
脳内エンジンの回転数が上がってきたのか、とても冗舌上機嫌に説明してくださる壱さんなのだが、少々回転数が上がり過ぎているようで、まさか“収穫祭の起こり”から語りだす。
じつに興味深いお話なのだが、あまりにも長いうえに正直なところ八割くらいなに言ってるのかわからないので、ここは断腸の思いで、ざっくりと理解できたことだけ述べておこう。
なんでも、“夫婦大食い祝事”の勝者は、土地の神様に“選ばれた者/認められた者”であると考えられているらしく。勝者に贈られる手拭いは、“厄除け/厄落とし”の道具であると同時に、神様が“選んだ/認めた”証しとして与える“神聖な証”でもあるらしい。
「――つまり」
壱さんは人差し指をビッと立て、
「夫婦の“幸せ”を願っておこなわれる祝事で勝つということは、その“幸せ”に、神様の“おすみつき”がいただけるということなのですよ」
と学問を説く教師のような口調で言って、長かったお話を締めくくる。
果たして夫婦であるとウソを吐いて祝事に出たオレと壱さんが、“おすみつき”をいただいちゃってよかったのかな……。
とは思うものの、いまさら神様の判断に異議を申し立てる度胸はなく。
この土地の神様はとっても御心が広いサービス精神の権化なのだろう、と思うことにして気にしないことにする。
なにごとも、気にしなければ気にならない。
これぞ十円ハゲと無縁な頭皮で生ける極意であり秘訣であり基本である。
「――それはそうと壱さん」
語ったったと満足気な、ほくほく顔に、
「どうしてそんなに、この村の収穫祭に詳しいんですか?」
オレは素朴な疑問を投げかけた。
この村の出身というわけでもないのに、なぜ得意気に“収穫祭の起こり”をべらべら語れるのだろう?
「じつは私、これでも旅人なんですよ」
ちゃかすように微笑んで、壱さんは芝居がかったヒソヒソ声でおっしゃる。
「ご存知でしたか?」
ええっ! てっきり“流浪のフードファイター”だと思ってましたよっ!
――なんて、うっかり言うと話が長引きそうなので、
「ご存知ですけど……。それと詳しいことと、なにか関係あるんですか?」
「とってもすごく関係ございますともっ」
喰い気味に、勢い込んで壱さんは言う。
「旅人が旅する理由。旅の醍醐味。それがなんたるか、刀さんおわかりですかっ?」
おわかりですかと問われても、修学旅行くらいしか旅っぽいことの経験がないオレに、本物の旅人の心がわかるわけない。
「んー、その土地の個性ある“美味しい味/郷土料理”に出会える――とかですか?」
世の旅人がなにを思って旅をするのかはわからないけれど、“壱さん”という旅人的にはこれで正解な気がした。
「非常に惜しいっ!」
壱さんは自らの額をぺしゃりと叩いて、
「けれどさすがは刀さんっ!」
語尾に“音符の記号”が付いてそうなノリで、
「ほぼ大正解ですっ!」
喜色満面な残念顔をする。
「…………えっと、……つまり、どういうことですか?」
「“家庭料理の味”は家庭ごとで異なり、食いしん坊な旅人は“その味”を知りたがる、――ってことです」
「おおうっ。壱さんがいったいなにを伝えたいのか、さっぱりわからない」
「あら?」
壱さんはわざとらしくズッコケて、
「刀さんにならって、我ながら的を射た比喩を言ったつもりだったのですが……」
笑いにスベッたヒトのごとく、なんとも渋そうな微笑を浮かべる。
これっぽっちも“意”を回収できない脳ミソで、……なんか、申し訳ない。
「つまりですねっ!」
己の中のスベッた感を払拭するように声を張って、壱さんは言う。
「“異なる文化/異なる価値観”を知ることが、旅人が旅をする理由であり、旅の醍醐味である、――ということなのですよっ!」
「ああ、なるほど」
言われてみれば納得な、至極当然とも言える“正解”だった。
「だから旅人である壱さんは、この村の“文化/価値観”である“収穫祭”を知っている――というか“知った/学習した”、と。……でも、いつの間に?」
出逢ってからほぼ常時、壱さんとは行動をご一緒させていただいているが、しかし旅人として情報収集しているお姿を拝見した憶えは、どうにも思い当たらない。なにか喰ってるお姿ならば、望まずとも瞬きと同時に思い出せるのだが。
「おやおや? 自分の知らないところでの“妻の行動”が、とっても気になってしまう感じですか?」
壱さんはニヤけた口調で言うや、つないだ我が手腕を胸の前で抱くようにして、
「ダ・ン・ナ・さ・まっ?」
と“猫なで甘々ボイス”を一音発するごとに、グイと、グイとこちらに身を寄せて――というか、身を押し付けて、“圧”をかけてきおる。
旦那さまという響きに、思わずドキリと心の深いところをわしづかみされてしまい、
「――あ」
壱さんの“圧”に対応するのが遅れ、
「ちょっ」
その結果、
「おぶぼべぶぉ!」
足がもつれて、オレは地べたにダイブをかますことになってしまった。
……なんだろう。極めて最近、ものすごく頻繁に、これっぽっちも意味なく、地べたさんと「こんにちは」しまくってるような……。どうにも不要な経験値を稼いで、いろんな意味での“打たれ強さ”を体得してしまった気がしてならない……。
だ、だからって、べ、べつに“打たれる悦び/Masochism”に覚醒しちゃったとかじゃ、ないんだからねっ! か、勘違いしないでよねっ!
「あらあら、大丈夫ですか? 旦那さま?」
どうでしょう……。いま、ものすごくダメな方向に傾いてしまった気がします……。
――というのは、ちょいと脇に置いておいて。
壱さん……、“ちゃっかり”というか“しっかり”自分は手を離して、オレと一緒に転ぶのを回避していらっしゃるあたり、もはや“さすが”としか言えません。
こちらを気づかう言葉とともに差し出された、壱さんのお手に、
「……ありがとう、……ございます」
どうにも釈然としない既視感を覚えつつ、
「……あの」
けれどもその手を借りて、オレは身を起こし、
「壱さん」
この際だからハッキリと、思うところを述べさせていただくことにした。
「その、“旦那さま”って呼ぶの、ご遠慮願いたいのですが」
「……イヤ、でしたか?」
ちょっと不安そうな物問い顔で、壱さんは確かめるように訊いてくる。
「イヤというか」
むしろ胸はドゥキドゥキ高鳴っちゃってるんですが、しかしだからこそ、ご遠慮願うわけです。己が心臓の、正常な鼓動のためにっ。
「名前で呼ばれるほうがしっくりくると言いますか、好ましいなぁーと」
いや、まあ、ウソ偽りなく言えば、ただ単純に、こっ恥ずかしいだけなのだけれどもね。決して、イヤではない。それは断言してもいい。けれど、どうにもこっ恥ずい。どうかご理解願いたい、この微妙な“野郎心/おとこ心”を。
「……そうですか」
なぜだか壱さんは少々残念そうに眉尻を下げて、しかし、
「わかりました」
しおらしくコクリと小さく首肯し、理解を示してくださる。
ちょうどよいので、ここで閑話休――
「では、刀さん」
――題なんて間を与えてくれることなく、
「ご要望通りお名前で呼ぶ代わりに、私のお願いをひとつ叶えてくださいな」
壱さんはなんぞわけのわからないことをおっしゃる。
決して“タダ/無料/得なし”では転ばないその揺るぎない姿勢は、じつに壱さんらしい。まぁ、実際に転んでいるのは、しかも毎度“タダ/無料/得なし”で転んでいるのは、オレなのだけれども……。それに、なんでギブアンドテイク的なことになっているのか、いまいちまったく理解が追いつかないけれども……。
「えっ……、と……、その……、ちなみに、そのお願いというのはなんでしょう?」
拒否したところで事態が好転するとは思えないので、そもそも拒否権がオレにあるとは思えないので、諦めというよりは無抵抗主義的に訊いてみる。
「私のことを“オレの嫁ええぇぇっ!”――って高らかに言ってほしいです」
おっ、おう。訊かなきゃよかったぜ!
下唇に人差し指を当てて、まるでお菓子をねだる子どものように「――ほしいです」と言う壱さん。その絵図らだけは、断じてその絵図らだけは、とてもキュートである。
絵図らだけはねっ!
口から出てきた言葉の、その“残虐性/残酷性”たるや、もはや潔癖的使命感のあるどこぞの集団やらどこぞの行政機関が“発言/表現/言論”に規制を掛けんと動き出すレベルである。健全な青少年であるオレの、健全な心身と健全な人格形成を護るためにねっ!
……けれど、残念無念なことに、オレの現在位置は日本国ではない。法律も条例も不可侵な、異世界である。法律や条例の守備範囲内の“日常/現実”とは違う、法律や条例の守備範囲外の“非日常/非現実”が、守備範囲外であるべきの“非日常/非現実”が、オレの現在位置なのである。
――と現実逃避的なことを考えてみても、結局はそこにある“事実/現実/困難”と向き合わなければならないわけで。
「なぜに壱さんは、オレに“そんなこと”言わせたいんですかね?」
拒否できないにしても、せめてそれをやる理由っぽいモノは存在してほしい。
「“そんなこと”ではありませんっ!」
むぅと眉根を寄せて壱さんは、
「せっかく夫婦になったのに、刀さんたらぜんぜん“それらしいこと”を言ってくれないんですもの」
と、ぷりぷり不満げに言って、ほっぺをぷくっと膨らませる。
だってそもそも夫婦じゃないですもの、と言い返したいけれども、少なくともこの村では、オレと壱さんは夫婦ということになっているので、しかもそのウソが引き返せないところまで行ってしまっているので、公衆の面前ではなんとも言い難く……。だからといって要求されていることもまた、公衆の面前ではおこない難く……。けれど選択肢も拒否権もオレにはなく……。
「い、壱さんは、オレの、よ嫁……」
「…………え? いまなにか言いました?」
わざとらしく耳に手をやり、おおげさな口調で訊き返してきおる壱さん。ニヤニヤと笑みの浮かぶ、なんとも楽しげなお顔である。
「い、壱さんはっ、おオレの嫁っ」
「……え? いまなんと?」
見ることが得意でない代わりに、空間把握能力やら聴力やらがずば抜けて優れている、心の声まであっさり聴き取る壱さんである。オレの言ったことが聞こえていないわけがない。というか、その笑みあるお顔からして確実に聞こえていると判断できるのだが――
生命の危機的状況において身体のリミッターを解除してその場を切り抜ける、いわゆる火事場のクソ力があるように。精神の危機的状況において精神のリミッターを解除してその場を切り抜けることがヒトにはできたりする。
オレも“オトコ/男/漢”じゃけぇ! ばっちやっちゃるばいっ!
という、いわゆる“自暴自棄”である。
なに言ってんだろう自分は……。
なんかもはや自分を見失いつつあるなぁ……。
なんてことを薄っすら残った冷静さで思ったりするが、もうね、もう、どうにでもなれっていう心情なのさ……。
だからオレは、たらふく肺に空気を吸い込み、ストレス発散のために大声で叫ぶがごとく、その言葉を口から発した。
「壱さんはあぁっ! オレのおぉっ! 嫁ええええぇぇぇっ!」
「それでなんでしたっけ? 私がいつ“収穫祭”について“知った/学習した”か、でしたっけ?」
「スルーはイヤァァァァアアァァアアアアァァァァ――――」
いままさに、健全な青少年の健全な精神と健全な人格形成が斬り殺されました。バッサリと。スッパリと。容赦なく。
ちなみに、壱さんがいつ“収穫祭”について“知った/学習した”のかという疑問の答えは、「刀さん気持ちよさそうに寝たまま起きてくれなくて、とってもおヒマな時間ができたので、その間に」とのこと。
正直、失ったモノが大きすぎて、もはやどうでもいいお話でしたありがとうございました。