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承/第二十一話:ムシムシ尽くし(其の八)

「あらあら、おかしなことをおっしゃいますね、刀さん」

 そこで壱さんは可愛らしく――いまのオレにとってしてみれば、おぞましいくらいの可愛らしさで小首を傾げて、

「せっかく夫婦になったのに、あまりにも仲良し過ぎて変化に乏しいから、試しに“亭主関白”やってみたいって――そう提案してきたのは刀さんですのに」

 どこら辺でっ? どこら辺でそんな血迷ったこと言いましたっ? オレにはそんなゆる〜い関白宣言をした記憶はございませんよっ!

「もぉ恥ずかしがっちゃってっ」

 このこの〜ってなぐあいに、彼女は指一本で見事な地獄突きを我が胸部に放ってきおる。そりゃあもう、このヒトは人差し指でオレの肺に穴を開けるおつもりだな、と察せるくらいの見事さだ。世界地獄突き選手権があったら、きっと伝説になれるだろう。

 しかし残念ながら、我が肉体はちゃめっけたっぷりにご乱心しおる彼女を受け止めきれるほど強靭ではなく、なにより人差し指で人を刺すとか、おもしろくないうえに、やられる側はたまったもんじゃないので、オレは順調に掘削作業中な彼女のお指をつかみとって強制終了願うことにしゅりゅ。

 が、お指は望まれない使命感を発揮して掘削作業を続行しようとしおるので、「もう勘弁してくだせぇ」との念を込め、その指をにぎにぎ握って説得していたら、

「と、トウおぉ兄ちゃんと、い、イチお姉ちゃん、けケンカして、いイチお姉ちゃんな泣いてたんじじゃないのう?」

 いままで不安げに所在無く立ち尽くしていたバツが、どこかほっとしたような声色で訊ねてきた。どうやら“彼”は、ケンカのすえに壱さんが涙々したと思っていたようだ。

「まさか、私と刀さんがケンカするなんてありえませんよ。さっきのは“ごっこ遊び”ですから。それに、もしケンカをしたとて、刀さんは女性を泣かせるような人ではないハズですよ?」

 そう答える壱さんのお顔には、“彼”を安心させるような、「ね、そう思うでしょう?」と同意を求めるような微笑みが浮かんでいた。

 その答えにバツは、しばし潤んだ瞳でオレを見つめ、

「そ、そう、そうだよね」

 にっこり、と純朴な笑みをくれる。それは不条理な世に咲く一輪の花がごとく、見ただけで胸の内に現在進行形で蓄積されてゆくアレやコレやを一瞬で消し去ってくれる特効薬であった。もう食べちゃいたいくらいである。……あれだね、ご老体が自分の孫は眼に入れても痛くないっていう心境と、ムツゴロウ王国の王様が「よぉしよぉしよぉし」といろんな意味でものすごいコミュニケーション能力を発揮して動物に接する心境が、とてもよく理解できた気がする。彼の方々はこの境地に居たのか、と。それは非常に形容し難い、しかしすこぶる単純明快で純粋な――

「ところで」

 と壱さんは問答無用でオレの思考をぶった切り、

「準備がどうとか、なにか言いかけてましたけど?」

 わざとらしいぐらいの疑問顔で、おおよそ見当がつきそうなことを、あえて訊く。

「え、あ、う、うん。じゅ準備ができたから、ゆゅ夕食た食べようよって、とトウお兄ちゃんと、いイチお姉ちゃんを、よ、呼びに来たんだよう」

 というバツの返答に、

「あら、ついに待ちに待った夕食のお時間ですねっ」

 壱さんは、それだけでごはん三杯食べられそうな素晴らしき喜色満面を浮かべて、

「このまま待ち続けていたら、お腹が空き過ぎて背中とくっ付いてしまうところでしたよっ」

 ぽんぽこタヌキがごとく軽快な腹太鼓をひとつ打ち鳴らす。

 …………。

 ……どうしてだろう、みょーに和むのは。

 空腹のヒトが腹を叩いただけなのに、なんでハッピーエンドを迎えそうな、ぬくい雰囲気が室内に満ちるのだろう。

 ……摩訶不思議だわっ!

 いや、だからと言って、べつにこの雰囲気を否定するつもりはない。壱さんが本当は泣いていなかったということには安堵を覚えているし、やっぱり泣き顔より顔面の筋肉緩ませているほうが彼女らしいと思うから、この室内に満ちているぬくい雰囲気を否定するつもりはない――のだが、しかしそれを差し引いても、個人的には色々とお訊ねしたいことがあるわけで、

「あの……壱さん」

 このまま雰囲気にのまれて強引に流れを持っていかれたら訊くタイミングを逃がしてしまいそうなので、そうなる前に先手を打つことにする。

「なんですか? ……あ、夕食やっぱり半分はイヤだとか、そういう交渉には応じませんからね」

 そんなキッパリと、全力で的外れなことを先回りでご回答されても困るのですが。

「じゃあ、なんだっていうんですかぁ?」

 そんな不満たらたらに、ほっぺをぷくって膨らまされても困るのですが。

 ていうか、他に思い当たらないんですね……。いや、まあ、いいんですけどね。

 ……気を取り直して、オレはもっすごく疑問極まる事柄をお訊ねさせていただく。

 壱さんがご起床なさってから、事ここに至るまでに起こった、トリッキーな出来事について。

「んんー、“まんじゅう怖いの応用編”ですけれど、それがなにか?」

 ずいぶんアッサリと意味不明なこと言いますね。

「なんですかね、“まんじゅう怖いの応用編”って?」

「ほら、刀さんが話してくれた、心理戦の極意を指南する落語“まんじゅう怖い”ってあったじゃないですか。相手の“イタズラ心/イジワル心”に火をつけて、結果的にこちらが得をするっていう」

 ……はい? いつから落語はそんなタクティカルなお話になったんですかねっ。

「刀さんが、しょーもないウソを吐いたとき、これはいい機会だと思いまして、試しにおこなってみました」

 応用編なのは状況が微妙に違うからです――とご親切におっしゃっていただいても、全体的に何を言っているのかよくわからないのですが、

「オレがウソ言ってるって――」

「バレバレでしたよ」

 なんでも、ウソを吐いたときの我が声には、普段とは違う“形容し難い感覚的な違和感”があったそうな。そして、オレが喋るときその吐息に食後特有のニオイがなかったこと、炊事場からは美味しそうなニオイがしていたし調理中な音が聞こえ続けていたこと、バツと思しき足音がこちらに近づいて来ていたこと――などなどを総合的にかんがみて、壱さんはオレがウソをこいていると直感したらしい。

 改めて、壱さんの空間把握能力というか状況認識力のすごさを思い知るわけだが、

「ということは――」

 精も魂も燃え尽きてしまったようなか細い声とか、何もかも失ってしまった人のような哀しすぎる微笑とか、我が精神ライフポイントをゴリゴリ削ったお涙とか――は、やっぱり、

「演技ですよ」

 どうです、なかなかの演技力でしょう――と、壱さんは胸を張る。

 オレは思わず目を見開き、

「ま、まさか……そんなっ」

 足元をよろめかせ、

「壱さん……恐ろしい子っ!」

 と白い目で呟きたかったのだが、「そんなことより、早く行きましょうよー」と壱さんが三度ご乱心の勢いで急かしてきおるので、

「わかりましたっ、わかりましたからっ! 隙あらば地獄突きかまそうとするのやめていただきたいっ!」

 なんだか消化不良な感じだが――

 そんなこんなで夕食のお時間とあいなった。


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