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承/第二十六話:ムシムシ尽くし(其の十三)

「も、ももうそろそろ、ふ“夫婦大食い祝事(決勝)”が、が、は始まるから、もも戻ってきてって」

 とバツが呼びに来てくれたので、昨日と同じように三人で来た道を戻る。

 村の中を歩くと、またもご声援が飛んできた。それらの声は諸々の事情から矢のごとくトランスフォームして、我が心身にズブリズブリと生っぽい音をたてて突き刺さってくる。

 ――ので、逃れるように急ぎ足で進むことしばし。

 メムス屋さんの前で、なにやら行ったり来たりを繰り返している挙動不審な人物と遭遇した。表情を隠すように目深にかぶられた丈の長い土色のフード付きコートが、その行動とあいまって怪しさを倍増させている。

 本来なら無視してしかるべきだったのだが、しかしどうしてかオレはその不審人物に引っかかりを感じ、

「――あっ」

 ふと昨日のことを思い出す。

 昨日、なんの前触れもなく畦道で襲撃してきた人物の姿を。

 丈の長い土色のフード付きコートを着ていたのだ。

 あの“まんじゅうを見て逃げ出した襲撃者”も。

 いま目前に居る不審人物と同じく――

「――むっ?」

 いいかげんオレの熱い凝視に気づいたと思われる不審人物は、いぶかるように行ったり来たりを繰り返す足どりを止めて、

「…………」

 しばし状況を飲み込むための間を置いてから、

「……なっ!」

 頭の上に『!』が出現しそうなほど驚き戸惑い、

「どうして、ここにっ」

 ちょっと感度の鈍い警戒心を全開にして、隙の無い体構えをとる。なんか不審人物であることが残念に思えるくらい、とっても渋くてカッコイイ声であった。

「……どうかしたんですか、刀さん?」

 つないだ手をちょいと引っぱり、急に立ち止まった理由を壱さんが訊いてきたので、「かくかくしかじか」と簡単に現状をご説明した。

 すると壱さんは「なるほど」と真剣な表情でうなずき、

「昨日は強がってもらうのを拒んだけれど、鼻腔に残留する蒸しまんじゅうの匂いが忘れられなくて、時が経つにつれて食べたいという思いが強くなり、本日いざ購入しに来た――と」

 グッと力強く拳を握って、

「そういうわけですかっ」

 まったく的外れと思われる理解を示す。

 ……一瞬でいいから、食欲を切り離して思考していただきたいものだ。

「刀さんは、私に“わたし/自己/ヒトであること”を捨てろと――」

 不覚にも、我が脳内ぼやきは外に漏れてしまっていたらしい。

「――そんな残酷なことをおっしゃるのですかっ!」

 そこにありったけの不満を詰め込んだがごとくほっぺをぷくっと膨らませた壱さんは、純情な乙女が感情を昂らせたときに放つ渾身のビンタがごとく、あらかじめ力強く握って準備万端スタンバっていた拳で強烈なアッパーカットを言葉と一緒に放ってきおる。

 ズンッ! とアゴに重たい衝撃を喰らい、口からではなく鼻から「ブモォッ!」と勢いよく空気が漏れた。危うく昏倒するかと思ったが、しかし我が脳ミソは強い衝撃で不具合を起こすほど緻密で繊細なハイスペックモデルではないらしい。残念なことに、意識はバッチリ保たれている。

「なっ! お、おい、大丈夫か?」

 不審人物に気をつかわれてしまった。

「らいじょうぶれす」

 それにしても(食欲を切り離す)=(“わたし/自己/ヒトであること”を捨てる)だなんて、さすがは壱さん、こちらの想像が及ばない超斜め上をナチュラルにゆくおヒトである。その食に対する執着、なんかもう尊敬に値するようなしないような――もはや一般凡人なオレの価値観では推し測れない領域だわっ。

「とろこで、ほとんうのとろろ、こほでなにしたてんすでか?」

 オレは不審人物に問うた。昨日の今日であるからして、やはりここに居る理由は知っておきたい。まさか本当に蒸しまんじゅうを購入しに来たなんてことはないだろうし。

「まったく“ろれつ”が回ってないぞっ! 本当に大丈夫なのかっ?」

 ずいぶんと心配性な不審人物だ。

「らいじょうぶれすって」

「…………」

 不審人物はなにか物申したそうな間を置いてから、

「なんだ、その、私は――」

 と律儀に返答してくれる。

 ――が、その発言をさえぎって、

「なにごとですかっ!」

 ご登場したのは、なにやら一升瓶のような物を手にしたロエさんであった。側らにはバツの姿もある。

 どうやらバツはいち早く不穏な空気を察して、いつの間にやら救援を呼びに行っていたらしい。かゆいところに手が届く、とっても気のまわる、じつによくできた子だ。

「ぬっ! あっ、ロ、ロ、ロ、ロエ……」

 ロエさんの姿を見るや、不審人物は不審さに拍車をかけておおぎょうにたじろぎ、なにかとっても居心地が悪そうにソワソワしだす。

「え? ……あ! あなたっ!」

 ロエさんもロエさんで、不審人物の姿を見るや、目を見開いて驚きの声を上げる。不審人物とは対照的に、どこか嬉しそうだ。

 ――というか、なんというか、

「あふぉ……、つぬかことをおふかがいしましゅが、おふひゃりはしぇりはいかなにかすでか?」

 ロエさんと不審人物の態度を見るにつけ、どうにも初対面には思えなかったので、もしかしてお知り合いですか? と素朴な疑問をお訊ねさせていただいた。

 するとロエさんは、

「え、ええ」

 なぜかオレに対して当惑の表情を向けつつ、ご返答くださる。

「――彼、ジンは、私の夫です」

 ……

 …………

 ………………

「……………………ええっ!」

 ロエさん、人妻だったのぉっ!

 壱さんのアッパーカットよりも予想外な不意打ちに、思わずビックリ、お口あんぐり。まさか現実でマスオさんみたいな驚きかたをしちゃった自分にも、それはそれでビックリ――していたら、

「と、とトウお兄ちゃん」

 いつの間にやら隣に移動していたバツが、なにかヒソヒソ話でもするように声をひそめて呼びかけてきたので、

「ん?」

 オレは腰をかがめて、話を聴く体勢を整える。

「あ、あの、あのね――」

 と自らの口元に左手をそえ、ちょっと背伸びをして我がお耳にコソコソとくすぐったい吐息を吹きかけてくるバツの話に、

「……ええっ!」

 またもマスオさんみたいな驚きかたをしてしまった――けれども同時に、不審人物ことロエさんの夫であるジンさんに感じていた“引っかかりのようなモノ”の正体が知れた。

 それは全体的に残念な空気をともなうから、果たしてオレは、あえてハッキリと気づかないようにしていたのかもしれない。あるいは彼に対する、共感にも似た同情の念が無意識にそうさせたのか……。

 ツミさんとバツと出会った宿場町にて壱さんは、朝冷えによる腹痛でただでさえ辛い状態の腹に下剤をもるという、まさかの外道を極めたようなおこないをしなさった。その外道の直撃を喰らったヒトが、誰あろう、腹痛先生にして不審人物ことロエさんの夫であるジンさんだったのだ。

 ――とは言うものの、人物としての印象よりも、残念な状態ばかりが色濃く脳裏に焼きついていて、オレは、すぐに同一人物だと見抜けなかった。ゆえに、ずっと“引っかかりのようなモノ”を感じていたわけだが、どうやらそれは、畦道にて“まんじゅうを見て逃げ出した襲撃者”と接近遭遇していたバツも同じだったようで、いまさっき“彼”も同一人物だと気づき、そして“そうだ”という確信を得たらしい。

 その確信というのは――挙動不審の雰囲気が同じだったから、というもの。

 ツミさんとバツにとってはご両親の形見でもある“家宝の包丁”と“お食事処”。それらを奪わんと毎度イヤガラセに来ていたガラの悪い連中。そいつらの用心棒みたいな立ち位置に居たらしいジンさんは、しかし実際はイヤガラセに加担するわけでもなく、お食事処の前で行ったり来たりを繰り返して、ただただ挙動不審なだけだったようで。そのときのかんじと、さきほどのメムス屋さんの前でのかんじが、バツいわくピッタリ一致したのだそうな。

 なにかノドに引っかかっていた魚の小骨が取れたときのような、地味だけれど心地好いスッキリ感である。

「おや? みんなそろって、いったいなにを――」

 村の広場がある方向からツミさんが、額の汗を日光で爽やかにキラめかせつつ、ポニーテイルを揺らしながら小走りでやってきた。どうやら“夫婦大食い祝事(決勝)”の会場セッティングを手伝っていたらしい。お疲れ様です。

「――て、えっ!」

 ツミさんは驚くと同時に、守るようにバツを自身の背後に隠して、

「どうして、あなたがここにっ!」

 威嚇するネコのような鋭い眼光を、ジンさんに向ける。

 そんなツミさんの反応を見て、

「……あら?」

 しかしロエさんは少々ズレのある感性で、

「面識がおありでしたか?」

 自分の夫を知っているようなそぶりのツミさんに、心の底から意外を感じているふうな表情で訊ねた。

「おありもなにも――」

 ロエさんとジンさんが夫婦であることを知らないツミさんは、語りをオブラートに包むなんてことはせず、「かくかくしかじか」と面識がある理由を述べた。


 ――なにか、引き千切れたような音が聞こえた。


 普段めったに怒ったりしないであろう温厚な性格のヒトが、希に本気でキレると、それはそれは恐ろしい、ということを改めて実感した。

 まさか、あの天使のごとき微笑みをくれるロエさんが、手に持っていた一升瓶のような物でジンさんの脳天ぶっ叩いたうえに、強制土下座の連打でジンさんの額を地面にドッカンドッカン打ち付けるなんて。タマゴが割れるみたいに頭の中身がポロリしちゃいそうな、誰も望まぬポロリが発生しちゃいそうな、そんな肝を冷やす、まさかの光景を、この惨劇を、いったい誰が想像できただろう。

 怒髪天を突く勢いで怒れる、鬼の形相のロエさん。ウソぶっこいて祝事に出てしまったという負い目がオレにあるからか、彼女が全身から放つ憤怒の気迫に、思わず身が縮み上がる。べつに自分が怒りの対象になっているわけではないのに、気配を殺して、自分がこの場に居ないようよそおってしまう。

 そんな、危うく股間にある“マイ・蛇口”が水のトラブルを起こしてしまいそうな、居心地が心臓に悪すぎる状況から、自然な流れで逃るる公然たる理由をくれたのは、誰あろう、壱さんであった。

「なにやら深刻にお取り込み中のようですけれど……刀さん、私たちはそろそろ“夫婦大食い祝事(決勝)”に――」

 修羅場から逃れる理由として、“夫婦大食い祝事(決勝)”に出場するという既成事実は、じつに最適なモノだった。まさか壱さんの望まれぬ功績に感謝する事態に陥ろうとは……。これぞまさしく不幸中の幸いだ……いや、一寸先は闇――かな?


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